脳力開発174号/理念の時代を生きる174号

脳力開発174号・決断の時

コロナ後の未来

 コロナ禍も三年目を迎えている。世界は様々な様相呈している。加えてロシアのウクライナ侵攻。リモートワークによる働き方も当初より変わってきた。

「ホモ・デウス」で著名なハラリ教授の新型コロナウイルスによる人類文明に与えた影響を読んだ。21世紀のパンデミック対策は、科学的問題ではなく、政治的問題・課題になった。そしてコロナが浮き彫りにした問題は、国際秩序が如何に脆弱な状態にあるかという問題だ。一国でも、感染防止に穴があれば全人類に危機になる、自国中心主義が最もリスクを広げるということだ。私達はこの事を体験として知った。

中国的権威主義体制の落とし穴

当初、中国のような一党独裁体制で強権的なロックダウンを行える国の方がより効率的に対処できると感じた。小池百合子知事もそう発言した。ヨーロッパ諸国の対応を見ていると民主主義体制の自由さが仇になっているとさえ感じた。そのなかでも台湾、韓国、ニュージランド、日本は比較的感染者数は少なかったが。

私の先輩で上海で日本企業のコンサルタント会社を経営して30有余年のK氏の日本企業の中国における報告を毎年年二回拝聴してきた。

中国の監視システムの恐怖

報告の中でコロナ対策にある種の恐怖心を感じたことが何度もあった。国民のスマートフォンにはコロナ追跡アプリがインストールされており、スマートフォンはGPSの「北斗」によって位置情報が収集されている。したがつて地下鉄に乗ってもどこに居ても追跡される。
その事はコロナ感染については望ましいが、監視社会の恐ろしさを感じた。2018年11月深圳のハイテクフェアを視察してきたが、会場全体で監視カメラを応用したシステムが広範囲に展示されており、私の顔認識から年齢の予測もされていた。便利さとAI監視社会の恐怖を感じたが、翌年のコロナで中国技術のレベルの高さをコロナ追跡で一層感嘆し同時に恐怖心を感じた。民主主義国家も監視はする。

■誰がデーターを所有するか

 膨大なデーターを誰が所有するのか。その答えが未来をきめる。民主主義国家でも一元的に個人データーを蓄積することを許すべきではない。政府が国民を監視するようにデーターをどのように使われたか監視すべきだと、国民がモニターできるシステムが必要だ。データーを少数の機関に集中させない。とアタリは忠告している。

コロナ後の未来

 

コロナ後の働き方・経営者の決断

リモートワークはニューノーマルか

在宅勤務のような働き方には私は抵抗感を持っていた。何れコロナが治まったときリモート勤務者は解雇される可能性が高いと思っていた。その根拠は会社勤めをする人の動機

の多くは身の安全(生活の資を確保する、楽して儲ける)にある。したがつて会社選びの動機は、給料の高下、福利厚生の充実、休暇の過多等が優先され自らが何をしたいかは選択肢が最優先される新卒は少ない。これは長年の新入社員研修を経験なかで体験してきた。

私の仕事スタイル

しかし、コロナ禍のなかで当初予測するより、新たな選択をする若い人達が増えている事を知った。近いから郊外に移りその地で生活を始める人も間違いなく増えている。

私自身の仕事は会社勤めを辞めて創業してからは茨城県・霞が浦に近い別荘地に居を構え、出張し当地の研修所に足を運んでもらうスタイルをとった。コロナ禍の中ではZOOMとここに参加できる人とのハイブリッドのスタイルをとっている。

在宅勤務+オフィス勤務

「毎日往復2時間もかけて満員電車で通勤する意味があるのか」在宅勤務を通じてオフィス勤務のメリット・デメリトも研究され富士通では「サテライトオフィス」というアイデアも検討されている。即ち監視しても生産性は上らないという事も徐々に分かってきた。勿論「そのとうり」とは言い切れないし、勤務態度をチェックする企業も存在する。人間は自立した職業人ならば何らこれらの事は問題ない。私の指導の根本姿勢は「自立人の養成」だが。■企業の変革も求められる

私の関わっているN社の経営計画発表会が26日にあった。「真の自立を目指して」いう表題で★昭和時代は会社に発展★平成時代は理念に沿った経営実践★令和時代は第三期大改革を計画実施と区分した発表だった。

根本は新事業への転換が」柱である。2000年に企業理念を制定し「京都宝ヶ池国際会議場」で理念制定式を開催した企業があります。社名はリブドゥ・コーポレイションです。

この会社はそれまでの収益を稼いでいた事業の傍らケアー$キュアーと掲げ病院手術関連のメディカル事業に進出した。黒字化目標は10年後においた。しかし予定通りには進まない。結論をいえば20年後に完全に収益は逆転した。経営者にとって苦しい時間だ。

変革した企業しか生き残れない

 N社の柱は石材事業である。加えて全農を通じての製造・販売である。全農の衰退は予想できた事である、と同時に石材の衰退も予測できた事である。企業理念を制定し、自立連帯企業運営により社会に役立つ自立人を育ててきた。次ぎなるテーマが新規事業の育成であった。その事業が「草むしり」であった。10年余の時間を要したが収益の柱にまで育ててきた。

社長の決断「いざという時、胆のない人間は、人に長たる器とは言えぬ」

「いざという時、胆のない人間は、人に長たる器とは言えぬ」森信三先生一日一語三月二六日の箴言である。まさに昨日二六日発表会で当面の収益を販売会社に還元し、次ぎなる草むしり事業に懸ける決断をされた。10年先をみれば社名も明らかに相応しくなくなるだろう。私も会社勤務のときに体験した。コロナ禍における各自立連帯企業社長の新たな決意を確認した発表会であった。(悦司)

