脳力開発189号・反スパイ法を考える
前188号で、「反スパイ法を考える」を記事として取り上げた後、私の高校の先輩で上海華鐘コンサルタントグループ古林恒雄氏董事長が主催している日本向けセミナがあった。参加との質疑応答の熱心な質問があったが、ことごとく以下の「スパイの嫌疑をかけられないために」の文面に添った回答であった。
古林氏の簡単な略歴 1965年東京大学工学部卒業、鐘紡㈱入社。75年初訪中の技術紹介が成功し、78年から84年まで上海石化向けPETプラント輸出の現地総代表。85年より中国室長、中国首席代表として中国事業開発に従事、20数社の合弁会社を設立運営。94年上海華鐘コンサルタントサービス㈲董事長を兼任。上海市外国投資協会副会長、上海市外国投資促進センター高級顧問、各地人民政府.開発区顧問など。
●毎年5月と11月に日本向けセミナは開催され、欧州日米中国との経済比較を中心に全体のお話がある。進出企業に対しての個別の案件を含めて相談に乗り、アドバイスも具体的にされている。私の記憶にある限り上海華鐘コンサルタントの過去のセミナで「スパイ」の反する問題について話題になったことはなかった。「中華人民共和国渉外調査管理弁法」に関しての概要は以下のとおり。
■スパイの嫌疑をかけられないために。中国での調査は資格が必要
「中華人民共和国渉外調査管理弁法」(国家統計局2004年10月交付)
- 中国では外国人、外国企業及びその中国における代表処、外資企業などが会社業務で中国国内で「調査」をしようとする場合、必ずその調査は「中華人民共和国渉外調査許可証」を保有する企業に委託しなければならない、法律で定められている。すなわち自分で調査する行動自体が、重大な違法行為になることに注意が必要です。「中華人民共和国渉外調査管理弁法」(国家統計局2004年10月交付)
- 上海華鐘コンサルタントサービス有限公司は法律施行と同時に申請し最高級の「全国範囲の調査資格」を認定されている。有効期間は3年、3年毎に国家統計局より調査実績のヒヤリングが行われ更新の可否が認定される。「渉外調査許可証」を取得されているのは社会学院などの国有企業などで、外資系企業の資格取得は10%もない。
- 渉外調査の実施
渉外市場調査は渉外調査機関を通じて実施しなければならず、渉外調査機関を通じて報告、審査許可取得後、実施しなければならない。海外組織及び個人は中国国内にて市場調査及び社会調査は直接行ってはならない。「渉外調査許可証」取得済みの渉外調査許可企業に委託しなければならない。
■産経新聞台北支局長・矢板明夫氏情報
在中国の日系企業団体の幹部を務めていたこともあり現地の日本人社会の顔役でした。Aさんは中国の貧しい地域などにずいぶん私費で寄付したりしていた。未確認情報であるがアステラス製薬の免疫抑制剤は世界有数の品質でアステラス製薬の売り上げから中国の臓器移植の件数が逆算できてしまう。その売り上げ情報を外国の人権団体に漏らした疑いがもたれているとの説がある。
- 今や訪中には覚悟が必要
1987年13回共産党大会以来、改革開放・経済建設を国の基軸にしてきた。しかし昨年第20回習近平政権第三期目が始まるとともに、改革開放・経済建設に変わって政治的な安全、中華民族の復興といったことが言われ始めた。国の発展の方向が完全に別な方向に移り米国、国際社会と対立することが決定的になり始めた。
- これまでは外国人に中国に来てもらい「一緒に金を儲けましょう」と言う方針だった。その方針を中国人が外国人と接すること悪い影響を受けて中国共産党に疑問を抱き始めるかもしれない。と中国当局は外国人との接触を遮断しょうとしている。
■「中国(反スパイ)で統制強化その背景は」NHK情報
6月1日NHKの時論・公論で以下のように「中国(反スパイ)で統制強化その背景は」
が取り上げられた。今回「反スパイ法」が取り挙げられる要因はどこにあるのか。
