脳力開発169号/理念の時代を生きる169号

脳力開発169号・国の生き方を問う政治へ

四つ巴の論争・逆境が保守を自覚させた

今回の自民党総裁選挙は非常に痛快だった。その理由は菅総理の突然の辞任に始まり、岸田氏、引き続き高市早苗氏、河野太郎、野田聖子の立候補が続いたからだ。高市早苗を安倍晋三氏が支援するという構図で興味を引いた。

安倍政権の果たした役割

安倍晋三氏元総理は、日本の従来の世界における地位を変えた。外交を中心に世界における日本に対しての見方を劇的に変えたといっていい。国連における演説、アメリカ議会での演説は今まで国のトップとして世界に向けて発信をしてこなかった日本の初めての国としての基本的な理念・考えを伝えた。

安倍総理が就任し靖国神社に参拝したとき、アメリカはバイデン(当時)副大統領も完全に中国におもね(最も民主党が中国と蜜月関係にあった時季)靖国参拝は国際関係の上から大変危惧すると批判し、その時の駐日大使はケネディ大統領の子女であったのが懐かしい。その後、オバマ大統領が広島を訪問し原発投下の跡地を訪れた。また同時に安倍総理はハワイを訪ね改めて第二次世界大戦を振り返り、日米安保条約の強固な関係を望んだ。G7も伊勢神宮で開催され日本の歴史にも各国のトップが参加しまじめに日本の現状・歴史に関心を示した。

悪夢の民主党政権

 二〇〇九年戦後60数年の平和により日本国民も精神的に弛緩し、自民党も個人の利益を優先させ、国家観が話題になることは減っていた。自民支持の中間層も自民のチャランポランさにウンザリし、私も正直自民党に鉄槌を下すべきだという心情になっていた。結果、元民主党の政権となった。

民主党になってからの政治はここでいうまでもないが、鳩山総理(アメリカからルーピーと揶揄され)次ぎに元市民連合出身の管直人総理にひき継がれ、忘れもしない二〇一一年の東日本大震災に遭遇したわけだ。そのあと野田政権からやっと安倍晋三第二次政権が成立し今日に至っているわけだ。

旧社会党との連立政権の際、阪神大震災に遭遇し時の総理が社会党の村山富一だったのも記憶の中にある。無能な野党への災禍が続いた。

人気先行から候補者の政策議論へ

 話を元に戻して、総裁選挙は河野太郎の人気が先行し、そこに小泉進次郎、石破茂が支援するという構図になった。高市早苗が立候補するとは思いも寄らない構図に、高市氏は

印象は当初は泡沫候補という一般的な印象だった。ここからが、過去に経験しなかった総裁選挙活動になった。

メディアでの質問で候補者の実情が浮き彫りに

各候補者への同じ質問への解答に、高市氏はシッカリした保守政治家として政策を語った。尖閣問題・中国の横暴、靖国問題、改憲問題とキチンと自分の考えと発言した。なるほど安倍氏が支援するわけだ。

岸田氏も旧来の候補者になくメディアでキチンと発信した。久しぶりに総裁候補者が自分の信条を語った。過去の選挙ではここまで候補者も語る機会がなかった。岸田氏も今回の機会に繰り返し信条を語った。過去の印象のよる候補者選びよりも政策による選択の予感が強くなった。

河野太郎・小泉進次郎・石破茂連合の化けの皮がはげる

 発信力で評判の高かった河野太郎は、実は見かけ倒しで深い信念は全くなくメディアの表面的評価でしかないことが暴露された。日本人は印象で判断する。これは平和ぼけしている証拠で、余り世界の状況を考えるという視点が欠落しているせいでもあるが。

一般新聞紙上では河野太郎の人気を評価する。立候補から総裁選挙まで結構な時間があった。各メディア特にテレビでの討論会が何度も行われ翌日はそれが新聞紙上に掲載される。その回数が増えるに従って、岸田氏、高市氏、河野の意見が明確になってくる。一番の意見は対中国に対する見解であり、尖閣諸島に対しての防衛の視点であり、香港ウイグルへの人権問題であり憲法改正の意志である。

河野太郎の曖昧な姿勢がハッキリとして、果たして彼に総裁を任していいものかという疑問が日を追う毎に強くなってくる。河野太郎が石破茂と組んだのは地方議員の票の獲得を狙ったことは明らかであり、加えて石破茂はあわよくば総理への影響力を狙ったわけだが、そうはいかなかった。

若手国会議員・地方議員の覚醒

 高市早苗氏は今日の平和ぼけした日本人に、本当に日本はこのままでいいのか?と問いかけた。自民党の政治家も河野人気に便乗して次の総選挙が乗り越えられるのかと自問自答したと考えられる。

総裁選挙の結果、自民党議員票は予想外に岸田、高市氏に集まり、加えて地方議員票も過半数を河野太郎は確保できなかった。議員票も高市氏の後塵を拝した。これには私自身も驚き、そして自民党のここにきての冷静な判断に安堵した。このまま、河野太郎になれば、一体どうなるのかと危惧していたが。

まだ日本人も冷静さが残っていた

 総裁選挙後の会見で、小泉進次郎は「完敗だ」と反省の弁を語った。二階幹事長のようにいつまでも老人が権力を行使することは避けなくてはならない。世代交代はどんな組織でも大事なことだ。しかし真摯に政治家としての理念のない問題だ。

若手の台頭は確かに大事だが、表面的な国民人気に便乗して河野太郎が総裁になることを許すほど日本人は惚けていなかったと言っていい。

総選挙はどうなるか

 さて、岸田総裁を頭に衆議院総選挙が始まったが、一体どうなるのか?閣外限定協力と枝野は言う。しかし共産党は野党の統一への初めての機会だと喜んでいる。共産党と組んだ立憲民主党をかつての旧民主党に日本国民が投票した当時の熱気などある訳がない。

元外務省の佐藤優氏は「共産党と立憲民主党が選挙協力を進めるということになれば、体制変更に繋がる危険がある」「共産党はマルクス・レ-ニン主義という強固な価値観を持っている。静かに立憲民主党に浸透していく」「共産党は自衛隊を人殺しの装置だといい、天皇制も否定している党」なのです。

いまだ連合や各組合は反共産党である。今回トヨタ労組も50年来の組織内候補の立候補を取りやめた。組合頼みの立憲民主党や社民党は時代から遅れている。それでも社民党は一人確保できそうだ。しかしまだ消えない。

日本人も少し冷静になってきたのか

 コロナは各国の政治経済に打撃を与えた。九月末解除後、感染は減少傾向にあるが果たして如何なものか。時間の経過とともに接種率68.8%でアメリカは57.6% 10月22日現在。冷静に見てよくやっている。

