脳力開発127号/理念探究会127号

脳力開発127号

メディアの使命・日米の比較

 私の大学時代の友人が映画「ペンタゴン・ペーパーズ」監督スティーヴン・スピルバーグを見た上でメディアのあり方について長いメールを送ってくれた。早速見に行ってきた。その上で今回、日本のメディアの現実を描いてみたい。

  • 「ペンタゴン・ペーパーズ」の内容は、「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」である。ベトナム戦争からの撤退を公約して大統領に選出されたリチャード・ニクソン政権下の1971に作成されたこの報告書は、フランクリン・ルーズベルト大統領時代つまりフランス植民地時代にはじまり、フランスの撤退以降にベトナム戦争を拡大させたジョン・F・ケネディリンドン・B・ジョンソンの両大統領政権下のアメリカ合衆国インドシナへの政策と「トンキン湾事件」などの当時の政府による秘密工作を網羅している。(ウイキュペデヘアより)
  • ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。 しかし、ニクソン大統領があらゆる手で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…(映画の案内文)

 

  • ペンタゴン・ペーパーズを早速見てきました。あなたのいう通り素晴らしいというのが感想です。そして正にメディアが民主主義の「言論の自由」と「新聞、メディアの使命」を貫いたとおもいます。権力や政治に屈しない姿勢、経済的な打撃のおそれがあるにもかかわらず、貫いたワシントン・ポストの社主、幹部とも勇気があるとおもいます。

さて、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのことは、チョットおいて、私が今まで、書いてきたことは、日本のメディア、特に朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同通信社、そしてNHKの姿勢についてです。

 

■朝日新聞の虚偽・メディアの崩壊

  • ここで、貴兄も御存じだとおもいますが、戦後、朝日新聞は一九四五年九月十五日、十七日の記事で、GHQから発行停止になったのです。五月十八日、二日間にわたる業務停止命令をうけ、十五日は鳩山一郎の「正義は力なりを標榜する米国が原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が、病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことができないであろう」という記事に対して発行停止、そしてその後GHQはプレスコードという三〇項目を発表し、メディア(新聞・放送)に対して言論統制を強烈に敷きました。

GHQ批判、東京裁判批判、連合国への批判、中国批判、韓国批判を全てのメディアに対して禁止し、六年半にわたって新聞、放送、出版の内容の検閲を五七〇〇人の日米検察官を雇い、動員し実施してきたのです。

  • サンフランシスコ条約で、連合国は日本に対して言論の自由を承認したにもかかわらず、GHQアメリカが、日本の新聞に放送に対して言論統制と検閲を続けてきたのです。この映画の主題である、言論の自由を口では唱え、その裏でGHQは日本に対しては六年半にわたる言論統制をしてきたのです。
  • 朝日新聞は発行停止にあうと、対応策として直ちに社長幹部の交代、編集方針を全く変更し、その後、積極的に言論統制に迎合し、メディアとしての魂をGHQに売り渡してきたのです。メディアの社会的使命をGHQに売り渡し、以降は見事に追従してきたのです。

私達の記憶にある、中国に対しては批判的なことは一切いわなかった朝日新聞は、文化大革命を初め、中国ソ連に時の幹部(社長・経営陣)は迎合し、その間メディアの中心であった朝日新聞は社をあげて中国、北朝鮮、ソ連にも魂を売り渡してきたのです。

  • 他方、真実を追求してきた産経新聞は文化大革命をいち早くスクープし、掲載した結果中国に駐在を置かせないという報復をうけたのです。今もしばしば中国から記者の公式入場を拒否されています。あの映画のニクソンを彷彿させる後ろ姿のセリフですよ。「二度とワシントン・ポストをホワイトハウスにいれるな」というセリフそのものを中国からやられているのです。(産経新聞は、中国総局長へのビザ発給が二〇一七年九月まで三年以上凍結された。)

少し言い過ぎのきらいがありますが、アメリカは国内に対してでも世界に対しても、二枚舌なんて十八番でしょう。何が「言論の自由」なのかというのが、東京裁判もあるのですね。言論の自由と言いながら、事実は全てにわたって言論統制をズーットやって来たのです。

  • GHQの言論統制が終わった六年半後も日本のメディアは言論の自由といいながらも自主統制を続けています。メディアの自主規制はスッカリ習い性になり、いまだに莫迦な自主統制という名の言論統制をし、出版業界、放送業界に対して常識的には当たり前の言葉を逆差別しているのが現実です。日本語の衰退を招いています。
  • 朝日新聞を筆頭にした日本の大新聞、メディアの愚かさです。ニューヨーク・タイムズの日本支社は朝日新聞の本社にある、あったのです。朝日はアメリカの大手メディアの記事を鵜呑みにして載せてきたのです。アメリカに派遣している朝日新聞の記者たちが自分で調査して書いているのですかね。ニューヨーク・タイムズの受け売りをしているのでしょう。

 

朝日新聞綱領(一九五二年制定)に対して恥ずかしくないのか?

一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。

  • 話が広がりすぎてはいけないので、論点を戻すと、新聞、メディアはもともと目立つ部分を記事にする傾向があります。両面から公平に書くべきことを売らんが為、片面からしか書かない。近々の加計問題の国会答弁などがその最たる事例です。私はこの国会中継を記事にして書きましたが。朝日も慰安婦問題を初め、売らんがための虚偽の積み重ねをし、今回の映画の中のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストの記者や社主の爪の垢でも煎じて飲ませたい心境です。
  • 新聞が事実を書くかといえば、これはまた違います。朝日新聞はかつて八〇〇万部以上だったものが、慰安婦問題やそれ以後の虚偽、誤報報道でどんどん部数を落としています。毎年三〇万部も減り、今では五〇〇万部とか、そして会社もリストラや給料賃下げ、経費カットが進んでいると言われています。
  • 日本でも、今の若い人たちは新聞を購読しなくなっています。その代わりにインターネットでおかしいと思って調べています。朝日の凋落は団塊の世代が減少するに従い激しくなってくるでしょう。個人的には消滅してほしいとおもいます。
  • 今回あなたからのメールを頂きとても感謝しています。メディアの姿勢に対しての考え、使命に対しては全く同感です。この映画ではニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストも立派な社会的使命を貫いています。お陰で、あなたのメールは私にとても参考になりました。貴方のようにキチンとした良き読者をもって幸せです。重ねてお礼申し上げます。(悦司)

理念探究会127号

その一、郷土の誇り田渕隆三氏作品展IN津山

  • 今回、四年ぶりの田渕隆三氏の故郷津山での作品展が開催された。私達夫婦も四月十二日に神戸経由で馳せ参じた。前日、津山国際ホテルで津山高校同級生が集い喜寿の会を兼ねて百三十名の人達が集まった。今回の作品展のテーマは「魂のふるさと冨士」でした。

今年は、富士山などの日本の美しい風景を描く旅を続けておられます。今回の会場クラヤは津山では有名人の歌手ビーズのご兄弟が経営されている。私達も四年前にモラ作品展を開催した場所です。同郷津山の友人、知人の協力で沢山の人達に見ていただいた懐かしい場所でもある。今回、折角の機会なので、田渕さんご夫妻と食事をご一緒したいと前々からお願いしていました。田渕さんの郷里鏡野の田渕さんと子供のころからの友達で、私の大学の先輩近藤先輩、同じ鏡野町で備前焼を焼いている和仁氏、津山で美術にかかかわる仕事をしていた小林さん、そして田渕さんご夫妻と田渕さんの仕事を手伝っていらっしゃる吉村さんと私達八名の会食になりました。

  • 私も興に乗って、田渕さんご夫妻の結婚までの動機から始まって、毎年ヒマラヤに登山され描かれているようす等などいろいろお聞きしました。お二人とも東京芸大日本画の出身です。奥様は横浜フェリスの出身でご家族はバリバリのクリスチャン家族。一方、田渕さんはコテコテの仏教徒。田渕さんのプロポーズには奥様の父上は猛反対。しかし、二人の思いが強く、詳細は聞き逃しましたが、今は二人とも作品づくりに邁進されています。