 

理念の時代を生きる174号・理念実践会の成熟Ⅱ

問答無用に見る日本人の怠慢

■先月の理念実践会のテキストは小林よしのり氏の「戦争論」でした。戦後史を通観することがテーマでした。今月は桜井よしこの「問答無用」2019年に出版された本です。はじめにを書かれたのが平成30年12月です。

「一眼は却下の現実を、一眼は遠く未来を」森信三先生の箴言です。取り上げた背景に経営者は今だけを見るのではなく、世界の情勢を見ておく必要があります。平和惚けしともすれば経済成長を優先させる経済界、余り自分たちが暮らす国のことも考えない国民に耳障りのよい綺麗事だけをしゃべるリベラルを標榜する政治家・政党、新聞メディア、NHK

や民放、新聞の虚言に洗脳される日本人にこの本は警告を放ちます。

■実践会を開催した3月9日にはプーチン・ロシアのウクライナ侵攻が始まり、原稿を書いている26日には日本ロシアの平和交渉の中断がロシアから宣言されています。安倍元総理の動きは、12月の台湾で開かれたシンポジュウムでの「新時代の日台関係」の講演で「台湾有事は日本有事」の発言に、中国は「強烈な不満と断固たる反対」を表明した。その後3月22日には蔡英文総統とのオンラインで対談「力による現状変更の試みは決して許してはならない」と相互に認識し安倍氏の台湾訪問の意欲を「歓迎したい」と蔡英文氏は応じた。

■近々では岸田総理も林外相もアメリカ、EU、G7の際には引きずられてロシア制裁に踏み切っているが、林外相は先日のウクライナ・ゼレンスキー大統領の日本での国会発言中に欠伸をしていたと写真つきで皮肉られている。

■経済界も慎重な姿勢、言い換えれば強かに狡賢い姿勢、曖昧にして世界からの顰蹙(ひんしゅく)から逃れようとする姿勢が基本だが、G7の動きなどから旗幟鮮明にせざるをえないように追い詰められている。

■振りかえると昨年10月の選挙の結果を見たとき私は次のように書いた。「民の意識が変わる予兆」して以下のことを書いた。

一・「やっと国の進むべき方向を個人個人が考え出した」二・「過去の紋切り型のイデオロギィ、政党判断に依存して平和惚けしてきた国民が自分なりの判断をしだした」三・「政治家も政権を大声で罵倒するだけで、何も具体的に施策を提案することのない政党、議員に投票しなくなった」四・「共産党の言説に惑わされず国民のみならず、労働組合ですら批判しだした」

■ロシアのウクライナ侵略に政治家も経済界も国民一人一人が他国の話だとノーテンキではおれなくなっている。軍事力と経済力、一帯一路戦略で自国有利を推進する中国、ミサイルを世界の混乱の最中に発射を繰り返す北朝鮮、訳のわからない反日を言い続ける韓国を隣国にもつわが国の騎弱性を目の当たりにして、やっと少しは日本人も考えだした。

■あの経済優先で中国と強かに結びついていたメルケルに率いられたドイツですら、GDPの2%を国防費に予算化した。日本の防衛関係費は1976年三木内閣できめた1%が目安になっている。NATO基準で1.24%という見方もある。日本も冷静に安全保障も自衛隊の存在もふくめて憲法改正も考える時期にきていると少しは考え始める時を迎えていますね。

■今度のロシア侵攻をみて自国の防衛に努めぬ国と共に戦う国はないということがハッキリしてきた。それでもまだ日本国民はアメリカが本気で助けてくれると思っているのだろうか。このロシアの侵攻まで日本人の多くはアメリカが間違いなく助けてくれると多くの進歩的文化人達を筆頭にメディアも思っていたし、今でも思っている人もまだまだ多いことだろう。

■ロシアのウクライナ侵攻から、国連安保理の常任理事国が紛争の当事者になれば、国連決議も紙切れにすぎない。何の効力もない。南シナ海への中国の進出に対しての国際判決も紙切れだと無視している中国に対しても何もできない世界の中にあって、核共有に関して国会ではまだ話し合いですら出来ない。日本人の多くはむやみに「国連万能」を妄信している。

■この世界の状況にあってもいまだに安閑としている自民党のリベラル、立憲民主党、野党の愚かさから脱皮する日は何時くるのかと少々暗澹たる気持になるが、ロシア、中国のでたらめぶりに唯一世界が大国の虚構の平和に気づく時もさほど遠くないと感じる。人間は目の前の危機にのみ反応する。残念ながら。今回の「問答無用」の勉強会で、さらに憲法改正の意識が深まったとの参加者の感想であった。