世間の風潮やメディアの素人発言に流されず、多少科学的にもみることが訓練されたの

だろうか。かと言って、世間の噂や風評に影響される人達が一挙に減るわけではない。自民の議席は減るだろう。しかし立憲が政権を担う党でないことは自明の理である。共産党と野合する党に投票するのですか。

 

理念の時代を生きる169号

今年の理念実践会では数回にわたって現在の日本が置かれている状況を見なおしている。理念実践会の目的は理念制定した人の日常の経営や実践の中における日常の行動の確認、反省、修正がある 自社・自己の理念にいかに添って経営をしていくか行動していくかがテーマでもある。

  • 世界のフェイクニュース

私はジャパンフォワードの「日本を貶めるフェイクニュースを論破する」という視点に賛意を示している。その理由は言うまでもなく、最近まで日本政府や外務省メディアは例えば中国、韓国、もといえば世界中が「従軍慰安婦問題」のみならず「南京問題」とう歴史的な課題に多くが沈黙を守り、加えて国内の進歩的文化人や政治家、学者、弁護士のなかに日本国民でありながら、国家としての日本の脚を引っ張る人達が多い。その事を客観的に、冷静に見ることが重要だと考えている。

  • 戦後七〇年を検証する

七〇歳になった時から「戦後七〇年を検証する」というテーマで数年にわたり戦後日本史を俯瞰し同時に多方面から事実を検証してきた。その延長線上に理念実践会で世界の現在を振り返ってみたいと考えている。詳細は著書に譲  る。戦後史の欺瞞にスポットを当てている。

  • 日本を貶めるフェイクニュースを論破する

最近の理念実践会ではテキストとして「日本を貶めるフェイクニュースを論破する」「世界のニュースを日本人は何も知らないⅠ」「世界のニュースを日本人は何も知らないⅡ」をテーマに見てきた。詳細はここではおくが、世界中が、具体的に言えば中国も韓国ものみならず欧米も国連も自国の利益優先をすることが当たり前であること、そして事実を検証しないまま流される情報に翻弄されている日本人の一般的な風潮も確認する必要がある。

  • 門田隆将の「新階級闘争論」

次ぎに門田隆将の「新階級闘争論」を取り上げた。特に米国は十一月の大統領選挙で混乱を究めたが、トランプとバイデンの問題はその根底に長年続いた民主党政権、具体的にはポリティカル・コレクトネスに表象される民主主義の問題点があぶり出されている。

その視点から、日本の現在のあり方を検証する意味からも視点を変えて見なおしている。今の時代に階級闘争論というのは一見時代錯誤と思われる方もいるだろう。しかし、視点を変えれば世界が政治も経済もグローバリズムを中心とした国境、国家を越えた動きを呈しているとも言える。

  • 渡部昇一氏の「日本人論」

続いて日本および世界の歴史に精通している渡部昇一氏の「日本人論」を取り上げた。日本人が決して失ってはいけないもの。敗戦後アメリカが日本の歴史を抹殺しょうとしたさ歴史、中国の国家資本主義の脅威、台湾の中国化、日韓関係のあり方を見なおした。

  • 内村 鑑三「代表的日本人」

次ぎに内村 鑑三がアメリカで書いた「代表的日本人」を取り上げた。西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人をあげ、その生涯を叙述する。日清戦争の始まった一八九四年に書かれた本書は岡倉天心『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』と共に、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作である。

この本は日本人なら読んだことがあり、冷静に日本人を見なおしていると定評がある。江戸時代の代表的日本人を取り上げアメリカ人に伝えている。クリスチャンである内村鑑三の著書から引用してケネデイが大統領就任の時の記者会見で日本人の新聞記者に上杉鷹山のことを質問したが、当時の新聞記者の大半が知らなかったことに唖然としたというエピソードは有名だが、正直大半の日本人は知らなかっただろう。現在でも知らない人は多いだろう。

  • 台湾を築いた明治の日本人・渡辺利夫

現在、中国の一帯一路戦略、および香港、ウイグル、チベット、モンゴルの人権問題が世界の注目の的であるが、取り分け台湾に関しての中国の恫喝は世界の批判の的である。

残念ながら世界が、遅ればせながらやっと中国の戦浪外交により目覚めたEUですら人権問題に関して国家として中国を批判しているにも関わらず、日本の国会は超党派で人権問題を取り上げないばかりか自公連立政権が取り上げない。自民党内部の親中国はもとより、公明党が池田大作以来の親中の姿勢を慮って宗教と政治の枠から脱皮できない。

巷間今の学会の人達は人権問題には敏感であるが、現在の公明党は宗教的理由というよりも池田大作会長に忖度しすぎている。若い人たちはそういう公明党の現執行部に批判的であると仄聞する。

今回は明治の日本人を取り上げた。台湾を割譲された日本がいかにエネルギーを注ぎ込んだか五十年間の貢献を描いている。日本人が公的な意識にあふれ、台湾という地域を日本の国として懸命に開拓し改革して言ったかを物語っている。

■内容骨子

、「私が一日休めば、日本の近代化は一日遅れるのです」パリ留学中の古市公威が高熱にうなされながら下宿先の女主人に言った言葉だ。古市とは信濃川、阿賀野川などの河川工事の監督に当たり、明治期日本に河川・港湾工学の黎明を告げた人物である。西洋文明をいち早く吸収して独立不羈の近代国家足らねば、日本は文明国の一員として生存できない。自分は、今、国費で賄われ西洋文明吸収の最前線に高熱など恐れているゆとりはない。強烈なエリート主義とナショナリズムを背負う明治の技術者の気概をこのエピソードは物語っている。

、古市は後に帝国大学工科大学(東京大学工学部の前身)の初代学長になり、その門下生に広井勇をえた。広井は、古市の後を襲って工学大学教授となり「広井山脈」と呼ばれる多くの逸材を近代日本に供給しつづけた。門下生青山士(あきら)は大学卒業するやパナマ運河の建設に加わり、帰国後信濃川大河津分水事業という世紀の難事業を託された。竣工記念の碑に「人類ノ為メ 国ノ為メ」刻印されている。

、八田与一は広井を師とし青山を先輩として畏敬する。明治四三年(一九一〇年)工科大学卒業と同時に、迷うことなく未開のフロンティア・台湾に向けて出立、総督府土木部の技術者となる。

台湾の中央部には北回帰線が走る。回帰線の北側は亜熱帯、南側は熱帯モンスーン気候に属する。稲作適地は台湾南西部の嘉南平原である。しかし、一五万ヘクタールに及ぶこの平原は、八田が初めて訪れた頃はまったくの「看天田」であった。不作、凶作、豊作は天の采配次第で、人為ではどうにもならない。