田渕さんは津山高校では初めての芸大に入学された先輩ですが、田渕さんの絵に描ける情熱は凄まじいものがあります。今年、喜寿を迎えられるのですが、ここ十年近く毎年ヒマラヤに登られ四三〇〇米~五〇〇〇米近くで厳寒のなかで、何枚もの油絵を描かれます。

モネに倣って、縦三メートル横九十メートルのヒマラヤを描こうと、何年も取り組まれている。私も登山に親しんでいるのですが、エベレストビューホテル(四三〇〇米)まで何とか登りたいと計画を立てるのですが、妻の骨折やら体力の衰えやらと重なり、到底叶いそうもありません。

  • 奥様はと言えば子育ての最中もスケッチを怠ることはなく、日本画の作品を描き続けて折られる。今回の会で新たな発見は奥様が非常に田渕さんの考えを理解されていて、時に田渕さんへの質問に応えてくださる、互いによく理解し合っていることに驚きました。

最後に、田渕さんの好物はお芋だそうです。毎日食べるのだと奥様が笑いながら紹介してくださいました。茨城県は芋の名産地です。これから田渕さんによい作品を描いて貰うために、お芋を沢山送ることにしたいと思います。

  • 我が家は田口さんの絵を沢山集めています。毎日、朝晩眺めながらエネルギーを沢山もらっています。今回は妻の忠告で、絶対に買わないということを約束させられていました。当日はまだ、決心がつかなかったのですが津山から帰って、後日、東京近代美術館に横山大観の作品展を見に行き、横山大観の描く富士山と田渕さんの描く冨士さんが私の頭の中に何度も現れ、とうとう横山大観の作品展の会場からいつもお世話いただく吉村さんにメールして求めることにしました。ヒマラヤの絵は五~六点あります。これで富士山の絵も三点になりました。いずれ、田渕さんの作品展を森のフォーチャで開催する日もあるかと妄想しています。善子にはこれ以上はと文句を言われますが、私も喜寿を迎えるころには妻を説得して開催するかと密かに考えています。(悦司)

その二、鯖江理念探究会

 鯖江理念探究会第二回目初日には七名の参加者と塾頭八名とはじめました。私は前日、津山から善子と金沢にはいり知人と会食を終えて、再び鯖江に引き返した。

さて初日は近況報告に続き、午前中は金美齢の「私なぜ日本国民となったのか」のポイントレビューでの輪読と和談です。二〇代で日本に留学以後、台湾独立運動にかかわることになった彼女が二〇〇九年九月に日本国籍を取得するまでの、台湾人としての悲哀、ニニ八事件による国民政府軍の白色テロ、戒厳令と独裁政治から台湾人の初の相当になった李登輝による民主化へと続く、五〇年間を綴っている。

台湾民主化はその後、民進党陳水扁から再び国民党の馬英九総統による大陸・中国への偏りと再び蔡英文へと続く台湾人のとしての体験から「私なぜ日本国民となったのか」と語る。

  • 戦後日本人の最大の忘れ物は「日本精神」(リップンチェンシン)を語る。

一、家族、故郷、母校を甥する人が母国を愛することは当然だ。

二、自分の国を愛さない人間を外国人は誰も信用しない。

三、「日の丸は悪」と人々に植えつけて日本のマスコミ。

四、日本人もそろそろ温室育ちから抜け出すときだ。

五、国のために何をするのかを考えず、国に対して権利だけを主張するな。

六、戦後教育の落とし穴。と続ける。

三〇代~四〇代の受講生は一九七〇年前後生まれだから、日本の戦後史もよく知らない。

戦後教育は私も含めて、日本の歴史教育も明治維新以後の歴史も知らない。日本の歴史を日本に移住した台湾独立の女性でありながら人間として生きる覚悟をもった金美齢の自伝に近いこの本は多くの刺激と同時に一般的な日本人の緊張感のない生き方に警告を与えてくれる。今、日本人は全ての面で生ぬるいお湯に浸かり切って、茹で蛙状態と言えよう。

  • 「万人が万人の哲学を」

MKD未来対応経営道場を母体にして、理念探究会を進めているがこの後、森信三の「幻の講話」第五巻の「万人が万人の哲学を」「新しい人間の学」を輪読、一人一人は究極自己の人生を全うすることは、換言すれば自己の天命、使命の探究であることを教えられる。

  • 生育歴

翌日二日目は三名。彼らには宿題で「生育歴」を書いてきてもらった。三〇代後半、四〇代前半の三人はそれぞれ生い立ちは違う。しかし生育歴を拝見すると非常に個人的に興味がわく。一人平均六~七枚の生育歴だったが、私からの質問、インタビューで非常に個性が浮き上がってくるだろう。

  • 基本指針集をもとに以下のことも学んだ。脱競争の基本構図、支援型リーダー、支援型組織、無力の七法、企業理念の役割。新たな経営への準備も進めている。(悦司)

脳力開発126号/理念探究会126号

脳力開発126号・沖縄問題を考える

先月から沖縄問題を考えることにした。関連書籍を読み始めているが、その関係は複雑で容易に判断することはできない。まずは考える構造を想定した。図のように考えてみたい。

第一回目は、ここ数年私達が見聞きしていることを、時系列に辿ってみた。テーマに関しての詳細はこれから踏み込んでいきたいと考えているが、概略の流れを辿っておきたい。

今年私が沖縄に行った1月中旬、既に名護市の市長選挙が話題になっていた。コンビニで新聞を買いに行くと、沖縄タイムスと琉球新報と僅かに日本経済新聞がおかれていた。ホテルにはいずれにしても沖縄タイムスか琉球新報しかない。旅行者には読むところがない。

新聞でも名護市市長選挙は取り上げられていた。稲嶺進市長(オール沖縄支持)と渡具知武豊氏(自民・公明支援)が争っていたが、結果は3500票の大差を付けて渡具知武豊氏が選ばれオール沖縄が応援した稲嶺氏が大差で破れた。引き続き3月の石垣島での市長選挙も保守分裂選挙となった。保守分裂で革新の勝利も予想されていたようだが、結果として自衛隊配備を推進する中山義隆市長が革新系新人を破り三選された。

■沖縄のメディア 

沖縄タイムス、琉球新報 編集方針は同じ

基地に反対する「沖縄県民の戦い」、「沖縄県民の感情」にたいしての日米両政府の無関心

を謳う。沖縄対する数百年の差別を訴える。基地反対派との密接な関係がある。

■沖縄平和運動センター議長・山城博治

1993年2月1日設立、会員数26団体、護憲反安保県民会議と沖縄原水協の統一された原水爆禁止日本国民会議加盟団体。マスコミ労働組合協議会。

■支援団体 社会民主党、自治労、国公労、沖縄県教職員組合、高等学校教職員組合、沖縄社会大衆党、マスコミ労働組合協議会。圏内マスコミへの影響力は強い。

■闘争目標・護憲、反基地、反安保、反自衛隊、反核、原水禁、被爆者支援、部落解放同盟と連携した反差別国際を展開。

活動資金・社民党が中心と言われている。

山城博治議長は2015年2月22日逮捕、映像が米軍から公開される。

■オール沖縄(辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)

普天間飛行場へのオスプレイ配備撤回運動に全市町村が形式上賛同したことに由来する。

2012年9月9日県民大会事務局が取り付けた。会場・宜野湾海浜公園

2014年 沖縄県知事選挙で翁長雄志を支援する仕組みとして具体化する。

革新と辺野古移設反対は保守勢力も参加して統一戦線が結成された

翁長氏は元自民党だったが、辺野古移設反対だった。

2015年 稲嶺進名護市長、市民活動家高里鈴代、呉屋守将金秀グループの三氏が共同代表  シールズ琉球・玉城愛(名桜大四年)も加わった。

辺野古・新基地を造らせないオール沖縄会議

20団体・社会民主党、日本共産党、現・自由党、沖縄社会大衆党、民進党、民進党、沖縄県連、沖縄市議会新風会、県会議おきなわ、沖縄県知事、那覇市長。

辺野古移設反対でも公明党・沖縄県本部、おきなわ維新の会、政党そうぞうはオール沖縄会議には参加していない。

■2014年沖縄県知事選挙

2013年1月28日 オスプレイの配備撤回と普天間移設断念の建白書提出

■自民県連の分裂

2013年12月27日 仲井真弘多知事がそれまでの辺野古移設反対から名護市海面埋め立てを承認した。これを巡り県内の保守勢力や自民党が分裂状態になる。

2014年6月 辺野古移設反対の自民党沖縄県連が翁長市長に出馬要請。前回の仲井支持派の一部も賛同した。

2014年7月22日 社会民主党沖縄県連、日本共産党中央委員会、沖縄社会大衆党、生活の党(現自由党)、県民ネットが翁長雄志に候補を一本化で合意、9月10日本人立候補表明。

