脳力開発170号/理念の時代を生きる170号

脳力開発170号・国民の意識が変わる予兆

今回の自民党総裁選挙、衆議院総選挙を通じて日本人の憲法改正に対する意識が変わってくるような予兆を感じる。結論から言うと

  • 一・「やっと国の進むべき方向を個人個人が考え出した」
  • 二・「過去の紋切り型のイデオロギィ、政党判断に依存して平和惚けしてきた国民が自分なりの判断をしだした」
  • 三・「政治家も政権を大声で罵倒するだけで、何も具体的に施策を提案することのない政党、議員に投票しなくなった」
  • 四・「共産党の言説に惑わされず国民のみならず、労働組合ですら批判しだした」

■今回の総裁選挙からの変化を追ってみたい

10月号で自民党総理選挙の四人の候補者論争から泡沫候補と言われた高市早苗氏が保

守としての明確な考え方を述べ、当初人気の一番手といわれた河野太郎と小泉進次郎・石破茂連合が敗れた事例を取り上げて四つ巴の論争が保守を自覚させた事を取り上げた。自民党が過半数をとれるだろうが、議席は減ると予測した。肝腎な事は立憲民主党と共産党の野合は立憲の支持団体であった連合も支援できないという事実を申し述べた。

日本人は冷静だった!野合を見抜いた国民

総選挙の翌日1日森のフォーチャ臨時号をだした。以下の分析をした。立憲共産党とからかわれた立憲民主党と共産党が議席を減らした。立憲110→96席 14減、共産党12→10議席 象徴的な事は立憲の辻元副代表の落選だ。比例でも復活当選できず、次ぎに面白いのは小選挙区で17回連続当選の小澤一郎が負けたこと。小澤王国崩壊。

■総括・立憲民主党および共産党の凋落と維新の伸長

自民党が想定外の勝利をおさめ、立憲民主党と日本共産党は想定外の大惨敗を喫した。今回の衆院選を特徴づける右の2つの「想定外」は、日本が直面する危機の本質をメディアや政治家よりも、国民の方が正確に理解していたことを示している。

■振りかえると体制選択選挙であった

繰り返しになるが国民は逆境に立って初めて考えだす。自民党立党の本来のあり方、諸野党の政治姿勢、政治を弄ぶ立憲民主党の無能さ。共産党の弊害。政治家自身も人気だけではなく日頃から働いているか。今回の野合の結果は、自由と民主主義の政治体制か、共産党の影響を受ける政治体制かの体制選択選挙そのものだった。立民と共産の共闘は日本国を安全にするものでも日本国民を幸せにするものでもないと国民の多くが気付いた。

維新の大躍進の訳

臨時号で次のように書いた。辻元に勝った池下氏に維新の会の松井一郎氏は以下のようにツイートしている。辻元さん以上に活動しないと次は負けるなと。維新は府政でみせた「身を切る改革」を大阪府民、兵庫から全国に広げている。11→41議席

■ISHIN SPIRITS 

日本は、もっと強くなることができる。日本が抱える本質的な問題を解決することができれば、この国は再生する。議会改革、行政改革により財源を生み出し、その財源を今一番必要とされるところに投じる。その第一歩として議員・首長が身を切ることにより、まず政治家が覚悟を示す。これが、私たち日本維新の会のスピリッツです。国民の声に耳を傾け、政治家目線ではなく国民目線の立場で。『政策提案型政党』として、活動に注力します。(維新HPより引用)

■憲法改正に向けて維新と組んだらどうか

「自民もむしろ維新と相互研鑚する時期を迎えたと言える。綺麗事だけで実行力の弱い公明党では期待できない」、と臨時号で書きました。中国におもねる公明党に腹立たしい思いがあったが。その後の雑誌で以下の評論にであった。月刊「正論」発行人有元隆志の論考です。
 衆院選の結果を「反共」という視点でみると、自民、公明、維新、国民民主という枠組みができる。4党の議席数を合わせると憲法改正発議が可能な345議席に達した。参院では4党を合わせると169議席で、発議に必要な164議席を上回る。
 憲法改正の議論すら安倍政権下で避けてきた枝野・立憲民主党は共産党と組んだ。しかしその野合に国民は「NO」を突きつけた。徹底して議論をすべきだ。議論をボイコットする立憲民主党など存在価値はない。