、 嘉南平原の開発とは、雨期における水の制御、乾季における給水の確保、つまりは水利灌漑施設の整備に他ならない。 八田の構想は壮大であった。阿里山に源流を発する曽文渓の水系に烏山頭という場所がある。ここに堰堤(ダム)を構築、貯水した水を嘉南平原に流す。なお不足する貯水量を得るために烏山嶺に三〇〇〇メートルを超える隧道(トンネル)を掘削。ダムから放たれた水は、地球を半周するほどの総延長となり、あの荒涼たる平原が広大な緑の絨毯へと変じたのである。

、磯栄吉は「蓬莱米」の開発に二〇年近い歳月をかけ成功した。東北帝国大学農科大学(北海道大学農学部の前身)を卒業、台湾総督府についたのは八田よりやや遅れて明治四五年(一九一二年)であった。米不足の解消という課題への挑戦である。前方に曙光のみえない、常人なら精根尽き果てる作業を続け、蓬莱米という単収が決定的に高い改良品種の創生をなし遂げ、台湾はもとより日本本土の米不足にも貢献した。

、磯の蓬莱米は、後に改良が加えられて、アジアの全域に導入され「グリーンリボリューション」といわれる革命を巻き起こした。インドのパンジャープ州の正視に堪えない酷薄の飢餓に深く心を痛め磯と台湾政府の協力を得て蓬莱米をインドに持ち込み辛酸をなめながらパンジャープ州を飢餓から救出した一人の「忘れられた日本人」がいる。杉山龍丸である。明治期日本の政治経済の政財界に隠然たる影響力を持った杉山茂丸を祖父とし怪奇小説で名をなした夢野久作を父として生まれたのが「昭和の明治人」杉山龍丸である。

、第四代台湾総督として、後に満州軍総参謀長として日露戦争において日本を勝利に導いた児玉源太郎、児玉に同道して台湾近代化の基盤づくりに台湾総督府民生長官としていだ偉大なる貢献をなした後藤新平。この二人の人物の思想と行動の中に、理性と号機をあわせもつ明治日本の指導者の原像を探り、台湾に生きた明治日本人の精神史を描いている。

理念実践会に参加の感想

台湾に貢献した幾多の日本人群・F氏

以前、台湾について学んだ際に台湾統治時代に死力を尽くした代表的日本人(児玉源太郎氏、後藤新平氏、八田与一氏、六氏先生、その後、李登輝元総統、等)のことを学び少しは知っていたつもりだったが、今回新たに活躍されていた日本人の方々(磯栄吉氏、杉山龍丸氏、広井氏、青山氏、等)の功績を知ることで新たな知識を得ることができた。

自分も経営者として、上記の日本が誇れる「先導者」方から見習わなければならない点が多くあると感じた。皆共通して言えることは、技術や知識、経験は勿論のこと、人として周りの人々を引きつける魅力と自ら先頭に立って導く行動力が伴っているということだ。

「経済」と「精神」を両立させ、「理念」というべき人間の核となるものが「自利利他」の想いから溢れ出ているのだろう。

「保甲」制度や「国家衛生原理」の取り組みは、我々が取り組んでいる「環境整備」の捉え方に相通じるものがあると感じた。「今あるものを否定し止めさせ人を変えようとする」のではなく、まずは現状を把握し承認することから始めて改善策を見出し、創意工夫を重ね「環境を変え創っていく」という思考も共通する考え方なのではないか、と思う。

また「人類ノ為メ、國ノ為メ」や「自利利他」の話を聞いて思い出したことがあった。自国や他国に捉われることなく自分のことよりも利他的精神で自分の役割に志命を捧げる生き様に日本人としての本質を感じた。

人類のためという大きな目的にいきる・T氏

欧米諸国が他のアジアの地域で行ったような搾取や自国の事しか考えていないような植民地化ではなく、日本は人類のため、国のためという大きな目的をもって、そこに住む人たちと一緒に汗を流し、血を流しながら今の台湾の原型を作り上げたことを、日本人として大変誇らしく感じます。そこには、日本人として大切な資質である研究熱心さ、粘り強さ、他人を思いやる心、自分が身につけた知識や技術を人のために生かすこと、人生を命を賭して気概をもってやり抜くことなど、今の我々が失いつつあるような素晴らしい日本人らしさを明治の人たちは持っていたからこそ成しえることができたのだと思います。このような素晴らしい日本人がいたことを、もっと多くの人に知ってほしいと思いました。

独立国家を守ろうとする国民一人一人の矜持・S氏

一冊を通して感じたことは、日本が明治の頃、欧米列強の覇権主義国を中心に世界情勢が不安定な中、日本が独立国家であることを守ろうとする意識が政治家だけではなく国民一人一人にも強くあったことが想像され、故に台湾の経営も本国と同じように、アジアを覇権国から守るため、強くすることを目的にされていたのではと感じています。

そういった時代背景の下で、結果として、農業を中心に台湾の国や、そこに住む人々が豊かになることは、搾取や略奪とは一切無縁の日本人本来の気質であり、これまでに学んだところでいう「和道経営」そのものだと思いました。

また、児玉源太郎、後藤新平、磯栄吉、八田與一など、多くの日本人の手によって台湾が豊かになる経緯については、決めたことを最後までやり抜く姿勢、問題が起きた時の取り組み方、時間、労力、費用のかけ方など、経営者として仕事の本来あるべき姿や、仕事に対して取り組む姿勢に学ぶべき部分が多いと感じました。

日本人としての精神や思想も台湾に築いてきた・H氏                              

以前、黒田先生、次世代経営者のメンバーとご一緒させていただき、台湾を訪問した際に感じたことが、訪問する前は、「中国の小さな島」といった先入観を抱いていましたが、実際に台湾を訪問してみて、まず、最初に中国人との人間性の違いに驚きました。どこにいっても挨拶してくれますし、バスや電車などに乗車してもマナーをきちんと守り、かつ礼儀正しい。そして、街もきれいに環境整備されていて十年程前に訪問した中国とは似ても似つかないところでした。

日本人が台湾に対して多くの事で貢献していることを再認識しました。特にそれを強く感じたのは「約二十万人の日本人の多くは、長い台湾在住からの離別を潔しとしなかった。」その理由は、半世紀にわたる努力によって築かれた資産と人間関係の絆を断ち切られるからであった。このように、日本人が台湾のために築いてきたことは烏山頭ダムや治水事業、農業はもちろんですが、そのような事象だけでなく、日本人としての精神や思想も台湾に築いてきたのではないかと思います。