2014年11月16日 翁長氏県知事に当選

その後のオール沖縄の選挙展開

第47回衆議院議員総選挙でオール沖縄は選挙選挙協力、一区共産党、二区社民党(照屋寛徳)三区生活の党玉城デリー、四区無所属仲里利信で候補一本化成功。全員当選。

2016年宜野湾市長選挙 自民推薦の佐喜真淳市長誕生、オール沖縄の初めての負け選挙

■辺野古訴訟における敗北 

2016年3月国と件が訴訟取り下げ。7月22日国は翁長知事を提訴する。

2016年12月20日最高裁で県の上告を棄却国が勝訴

2017年宮古島市長選挙 自民・公明支援の下地敏彦現職当選、オール沖縄敗北

2017年浦添市長選挙 自・公推薦の松本哲治氏再選・

■沖縄圏内11市長の内、那覇市、名護市を除く9市長を自民系が継続。

2017年4月23日うるま市長選挙 自・公推薦島袋俊夫氏当選・オール沖縄3連敗

2017年7月9日那覇市議会選挙 オール沖縄18議席、共産党7人現職当選

過半数割れ、翁長市長の息子は当選したが、前議長で翁長側近の金城徹氏は落選。

■第48回衆議院議員総選挙

オール沖縄は前回同様選挙協力したが、四区の辺野古移設反対派の仲里利信が一本化に成功したが、自民党の西銘恒三郎が当選、仲里氏は引退した

2018年平成30年の動き

2018年1月22日南城氏長選挙 オール沖縄・65票差で辛勝

2018年2月名護市選挙 自・公推薦の候補が当選、渡具知武豊氏当選。

オール沖縄敗北、近秀グループの呉家守将会長引退、オール沖縄会議の共同代表を辞任

2018年3月11日石垣市長選挙、自・公・維新推薦の現職中山義隆3選、オール沖縄敗北

次号から構想図にしたがって、詳細を検討していきます。(悦司)

 

理念探究会126号・決心を問う

三十年先を描きそれに向かって歩みを始める

三月中旬三日間にわたって恵那銀の森で幹部研修を行った。社名「銀の森コーポレーション」は七年前に社名変更を行った。その前の社名は「銀しゃり本舗」、お付き合いを始めて丸々二十一年は経つ。「創業の思いと歴史」をまとめたのが二〇〇三年、創業理念と経営理念も数年をかけて私がまとめた。

お付き合い始めた平成八年一九九六年は、敷地数万坪で公園のように広大な敷地を整理し始めたころだった。まだ、小売りは開始していなかった。二〇一一年旧来の敷地の周辺を購入し、地域の発展と食文化の発展に貢献をめざして食のアミューズメントパーク「恵那銀の森」開園した。社名も「銀の森コーポレーション」に変更した。念願であった小売り部門に乗り出した。カリテレモン、みくりや(美栗会)、おくど、五節会、イタリアンレストラン森の食卓とショップ部門とお菓子の第二工場を併設した。その後の展開で「銀の森」ショップ外部出店にもチャレンジしている。ここの店の紹介は省くが、個性のある商品づくりに挑んでいる。

渡辺好作氏は平成十五年開校の次世代型経営者養成塾の第一期生でもある。今、当時の受講生の殆どが社長、もしくは専務の役を務めている。創業社長から交代し社長に就任したのが一昨年。この春で丸二年を迎える。いわば社長の新人である。

昨年から氏は三十年先のビジョンづくりに専念し、十年単位のマイルストーンを建て三十年先に向かって歩み始めている。養成塾の講師を務めて貰ったS田氏の応援もお願いしビジョンも明確になっている。

意志のある同志と協働する

今回の幹部との熟考会で社長同席の上、三日間にわたり検討した。検討を深めるとビジョンに向かって進もうとする人と、消極的な人との姿が浮き彫りになってくる。これは企業に務める人に見られる普通の姿だ。サラリーマン特有の自己保身の姿勢が浮き彫りになってくる。三十年先のビジョンをともに磨き温めながら社長とともに向かう意志を共有できる人間かどうかを、社長ともども見極めなくてはならない。

未来に向かうとき、自己保身を優先させる人間は中核の幹部として信頼はできない。構造改革や現在の組織の壁の突破をめざすときには少しでも自己保身を優先させる幹部は中核におけない。その見極めも初期の段階から留意しなければならない。

今回、会長、社長と三十年来のお付き合いを振り返りながら深い話をしてきた。六月には第一段階のビジョン具体化の合宿をすることを渡辺社長は決めた。未来に向けて積極的に自分のもてる力を発揮するメンバーと進んでいくための応援をしたい。

 写真 銀の森全景

 

鯖江理念探究会の本格スタート

三月十日~十一日と金沢経由で鯖江に入り、いよいよ鯖江理念探究会をスタートさせた。初日は七名、二日目三名。二日間とも出席の三名が正式に発足した理念探究の対象者だ。初日は二年前からMKD道場で開催している理念探究の準備会の対象者でその中から今年三名が本格的に取り組むことを決心した。毎月二日間、私自身の日程で言えば三日間をつかうことになる。結構体力的にもきつい年齢になったが、体力の続く限り続けようと決めいる。

理念探究会は平成七年四月より開校した。その後、平成十五年にそれまでの理念探究会の経験をまとめた著書「理念探究会のめざす世界」を出した。今年理念探究会も第二十四回目を迎えることになる。理念探究会を端的にいうと次のようになる。「全ての人間は生まれたときに、神から一通の手紙をもらっている。大概の人はその手紙を読むことはない。しかし、その手紙を読みたいと思う人がいたら、私はその人が神からの手紙を読むためのお手伝いをする」、この表現は、親しいドイツ人の友人がいて彼が英語で私に、「黒田、お前の仕事はなんだ」と幾度か問われ、それを英語で応えた文章を、あらためて日本語に訳した文章だ。そのための会が理念探究会である。

願望と意志の違い

理念探究は意志があって、決心して取り組む人には諦めて限り到達できる。しかし、決心したつもりだが、到達できない人もいる。その根本的な理由は決心したつもりでも「願望と意志」の違いを理解していない人だ。「希望することと決心することとは違う」「決心にも全人的決意」がないと到達できない。その意志を時間をかけて不動の決心として探究する事を支援するのがわたしの役目である。こうして理念探究に到達できた人は四十名(社)強。そのうち一昨年六名が誕生した。

鯖江理念探究会の第一回目の感想を記すと、次のようになる。この会の発足は二年前に遡るが私には到底その段階ではないと思っていた。理念探究にまで進みたいのならばMKD(未来型経営道場)を主催している村上氏に二年間はあなたが畑を耕してほしい。それができたら検討しましょうと。二年にわたって私も年四回、講師の役をになった。

感触がよい。いままでの経験から言っても二年先の可能性が非常に感じられる。勿論一人一人人間が違うように同じテンポでは進まないだろうが、過去の経験よりも可能性が強く感じられる。これはこの道を二十五年進めてきた「勘」というものだろう。この三名意外にもここ数年MKDが独自に進めれば、もっと他の人達も理念探究の可能性があるという「勘」である。楽しみが増えた。