問答無用 桜井よしこ

  • 問題解決のためには広く皆の意見に耳を傾けよとした民主主義の精神は、言論、表現の自由を尊んでいる。一人一人が意見を表明することで他者を啓発し、自身も啓発されることでエネルギーが生まれ、物事も社会も国もより良い方向に向かうと信じている。P4
  • 米国の選良たちは中国が長年米国を騙してきた事実に気付き、その手法が米国の価値観とは相容れないものであることに憤っている。米国、そして日本の立場から見れば、私たちの側は国際法や国際規約を守り、自国に不利であっても国際社会の約束事を優先し、自国の在り方に修正を加えてゆく。対照的に中国は、国際社会のルールを徹底的に無視し、力でもって、自国に都合の良いように変えようとしている。P5
  • 中国共産党が、米国の要求を受け入れて人権弾圧をやめ、言論の自由や思想信条の自由を認めた途端に、彼らの独裁体制は揺らぐだろう。米国や日本が要求する知的財産や先端技術の窃盗をやめた途端に、彼らの産業の発展は鈍り、経済成長は下方修正され続けるだろう。彼らはそうしたことを十分すぎるほど知っている。6
  • 世界第二の軍事大国に成長した中国では、軍事費を上回る規模で国内治安対策費が支出されている。武装警察、サイバーポリスをはじめ、あらゆる手段で国民を監視し、徹底的に弾圧することで、ようやく国民各層の不満の爆発を抑止し、中国共産党独裁体制を維持しているのである。
  • 国民の不満を抑制している経済成長が鈍れば、不満が爆発する危険はさらに高まるだろう。だから中国の経済成長を支える知的財産の窃盗はやめるわけにはいかないのである。P6
  • 米中いずれの大国にしても気概と力をもって当たらなければ、日本の言うことなどに耳を貸してはもらえまい。気概は日本の価値観に自信を持つことから生まれる。力は経済の繁栄と軍事力の強化から生まれる。
  • わが国は世界第三の経済大国だ。足りないのは軍事力である。自衛隊の能力を物理的に倍増するほどの努力が必要だが、それが非現実的であるいま、急ぐべきは憲法改正である。一日も早い改正が求められている。P7
  • 日米同盟を尊重しながらも米国は日本の自立を強く求める。日本は普通の民主主義と同様に、自国民と自国領土を基本的に自分で守るように求められている。当然ではないか。どんな理由で米国は日本を守らなければならないというのか。
  • 世界第三の経済大国がなぜ、いつまでも米国に頼りきっていなければならないのか。米国に守ってもらうという戦後体制からの脱却を急ぐのは当たり前である。第一、守っている側の米国がそのように要求しているのである。P8
  • 2018年2月、国防総省が「核態勢の見直し」を発表した。米国が20年以上、新しい核戦力を配備していない中、中露は米国の核軍縮とは正反対の方向に突き進んだと非難し、米国の核戦略を大幅に強化し、同盟国及びパートナー国への拡大抑止を改めて保証した。P10
  • 3月、台湾旅行法を成立させた。米国をはじめ西側諸国の台湾への肩入れを中国は忌み嫌う。だが、トランプ政権は台湾に肩入れし、上院がこれを全会一致で支持した。台湾への武器売却も推進した。P10
  • 共和、民主両党の上下両院議員の総意として、ルピオ氏は中国共産党政府によるウイグル人弾圧を厳しく批判した。300頁を超える中国の人権状況に関する報告書で、幾千幾万のウイグル人の人権がどのように蹂躙(じゅうりん)され、どれほど多くのウイグル人が虐殺されたかを具体的に示し、「人道に対する罪」として告発する姿勢を示した。米国は行政府、立法府共に中国に対して厳しい政策を打ち出したのである。P12.13
  • 17年10月、第19回共産党大会での習近平氏の演説がひとつの決定的な分岐点になったのではないか。習氏は世界に向けて、中国は2035年までに世界最大の経済大国となり、49年、すなわち中華人民共和国建国100年までに、世界最強の軍事大国になると演説した。P13
  • 米国は単に貿易赤字解消のために貿易戦争を始めたのではない。中国は、中国共産党独自の価値観、力を背景にした有無を言わさぬ恫喝外交、その結果としての勢力拡大の道をつき進もうと、およそ全分野で米国に挑戦する。米国はそうした挑戦を避けようとしているのだ。P15
  • 自国の防衛を国際社会に委ねる、夢見る人の非現実的な世界を前提とする現行憲法を改めようと、日本国民が議論すること自体が国防力の醸成につながる。けれど憲法論議はまるで進んでいない。日本が真っ当な自立国にならなければあらゆる火の粉をかぶる、という局面にあって、なお動こうとしないのはなぜか。P17
  • 国民の一部が憲法改正に反対しているのは事実である。しかし、それでも国際社会の激しい動きを認識し、急ぎ対応するのがよいと考えている人々は少なくない。むしろ多い。その人たちは子供や孫の世代の日本人に、今よりしっかりとした国を残したいと考えている。そのためにどうしても必要な憲法改正について国民としての判断を示したいと考えている。決める重い責任を、祖国に対して果たそうと考えている。P18
  • 憲法制定からすでに70年余り。憲法改正は待ったなしだ。安全保障分野での自立も同様だ。あらゆる面での自立を急いで進めなければならない。まさに問答無用なのである。P18(藤井)

 

三月実践会感想

■先月の小林よしのり氏の「戦争論」そして櫻井よしこさんの「問答無用」。自分が学んできた太平洋戦争、そして戦後70年が過ぎた今の日本。さあどうする。日本はどうするのか。まさに問答無用という流れでした。この年末からずっと戦争、GHQ、サヨク、個と公などが頭の中を廻っていました。世界はエゴと駆け引き、パワーバランスの上に平和が成り立っているとありました。この現代、紛争はありますが、国をあげて攻撃を始めるなど無いと思っていましたが、今回のロシアのウクライナ侵攻という事態、戦争は外交の延長であり、話し合いで折り合いが付かぬ場合にやむなく用いる手段とありましたが、今回はプーチン大統領の暴走の様に思います。しかし、これも両面から見なければいけないかもしれませんが・・