今回のポイントレビューの中に浄土真宗の「自利利他」の考えもその一つだと思いました。日本人が自ら得た公徳を台湾のために救済する。それを得た台湾の人がまた別の台湾の人のために救済するという良い関係を根付かせたのも当時の日本人の残した資産だと思いました。私たちも自らが探究し得た「人生理念」を関係ある人々の役立ちができるように、常に正しい方向性を持って、自らの人生と自らの事業を通じて実践していきたいと強く思いました。


脳力開発168号/理念の時代を生きる168号

脳力開発168号・新階級闘争論・門田隆将

■第7章 日本人の矜持を取り戻せ                

世界「最古」の憲法

  1. 成立の時のままの姿で現在に至っているという点で、「世界最古」の憲法は、「日本国憲法」である。つまり、日本は世界最古の「皇室」と、世界最古の「憲法」をもっている稀有なる国ということになる。P272

天皇・皇室に牙をむく朝日新聞

  1. 戦後七十余年にわたる日本の平和への貢献は、言葉には出さずとも国際的に認められてきた。それこそが、平成から令和への御代替わりに示された「国際的な評価」につながったのだろう。しかし、そうは考えない者もいる。それも日本国内に、である。代表的なのは朝日新聞だ。P281

「悠仁親王廃嫡論」を憂う

  1. 男系男子に限られた皇室典範を改正してまで「愛子天皇を誕生させよう」という動きが活発化している。共産党、立憲民主党、そして朝日や毎日といったメディアが推し進め、そのことが一定の反響を生み始めている。P284

「女系天皇」実現を策す勢力

  1. 天皇は代々「男系」で継承されており、過去に「女性天皇」は八人・十代いるが、すべて父親が天皇、もしくは皇太子等の男系であり、皇統でない父親を持つ「女系天皇」は歴史上一人も存在しない。日本の皇統唯一のルールが「男系」であり、天皇の父親を辿っていけば、神武天皇まで遡ることができる。それが「万世一系」だ。
  2. 今、女系天皇実現を策す勢力は「歴史上、存在しなかった」女系献納を誕生させ、二千年を超える皇統への‘挑戦‘を敢行しているわけである。P289

■終章 子や孫の命はどう守るか

中国の傲慢政策は破綻

1、2021年3月22日EU(欧州連合)が、外相理事会で中国のウイグル人への人権

侵害に対して、制裁を発動することを決定した。EUが中国に対して真っ向から「人

権侵害を許さない」と宣言した。EU27カ国、米英、さらにはカナダや豪州、ニュ

ージーランドなど”ファイブアイズ”が、一挙に反中国を掲げてきたのである。297

百年の恨みの「主敵」は日本

2、中国は、建国百年の2049年までに「百年の恥辱(百年恥辱)の恨みを晴らし、偉

大なる中華民族の復興を果たす」と習近平のスローガンの元、その目的達成のために

驀進している。298

アジア版NATOと憲法改正

3、「冷戦時代」が終止符を打ち、米中の「新冷戦時代」を迎えた今、憲法改正とアジア

版NATO創設が必須であると考えている。冷戦時代は激突の最前線は「欧州」だった

が、新冷戦の最前線は「東アジア」である。302

4、憲法を改正して集団的自衛権行使が可能な体制を確保できなければ、日本の運命は極

めて危うい。国際秩序を破壊して向かってくる中国から、平和を守らなければならな

い。そのことを日本人は子や孫の世代に誓う必要がある。だからこそ最低限の「憲法

改正」だけは果たしておきたいのである。304

【憲法九条】改正案

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。わが国は、国際平和

の維持と国民の生命・財産および領土を守るために自衛隊を保有し、いかなる国の侵略

も干渉も許さず、永久に独立を保持する。

■おわりに                        

雑誌「正論」(2021年4月号)、一本の記事が目に飛び込んできた。阿比留瑠比・産経

新聞論説委員による〈森喜朗氏騒動と“魔女狩り”の恐怖〉と題された記事である。

  • 「マスコミは余りにひどい。これはマスコミによるいじめじゃないですか。」夫人はこう訴えた。世界中にわざわざ火をつけたのは日本のマスコミだ。発言を批判するだけならまだしも、過去のことを蒸し返し、個人の人格を貶めるような報道までしている。「まるで犯罪者みたいに。主人がそこまで悪いことをしましたか。」悲痛な叫びに胸が締め付けられる。307
  • この間に起きた異様な騒動は、正義ぶったマスコミやその同調者らがいう「正当な批判」などでは決してない。気に入らない相手のささいな非を拡大鏡で大きくし、血祭りにあげた集団リンチであり、限度を知らないいじめにほかならない。相手が倒れるまで徹底的に叩き異論も反論も認めないその姿は、さながら中世の魔女狩りのようだ。
  • 日本のマスコミの特徴は、「権力の監視」などと恰好のいいことを口にし、“自己陶酔”することだ。日本の政権批判なら何でも許される。政権から反撃が来ることはないからだ。反権力などと自己陶酔している記者たちは、常に絶対に反撃されない「時の政権」を叩き、自分の思想や主義・主張、さらには虚栄心を満足させるのである。309
  • メディアが健全な社会実現のために役に立たないどころか、むしろ「敵」となっている今、私たちはより現実を見据えなければならない。そして、マスコミの報道のウラに何があるかを考えなければならない時代であることを強く認識すべきだろう。私たち一人一人が姿を変えた「新・階級闘争」に踊らされることのないよう心したいものである。311

 

理念に生きる168号・代表的日本人・内村鑑三

上杉鷹山―――封建領主

今回のテキストは内村鑑三がアメリカで出版した英語の著作である。ケネディが大統領就任のインタビューで日本人の新聞記者に上杉鷹山を知っているかと聞いた。日本人の記者は誰も知らなかった。ケネディは就任の挨拶で「国家が諸君のために何ができるかを問わないでほしい。諸君が国家のために何ができるかを問うてほしい」と言った。 「な(為)せば成る。な(為)さねば成らぬ何事も、成らぬは人のな(為)さぬなりけり」と言う箴言は聞いたことかあるだろう。これは鷹山の言葉です。

 

封建制

  • 封建制にも欠陥はありました。その欠陥のために立憲制に代わりました。しかし鼠を追い出そうとして、火が納屋をも焼き払ったのではないかと心配しています。封建制とともに、それと結び付いていた忠義や武士道、また勇気とか人情というものも沢山、私どものもとからなくなりました。53
  • 封建制の長所は、治める者と治められる者との関係が、人格的な性格を帯びている点にあります。その本質は、家族制度の国家への適用であります。したがって、いかなる法律や制度も「愛の律法」にはおよばないように、もし封建制が完璧なかたちで現れるなら、理想的な政治形態といえます。54