- 中国でことし4月、スパイ行為を取り締まる「反スパイ法」の改正案が可決・成立しました。7月から施行されます。それまでこの法律はスパイ行為の対象を、外国の機関などと共謀して「国家機密」を盗み取ることや提供することなどとしていました。
●それを今回は対象を拡大し、新たに「国家の安全と利益に関わる文書やデータ、資料」なども加え、強化したのです。ところが、肝心の「国家の安全」が何なのかについては、具体的な定義はなく、あいまいなままです。 - 法律が外国を意識したものでもあるため、中国に進出する外国企業などの間では、一般的な営業活動や情報収集が、ある日突然、当局の恣意的な判断によって摘発されかねないなどと懸念が強まっていて、今後、企業活動が萎縮する可能性も指摘されています。
- 法律が外国を意識したものでもあるため、中国に進出する外国企業などの間では、一般的な営業活動や情報収集が、ある日突然、当局の恣意的な判断によって摘発されかねないなどと懸念が強まっていて、今後、企業活動が萎縮する可能性も指摘されています。
- 法律が外国を意識したものでもあるため、中国に進出する外国企業などの間では、一般的な営業活動や情報収集が、ある日突然、当局の恣意的な判断によって摘発されかねないなどと懸念が強まっていて、今後、企業活動が萎縮する可能性も指摘されています。
- 「自由」や「民主主義」といった価値観が海外から流入するのを防ぐため、中国が統制の影響力を海外にも及ぼそうとする動きもみられます。スペインに主な拠点を置く人権団体が去年12月に発表した報告書では、中国の警察当局が海外に拠点を開設し、現地に住む反体制派などの中国人に対する監視や脅迫、嫌がらせなどを行っていたとされます。
●こうした「警察拠点」の数は、アメリカやヨーロッパ、アジアなどの少なくとも53か国、102か所に上るとされています。すでに活動は停止しているとみられますが、日本にも2か所あったとされます。
●ことし4月には、アメリカ・ニューヨークのチャイナタウンにあるビルの一室に警察拠点を開設し、運営にたずさわったとして男2人が、アメリカの司法当局に逮捕されました。
国境を越えてまでして、相手国の主権を侵害する行為をなりふり構わず行う姿勢には、非難の声が上がっています。
■習主席の大きな方針と矛盾
その方針とは、外国企業に対して積極的に国内市場を開放し、外資を呼び込むことで、経済を活性化させるというものです。今の中国は3年近く続いた「ゼロコロナ」政策によって経済が打撃を受けたうえ、少子化や若者の就職難といった構造的な課題にも直面し、かつてのような急速な経済成長は望めない状況となっています。
このため、習指導部は去年12月に開いた経済運営の方針を決める共産党の重要会議で、外資の呼び込みに改めて力を入れることで、経済の立て直しを図る方針を確認していた。
- 李強首相もことし3月に開かれた経済フォーラムで、「外国企業が投資したくなる制度と環境を絶え間なく向上させる」と強調しています。ただ、最高指導部がいくら呼びかけても、外国企業の駐在員を拘束するようでは、「言行が一致していない」と批判されても仕方ないと思います。こうした相反する動きが同時に起きる背景には、今の習政権に特徴的な官僚機構の強い縦割り意識があるとの見方があります。
■反スパイ法に関する今後の課題
6月・交詢社オープンフォーラム・「経済安全保障を考える」にオンラインで参加した。
経済安全保障担当大臣の高市早苗氏による基調講演。櫻井よしこ氏がコーディネーター務め、前国家安全保障局長の北村滋氏、元経済産業省中部経済産業局長で明星大学教授の細川昌彦氏、NTTチーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジストの松原実穂子氏が登壇するパネルディスカッションであった。