村上廣昭氏からの手紙

今月から先生の理念探究講座は、わたしの「職場卒業式」で述べました、地域で理念制定者を一〇名育てたいという願から始まりました。思えば三年前に蟹江が主幹隣開催した、快労祭にMKDの無事井、大橋、古澤、松原さんがオブザーバーとして参加したことが発端となり、先生の心を動かすことに繋がり、やっと実現にこぎつけることになりました。

偏にここまでに来られましたのも、先生と塾頭(藤井氏)のお陰だと心から感謝しています。塾頭には塾生たちの相談に当り、私への力添えとなってくれましたことに嬉しく思い、また先生には七五歳を迎えられた高齢にもかかわらず、月に一度鯖江に来ていただいた、二日にわたり指導していただく熱意に、心から込み上げてくるものがあり、何ともいえない悦びを感じているところです。

私は幸せ者です!体は思うように動かすことは叶いませんが、わたしの理念が遂行され、みなさまのお力で鯖江においての講座が実現できたことに、感謝している次第です。

今さらら、初めて先生とお会いしてから二一年の経過し、私の人生においての最高の慶びとして浸っております。

今後ともよくご指導をよろしくお願い申し上げますと共に、先生にはお体には十分に留意してお過ごしいただきますよう、せつにお願い申し上げます。謹啓  村上廣昭

 

  • 村上廣昭氏は平成一四年、十七年と脳梗塞を患われた。そして社員であった宇野氏に平成二十一年社長を任せ(宇野氏はその後理念を探究され、現ムラケン社長として活躍している)MKDを創業され、その塾生の藤井大氏が平成二十八年に理念制定をされた。その藤井氏が会社経営のかたわら、塾頭として村上さんを支援されている。
  • 小企業であるが、社長が脳梗塞になったら、普通の会社だったら社員はとうに退社して会社は消滅するのがおそらく当たり前だろう。しかし、村上さんが社長の当時、企業理念を制定され社員教育にも熱心だった。そのことが後継社長を育成に結びつき、後継社長も人生理念を探究した。その間二冊の著書を記した。そして職場卒業式を経てMKDを起こし、MKDで育てた藤井さんが理念を探究され、なお後輩を育てようという流れに繋がっている。理念が人を育て理念が会社を磨いていく実例です。

 

写真・理念探究会の世界

 

職場卒業式・理念のある同志の次ぎなる進路

職場卒業式などという言葉はお聴きになったことないでしょう。実はこれは人生理念を制定した人のみに使える言葉です。誰にも人生は一度しかない。人生理念のある人は企業を経営していた、あるいは務めていたとしても企業を卒業した人には次ぎなるステージが始まります。理念制定者では二人目です。一人はムラケン社長だった村上廣昭氏現MKD塾長、そして二人目が今回卒業する竹内将清氏だ。氏は企業改革を中谷石材株式会社の中谷明生氏と力をあわせて推進してきた。戦略会計の導入、PCの導入、脳力開発の導入、企業理念の制定、自立連帯型経営の実践と現役時代邁進してきた。そして企業を卒業して自己の人生理念に向かうことになった。理念を制定している後輩企業の手本となる式典を行った。そして新しい道に旅立った。その時に、職場卒業証書をお目にかけたい。

職場卒業式証書

竹内将清殿

貴殿は、昭和四十九年に中谷石材株式会社へ入社以来、永きに亘り会社の繁栄のために尽力されてきました。振り返れば先々代社長中谷忠雄氏に出逢い、以来営業職を中心に取締役として活躍されました。平成十六年の企業理念制定にともない、自立連帯型経営をすすめる中でフクイ中谷石材(株)、(株)とっとり中谷、そしてメモリーアート中谷(株)の三社の設立にかかわり、各社の現社長が経営者として身につけておくべき必要な能力要件を、理論的にも実践的にも十数年にわたり指導されてきました。お蔭で各社長は立派にその職務を果たしております。

思い起こせば、竹内さんとの出逢いからも早や三十年近くが経っております。最初は西順一郎先生の戦略会計を学ぶマネジメントゲームから始まり、パーソナルコンピーターMTの企業導入にも取りくみました。昭和六十年代当時では、日本での黎明期の導入になります。その後、脳力開発研修の導入へとつづき、中谷石材の理念制定を経て、自立連帯型経営の実践へと結びついたわけです。

この度、今期をもってメモリーアート中谷を和木坂貴子社長に任せ、完全に職場を卒業することを決意されました。次ぎなるステージへの出発であり、誠にめでたいことであります。

メモリーアート中谷を和木坂貴子社長に任せ今後は、竹内さんの人生理念に添って、全国の企業の経営指導とともに、進化経営学院西日本校として経営人材養成塾の塾生達を中心に未来をになう人材を育成され、活躍されん事を願います。

平成三十年三月二十四日

一般社団法人進化経営学院 代表理事 黒田 悦司


脳力開発125号/理念探究会125号

脳力開発125号
その一・後半の人生をどう生きるか、どう死ぬか
今回は同窓会について書いてみたい。同窓会三態と言えよう。
●仲良し高校同窓会(いつもの会)
この会は四十二才厄年を迎えるとき、郷土津山高校関東同窓会の幹事役を仰せつかった事から始まった。振り返れば私達は仕事に脂がのっている時代だった。世話役を積極的にこなしたのは、大学教授、国税庁課長、税務所長、NTT課長、書道の先生、体操の先生などなど、多士済々の面々で取り組んだ。私もコロムビア東京中央営業所の次長。方針は「旧来にない参加者を集める。」当時は高度成長の真っ盛りだった。私がまとめ役としてリーダーを務めました。
一年かけて取り組んだ。毎回、会議のあとの飲み会が愉しかった。一人一人のメンバーの話を聞くのが愉しかった。過去最高の参加者を集め、その後も中核メンバーと箱根の会社の保養所とか八丈島とか小さな旅を続けた。私はその後、広島に転勤したが、そこまで訪ねて来てくれた。とりわけ女性陣は仲良しでしかもそれぞれが個性のある仕事をしていた。家庭人としても民生委員として地域や子供の指導をしたり、ハワイアンの教室を指導した、書道の大家や大学生を指導している教授など私の知らない世界で愉しかった。とりわけ税務署の関連の話は面白かった。以来三〇余年。「いつもの会」と銘打って今も続けいている。私はここ数年前に復帰したが。
その会の集まりを浅草でやった。河豚を突つきながら。今回私が鍋奉行を買って出て、お世話したら女性陣は大喜びだった。幾多の接待を経験したお世話役だ。いや愉しかった。今度はフラメンコを見に行くと言っていた。私はいけないが、大いに楽しんでもらいたい。しかし、税務所長を務めたW辺君、箱根の旅に女性陣全員に浴衣を仕立ててくれたH原さんは早く亡くなった。長い時間の経過を感じるが、今も明るく積極的に社会活動をしている、女性陣は愉しい。愉快に生きている。七十四歳とは思えない。

●大学の東京同窓会
落第した私は卒業予定の学年の同窓会にも顔を出している。私が落第したかどうかは、五十年も経てば全く関係ない。オリンピックに向けて工事中の国立競技場の近くで同窓会があった。三回目。寮生活もともにしたメンバーもいた。十五名だった。一人ひとり全ての人が一部上場会社の役員も務めたりして、私のように自営業の人間はいない。
今回、各自の近況報告で驚いた。十五人のなかで病気を抱えていない人はおよそ十名程度。
聞いてみて驚いた。かつてはバレー部、テニス部、ヨット部、ボート部の精鋭で、全国的にも活躍したメンバーもいるのだが、一人一人の報告が、脊椎間狭窄症とか名前の知らない難病とか、どうしても椅子がなければ座れないと。加えて奥様たちの病気とか。
聞いてはいたが、同窓会も次第に病気自慢になるとか。本人は自慢しているわけでもないが、話題の中心が病気の話になってしまった。何故病気になるかということはわからない。若いときは運動もしていて、会社人生もほぼ順風満帆だったの、七十歳を過ぎてくると予期せぬ病気に襲われる。まだ、同窓会に出席できる人はそれでもいい方だが、病気で出席でない人もいる。人生はどうして決まるんだろう。健康に歳を重ねることができるかどうかは全て本人の生活、生き方なのか?考えさせられる同窓会だった。