注・戦後の進歩史観では徳川時代の内容を分析することなく封建制は人権を無視した打破すべき古い制度だと断定し、戦後の教育で日本の歴史の中で真実を教えてこなかった。また戦後世代は自ら歴史を学ぶことを怠っている。むしろこの江戸時代に日本の民主主義国家としての基盤が築かれている。黒田

人と事業

  • 十七歳の鷹山が今の米沢藩の世継ぎとなった時、直面することになった仕事は、他人なら皆、尻込みする内容でありました。太閤に勢力をそがれた上杉家は、十五万石の大名でありながら、昔のままの百万石の家臣を抱えており、藩の維持が難しく、負債は何百万両にものぼりました。57

行政改革

  • 若き鷹山は、変革を成し遂げなければなりませんでした。秩序と信用を回復するには、極度の倹約しかありません。藩主自ら家計の支出を千五十両から二百九両に切り詰め、奥向きの女中は五十人いたのを九人に減らし、着物は木綿にかぎり、食事は一汁一菜にし、このような状態を十六年間も続けることにより、どうにか重い債務から脱することができるのであります。60
  • 鷹山は、能力のある人物には、乏しい藩庫から惜しみなく手当を支給し、その人間を三つの異なる地位に分けて、民の上に配しました。60
  • 第一の役は、郷村頭取と郡奉行であります。彼らは「民の父母」として、その小藩の行政一般をになう総監督でした。第二の役は、一種の巡回説教師のような役であります。彼らは慣習や儀式を人々に教えます。第三の役は、警察の役です。人々の悪事や犯罪を摘発して、罪状に従い厳しく罰する役でした。61
  • この三つの役目は、驚くほどうまくかみあって機能し五年間、なんの妨害にあうこともなく実施されました。秩序が現れ、絶望視された社会にも回復の希望がよみがえりました。
  • もっとも手痛い試練が訪れました。保守派が台頭したのです。彼らは旧態にしがみつく人々で、改革にはどんな形でも反対する人々でした。ある日、七人の重臣は藩主のもとに来て不満を訴え、新体制の即時撤回の口約束を強要しようとしました。藩主はただちに家臣全員を招集し、自分の政治が天意にかなってはいないのか、と彼らに尋ねました。執政たちや廻村横目も一人残らず「いいえ」と答えました。藩主の腹は決まりました。63
  • 藩主は七人の重臣を呼び、五人は所領の半分を没収、首謀者の二人は切腹の判決を言い渡しました。こうして保守派と不平派は一掃され、藩政は大きく好転しはじめました。これが済むまではどんな改革も完成ではありません。若き藩主は、厚い信仰心と豊かな感性とを有するにもかかわらず、真の英雄でした。63

産業改革

  • 鷹山の産業改革は二通りありました。(一)領内に荒地を残さないこと(二)民のなかに怠け者を許さないこと、です。藩主と領民との努力精進により、十五万石の所領でも三十万石はもたらすことができると考え、農業の奨励に全力を傾注しました。64
  • 鷹山の主な目的は、領内を全国最大の絹の産地にすることでしたが、必要な資金は藩庫にはありません。そこで鷹山は奥向きの費用からさらに五十両を切り詰め、この産業を推進する資金に当てました。これを鷹山が五十年続けたところ自分の始めた数千本の桑株は、しだいに株分けされて、領内に植える余地がなくな

りました。65

  • 鷹山の領内には、まだ荒地が残っていました。灌漑が不十分であると、大部分の土地は、不毛の土地として残りがちです。長距離にわたる用水路の建設は、鷹山の藩の乏しい財政では、不可能に思われました。しかし、「施して浪費するなかれ」が鷹山のモットーであり、公共の福祉のためになると確信した場合には、鷹山は不可能を考えませんでした。65
  • 昔の日本で行われたもっとも大掛かりな土木工事を二つも企画し完成したのは、このもっとも貧乏な大名でした。一つは二八マイルもの距離の高架橋と長くて高い堤による用水路であり、もう一つは、堅い岩石に一二〇〇フィートのトンネルを掘ることにより、大きな水流を変える工事でした。後者の事業は鷹山治世の二〇年間を要し、領内に貢献した最大の仕事でした。それ以来今日まで米沢は水不足に見舞われたことがありません。66

社会および道徳の改革

  • 東洋思想の一つの美点は、経済と道徳とを分けない考え方であります。東洋の思想家たちは、富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみます。このような儒教の教えを、鷹山は尊師細井から授かりました。67
  • 鷹山の産業改革の全体を通じて、特に優れている点は、産業改革の目的の中心に、家臣を有徳な人間に育てることを置いていたところです。67
  • 任に就いて数年後、他の改革が順調に動き出すと、鷹山は閉鎖されていた藩校を再興し、興譲館と名づけました。その藩校の規模と設備は、およそ当時の藩の財政事情からは不釣り合いでありました。領内の、才能はあっても貧しい学生に高等教育の機会を与えるため、多くの奨学金を与えて学費を免除しました。68
  • 西洋医学が恐怖と疑惑の目で見られていた時代に、鷹山は数人の家臣を日本最初の著名な蘭方医、杉田玄白のもとに派遣して新しい医術を学ばせました。それが一旦皇漢医学に勝ると分かると、どんな医療機器をも費用を惜しまず可能な限り入手し、医学校に於いて教育と実習とに自由に使わせました。北日本の一山間地に西洋医学が一般の間に取り入れられていたのでした。69
  • 「伍十組合の令」は鷹山の理想国家を誠によく物語っている。五人組は同一家族のように、十人組は親類のように、同一村の者は友人のように、五カ村組合の者は真の隣人同士、たがいに助け合い、怠らずに親切を尽くせ。善を勧め、悪を戒め、倹約を推進し、贅沢をつつしみ、そうして天職に精励させることが、組合を作らせる目的である。69~71