■戦争は悪い事、そしてその戦争をしていた日本。しかも侵略戦争だった。と教わってきました。修学旅行で訪れた広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから」と刻まれていました。その時は、やはり悪いことをしたからなのだと思って見ていました。イヤイヤ、何の警告もなしに一般市民の日常の上に核爆弾を落とした方が悪魔の仕業。過ちは繰り返しませんとはアメリカだろう!などと思いもしませんでした。

「問答無用」戦後教育でのうすいサヨクの民主主義に気づきもせずに洗脳されていたのか。と書くと、ああこの人は右翼なのだ。とされてしまうかもしれません。しかし、今回の「問答無用」を読み、日本を取り巻く諸事情を考えると、いかに憲法改正が必要かわかりました。正直言って、安倍首相が言っていた時はそれ程にも思っていませんでした。当時も憲法改正=侵略戦争を始める。みたいな扱いでマスコミも言っていたように思います。まぁそれ以前にモリカケ問題ばかりやっていましたから・・事実を知る。情報を得る。しかも、マスコミに情報操作されない。大事な事だと思います。(堀越)

 


脳力開発173号/理念の時代を生きる173号

脳力開発173号・日本の自立を訴えた石原慎太郎

石原慎太郎が亡くなった。89歳だった。翌日の朝刊をみた。産経新聞と朝日新聞を。誠に象徴的な紙面だ。産経新聞の記事見出しを拾うと「自主憲法こだわった政治家人生」「国動かした慎太郎節」尖閣購入「何か文句がありますか」「既成概念に挑戦」政界悼む声。都政13年半「日本を変える」

朝日新聞の記事の見出し。一面が石原慎太郎氏死去、元都知事、「太陽の季節」社会面が石原都政 直言も放言も 「尖閣国有化を推進、反日感情招く」以上である。

韓国、中国、台湾の報道

韓国報道は「極右妄言製造機が死亡」と、中国共産党機関紙・環球時報は1日、石原慎太郎・元東京都知事の死去を伝え、「右翼の政治屋」だったと評した。尖閣諸島を購入する計画を打ち出し、日本政府による国有化につながった経緯に触れ、「日中関係の悪化を招いた」と批判的に伝えた。

台湾報道では「友台人士(台湾に友好的な人物)として知られ、故・李登輝元総統のよき友人だった」と紹介した。また、1999年11月に、李登輝氏の招きに応じて、大地震の被害にあった台湾を訪れた過去などにも触れた。

■終戦当時は中学生

石原慎太郎は丁度私の兄とほぼ同年代だ。ほぼ10歳上の世代にあたる。石原慎太郎氏や私の兄達は中学生の頃だった。その後彼等の時代はGHQによる占領政策の激しいころで、社会党、共産党が表舞台に登場し日本の労働運動も過激になった時代だ。作家としてデビューするころは、就職難で一橋大学に進学したのは父をなくしていた慎太郎の叔父さんが、会計士になるように薦めたことが縁らいし。1955年書いた短編小説「太陽の季節」が文学界に掲載され昭和30年1995年下半期に芥川賞を受賞翌年映画化された。

安保前後の雰囲気

私の大学生の頃(1962年~1967年)は1960年の安保闘争の弛緩期にあたり一応学生運動もまだ盛んだった。当時はリベラルこそ主流で朝日ジャーナルが1959年創刊され、岩波書店の「世界」を読むことが一種のエリート学生の象徴のような雰囲気があった。大江健三郎1935年は石原慎太郎より3つ年下の芥川賞受賞作家だが学生たちには読まれる作家でもあった。難解な文章に辟易した。その後1970年に出された沖縄ノートが曽野綾子により実際に裁判に持ち込まれ、調査の杜撰さを裁判で証明された。いまだ岩波書店も修正することはない。

■リベラルを装う世間の潮流

この事は後年理解したことであるが、安保以前から戦後はリベラル風が流行であり私自身も学生時代は左翼関係の書籍を手にとることがあった。大学の経済学部に学ぶ学生はアルクス経済学が主流であり、教授達もマルクス経済学こそ時代の主流という意識があったのであろう。

■著作に見る慎太郎の意志

日本の戦後GHQに支配された日本にあって、作家曽野綾子や江藤淳に非常に共感している。三浦朱門や阿川弘之「国を想うて何が悪い」も同じ思考の原体験をもって持っている。作家としてよりも政治家としての発言、著作、行動に関心を持っていた。「石原慎太郎の思想と行為」には一応目を通した。

写真 手元にある著書

 

■子供からの自立

子供を題材にして書いた「魂を植える教育」1971年「拝啓息子たちへ」1987年「子供あっての親」2007年に強く関心がある。親の子供に関わる姿勢が見事に描かれている。

■国の自立

また「NO」と言える日本・盛田昭夫氏共著であり、近年では産経新聞に連載していた「日本よ」をまとめたものや「歴史の十字路に立って」「東京革命」「平和の毒・日本」「日本よ・完全自立」これらの作品は日本人の自立、国としての自立を訴えている。

■個人の自立

「男の粋な生き方」「天才」あたりで、共感する事が多かった。最近は「老いてこそ人生」「老いてこそ生き甲斐」「法華経を生きる」等を読んでいた。先日も曽野綾子との対談集「死という最後の未来」を読んだばかりだった。

■平川祐弘氏・戦後日本を代表した作家の有為転変(ういてんぺん)

を引用して振り返って見ることにする。平川氏は慎太郎とほぼ同世代の比較文学者で東西の文化に明るい。東大の内部事情にも詳しい。東大名誉教授・国家基本問題研究所理事。戦後の精神史、和魂洋才の系譜、日本人に生まれてまあよかった等今も著作を続けている。