●郷里津山での同級生・雉鍋の会
例年二月に津山に帰って、雉鍋を囲んでの同窓会を行う。集まったのは五人。作州絣の父親を持つ小学からの同じ町に住んでいた杉原君、彼は大学時代からワンダーホーゲル部に属していた。キリマンジマロ、キナバル、エベレストのベースキャンプ、日本では昨年は四泊五日で南アルプス縦走、年に三回チェンマイ約十日間ゴルフ一人合宿をこなす。今年ヨセミテ渓谷を訪ねるとか。足の踵に骨に棘が生える奇病に掛かっているとか。踵の骨に棘が生えるのですよ。想像できない。切れば治るとのことですが。
ゴルフの達人山口君はメチャクチャに歌がうまい。京都での大学時代は私も彦根からよく訪問し、お世話になった。春休み留守の間に居候をして、私の詩集を出版するお金を貯めるために夜のアルバイトをしたことがあった。居眠りして水がなくなったポットを焦がしたのが、いまだに忘れられない。高校時代は卓球の選手で、ゴルフは達人。三回目のエイジシュターを目指して、鍛練を続けている。病院の事務局長を永年務め津山の様々な同窓会お世話役を引き受けている。今も高齢者介護関連の会社の経営の手伝いもしている。驚くことに写真の名手。卓球、ゴルフ、写真と歌の共通項はいったい何なのか。
小林孝さん唯一の女性。国際ソロプチミスト津山の代表をしている。元岡山ガールスカウト会長もしていた。美術に造形が深く、勝山ひしお美術館副館長をされた。津山市役所の美術関連広報の仕事をしていた。善子のモラの作品展では大変世話になった。
今回、企画してから二年も経ったが、おばさんから引き継いだ自宅をリニューアルされたので、出来ばえを見に行きました。津山の民家は(私の生家もそうだったが)入り口は狭いが奥行きが非常に長い。檜を中心に使って仕上げている。なんとも贅沢。玄関の横は駐車場にする予定だったが、車も必要なくなるそうでアトリエかギャラリーとして使えそうだ。
もともとお父さんも叔母さんも代々続いたお茶の先生で沢山の生徒さんたちを教えていたそうだ。ということで茶室もあって沢山の掛け軸、茶器も豊富でいまだ整理ができないと言っていた。彼女自身も資格を持っている。家具も当然日本的なものが多く、水屋箪笥もうまく使われている。かつて私も探したことかあったが、日本の古くからの水屋箪笥など懐かしい気持の良い家に和と洋の融合した家にリニューアルされていた。おばさんがお茶を指導された畳の部屋で美味しいコーヒーを頂いた。これもいいね。今度はお茶を点てていただきたい。
備前焼の和仁さん。今回は突然の前立腺肥大の顛末記を聞いて、抱腹絶倒。本人にしてみれば脂汗を流す苦痛の中で、耐えてきたのだが、聞くものにとっては腹を抱えて笑った話だ。救急車を頼もうと思ったが、近くの若い友人がたまたま自家用車で送ってくれた。しかし、ご承知のように病院は大変な人で順番待ち、そういう状態で何とかおしっこを出してもらいたいのだが、病院というのは融通が利かない。結果としておしっこが出なくなったら救急車を呼ぶのが最善策だそうです。
おしっこが出たときはほっとしたって。その後、尿道から管をひいて尿を溜めるバッグを抱えての暮らしの様子、バッグが終わって栓をひねる生活など、自分のおしっこを始末するのにてんやわんやの様子に、またまた、大笑い。「他人の不幸は密の味」なんて言葉があるが、こればかり笑わずにおれなかった。
しかし、歳を重ねるということはこういう形で現れることもある。病気の話ばかりではたまらないが、こういう話もおきる年齢になった。今回、中学時代のエースピッチャーだった植月くんは突然のインフルエンザに掛かり、出席できなかったのが、残念。

その二・補助金は人間を駄目(無能)にする(青色)
一月沖縄に行った。私は妻を伴って翌日からの経営熟考会の前日入った。その夜「うりずん」の沖縄料理を楽しんだ。作家椎名誠はこの店のなくなった店主と親しかった。店主の顔(油絵)を見ながら、店主の娘さんと旧交を温めた。娘さんと言っても五〇歳は越えているだろう。沖縄といえば数えることができないほど訪問している。創業し、タヒチに通いだしてシュノーケリングの免許を取ろうと決めてからだ。友人と妻善子と一緒に何とか取得した。以来毎年一月二月にシュノーケリングのキャリアを積むため通った。
沖縄陶器(やちむん)・漆器・紅型に惹かれた十五年間
通うたびに沖縄の焼き物に惹かれ、壺屋どおりで馴染みができ、天命舎でつかう皿や器を買うために通った。新垣修工房だ。新垣さんは金城次郎の流れを込む陶芸家。我が家の日常つかう器が沖縄一色になったこともあった。ねだ沖縄の漆塗りの見事さに惹かれてた。漆塗りは次第に時代から取り残され商売として成り立たなくなり、著名な老舗が閉店する際に、これはと思う素晴らしい漆の器の数々を買いあさった。文字どおり気に入ったものは可能な限り買った。今も使っている。
紅型にも惹かれ、沖縄の友人の伝を頼って、城間栄順の工房を何度も訪ね、気に入った作品を分不相応に分けていただいた。何れも素晴らしいもので、季節に応じて掛け軸がわりに楽しんでいる。勿論沖縄料理もすっかり気に入り、顔なじみになった「うりずん」は毎年訪れる。
そのご、海外旅行に少しあきて、十二月になると石垣島を訪ねたのが切っ掛けで、波照間を訪ね、一週間ほどの滞在で親しくなった沖縄の友人を訪ねて四~五年はもっぱら波照間に通い滞在中は読書三昧に耽った。沖縄の作家の文藝作品や沖縄に関する内地の作家の作品も随分読み込んできた。十五年ほどの沖縄訪問の概要だ。

■沖縄を本当に愛してくれるなら、県民にエサを与えないでください
著者・恵隆之介氏、衝撃的な本にであった。ここ三年ほど戦後七〇年を期に戦後の日本の歴史を検証している。研究なかで沖縄の基地返還等は気になっていたが、まだこの問題について私は知的保留をしている。しかし、二〇〇九年の政権交代で鳩山由紀夫が普天間基地移設を容易にしゃべり移設問題が浮上してから、沖縄のことが気になりだした。勿論、一九七二年の沖縄の日本復帰については当然知ってはいる。
また、最近では百田尚樹氏の差別発言問題や沖縄タイムズ、琉球新報への発言その他で私ももう少ししたら、沖縄の問題も研究する必要があると感じていた。オール沖縄を標榜する翁長県知事の頑なな発言や、威力業務妨害罪で問われた沖縄平和運動センターの山城議長の欺瞞性が気にはなっていた。
●沖縄県は政府から毎年、国庫補助金合計一兆二〇〇〇億円以上交付されいる。
勿論各都道府県中、最高額である。県民はこれを認識していない。翁長知事は国庫負担金の項目分析をいつわり、三〇〇〇億円の沖縄振興予算にのみ言及して「特段の優遇は受けていない」と発言している。3
●佐藤内閣から始まった沖縄利権が左翼を呼ぶ。
「県民の労苦に報いるために、金で解決できることは最大限行う」と言った。以降、佐藤内閣が雨あられのごとく財政支援をし、そのうち沖縄には特殊利権がいっばいできた。そこに左翼が入ってきておかしくなった。とにかく、基地反対ということで騒ぐと無制限に政府自民党が「基地を極力減らしていく」「日本とほぼ同水準まで、生活レベルを上げる」という方針に沿って、北海道・沖縄開発庁などで開発予算がついた上に、さらに基地予算という形の「三階建て」に事実上なっている。37
●革マルが牛耳る沖縄の教育界。
今の沖縄教育界にも問題が多い。沖縄教職員組合は革マル派が牛耳っている。だから、沖縄の子供たちは、小学校に入るや否や「琉球王国という豊かな国、民主的な国が存在していた。明治になって日本政府によって滅ぼされた。沖縄戦によって多大な犠牲を強いられ、戦後は米軍基地が建設された。米軍はレイプ、ひき逃げ、騒音など三悪をまき散らしている。」と絶えず被害者史観を聞かされるのです。沖教組は韓国で行われているような反日教育を沖縄で行っている。151
●無関心こそが沖縄に対する日本人の罪である。
沖縄を弱者と認めことから生じる過剰な補助金、また福島原発に関わる帰還困難地域等に関する厖大な補助金は、結果として人間を無能にする事実を今後検証して行きたい。沖縄の返還後の歴史を検証していきたい。(悦司)
●今後の展開・今、フーバー大統領の「裏切られた自由」上下巻20000円弱の本を入手して読み始めている。関連の書籍も随分読んできたが、太平洋戦争(大東亜戦争)を何故アメリカは起こしたのか。別の視点から、少し時間をかけてまとめてみたい。その間、沖縄や福島原発等のテーマを検討してみたいと考えています。
写真・ 裏切られた自由