人となり

  • 鷹山の率直で高潔な人格が、もっとも明らかに見られるのは、その家庭と家族関係であります。鷹山の家庭観は、実に立派でした。聖人のいう「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を統治できる」との言葉を文字どおり実行しました。74
  • 当然、鷹山はやさしい父で、自分の子供の教育にはたゆまず努めました。鷹山の子供の育て方をみるために、孫娘たちに与えた手紙の中からここに一通を紹介しましょう。その手紙は、夫と江戸で生活するために、両親の屋敷を出ようとする年長の孫娘に与えたものです。75
  • 人は三つの恩義を受けて育つ。親と師と君である。それぞれ恩義はきわまりないが、とりわけ他に勝るは親の恩である。この身体が親の一部であることを決して忘れてはならない。親に仕える時には、偽りない心でふるまうようにせよ。
  • 年若い女性である以上、着物のことに心が捉われやすいのは当然である。しかし教えられた倹約の習慣を忘れるではない。養蚕をはじめ女の仕事に励み、同時に和歌や歌書に接して心を磨くがよい。すべての学問の目的は徳を修めることに通じている。
  • 夫の両親には、くれぐれも孝養を尽くさなくてはならない。真心こめて主であり夫でもある人につかえて繁栄の限りないこと、わが娘が、その生まれた国にふさわしい貞淑な女性として仰がれることを祈る。

 

■実践会感想文・

失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ

  • 「代表的日本人」の中で印象に残ったのは、『上杉鷹山』と『二宮尊徳』でした。二人に共通するところは自らが手本となり、民と共に痛みを分け、私利私欲でなく常に与え教え、自立した人を育てるという精神でありました。特に二宮尊徳が時間を最大限活用して学んでいた姿を思うと、今回の近況報告で「忙しく時間がない」と嘆いていた自分が恥ずかしくなりました。

今回の「代表的日本人」の中で、共通して感じたことは、道徳(理念)をもとに自らの力でやり切る、やり続けることです。そして、今起きていることは全て天から与えられたもので、天に従い、そして自らの力で切り拓いていくというと改めて感じました。Y氏

■逆境練機 転原自在

  • この本は日本人であれば誰もが持っている道徳観や倫理観を、現代の日本人に改めて教えてくれる一冊だったのではないかと感じました。共通していると感じたのは皆、「逆境練機」の言葉にある通り、人生で大なり小なりの逆境を経験し、その経験を下地にして人間性を磨き、その後の人生に活かしていることでした。

またリーダー的な存在として何事も率先垂範で、自ら実践するという姿勢も自らに照らし合わせて学ぶべきところが多くありました。17年前に会社が経営難にあり、そこからS先生の指導で経営改革をした際に取り組んだ様々な固定費の削減を思い出し、自分にとって経営の原点であることを再確認することが出来ました。

一冊を通じて、全ての事例が和道経営に通じるものがあり、経営者として自分を見直し、襟を正す機会になりました。S氏

 

  • 今回の代表的日本人に選ばれた方々の共通点を感じたのは、「徳を積む、道徳心を育む、利他的精神」が根底にあるということ、そこから「自立支援」を行い「地域貢献、社会発展」に繋がるのではないか。「道徳力」と「経済力」が養われる先に「理念」がある、ということは我々の学びと共通する点でした。F氏

 

  • 今回の理念実践会は一人一人が深く考える会でした。社長として自らが恥じる事のない生き方を振り返り実践し、人生理念・企業理念に添っていきることです。東京オリンピックの感想文の和談のなかで、パラリンピックの父・ルートヴィヒ・グットマン医師の言葉「失ったものを数えるな、残されたもの最大限に生かせ」という言葉を知りました。競技に参加する選手の果敢に挑戦する姿勢をみて思わず何度か涙があふれてきました。人間には決意次第で不可能はないと代表的日本人と共通する姿勢に敬服しました。

脳力開発167号/理念の時代を生きる167号

脳力開発167・新・階級闘争論・門田隆将

第四章 司法は国民の敵か味方か  山本氏

偽善に満ちた最高裁判決

  • 婚外子相続格差違憲判断で大法廷に揃った14人の最高裁判事が全員一致で違憲と

し。大手新聞が一紙の例外なくこの判決を支持した。決定理由で日本社会は法律婚制

度が定着居ているが家族の形態は多様化していると指摘。今回の判決は法律婚でなく

事実婚が促進される歴史的なものになる。現在の日本の婚外子は2・2%、ゆくゆく

欧米並みになる恐れがある。それが平等というのなら日本の伝統や家族というものは破壊される。148

日弁連と死刑制度

  1. 内閣府調査(2014年)では、死刑存続支持が3%で、国民の圧倒的多数が存続を望んでいることがわかる。この数字は何を意味しているだろうか。P151
  2. 命を絶たれた犠牲者とその遺族の無念の思いが、多くの国民に理解されている証拠ではないかと、私は思う。人間にとって、命ほど大切なものはない。死刑廃止派は、だからこそ、国家の殺人を認めないと言い、存続派は、その最も大切な命を奪った者は、最高の命をもって償うしかない、と言う。P152
  3. 光市母子殺害裁判の一審(山口地裁)で犯人に無期懲役判決が下った時の遺族・本村洋さんの会見での言葉が忘れられない。愛する妻子を惨殺された、まだ二十四歳の本村さんはこう語った。「司法に絶望しました。控訴、上告は望まない。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します。判決の瞬間、僕は司法にも、犯人にも負けたと思いました。僕は、妻と子を守れず、仇を取ることもできない。僕は無力です」P153
  4. 本村さんはその八年後、最高裁で差し戻された控訴審で、犯人への逆転の死刑判決が下された時、私にこう語ってくれた。「死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在している制度だと思います。残虐な犯人を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではありません」P153

 

第五章 緊迫する世界と平和ボケ日本  谷口氏

中国「国家資本主義」の威力

  • 中国を「共産主義国家」と認識するのは、”半分”は当たっているが、”半分”は間違っている。人民に対する抑圧や強権政治は、まさに中国の真骨頂だが、その絶対的な権力が、あらゆる開発や発展のために使われるとしたら、これほど強固な国家はない。それが、「国家資本主義」である。p187
  • (中国で)贅沢に着飾り、高級車を乗りまわし、食欲に「富」を求めていく人民が増えれば増えるほど、石油も天然ガスも、そして様々な食材も、すべてが「不足」していく。それが、さらなる資源獲得を目的とする「力による現状変更」を促進させるだろう。中国の”富裕化”は周辺国との領土・領海の摩擦の上でしか成り立たないものだからだ。p188

刻々と近づく「尖閣の悪夢」

  • 中国に「戦争を起こさせない」ための法整備を逆に「戦争法案」、あるいは「憲法違反」などという人々が国会周辺に集まり、これに反対したことは、実に興味深かった、日本には、「現実」に目を向けず、いつまで経っても「空想的平和主義」から抜け出せない人がいかに多いかを物語っている。p192
  • 中国に二の足を踏ませているのは、「米軍の存在」だけである。私たち日本人は東シナ海の「現実」と、自国の領土を守るということはどういうことなのか、その「意味」を突きつけられているのである。p193

 