  • 石原慎太郎は一橋大学在学中の一九五五年、『太陽の季節』で、大江健三郎は東京大学仏文科在学中の一九五八年、『飼育』で芥川賞を受賞した。芥川賞が輝いていた時代だった。学生作家として出発した二人は、発言も活発、世間の耳目をひいた。
  • 自主独立派の石原慎太郎

だが政治的立場は正反対。石原はナショナリスト、一九六八年、自民党から立候補、参議院選挙全国区でトップ当選した。一九七五年には社会党・共産党が推す美濃部亮吉と東京都知事の座を争い、敗れた。

  • 石原は、都知事となると二〇〇〇年九月三日、防災訓練に自衛隊の協力を要請した。すると「銀座へ戦車隊出動か」と騒がれ、『朝日新聞』も石原知事を冷笑した。だが多くの国民は阪神大震災の時、社会党の村山首相が自衛隊出動をためらい、被害を大きくしたことを覚えており、マスコミの擬似(ぎじ)平和主義を嫌うようになった。
  • 国内外の現実を正視し、歯に衣(きぬ)着せず直言する石原知事への支持が増える。二〇一一年、東日本大震災の折、福島の原発事故で、危険を冒し、破損した格納容器に放水したハイパーレスキュー隊員が帰京するや、石原知事は声涙ともに下る感謝を述べた。消防隊員の凜々(りり)しい表情に、往年の日本の勇士の面影を見た。久しく忘れていた護国の長官と部下の姿であった。
  • 護憲派を貫いた大江健三郎

米軍占領下で育った大江健三郎は戦後イデオロギーのチャンピオンである。民主主義世代のイメージを鮮烈に提示し、時流に敏感に反応した。女子学生に、自衛隊員と結婚するなと説き、文化大革命となれば紅衛兵を、大学紛争となれば造反学生を支持、翻訳調の日本語を書いて、ノーベル賞まで上り詰めた。

  • だが、日本の文化勲章は拒んだ。二〇一五年にも、半世紀前の安保反対と同じ「平和憲法を守れ」「戦争法案反対」と繰り返し叫び、国会周辺でデモの先頭に立ったが、支持者は激減、作家としても影が薄れた。(引用以上)

戦後日本はなんだったのか

戦後日本は私なりに振りかえると、一体なんだったのかという思いがある。確かに経済は高度成長も経験し物質的には豊かになった。しかしODAで支援した中国にGDP2位の座も奪われ、今はEU・G7も力を失い、中国の横暴に世界は席巻されている。アメリカの政治も混乱の極みを迎え、アメリカでさえ衰退の路線にはまっている。

■石原慎太郎はふりかえると「アメリカからの自立」「日本人としての自立」「国としての自立」を訴えてきた。親として、作家として、政治家として国内外に日本のあるべき姿を直言し、日本の「自主憲法の制定」を強く訴えてきた。あらためて日本のあり方を考え直すべき時代を迎えているというのが率直な感慨だ。

 

理念の時代を生きる173号・理念実践会の成熟

戦後史を通観する

■ 小林よしのり氏の「戦争論」を今回、理念制定をしている若い経営者の課題として取り上げている。しかも漫画であり、「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり氏著者だと目にすると、おかしな本を課題図書にするものだと想われる方も多いと想う。小林よしのり氏は多く人から見ると極右の人と想われるかもしれない。

■氏の著書との出会いは私の尊敬する李登輝総統との小林氏の対談本が最初だった。李登輝氏は小林氏との対談で非常に評価している。以後、小林氏の著書・漫画を大量に読んだ。全部納得しているとは言えないが今回取り上げた著書「戦争論」を取り上げたには理由がある。

取り上げた背景目的

進化経営学院で25年にわたって取り上げているテーマの一つは現在の資本主義社会は覇道社会で、法則史学で言えば800年を周期とする西洋文明と東洋文明との文明の交代にあたる。私達の目指す経営の基本は競争社会での生き残りをかけた覇道型経営ではなく、互いに役立つことを根底におく総互恵関係を築き、日本人が江戸時代から築いてきた和道型経営を目指している。

戦後教育の実態

終戦間際から戦後生まれの人達は、少なからず覇道型社会の中で西洋文明の方が東洋、特に日本文明よりもはるかに優れていると教育されてきた。会社経営はもとより学生時代でも受験競争とか経営では他社との競争の上に成り立つと教えられてきた。私は30年ほどの企業体験のなかでも部分的には確かに競争は存在するがそうでない場面も体験している。

進化経営学院の学び

進化経営学院の授業では和道経営、理念経営、日本の歴史、日本の長所、江戸時代の先人の知恵なども含めて、覇道社会との決定的な違いを研究してきた。あわせて戦後のおけるGGHQの日本における影響の研究もしてきた。ここ5年は理念制定をした経営者を対象に理念実践塾を毎月開催する中で日本の戦前・戦中・戦後史を研究してきた。

知的保留から「戦後70年を検証する」

戦後の教育を受けた私達は戦後のGHQによって強制された歴史しか教えられていない。私は戦後の教育された歴史観にさほど影響されてはいないが、企業体験、学び経験を重ねる中で日本の歴史の通史及び戦後史をキチンと捉えたいと思っていた。

■古稀から戦後史をまとめた

古稀を迎えた時に戦後70年を生きてズーット知的保留してきた日本戦後史を2018年「戦後70年を検証する」という小冊子にまとめて、終戦、戦後前後にうまれの人達が教えられてこなかった歴史とGHQ連合軍の日本への洗脳工作を洗い直した。2016年から2018年までひたすら没頭した。

 