- 前述の記事も初め、日本は対中国に対して「経済と安全保障」の両立を望んでいる。経済でも中国に対して伸ばし、しかし安全保障に関しても極力防衛費を増やしたくない。安倍総理は現職のとき習近平に対しても「日本を見誤るな」常に発言していた。退任後「台湾有事は日本有事」と発言したら、中国報道官は「日本は火を見ることになる」と恫喝した。
岸田総理は防衛費増額を承認しG7でも開催国として振る舞っている。しかし、経済界は一応、賛意を示しているが、対中国に対して有効な手を打っているようには見えない。
- 両方よいことはない
「軍民融合・自強自立」の国に対して今では経済ですら武器になっている現実。トヨタの下請けがサイバー攻撃をうける現実に対して持続可能なサプライチェーンの構築など打つべき課題は多い。国防7大学を無条件に受け入れる国の制度、中国から金を貰って中国の為に研究している日本人。反スパイ法により拘束された日本人、これからも中国に貢献したにもかかわらず拘束されるかもしれない日本人。保釈要求すらまともにできない日本外務省。習近平が三期目に突入してからの日本の課題は多い。
理念の時代を生きる189号・台湾理念の旅
数年前から企画していてコロナで中断していた理念実践会のメンバーと台湾理念の旅を11月に実行するための下準備で、5日間の日程で台湾を訪ねてきた。私たち高齢者になっての旅に肉体的に堪えられるかと言う気持ちもあった。台湾にいる友人が傘を忘れるなと言ってくれた。
行程は初日桃園飛行場に到着後、桃園新幹線駅から一気に嘉義まで進み、二日目嘉義から高雄(左營)から台南、三日目は台南・烏三頭ダム、湯徳章関連の施設を訪ね、そのあとで台南から台北を訪ね二泊の余裕をもたせた旅の工程にした。善子にも同伴してもらうためにもお互いの体調に万全の体制を整えたい。
■映画KANO嘉義農林を訪ねる
2019年12月に台南の烏三頭ダムを訪ねた帰り機内で映画「KANO」を観た。帰国後DVDの発売とともに手に入れ、何度も観た。松山商業出身の近藤兵太郎が嘉義農林の野球部監督に就任し部員を鍛え甲子園大会に出場し、決勝戦で中京商業との決勝戦で敗退したが台湾から初出場で準優勝になった感動の物語だ。
私は2011年に1971年以来、数十年ぶりに台湾を訪ね、烏三頭ダムを訪ね台湾の過去の歴史を知った。以来民主化に導いた李登輝総統を含めて二二八事件はもとより台湾関連の書籍を沢山読み研究した。たまたま台湾出身の大学の先輩に知己を得てお会いし交流させて頂いた。李登輝総統と同い年で終戦後台湾に帰られ会社を経営された。
その後、理念企業快労祭を台湾で開催し、進化経営学院の受講生たちとも訪問もした。訪問する度に日本と台湾との関わりの歴史に関心が深まった。
今回は旅の初日に嘉義まで入ったのは嘉義農林(大学になっていたが)の交友会館・歴代校長宅を訪ねた。嘉農人農産品有限公司の董事をやられ校友会のお世話をしている揚(木偏)初雄さんと携帯翻訳と英語で話をした。当時の写真や資料を見せてくれ話をお聞きした。近藤兵太郎氏の娘さんが寄稿されている機関紙と嘉農棒球の台湾棒球史を頂いた。
■安倍総理の銅像・高雄市紅毛港保安堂
9月24日産経新聞でイ以下の記事を読んだ。日本では安倍総理テロの問題を朝日新聞はもとよりNHKも犯人の山上被告の弁護をするリベラルや野党は統一協会問題にすり替、テロに対しても何ら有効な手を打っていない。
4月の補欠選挙の最中の岸田総理テロ問題に対しても生ぬるく、有効な手を打たない政府にあきれてものが言えない。きれいごとに影響される日本の今日にヘキヘキしていた。
今回の旅で、安倍総理を日本以上にきちんと評価する台湾に建てられた銅像を訪ねたいと考えていた。
【台北=矢板明夫】台湾南部の高雄市にある廟(びょう)「紅毛港保安堂」に、日台親善を推進した安倍晋三元首相の功績をたたえ、等身大の銅像が建てられた。24日に除幕式を行う。同廟は、先の戦争でバシー海峡に沈んだ旧日本海軍の第38号哨戒艇をまつっていることで知られ、台湾南部在住の日本人や知日派が訪れる。