総選挙に見る国民の意識の変化

台湾の民主化に全力を尽くした故李登輝総統を思いだした。今回の総選挙の流れに日本の国民の意識の変化を予感するからです。故李登輝台湾総統は様々な縁が巡り結果として蒋介石の息子・蒋経国からの登用、逝去より総統に就任した、台湾人として生まれ大学は京都大学に学び日本の第二次世界大戦敗戦後、台湾へ帰り後にコーネル大学に留学、帰国し農業経済の専門家として蒋経国に採用された。

1988年1月13日蒋経国総統の死去により総統就任、1988年7月党員代表大会で国民党首席に選出され、その後台湾の民主化にむけて民主化への第一歩として総選挙を実施し1996年台湾発の総統直接選挙に当選し2000年の総統選挙には立候補しなかった。「台湾に民主主義を根付かせる事が至急の命題だった。それが何よりも台湾のためだ」と考えた。「政治家は国のためなら権力をいつでも放棄する、そういう覚悟が必要だ」と考えている。

★今回の総選挙は李登輝が着々と体制を整えて民主化を実現し、今日の台湾を築きあげたように、憲法改正にむけて国民がやっと目覚める時期が到来しそうな予感がしている。(悦司)

理念の時代を生きる170・自然と企業の共生

SNOW PEAK

  • 好きなことだけ!を仕事にする経営
  • 楽しいまま成長する経営

山の本を読んでいる内に、「好きなことだけを仕事にする経営」というタイトルの本であった。早速アマゾンで購入した。その会社は燕三条にあることを知った。10月末、新潟・燕三条視察の際、是非訪ねた。パタゴニアという会社についてはどなたも知っている会社だが、SNOW PEAKという会社は知られていない。テントを中心としてキャンプ道具に絞り今で、好きなことだけを仕事にする会社と標榜している。

パタゴニアのような会社が日本にあるのかと思った。続けて「楽しいまま成長する経営」というタイトルの最新の本も出している。読んで視察にでかけた。

■丘の上にある会社

ひろい丘の上にある。丁度毎年行われている同社の用具を使っている人達を集めてイベントが開催される日だった。日本各地から沢山の人達が集合してくる。丁度13時にイベント開催の挨拶があるようだが、私達は丁度その時刻からスノーピークミュウジアムを視察していた。案内をしてくれる人はかつて東京で上場会社の幹部を務めていたが退職して、この会社に勤めている。恰幅のよい人だった。推定で50歳前後、転職後15年経つと言っていた。

■ミュージアム

本社の地下がミュージアムになっているのだが、ひろい空間に一見テントやキャンプ用品が雑然と並べられているように見えるが、案内に従って廻ると壁面にはプロジェクターを使って業態転換をした二代目がたどってきた歴史が展開されている。キャンプと釣りが好きだった二代目が初代の鋳造の中から特化してテントの留め金から今日に至る歴史が楽しそうに映写展開されている。

■創業の歴史

1958年に創業して最初の30年は、先代が金物の問屋業のかたわら、自分の趣味だったロッククライミングのギアを地元の地場産業、燕三条の職人たちと作り始めたのがブランドのスタートだとのこと。

著書にキャンプが好きだということは勿論、釣りも好きで自然の中で過ごすことが喜びだった。それを仕事にしてしまったのだから仕事をする仲間はキャンプが好きなことが条件のようになり、自然にそういう人間が集まりそれが今日のように発展してきたという。その彼が以下のように会社の理念として次の文章掲げている。

■スノーピークの志

自然と、仕事が、うまくいく。自然の壮大なエネルギーと、テクノロジーの無限の可能性を健全に融合し、人間らしく働く人を増やすことで、真に豊かな世界を創る。それがスノーピークビジネスソリューションズの使命です。重要な経営判断をする前には、いつもキャンプをしています。(株)スノーピーク 代表取締役会長・山井 太