社会主義やマルクス経済学の影響を受けた人達

歴史や戦後史を研究する人達も確かに存在するが、多くが終戦後大学教授になったと人には社会主義やマルクスのあるいはマルクス経済学の影響を受けた人が多く、もっと大胆に言えば1960年の安保闘争を経験し、そのご大学を卒業して公務員や教職員、政治家、メディア関係、文化人、作家、弁護士などになった人は多い。中には市民活動家になった人も多い。それは生きて生活していくためには本人が選択したことだからあれこれ批判はしない。多くの人達は名誉や貧富が優先の価値観が優先している。

西洋的、覇道的な価値観から踏み出せない

私達日本人のおおくは生きていく中で、GHQ によって洗脳された西洋的、覇道的な価値観から一歩も踏み出せない人達が多い。経済を中心におき、物質的豊かさにおき近年では戦後の民主主義という名の下に「個人主義」に走り戦後78年経った今は一層「個人主義」や政府や国に依存する「依存人」の様相が強くなっている。

「日教組」の影響

戦前・戦中・戦後史を戦後生まれの人達が学び理解することは、非常に難しい。何故ならば戦前、戦中、戦後のことを知っている人達が亡くなられ、その歴史を遡っていくことが一層困難になるからだ。加え戦後教育受けた人達は「太平洋戦争は日本人が悪かった」と「日教組」日本教職員組合の指導により刷り込まれた価値観が半信半疑ながら頭にのこり、その歴史観と違うことをかりに機会があったとしても学び直すことは不可能に近い。

「反日教育」の影響

教育で刷り込まれた価値観、例えば中国は江沢民が大々的に取り入れた「反日教育」韓国の「反日教育」の影響を今日の政治状況にみることができる。日本でも同じことが言える。社会党の流れを継いだ消滅寸前の「社民党」政権担当した民主党の流れを組む「立憲民主党」ソ連の崩壊後共産主義、マルクス主義の崩壊に合いながらも、今なおリベラルと名を変えて活動する「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」など、国連で日本を糾弾し続ける弁護士たちもいまだに沢山いる。

李登輝総統がなし遂げた「台湾の民主化運動」

進化経営学院で学んだ経営者に、日本的経営、和道経営をする上で世界観、覇道に影響されない歴史観をキチンと身につけてほしいとしてアドバイスしてきた。その一つの事例として李登輝総統がなし遂げた「台湾の民主化運動」がある。台湾を中国から割譲され終戦まで50年の日本人の台湾への貢献を学び続けている。私は2011年から台湾を毎年訪ねている。最初に訪ねてから猛烈に李登輝総統の著書を読み込み李登輝の民主化活動を詳しく研究した。割譲されてからの日本人の台湾への貢献についても学んだ。そして理念を制定した同志や進化経営学院で学んだ人達と訪問もした。

漫画「戦争論」は歴史通観の試金石

「総互恵社会の建設」「和道経営」を目指す経営者に私は取りわけ戦後史の「事実」を理解体得していただきたいと念願していた。その積み上げてきた「戦後史」を確認する上で、この小林よしのり氏の「戦争論」は彼等理解度をテストする教材と感じて、11月からわたしておいた。

■今回10名の40歳から60歳までの理念制定者、私と学び始めて10数年経っている彼等にこの漫画「戦争論」をポイントレビューするように課題をだした。従来の書籍のポイントレビューの課題の与え方ではなく、漫画を与えた。参加者は呻吟した。まさかという思いもある。第一章「平和をサービスと思う個人」から第二〇章「個と公」第二一章「個を超える勇気と誇り」最終章「自由と束縛」の400頁弱におよぶテキスト「戦争論」をA4で4頁から10頁にまとめた。通史として理解していなければ出来ない課題だった。

★その課題を今回は掲載する。自信を持って掲載することが出来か。指導者冥利につきる。

 

戦争論(1998,7発行) 小林よしのり 

■大東亜戦争開戦の実態

  1. 今から50数年前、日本は東アジア全域で戦争をした。当時のアジア人は白人に勝てるなどとは夢にも思っておらず、すっかり屈服して奴隷状態だった。欧米白人帝国主義者どもとはいっぺんアジアのどこかの国が戦ってみせなきゃいけなかった。日本がそれをやったのである。27,31
  2. 残念ながら日本が勝っていたのは最初のうちだけ。結局アメリカの圧倒的物量作戦の前に負けはじめ、昭和20年8月15日終戦。しかしその後アジアは黄色人種が白人に抵抗していいんだと気づき、次々と独立戦争を起こし、アジアから欧米侵略軍を追っ払ってしまった。アジアの地図は日本が起こした大東亜戦争の前と後ではすっかり変わってしまったのである。32
  3. 当時の軍部は「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない。欧米列強の東アジア植民地化におびえながら経済封鎖や石油禁輸をされ、ハルノートで誇りを傷つけられ、日本の自存自衛のために「政策」の延長として戦争という策をとったのだ。アメリカは日本を挑発し続け、まんまと罠にはめて開戦したのである。34,283
  4. 第二次大戦で日本はドイツと同盟国だった。ドイツは「日本もユダヤ人を排斥しろ」と再三圧力をかけてきたが、日本政府は「全面的にユダヤ人を排斥するは八紘一宇の国是にそぐわない」とはねつけたのである。民族差別をしないという八紘一宇の主張を日本は貫いていた。36