第六章 妄想する韓国・戦う台湾  朝倉氏

新たな日韓関係に踏み出した「意義」

  1. 2015年2月16日、財務省が日本と韓国との「通貨交換(スワップ)協定」を2月23日の期限切れとともに「終了する」と正式に発表したことだ。期限切れとなる額は、「百億ドル」というから、一兆二千億円近くにもなる。私は日本が韓国に対して、今までとは違う姿勢をとっていく事を実感した。216
  2. 「日本は脅せば頭も下げるし、カネも出す」長きにわたって、日本外交はそう揶揄(やゆ)さて、実際に韓国は日本に対して友好とは程遠い態度をとり続けた。だが今回、安倍政権は、これまでとは違う「対韓外交」にはっきり踏み出したのである。P.219

崩壊迫る「文在寅政権」が取り憑かれた幻想

  1. 文氏は一体、何を目指しているのか。彼の本音が垣間見れたのは、先の光復節での演説だ。「遅くとも2045年までに南北統一を成し遂げ、朝鮮半島に八千万人の単一市場を誕生させ、経済規模でトップ6入りする」という希望を語っている。230

台湾の「中国化」を阻止した香港からの檄(げき)

  1. 統一地方選大敗の衝撃が冷めやらぬ2019年1月2日、中国の習近平国家主席は台湾に対して香港と同じ「一国二制度」を受け入れるように迫った。蔡英文は即座に会見を開き一国二制度受け入れを拒否。これで人気低迷の蔡の支持は8ポイント上昇。247
  2. 日華断交後四十八年を経て未だ「日台基本法」さえつくれない日本の国会。激動のアジア情勢の中で、日本が毅然(きぜん)とした姿勢を取り戻す事が出来るか否かは、私たち国民の「声」にかかっている。253

 

 

理念の時代を生きる・山への憧憬

山に登り始めたのは子供のころだが、登山として幼なじみの友人のお父さんにつれて行ってもらったのが、那岐山という山だった。1255米ある。大学時代男性合唱の指揮者のとき 合唱組曲山に祈る を演奏した。八方尾根の麓白馬村に一カ月滞在して山を歩いた、その後、登山再開は社会人になり東京に転勤、ストレス解消で登り始めた。毎週登った、小説はもっぱら新田次郎を愛読していた。

子供たちと登る

そのころは北アルプスや関東近郊の山を日帰りで登っていた。小学生の子供たちを無理やり同行して登った。関東近郊では比較的高い雲取山に一泊の予定で登った。子供たちは嫌がっていたが。お正月も登った。

孫たちと山に登る

長男に孫が生まれて、夏休みに小学生たちを集めて合宿をするスケジュールに水泳と登山も組み入れた。その孫が今年大学生になったのだから、12年ほど前に登山を再開したことになる。最初は筑波山だった。私が大汗をかきながら遅れて最後になったら孫に笑われた。その孫が今年大学生になった。

2007年シャングリラ・梅里雪山

小説「失われた地平線」を何度も読み、幼なじみが既に訪ねた中国雲南省の梅里雪山の情報を知り少数民族を訪ねる旅のついでだったが、シャングリラ飛行場で会ったガイドに相談して標高4000米までパジェロで登った。酸素ボンベを持った旅だった。

2008年アルプスを訪ねた。

新田次郎の「アルプスの谷、アルプスの村」を読み、そして新田次郎の死後クライネシャディックに彼の碑があるのを知って、訪ねた。「アルプスを愛した日本の作家新田次郎ここに眠る」と記してあった。五年後にも再度訪ねた。

2012年ヒマラヤを遠望する

2012年にネパールを訪ね、ヒマラヤ遠望した。その時知人の紹介でネパール在住の高久多美子さんにお会いして翌年2013年も12月にネパールを訪ねエベレストを近くで見る登山を企画した。出発前、膝を痛めた善子ともどもマナスルを遠望する旅に変更した。彼女は馬に乗って登山した。高山病に苦しみながら3600米あたりまで登った。1週間の旅だった。山小屋では世界から訪ねてきている山好きの人達に日本の歌を教えてあげた。

2013年スイス再訪

氷河特急でスイスの山々を眺めながら訪ねた。11日の旅をした。アイガ  北壁を眺めながら日本人でマナスルを初登頂した槙有恒氏懇意なガイドの宿に泊まった。マッター ホルン、モンテローザ、メンヒを眺め春のトレッキングを楽しんだ。

2013年古希の記念に富士山

年の初めに研修先の若い青年に、先生古希の記念に富士山に登りましょうと声をかけられた。それを切っ掛けのノルディック・ウォーキングの時に2~3キロのアンクルウェイトをつけて三浦雄一郎ばりに歩いた。妻は毎日スクワットを50回繰り返していた。友人や若い人たちを誘って7名で登った。善子は「富士山は登るものではない遠くから見るものだ」と言っている。

70歳からの登山

富士山に一緒に登った鯖江の宇野さんと古澤さんと毎年一回は登ることにした。翌年は白山、その翌年は立山、乗鞍岳、西穂独標とつづけ、一昨年は上高地を歩いた。昨年は木曽駒ヶ岳を企画していたが古澤君の都合がつかず宇野さんと二人夜叉が岳に登り、帰り道に車の中で熊に遭遇した。

今年の計画は木曽駒ヶ岳

今年の予定は木曽駒ヶ岳だ。3000米に近い。5月に近くの  宝篋山(ほうきょうさん)461米に登った。登りはなんとか善子について登れるが下りは脚が笑う。善子はそんな様子で夏の登山は大丈夫なのか?と危ぶんでいる。本人が一番自覚している。

このころから登山の記録を残すYAMAPを使い始めた。毎週PNFといって間接や身体のメンテナッスをしていただいている先生に何とか山に登る脚を鍛える方法はないかと聞いたら、山の脚は山に登って鍛えるしかないと言われた。確かにそうだ。何とか楽をして登ろうと思ったのがずうずうしい。以後5月から6月にかけて二週間に一度宝篋山に登ることにした。2回目3回目と登るに従い下りの脚が耐えられるようになった。

6月末尾瀬沼を歩いた

檜枝岐を訪れたと機会に尾瀬沼から尾瀬湿原を歩いた。尾瀬沼では午後から雨にあったが、何とか19キロの道を歩くことが出来た。妻は雨の木道で何度も滑り、大変だったが何とか歩き通した。妻から「お父さんは脚は随分鍛えた」と褒めてくれた。