廟は、安倍氏が死去した翌日の7月9日に追悼会場を設置。その後、有志から寄付を募り、銅像を作り始めた。銅像の高さは175センチ。台座に「台湾永遠的朋友」(台湾の永遠の友人)と書かれている。廟の責任者、張吉雄氏は産経新聞の取材に「台湾の国際組織加盟への支持など、いろいろと尽力してくれた安倍さんのことを私たちは忘れない。この銅像を日台友好のシンボルとして後世に残したい」と話している。
【台北=共同】除幕式には総統府の元秘書長である陳菊監察院院長ら300人以上が参加。陳氏は「安倍氏は台湾人が最も苦しいときに、日本社会に対し『台湾有事は日本有事だ』と呼びかけ台湾人を感動させた」などとあいさつした。会場では「千の風になって」や「花は咲く」が演奏された。除幕式では銅像のほか、2018年2月に台湾東部で地震が起きた際に安倍氏が直筆で送った「台湾加油(がんばれ)」を刻んだ石碑も公開された。
訪ねると先の戦争でバシー海峡に沈んだ旧日本海軍の第38号哨戒艇を祀っていた。台湾では日本人を神として祀っている廟を何度か訪ねた。こうした姿勢に改めて教えられる。
■成功大学・「榕園」昭和天皇皇太子時代のお手植えのガジュマル
台南成功大学のガジュマルの樹は、1923年に当時皇太子だった昭和天皇が台湾視察に訪れた際、自ら植樹されたもので、「榕園」に数本のガジュマルが大きく枝を広げている。屹立し、キャンパスを見守っている。卒業の季節になると、多くの学生がここで記念写真を撮り、名残を惜しんでいます。 太陽に照らされたガジュマル園(榕園)はアカデミックな雰囲気が漂い、異国情緒が色濃く感じられる場所です。休日の午後には、散歩をする人や、家族で日向ぼっこを楽しむ外国人の姿が多く見られます。旅行者が市内でピクニックをするにももってこいの場所ですよ。
■湯徳章を訪ねる・ 門田隆将「汝、ふたつの故国に殉ず」
数年前、門田隆将の著書で湯徳章のことを知った。台湾に生まれ日本で弁護士の資格を取り台湾に帰り、二二八事件で冤罪で殺された湯徳章の物語である。心打たれた。その後何度かの台南旅行で記念公園は訪ねた。今回、湯徳章の旧家が保存されることを聞いていた。故居を訪ねたが、今回改めて今年12月の再開を目指して改装中であった。若い親切な女性が教えてくれた。
湯徳章略歴
現在の熊本出身の坂井德藏と台湾出身の湯玉を父母に、日本統治下の台湾台南に生まれ育った。父德蔵は巡査だった。父が死んで今回の旅では叔父又蔵と養子縁組をしており、日本名は坂井姓である。台南師範学校に進学するが3年で退学。20歳で台南州警務部巡査となる。日本の普通文官試験にも合格。叔父(父德蔵の末弟)・養父でジャーナリストの坂井又蔵を頼って内地に渡り、家族と共に東京・白金の藤原銀次郎の別宅に転居。中央大学に聴講生として法律を学び、最終学歴小学校卒業でありながら1942年高等文官試験司法科、翌年には行政科にも合格したが、藤原らの慰留を断り、台南に戻って弁護士事務所を開設した。
二二八事件
第二次世界大戦終結後、中国国民党統治下で発生した二二八事件において、台南市の人民自由保証委員として台南学生をなだめ、国民革命軍の報復によって台南学生が虐殺される事態を防いだ。国民党軍に逮捕され、市中引き回しの上、大正公園にて公開銃殺された。
戦後大正公園は、1998年2月28日に当時の台南市長が「湯徳章紀念公園」に改称し、德章の胸像が設置された。また、2014年には市長職だった頼清徳により、德章の命日3月13日が台南市の「正義と勇気の紀念日」に制定された。
故居を訪ねる
台南市内の旧宅は、2020年4月に台南市文化資産管理処が暫定古跡に認定し、また民間有志により設立された台南市文化資産保護協会が同宅を購入し記念館として再整備するためのクラウドファンディングに成功したため、同協会は翌年の德章の命日までに記念館の開館を目指し、2021年3月13日に旧居が公開されることになった。