■アメリカの戦争犯罪

  1. アメリカによる日本本土への空襲は、最初は軍需工場を狙う「精密爆撃」だった。これが、カーチス・ルメイ少将が作戦の司令官に任命されて一般庶民皆殺しのために焼夷弾を投下する「無差別爆撃」に変わった。322
  2. 東京大空襲は昭和20年3月10日午前零時8分から開始され、334機のB29が墨田区江東地区を絨毯爆撃、2000トンの焼夷弾を午前2時半まで落とし続けた。一夜にして焼死者10万人、負傷者11万4千人、戦災家屋26万8千戸、人類史上空前の戦争犯罪であり、大虐殺であった。その後米軍は六大工業都市を狙った後、人口の多い順に日本全国64の都市を焼き払った。
  3. 昭和20年8月6日午前8時15分、照準は広島、相生橋。ウラニウム爆弾、リトルボーイは落下した。アメリカはこれほどの大殺戮兵器を何の警告もなしに6日広島に、9日長崎に落とした。338
  4. ドイツが原爆を開発する可能性ありとなった時、アインシュタインはルーズベルト米国大統領に書簡を手渡し警告した。マンハッタン計画という原爆開発プロジェクトが発足するが、ドイツが原爆投下の目標として言及されたことは一度もなかった。初めから目標は日本だった。
  5. 日本に軍国主義があったようにアメリカにも軍国主義があったのだ。広島の原爆投下は市民殺傷効果を見る最適規模だから選ばれたのであって重要軍事基地だから選ばれたのではない。長崎が選ばれたのは天候のせいに過ぎない。日本人をモルモットにしたアメリカの実験はまさにナチスの犯罪と同じ「人道に対する罪」であって普通の戦争犯罪とすらいえないのである。141

■アメリカだけではなかった 日本人洗脳実験プログラム

  1. 戦後5年を経た1950年7月18日、スターリンの提案によりシベリアから撫順へ969名の日本人捕虜が移送された。「中国渡しになったら生きては帰れない」と言われる中、捕虜たちは自暴自棄と犯行の日々が続いた。当時の中国は国共内戦が終わったばかりで食料不足だったが、日本人戦犯には周恩来総理の指示で一日三食が与えられ、人格も尊重するように看守たちに伝達されていた。
  2. 看守たちはこの命令を忠実に実行した。入所して半年ほど経過した頃からどんなに侮辱的な言葉を投げかけても平然と自分達の世話を続ける中国人に「尊敬の念」さえ抱く者も出てきた。管理所は変化の兆しを捉え、各部屋に日本共産党の指導者だった野呂栄太郎や毛沢東の本を配布した。多くの戦犯は書物を通して触れる新しい世界観に興奮した。こうして1953年の秋になると、彼らのほとんどは思想改造教育の第一関門である罪の自覚の段階に達していたのだそうだ。186
  3. そして1954年4月のある朝、全員が中庭に集合させられた。壇上には元中隊長が一人立ち、涙で顔を歪め、声を絞り出すように「坦(たん)白(ぱい)」(過ちを認め自己批判し告白すること)した。そしてこれをきっかけになだれを打つように戦犯たちは罪行告白を作り出していくようになる。こうして「思想改造教育」を完全に修了した富永氏らに対する軍事法廷が1956年6月から開かれ、45人を除く大多数が免訴、有罪判決を受けた者も全員が満期の前に釈放され帰国している。188
  4. 中国がやったこの「洗脳実験プログラム」はアメリカが戦後日本国民全部を対象にしてやったWGIPと全く同じ手口であった。敗戦の恐怖で緊張が高まっている時に甘そうなエサをぶら下げて敵対心を和らげ、プライドを捨てさせる。そしてマスコミを操作して「認罪学習」をすり込む。194
  5. 「撫順戦犯管理所」に抑留され帰国した元兵士の中には自ら罪行を手記にして講演して回っている人たちがいる。その人たちは「中国帰還者連絡会(中帰連)」という団体を組織し積極的に活動している。184

■日本敗戦後のGHQの占領政策

  1. アメリカ・イギリス・支那・ソ連らの戦勝国が敗戦国、日本の戦争犯罪を一歩的に裁く国際法無視の東京裁判が敗戦後すぐに行われた。
  2. 東京裁判で捏造された日本の犯罪の一つが南京虐殺である。アメリカが原爆で虐殺した広島・長崎の一般市民30万人と釣り合うくらいの日本人の戦争犯罪がほしかったのだろう。
  3. 東京裁判とともにアメリカGHQは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」という日本人に戦争の罪悪感を植え付ける洗脳計画を実行した。あらゆるマスコミを検閲し、日本は戦争中にこんな残虐なことをした悪の軍隊だった。原爆を落とされても仕方ないくらいの愚かな国だった。日本人は軍部に騙されていた、という情報を映画・ラジオ・新聞・書物などで徹底的に流しつづけたのである。49

■GHQ占領政策が「間違った個人主義教育と反日情報宣伝軍」

  1. 戦後日本ではアメリカがくれた価値「人権」のおかげで国民がサヨク化し、残存左翼に活躍のチャンスができた。今や残存左翼はかつて日本と戦った中国やアメリカに飛び、日本は戦争犯罪国家だと世界にPRすることで反権力・反国家運動を展開している。25
  2. 戦後日本が「国家」を否定し「公」の基準をみつけられぬままにあらゆる共同体を否定して個人主義に向かっていった帰結が、大人から子供までの徹底した「公共性」の喪失だ。101
  3. 今の子供たちは遊び場も減って子供のつきあいも薄くなり、学校は公共性を学ぶのに大事な場だが、教師がそのための適切な制約・規制の仕方をできずにただ子供の人権と言いながら自由に放任するのみ。学校で子供と相対する前に家庭で親が子に公の態度を教えておかねばならぬのに全然やってない。家庭はあっても個室で子供は消費者の個として自立した気になっている。101,102
  4. 銃火を交える戦闘だけが「戦争」ではない。「情報戦」「宣伝戦」という戦争もある。平和といわれる現在でもこの戦争は常に続いている。日本では戦後、情報の発信基地であるマスコミと教育の大半が「反日情報宣伝軍」となり、情報戦争に連戦連敗を続けているのが現状だ。171
  5. 1993年当時の官房長官河野洋平は慰安婦の「強制連行」を認める談話を発表して謝罪した。だが1997年になってこの談話にかかわった石原信雄元官房副長官は、これは何一つ証拠がないまま行った韓国との密約外交の産物だという驚くべき発表をして河野洋平もその事実を認めている。179