理念探究会125号・2018年度経営方針熟考会
その一、仕事を楽しむ、生活を楽しむ、人生を楽しむ
雪を警戒して一便はやい新幹線で鯖江に向かいました。米原までは快調。米原から金澤でも特急「しらさぎ」は少しの遅れで到着。まだ雪は大したことありませんでした。その後の福井地方の大雪は想像できませんでした。
●ムラケンの経営方針熟考会
前期は計画通りの実績で、今期は新しい挑戦がひとつのテーマです。精神的にも余裕が生まれていますが、壁を常に破りつづけ姿勢が衰えて来ると、これをマンネリする。仕事は面白いもので、追われると辛い、追いかけると面白い。彼らは数年前から金沢の女性(やまだのりこさん)にアドバイスを受けながら「キラキラプロジェクト」という勉強会を続けています。二度ほど私も金沢を訪問して彼女が関わっている町家プロジェクトの視察に同行しました。
金沢は新幹線が通るまでは、人の訪問にも交通の便はやや不自由で、このことが幸いしてか、文化伝統に新鮮味を強く醸しだしています。外部の人間はそう思うのだが、金沢でも高齢化や少子化は始まっている。そこでいままで使っていた町家が徐々に整理され、壊されるということが進んでいるようだが、そこに注目した彼女たち若手の建築設計家たちが智恵を集めて、町家プロジェクトを進めてきた。これが面白い。素晴らしいアイディアを満載している。正に、金沢の文化伝統の現代への復興とでも名付けるべきか。
●仕事を楽しむ・新しいことに挑戦する。
宇野社長も関心をもっていたが、今期は是非、金沢にムラケンのリフォームを金沢の地に実現してみようと構想している。ムラケンは二〇二〇年には無借金経営を実現する。これには見通しも立っている。が、企業は常に青年のように新陳代謝を続け若々しい企業として変化をしなければ何時かは停滞する。この機会に今年は仕事の深化の分野では建築プロデュースを更に進める。そして新しい分野で金沢町家プロジェクトに参加する。この町家の活用構想が胸の中に温まり形になっている。
そして全体方針(理念)としてムラケンの大家族主義経営を進めていく。一、仕事を楽しむ(町家プロジェクト)二、生活を楽しむ(建築プロデュースの深化)三、人生を楽しむ(大家族主義・地域密着宣言)を柱に進めることにまとまった。来年にはムラケン・金沢町家プロジェクトが佳境になっているだろう。

その二、構造大改革・壁を破る
N社の経営方針熟考会を行った。昨年から取り組み始めたが全体として変化は始まっている。しかし人間には色々なタイプがいる。現実をしっかり認識して、手を打ち続ける人、現実を知っていても上司の顔色を見ながら、やっている格好をつけるが、いまだに取り組まない人。自立連帯型企業運営とは基本的に社員一人一人の自立を目指し、極言すれば一人一人全員を社長にすることだ。組織としては企業理念(社志・経営姿勢・就業姿勢)を中核において経営することだ。
●自立しなければ成り立たない企業
六社の自立連帯企業は成長した。しかし、事業部制度でやっているグループの変革は遅い。
自分の仕事の成果が自分自身の所得に繋がる状態にある人は、問題に対して困難であろうが立ち向かわざるを得ない。立ち向かい解決しなければ赤字に転落し、いずれ倒産する。赤字を誰も負担してくれない。当たり前の話だ。
真の自立・人は助けてくれない
●広島のM社は来期に完全に社長が交代する。女性社長だ。新メンバーも成長している。会長は完全に退任する。会長には人生理念があるから、今後は理念に添った事業に専念する。
会長がいる間は心ならずも困ったときに頼る。頼っても赤字体質からは脱出できない。今期彼女は負債を応分に背負って社長に専念する覚悟をした。事態は変わり、今期は黒字に展開した。未来の展望も見えた。これからは黒字の連続と社員の成長しかない。
●福井F社は無借金経営に邁進中。かつて大赤字に陥って、意気消沈して逃げたいと思った経験がある。「死にたい」なんて弱音を吐いたと耳に入ったから、私は「その時は足を引っ張ってやる。」と冷たく言い放った。今では、十年先を読んで仕事を、人生を楽しんでいる。
本当に困ると、人間は変化し、変化すると周りが変わり、他人が変わる。今では見違えるように、経営的にも人間的にも変化をした。成長した。自信に満ちている。
●香川K社社長は真面目だが、気持に余裕がない。いつもピリピリした雰囲気を漂わせている。私も昔、父親から「真面目なだけでは人は使えない」と言われたことがある。彼も頑張るのだが、人に対する情が薄い。人間は理屈だけでは動かない。正論だけでは動かない。
今の社員全員自分が採用したメンバーだ。経営できない会社を畳んで撤退しょうかという思いが頭を横切ったことがある。そうだろう。
しかし困難の中で最後に彼は逃げなかった。そのための解決策に邁進した。真剣に動いた。幸いなことに動くことによって情況も変化し始めた。結果として今期は多少の赤字になったが、従来の営業活動の対象を変えることに気がついた。社会の動きや環境の動きを読んで対応しなくてはならないことは頭では分かる。わかっても行動を変えなければ結果は出ない。私も経験した。
情況を変えていく原動力は他人や環境にはない。自分自身にしかない。原動力は自分自身だ。このことに気づき行動を変えた。ここまでくれば、未来は拓ける。困難を愉しみなが現実に立ち向かっていける。立ち向かえば仕事は面白くなる。
●施工会社がある。この会社は社長が理念を制定した。岡山を中心にした施工体制を続けてきた。営業を統括するT橋社長ともども、広島拡大プロジェクトを発足させ、流れから広島にも会社を開くことになった。聞けば、安請け合いで出先をつくったように見える。しかし大事なことは将来予測して先に行動を起こし体制を整えることだ。これが小企業でも大事なことだ。社長新しい道を選択して行動を起こした。
●来期四月からN社で構造大改革が二期目に移る。製造にも営業にも自立連帯企業への脱皮が始まる。企業理念に添った会社として脱皮が進む。(悦司)