登山予定の一週間前一人で宝篋山に登った。結果として最短の時間で上り下りできた。すこし自信が着いた。そしていよいよ木曽駒ヶ岳に登る日が訪れた。

木曽駒ヶ岳登山

千畳敷カールを7時50分に出発した。乗り越え浄土までの標準時間は60分だがYAMAPでの記録は1時間27分。予定より30分超過。中岳をへて木曽駒ヶ岳まで40分をおよそ35分得程度で到着した。登頂10時26分。2時間36分。頂上で楽しんだあと11時14分下山開始、千畳敷ロープウエイ駅13時23分に到着した。

登りの難所は乗り越え浄土のガレ場の登りだった。酸素が少ないのかスムースには脚が運ばなかった。富士登山を思いだした。下りもガレ場はしんどかった。千畳敷カールの高山植物は慰めになった。

日頃から山を歩く

今回の登山で振りかえると日頃高い低いは関係なく、山を歩くことだ。そして目標を設定して少しずつでも努力工夫をしていたお蔭だと感じた。同行したムラケンの宇野氏は今年還暦、糖尿でここ2年不調だった。しかし、奥さんの本格的な協力と部下の支援、本人の努力で往年の体力を取り戻しつつある。彼も登山前に私同様近くの山で何度もトレーニグをした。

新たな目標宣言

こまくさの湯につかり湯上がりのビールを楽しみながら、来年は宇野氏と二人で二月、四~五月、夏に登ろうと話をした。できれば年初の替わりに秋かとも思っているが。ここで勉強仲間を含めて宣言することで私も体力維持に一層励みたい。無理をするつもりはないが、これからの人生の基本になるのは体力と気力だ。

 

 

 

自然に親しむことの効用

この機会に山の思い出を振り返った。結局自然に親しむには山が一番私にはあっているようだ。研修所を建てるときも林の中を選択し、此方にきてから一度も病気をしていない。妻と私も現在薬も全く飲んでいない。25年間、自然の中で暮らすことの効果に浸っている。願わくばこの身についているノルディック・ウォーキング、水泳と近くの山登りの習慣を可能な限り継続したい。

自然へのあこがれ・読書

5月中旬から読んだ本の一部をランダムに上げる。自然に関わる書籍、山、川、冒険、会社の理念など。坂本直行(北大・山岳部創設し卒業後北海道の原野で牧場を開拓し山や花々を描いた。六花亭の挿絵を描く)原野から見た山、私の草木漫筆、はるかなるヒマラヤ、野田知佑、ナイル川を下ってみないか、新田次郎、山の歳時記、スノーピーク経営者山井太、スノーピーク「好きなことだけ!」を仕事にする会社、辰野勇モンベルの原点・山の美、モンベル7つの決断、自然に生きる、軌跡。すべて面白く元気がでる。

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その二 理念実践会・日本人論・渡部昇一

日本人論 ~日本人だけが持つ強みとは何か~        

八月理念実践会半年ぶりに堺からS氏が参加して三名が茨城に集いました。久しぶりの前夜祭で高崎から参加のY氏持参の無農薬ワインで乾杯し話も弾みます。S氏は高一の次女と小六の三女と今回西穂独標2701米に登ったそうだ。

 翌日ZOOMで七名参加して一〇名での会。テーマは福島原発一〇年の視察記と日本人論だった。実業の世界では三現主義(現実・現場・現物)は常識だが、メディアの世界はこの三現主義は全く無視されている。福島の現場に行って現状をみればわかることだが、福島第一原発の構内は96%が既に通常の服装で作業ができる。

廃炉作業に励む2011年当時から新入社員も東電の人達も真剣に働いて10年経った。4月現在でメディア関係の人達もしっかりと現地に足を運んで、現場をみている人達は少ない。風評や主観的な感想を書いているメディアや評論家が日本人に事実を伝えていないことがわかる。

今回日本人論・渡部昇一を取り上げたのも、今も変わらず戦後のGHQの軛から抜け出せない日本を考えてみるための作業でもある。日本人はメディア(新聞・テレビの情報)を妄信する傾向にある。今のメディア(新聞・テレビの情報)には三現主義はない

 

序章 日本人が決して失ってはいけないもの

敗戦後、アメリカは日本の歴史を抹殺しようとした

  • アメリカは日本の占領政策として、日本という国の歴史を抹殺しようとした。日本人から、日本人としての誇りを根こそぎ奪うことが、当時彼らの最大で根本的な方針だったのである。P16
  • この草案作りに加わった人々の中に、のちに、新聞社や放送局の代表になった人物たちがいた。ジャーナリズムもまた、日本の歴史や皇室に反感、あるいは少なくとも好意をもたなかった人々に席捲された。日本の精神に大きな影響を及ぼした元凶がここにあり、それこそが日本の危機の根幹だと私は考えているのである。P20

日本人がいかに悪かったかを認識させるためだった東京裁判

  • パルは、前出のように、東京裁判で全員無罪を主張した判事である。彼は、東京裁判で有罪の根拠とされた共同謀議を否定し、人道に反する罪に関しても、むしろ原爆を落とした側にこそ、ナチスとユダヤ人虐殺に匹敵する罪があると主張した。P23

日本は、一国だけで一つの文明圏を成す存在である

  • 我々は、それを見事に和風に作り上げ、日本独自のものを作り上げた。漢字仮名交じりの文章を書く民族はいないし、神社と寺が見事に共存している国家も他にはいないのである。そして日本文明の中核には、神話時代から切れていない皇室があり、神社がある。P34
  • アメリカの「日本を無力化する」占領政策は成功し、いまだに日本を骨抜き国家のままにする効果を維持している。戦後の平和と繁栄で麻痺した日本人が、強く想起すべき、決して侮ってはならない事実なのだ。アメリカも日本の弱体状態を歓迎する傾向がある。アメリカの新聞記者には、戦争直後の占領軍民政局のような思想の持ち主が少なくないのだ。38

日本だけが持っている「強み」とは何か?

  • 「仕事の最大の報酬は仕事だよ」つまりいい仕事をすれば、次にまた仕事が入ってくる、それでまたいい仕事ができる。金や地位は後からついてくる。P49
  • 戦前の日本で成功した人は「人もよかれ、我もよかれ。我は人よりちょっとよかれ」と表現しているが、この考え方こそ、日本人独特の「強み」なのである。この力を使わない手はない。P50
  • それはおそらく神話時代に、天孫降臨の詔勅といわれるものにすでに示されてい豊かな四季に恵まれた日本と神話時代から続いている皇室を持つ国民ならではの知恵であろう。自然や人や他国と対立せず、拒否せず、排除もせず、それを受け入れて自分の中になじむように収めてしまう知恵が養われた。52
  • すべてを受容するというこの知恵は、日本人の体質になっている。すなわち。それが日本人の「強み」なのである。P52