■愛する者と郷土(くに)を護るために命を捧げた日本人

  1. 「命そのものが宝」「生きることそれ自体が目的」という人々は多い。しかし「生きながらえることだけが人生の目的ではない」「命は手段に過ぎない。この命を使って何を成すかだ」そう思う人もきっといるだろう。死に方を考えねば生き方も充実しない。かつての少年兵たちはこう考えた。「命を手段に郷土(くに)を守る英雄(ヒーロー)になる」と。
  2. 「愛する者のために」と言った時、その愛する者はその人の家族や地域が育んできたはずで、「愛する者のために」は「その愛する者を育んだ国のために」にかなり近い。まだ人を愛したことがない者は「愛する者のために死ねる」という感覚もわからないだろうし、「自分のため以外に死んでたまるか」と「エゴだけの個」にとどまっているのも無理はない。「自分のために」を超えた時、「愛する者のために」の向こうに「国のために」が立ち上がってくる。353
  3. 藤井一中尉は熊谷陸軍飛行学校で少年飛行兵の精神訓育をしていた。「お前達だけを死なせはしない」と言って自らも特攻を志願したが、妻子がいて操縦士でもないので任命されなかった。妻の福子さんは「自分がいたのでは思う存分、責任をとることもできないでしょうから一足先に逝って待ってます」との遺書を残し幼子と共に入水自殺した。藤井中尉は再度血書嘆願をして遂に軍は事情を汲んで任命をした。昭和20年5月28日、藤井中尉は鹿児島県知覧基地を出撃、特攻死を遂げる。彼らは権利を主張しない。彼らは義務を主張する。当時の我が国にはそんな日本人が多くいたのである。359

■世界における日本の現状と現代の日本人に求められる「本当の個」

  1. 大東亜戦争で日本が示した民族としての個の強さの幻影にアメリカや中国は今でも恐れを抱いている。要するにアメリカは、日本が自国の防衛に積極的に取り組みだすことを好まない。軍事にしても経済にしても日本人に勝手にやらせておくと強力になりすぎる。何をしでかすかわからない。アメリカと中国で永遠に日本の国力を封じ込めておいた方が良いという判断なのだ。361
  2. 平和とは秩序ある状態のことである。秩序を維持させるものは権力であり、暴力装置である。国内に向かって警察、国外に向かって軍隊、この両面の暴力装置が国内に秩序を作り出す。それが平和だ。しかし日本の場合、「国外に向けての軍隊」の実態が弱く、自衛隊というよりもむしろ米軍。日米安保で核の傘に守られていたからこその日本の平和だった。373
  3. 今日本はアメリカの思惑を却って都合のいいことと考えながらアメリカへの依頼心で生き延びようとしている。そんな情けない生き延び方の結果、失われるのはこの国の大人の尊厳である。何の覚悟もせずに平和に今をやり過ごそうとしている。そんな大人の姿しか見たことがないこの国の子供たちが理由のはっきりしない閉塞感にイラつきを覚え、自分に誇りが持てず、自分が嫌いになって精神に異常をきたしていく、それが今の日本の状況だろう。363
  4. 左翼も「公のために」を考えているのだろうが、その公の範囲が「国」ではない。「世界」なのだ。一見「世界のために」のほうが、了見が広くていいように思えるが、これはかつて「世界同時革命」を唱えた共産主義の幻影だろう。公共心は国によって違う。我々の持つ公共心がどのぐらいの範囲まで通用するべきかと言えば、やっぱり日本国内だろう。「公」とは「国」のことなのだ。346
  5. 人は個人を超えねばならぬ時がある。自分の身だけじゃすまぬ時がある。愛する人のため、家族のため、多くの人々のため、国のため、戦わねばならぬ時がある。「個人」が大切だというのは、責任をすべて個人で引き受ける主体性のことであり、誰々が悪かったと言って自分を棚に上げる個人ではない。63
  6. いまだに日本人はあの戦争で死んでいった者たちを弔えない。戦死者たちを「犠牲者」と言って「軍部に騙されてかわいそうに」ぐらいにしか思っていない。騙されていたのではない。信じていたのだし、今も信じられる。すべて日本人が自ら決断し、戦って敗れてなお、我に正義はあったのだ。310,313
  7. 大東亜戦争はそのあまりにも奥深く壮大なスケールゆえに、ついていけない頭脳の者たちに単純な自虐史観で割り切られやすい。しかしいつの日かこの戦争こそが、人類の成し得た最も美しく残酷な、そして崇高な戦いだったと再評価される時がくるだろう。個を超えた勇気ある英霊たちに感謝する。“死するとも なほ死するとも 我が魂(たま)よ永久(とわ)にとどまり御国(みくに)まもらせ”(特別攻撃隊 緒方襄命)