脳力開発124号/理念探究会124号

脳力開発124号
沢山の人に会う、食に合う旅・彦根・沖縄の旅
脳力開発の指針に「できるだけ沢山の人に接触する習慣をつくろう「」できるだけ沢山の物事に首を突っ込むつくろう」という指針があります。私達夫婦は脳力開発の創始者城野宏先生にお会いしてから心がけていたことです。今回はその実践として記事を書いてもらいました。(悦司)
彦根・故郷の旅
 一月五日からの経営計画熟考会が彦根で開催されました。私達は前日茨城空港から神戸空港へと飛びました。我が家から茨城空港までは車で七~八分。飛行時間は一時間二十分程。関西が近くなりました。丁度、私の叔母が甲子園にある介護施設に居るのでお見舞いに行きました。以前より随分良くなった叔母と昔話をして妹のように可愛がってくれたことを思いだしました。元気になっていて本当に良かったと思いました。
 大阪から彦根へ。夜は叔父さんに教えてもらった駅の近くのお料理屋さんで久しぶりのお食事です。叔父は今年で八十八歳になります。七〇歳で京大教授を退官し、滋賀県立大学創設に関わり七五歳まで教授をしていました。今もとっても元気で若々しいのです。ゴルフも月に二~三回は行きますし、車の運転も上手です。(但し、叔父さん曰く昼間だけの運転と決めているとのこと) このお店のご主人とはゴルフ友達で「叔父がお世話になってます」と、いうと「叔父さんはとても紳士で上手です」と教えてくれました。お酒が好きでスポーツが大好きな叔父さん(高校時代彦根東高校野球部のピッチャーをしていました)はとても若々しく髪も悦司さんの方が白いのです。これからも元気で若々しい叔父さんと楽しいお酒が飲めたら幸せです。
三日間の熟考会が終わって三宮で一昨年七〇歳で突然逝去した悦司さんの弟の奥さん会い、軽くビールをのみながら食事を楽しみました。弟がなくなって一年八カ月、まだまだ悲しみは消えません。でも彼女もしっかりと生きています。黒田に嫁いできたもの同志で、色々おしゃべりしました。彼女もスポーツ大好きでテニスが得意でした。今はジムや山登りをお友達と楽しんでいます。元気で今年も何度か会いたいものです。
沖縄の旅
 それから一週間あけてN社の経営合宿が沖縄であります。茨城から沖縄までも直行便があります。寒い茨城から暖かい沖縄へは三時間半ぐらい。私もお供をしました。勉強会の一日前に降り立ち、以前からの馴染みのお店「うりずん」へと足を運びました。何年か通っているのでママさんとも顔なじみ。「お久しぶり」と挨拶をして美味しい沖縄料理を頂きました。「ドゥルテン」「スーチキ」「島ラッキョウ」「島だこ」「ゴーヤチャンプル」等々とカラカラに沖縄のお酒を入れて頂きました。
 私達はとりわけドゥルテンや島ラッキョウの塩漬けが好きでお代わりをしてしまいます。
 食べ物でいえば沖縄牛が美味しいと今回は到着時と帰宅日に焼肉とステーキを頂きました。噛み応えのあるお肉です。市場にあるお母さんたちが開いている「花笠食堂」もお勧めで沖縄に行けば必ず一度は足を運びます。
 以前は織物や染物、やきもの、漆と色々な物を見に行ったのですが、近ごろはどうも食ばかりになってしまいました。暖かく少しのんびりできた沖縄です。(善子)

理念探究会124号
その一・経営計画熟考会・茨城・彦根
見通皆無・不安亦無・唯一予見・大局正解
 昨年十二月二十五日から茨城で、新年五日から彦根でそれぞれ三日間経営計画熟考会を開催しました。今回は全員で十五名の若手経営者が参加しました。理念制定企業は十一社。理念探究中は四名だが、何れも若手経営者。一昨年理念を制定してから約一年半経過して二〇一八年の経営計画熟考することを目的として集まります。年末年始で既に一年間の経営方針が明確になる訳です。
 昨年までは七〇代の経営者も含まれていたが今回は一名以外全て三〇代~五〇代初めまでだ。世代交代が完全に進んでいる。日本も世界も大きく動いている。世間では経営と言うものは一般的に利益をあげる事が評価の中心にある。したがって日本でも世界でも成長率がどうかで評価して、日本のGDPの成長率は高くないとかまびすしい。
●企業理念を背景に熟考する
 理念を制定している企業は企業理念(企業の志=社志・経営姿勢・就業姿勢)を基本において、企業理念の実現に向けて邁進する。丁度一年前のこの欄で「志ある経営者・人間尊重の経営・出光佐三の生き方」を紹介した。私は理念を制定した人達と「理念実践会」を毎月岡山と茨城で開催しているが、その中で出光佐三の「もしマルクスが日本に生まれたら」「働く人の資本主義」をテキストの一つとして取り上げて輪読し研究している。
 出光佐三は当時、出光には①人間尊重をわれわれの金科玉条とせよ。②資本家の搾取がなく、全員が経営者である。③馘首、定年制、労働組合かない。④黄金の奴隷となるな。⑤主義の奴隷となるな。等をその著書の中で唱えている。出光佐三の経営に対する姿勢が私の目指す世界に非常に近い。
 日本の現実に戻って考えてみると雇用の七割を支える中小企業の後継者不足で、深刻な廃業に追い込まれる例も少なくない。二〇二五年には六割以上の中小企業で経営者が七〇歳を越え、後継者が決まっていない企業が一二七万社あると経済産業省は試算している。
●新しい日本的企業
 若手の経営者は具体的な事例で言えば創業して約十年目を迎える「そうじの力」、創業して五年目の「くさむしり隊」が誰も振り向かない業種を切り拓いている。社員を雇用しお客様から心から喜ばれている。「そうじの力」は企業の社員の生き方を変え、企業を変え正に「新しい日本人として仕事に取り組む」企業変化をもたらしている。
 企業は永遠に脱皮を続けなくてはならない。それには働く人達が「親方日の丸」的な働き方をする依存人から「自分の人生の主人公は自分自身である」という自立人の生き方を選択する・決心することがまずはスタートとになる。若手経営者は自社で働く社員にも個人個人の自立を支援し、各自の使命探究を支援している。今年も参加した経営者の大いなる成長変化が期待できると確信できた若々しき息吹に満ちた経営計画熟考が開催できた。

その二・新しい日本人が日本と世界を変える・日下公人ブルー
■事実よりも「主義・主張」を重んずる朝日新聞と毎日新聞
●「世界の記憶(記録遺産)登録制度の改善まで支払いの留保を継続する方針で、菅義偉官房長長官は10月14日の記者会見で「(ユネスコの活動が)正常化されるまで見ながら対応を考えたい」と述べた。この分担金の留保について「朝日新聞」は節度を欠く分担金の保留、「毎日新聞」は品位ある関与が必要とそれぞれ社説で日本政府を批判した。「産経新聞」は政治利用許さぬ改革を迫れ、「読売新聞」は記憶遺産の政治利用を許すなと、日本政府の判断を指示する姿勢を見せ、朝毎二紙とは異なる意見を国民に示した。23
●朝日も毎日もGHQが刷り込んだWGIP「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」を無意識的であれ意識的であれ受け入れたままらしい。政治の現実も選挙のことしか念頭にないから面倒を避けたいし官僚も人事異動が心配で「事なかれ主義」である。26

■国際連合の実体
●新しい日本人は国際社会の現実をしっかり見ようとする人達である。「国際連合」の実体は第二次世界大戦の「連合国」のことで、昭和二十年の創設から、安全保障理事会の常任理事国は米英仏露中の戦勝クラブ中心の「戦後体制=戦勝国の優位」を事実上維持してきた組織である。28
●日本は昭和三十一年十二月国連加盟後、分担金をアメリカについで負担しながらいまだ「旧敵国」の立場におかれている。国連憲章では今日でも「旧敵国」に対して自由に制裁(武力行使)ができる。問題は「第二次大戦の結果としてとる行動」(一〇七条)が曖昧で事実上連合国側の恣意(しい)に委ねられている。こうした現実をマスメディアは伝えない。日本への差別は事実上放置されたままである。28
●「新しい日本人」の出現と、「新しい日本」の時代が始まっているのに、マスメディアも野党政治家も完全に周回遅れとなって旧態依然の非難しかできない。日本敗戦と戦後の国際秩序によって権益を手にしている内外の利得者たちは、それを改めようとする安倍総理をどうしても封じ込めようと画策することになる。33