■なぜ進化経営学院は自然の中にあるか

私は50歳になったとき、創業した。研修の場所として選んだのは自然に囲まれている霞ヶ浦の近くの別荘地だ。昭和47年に売り出された山林だった所だ。独立するまえに数年間、日本各地を周り、脳力開発を中心に社員研修のお手伝いをしてきた。開催する場所はきまって自然の中だった。時に海に近い場所であったが、多くは山の中やたっぷりとした自然に囲まれた地だった。その理由は、人間は自然に囲まれたときリラックスできる、心を開くことかできるということを体感していたからだ。

青少年の研修合宿を15年続けた

仕事先の社員や知り合いの子供たちを対象に15年近く夏休みを利用して合宿研修をしていた。振りかえると、沖縄、山口、北海道、群馬、千葉、大阪、東京から毎年7~8名の子供たちがきていた。後半のころは孫が幼稚園のころからはじめ、中学三年ごろまで続けた■なぜ研修合宿をするのか

霞ヶ浦のほとりで、歳の違った男の子や女の子が一緒になってキャンプをする。飯盒炊さんを楽しみ、筑波山に登ったり泳いだり、自然を楽しむことだ。夕食は自炊したりバーベキューをしたり、早朝はカブトムシをとったり、絵を描いたり、偉人の伝記を読んだり、手紙を書いたり、世界の山に登った人の話、陶芸家を訪ねて陶器を作ったり、外人の人の話を聞いたり、毎年いろいろ子供が楽しめる計画を作った。子供たちは三泊四日の合宿を毎年楽しみにしていた。

スノーピークの基本方針

スノーピークの使命は、自然に触れ、自然とつながる瞬間を提供することで、より多くの方に、人間らしい時間を取り戻していただくこと。人間回帰という考え方は、オンオフのオフだけでなく、むしろオン=ビジネスにこそ必要ではないか、

オフィスは、大自然の真ん中に抱かれるようにして建っています。すぐ横には広大なキャンプフィールドがあり、社員たちは美しい夕日が沈む姿や、鳥や虫の声、雨の音を聞きながら仕事をしています。重要な経営判断をする前にはキャンプに行き、自然とつながり、頭をクリアにして決断しています。その判断が間違っていないことは、スノーピークの成長が証明しています。会社を成長させたいなら、今すぐ社員を キャンプに連れ出そう。

(株)スノーピークビジネスソリューションズ 代表取締役・村瀬 亮)

進化経営学院の目的・自立人の養成

理念型企業経営の支援及び自立型人材の育成を通じ「和を基本とする社会」づくりに貢献することを目的として設立しました。別の言い方をすると「企業のなかで生活のために働くという生き方」から「自立した経営者、職業人」を育てることを目的とした指導を志してきました。

スノーピークのビジネスキャンプのコンセプト

かつては大きな枠組みにいることが最大の安心だった。今は大きな枠組みの中にいるからこそ何も変われない不安が増大する。多くの企業人とお話をするたび、そんな時代に突入したという実感を覚えます。企業の成長にとって重要なのは、そこにかかわる人と人との関係性だということです。

  • AI、ビッグデータ、IoT、ロボット…技術革新はますます加速します。これからの仕事には「作業」だけでなく「創造」が求められます。自然とかかわることで人間性を回復し、社員の心とチームの一体感を育てることは、企業の成長に必要不可欠となるでしょう。働き方改革、生産性向上、健康経営…昨今の課題に答を出せるのがキャンピングオフィスです。

隈研吾氏と手がけたモバイルハウス「住箱」

キャンプフィールドの一角に、不思議なトレーラーハウスを発見。スノーピークと新国立競技場設計者である隈研吾氏がコラボレーションしてつくられたモバイルハウス「住箱 -JYUBAKO-」だ。美しく並んだこの箱は実際に宿泊もできる。丘の上の木の小屋、まさに自然との関係を象徴している。

視察のまとめ・自然との共生

スノーピークを視察して、霞ヶ浦の傍のこの林・森の中に自宅兼研修の天命舎、ログハウス・ケイミラフォーチャ、進化経営学院・美術館を建てたこと。全国から理念探究、次世代型経営者養成、子供達との合宿を行ってきた意味効果を再確認した。人間と自然との共生が日常的にあること価値。働く人達の労働環境も時代と共に変わってきたことを実感した旅になった。(悦司)