■「戦後派が災前派」になり「戦前派が災後派」なる
●「新しい日本人」というのは(もともと日本人が持っていた歴史に根ざした現実主義と、庶民の[暗黙知]に覚醒し、それを発揮し始めた人々)のことである。東日本大震災の前と後では、日本人の心、暮らしぶりには変化が起きている。その意識の変化は昭和二十年(一九四五年)の敗戦を境としての「戦前派」と「戦後派」と同じように、三・一一を境として「災前派」と「災後派」に分けられる。34
●自衛隊が東日本大震災でいかに多くの国民を救ったか。「反自衛隊」や「嫌自衛隊」を売りにしてきた政治家の多くが、いまだに自らの不明を恥じるどころか頬被りしてままだが、多くの国民の意識は変わり、自衛隊に対するテレビの報道も明らかに変わった。カメラを切り換え「自衛隊ありがとう」という、被災者の横断幕やテロップとともに自衛隊を写すようになった。35
●平成二十八年四月に起きた熊本震災でも、自衛隊は即座に陸海空部隊を派遣し、約二万人の救援活動を展開してきた。こうした自衛隊の活動に「ありがとう」と率直に頭を垂れるのは「災後派」の人々、すなわち「新しい日本人」である。彼らは空疎な理想主義や正義には走らない。彼らには、日本を「我が国」と思う一体感がある。同胞の絆を大切にし、日本という共同体の価値観を尊び、歴史や伝統文化に対して謙虚である。36
●だからといって愛国主義、軍国主義、国粋主義、保守反動といったレッテル貼りをされるような単純な「戦前派」ではない。潮流として「戦後派が災前派」になり、「戦前派が災後派」になるという逆転現象が起きている。戦前との歴史の連続性に気づき、それを大切にしょうとする人々が、戦後七十年余の「戦後体制」から脱却しょうとする「新しい日本人」なのである。36

■永遠の〇で描かれているマスコミ秀才の盲信
●百田尚樹氏は特攻にこめた思いをこう語った。「けして命を粗末にするなというメッセージです。生き残るために戦いぬくことと、生き延びるために避難することとは全然違います。宮部が二十六年という短い人生で全うしたのは前者です。『自分の人生は誰のためにあるのか』という思い、生と死の間にあって宮部が葛藤した諸々のことから読者が生きる喜びと素晴らしさに気づいて、どんな困難にあっても生きる気概を持ってほしいと願って書きました。」45
●戦後七十年余の「戦後体制」を是とする人々は、この逆説を感じ取れない。特攻隊について非人間的な作戦だと非難し、理不尽さを強調した本は沢山ある。命じたものも行ったものも同じ日本人だととい同胞意識に欠ける。他人事のように、あるいは第三者の犯罪を追及すくかのような視点は、現在のマスコミ人に根深く埋め込まれたものである。45
●登場する大新聞の記者は神風特攻隊を「テロリスト」「ニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ人達と同じ」と言い国家主義に洗脳された狂信者と断言する。「戦前の日本は狂信的な国家」で「国民の多くが軍部に洗脳され、天皇陛下のために死ぬことを何の苦しみとも思わず、むしろ喜びさえ感じてきました。私達ジャーナリストは二度とこの国がそんなことにならないようにするのが使命だ」と誇らしげに語り、戦後はその洗脳が「思想家や、私たちの先輩ジャーナリストたちによって解けたのだ」と胸を張る。46
●これはまさに戦後GHQが日本人に刷り込んだWGIPを盲信する者の見方で、戦後教育に何の疑いもなく育った結果のマスコミ秀才である。朝日新聞だと名指しこそないが、朝日や毎日、NHKの記者のことだと「新しい日本人」にはわかる。46

■海賊と呼ばれた男を泣きながら書いた百田尚樹氏
●出光佐三は従業員、その家族、郷土や共同体、ひいて「我が国」のことを考えた。文字通り「経世済民」を実践しょうと努めた経済人だった。敗戦後重役の一人が社歴の浅い社員に辞めてもらおうと提案すると、佐三は「馬鹿者!店員は家族と同然である。社歴の浅い深いと関係ない。君たちは家が苦しくなったら、幼い家族を切り捨てるのか」と一喝する。佐三は社員を一人も馘首しないという方針を貫いた。50
●社員もそれに応えようと奮闘した。日章丸が日本に発つとき、イランに向かうことを船員たちは知らず出航した。セイロン沖で暗号電文を受信した船長が「本船の目的は英国の海上封鎖を突破してイランから石油を積み出すことだ」と告げると、船員たちはたじろくどころか「日章丸万歳!出光万歳!日本万歳!」と叫ぶ。51
●百田氏はこう語った。この件を書きながら、何度も泣きました。己一個の人生の充実、幸福なんてどうでもいいとはいいませんが、己一個を超えたところと繋がる人生がある。出光佐三、そして彼を支えた男たちの凄さと、今の日本人は繋がっているのだということを知らせたかった。私達の祖父は狂信者ではない、苛酷な時代を懸命に生き、自分以外の誰かに人生を捧げたのだ。52

■戦後の人権観
●旧態依然の日本人には、この感覚はわからない。「公共や国家のために個人が犠牲になってはならない。その必要がない」というのが戦後の人権観、人命尊重である。「個人の尊重こそが唯一無二の価値で、国家に奉仕や献身を求められることがあってはならない。自分以外の誰かのためにと考えるのは、最後に必ず国家と結びつく戦前の危険思想だ」彼らは考え忌避してきた。52
●共産党に限らず戦後日本の左派の多くは、自衛隊を「違憲の組織」と決めつけ、国と国民を守る役割を否定してきたが、こうした流れに乗せられる国民は少なくなってきた。「新しい日本人」は個人の幸福追求は自らが属する国家社会が安定して存在してこそ可能で、人間は一人では生きられないという現実を認識し、そのための義務や責任を果たすことを棚上げできないと気づいている。56

■民意の嘘がばれてきた
●日本の自立性と国力向上に資する政策がマスメディアの一斉攻撃を受け、世論調査で支持率の下落を招くのは何故か。安倍首相が「日本を取り戻す」ための政策に取り組めば取り組むほど、新聞やテレビが伝える支持率が下がり、それが「民意」とされたが、それは正しいか。「民意」はおおむね有権者の意向を指すが、戦前との連続性を断ち切ったまま、いまの「民意」のみを尊重するならば、日本の永続のため何が肝心かという問題意識が薄くなる。60

■世界は新しい秩序を求め始めている
●現実を直視すれば、現在の国際金融資本が主導するグローバル化は、国境を越える多国籍企業を富ませはしても、世界の「国々」の「民」を富ませているとは言えない。人道問題として移民や難民を受け入れることと、それを安価な、使い捨て可能な労働力と考えて移動を自由にせよというのは、全く違う。こうした訴えを排外主義や感情的なナショナリズムと切って捨てるのは誤りである。
●英国のEU離脱は国際金融資本が主導する経済体制への「国民」の反発の現れである。米国の有権者も英国民と同じグローバリズムに反発を強めた結果、「敵はウォール街だ」という劇薬のようなトランプ氏を大統領に選んだ。これは反グルーバリズム、反普遍主義、反エスタブリッシュメント(支配層)というそれぞれの国民意識が反映されたものである。
●世界は新しい秩序を求め始めている。欧米が主導した秩序の行き詰まりを意味している。これからの時代はグローバリズムからローカリズム(localism)の時代に移っていく。言葉を変えれば、エスニック(民族的)エスニシティー(土地、血縁関係、言語の共有、宗教、伝承、社会組織=民族概念への帰属意識)の時代とも言える。173
●これは国際政治の世界では、民族主義や地域共同体の尊重ということになる。それぞれの国の歴史伝統や文化を侵さずに共存していく考え方である。経済のルールに共通性をもたせるにしても、それはお互いの存在基盤を壊さない範囲にとどめるべきで、そうでなければ「国民経済」は成り立たない。173
●この三〇年近くを振り返れば、日本アメリカの望む規制緩和を行い、市場を開放し、金融を自由化し、グルーバリズムを受け入れてきた。それを主導したのか「崇洋媚外」(すうようびがい)の人々だった。政治家や官僚、学者や経済人は国際性の重要性を語ったが、はたしてそこに日本の「国益」はあったか、「国民」の利益はあったかということを改めて問わなければならない。173
●瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、ウォール街から世界を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形であります。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のあり方を考えていきたいと思います。(新しい国へより)265