脳力開発164号 福島原発視察記・続編
先月の森のフォーチャに福島原発視察記を掲載し、感想をお願いした。何人かの方が感想を下さった。友人から以下のような感想を起点にして今月も福島原発の現状を考えてみたい。
M氏の感想
「福島原発視察記」は物の考え方や判断に関して私自身反省すべき視点が多々ありました。
「汚染水処理問題」に関してチェルノブイリ他の原発事故の怖さの先入意識もあり根拠の乏しい情緒的判断で危険性を感じていましたが、下記反省点があります。
①原発=危険の発想がすべてで、科学的視点からリスク予防の見方が全くなかった。
②中国や韓国の批判は政治的発言であてにならないが、地元漁民が風評被害を心配して 反対しているのは、やはりリスクは消えていないとの見方をしていましたが、真実を知るには現場・現実・現物の3現主義が大切であることが良くわかりました。
③マスコミ等の影響を受け風評が広まるのは現実問題として避けられませんが、 風評リスクを排除するには真実を見抜く力と根気良く説得することの大切さを感じました。
④それから逆境から立ち上がり前向きな発想で逞しく生きる人々の紹介は眩しく映り 感動的でした。
Y・M氏の感想
福島体験記を読ませていただきました。大半の部分が防護服無しで作業が出来るまでになっているとは驚きです。汚染水の問題は難しいですね。このまま放置も出来ませんし・・・。薄めて海に流すというのが今とれる最善の措置のようには思いますが、多分、国民の多くが抱いているものは私と同じではないでしょうか?
それが風評被害の元にもなるように思います。つまり、政府の言うことが信用できないということなのです。今までの政府のしてきたことや国会答弁等を見ますと、ごまかしと逃げばかりだからです。今の政府や官僚の人達は、保身が第一としか思えません。総理は自分の人気ばかり気にしていますし・・・。ということで、黒田さんのような誠実な方の生の体験談というのは、有難いです。ありがとうございました。
■福島原発・風評被害の原因はなにか
お二人の感想に共通して風評被害のことが上げられる。今回の視察を通じて私自身も過去一般的な日本人として福島を見てきたこと、そして風評被害や政府の対応、福島原発その後に関する情報について真摯に探究を続けきたとは言えない。
- 2012年門田隆将氏の「死の渕を見た男 吉田昌男と福島第一原発の五〇〇日」を読んだ。2011年以来の福島原発の報道の中の真実の一端に触れたと思った。(私の住んでいる茨城県も東日本大震災と福島原発事故は正に被害者であった。)
朝日新聞の虚偽報道と木村社長の辞任
- 2014年5月朝日新聞は政府事故調査の聴取に応じた「吉田調書(聴取結果書」を入手し、所員の9割りが吉田所長の命令に違反して撤退した)と報道したということに対し、誤報であるとブログで主張した。一方朝日新聞は門田隆将氏の論評に対して「訂正謝罪」の要求と「法的措置を検討する」との抗議文を複数回送付したが、9月11日、朝日新聞の木村伊量社長が記者会見を開き、「吉田調書」記事を全面撤回し謝罪し併せて慰安婦問題を撤回し、辞任した。
- 2020年には福島原発の当時の現場は「Fukushima50」として映画がされ第一原発の所員たちの決死的な行動が描かれ多くの日本人に感動を与えた。
- 2015年5月福島訪問
前月にも書いたが、福島出身の根本鎮郎氏は2011年からふるさと復興のためという思いから、放射能汚染を自然界の力で何とか低減できないか?竹と微生物で放射能を低減できるのではないか?というテーマで「うつくしま、福島福幸プロジェクト」をスタートさせ3月11日直後から、ふるさとの福島に毎月のように通い、竹パウダーやミネラル類、微生物等で放射能汚染された土壌の改良を施している。その彼に案内して頂き、震災後の福島の現場を一泊二日で案内していただいた。震災後帰宅困難地域に追い込まれた被害者、一方で補償があることによって起きてくる様々な問題をお聞きした。原発事故で崩壊したコミュニティーの実態、逆境から立ち上がる人達にもお会いしてきた。
- 2021年4月10年経過した福島を訪ね、第一原発の現場を巡り処理水について野現状を報告した。
■福島原発・処理水の処理トリチウムの問題
バスで巡ったあと、再び説明会場に戻り「トリチウム」の処理した現物を見ながらまとめをきいた。丁度私達がうかがった日は政府が処理水の処理について政治的決断を翌日に控えていた。13日、2年後を目処に処理水として放水する決定を政府はした。韓国中国は早速ハンタイを表明してきた。国内からも漁業関係者は放水反対を表明している。風評被害がその一番の要因だが。立憲民主党が民主党として政権にいたときに起きた福島原発水素爆発事故がおき、その対応をしてきたのが当時の政権の担当者細野豪志氏だった。
■UNSCEAR2013報告書・国連総会報告書のポイント
まず、UNSCEAR2013報告書・国連総会報告書、2011年東日本大震災後の放射線被曝レベルと影響等の調査報告を見ておく。
- 福島第一原発から大気中に放出された放射性物質の総量は、チェルノブイリ原発事故の約1/5(放射性セシウム)である。
- 避難により住民の被爆線量は約1/10に軽減された。但し避難による避難関連死や精神衛生上・社会福祉上マイナスの影響もあった。
- これまで住民と作業者に観察された最も重要な健康影響は精神衛生と社会衛生に関するものと考えられる。
- 甲状腺被爆量はチェルノブイリ原発事故後の周辺住民よりかなり低い。
- 子供の甲状腺がんがチェルノブイリ原発事故後に報告されたように大幅に増える可能性を考える必要はない。
- 県民健康調査における子供の甲状腺検査について集中検診で異状発見が予測される。
- 不妊や胎児への影響は観測されていない。白血病、乳がん、固形がんの増加は今後も考えられない。
- 全ての遺伝的影響は予測されない。
■汚染水と処理水の違いと現状
原発事故以来、汚染水を多核除去設備ALPSで処理してタンクに保管している。この処理水を放出前にさらにALPSで二次処理し、海水で薄め放射性物資の濃度を飲料水よりも低いレベルまで引き下げるという計画が菅総理から発表された。
私達は4月12日福島原発を訪ね、現場を視察しかつトリチュウムの処理行程を見てきた。メディアもテレビも汚染水と処理水の違いを正確に伝えていない。
- 今回も中国・韓国もそし共産党、立憲民主党など野党も声を上げて4月13日の政府決定に反対を表明している。と同時に福島の漁業関係者も反対を表明した。
図参照 写真 ALPSの構造
各国の比較
▲福島の処理水はフランスの再処理施設の年間放出量の1/14
▲福島のタンクに貯蔵されている処理水のトリチュウムの総量は1000兆ベクレル
▲フランスのラ・アーグ再処理施設で1年間で排出されるトリチュウムは年間18500兆ベクレル(福島のトリチュウム総量の約10倍以上を毎年放出している。
▲韓国の月城原発の海洋放出は17兆ベクレル、気体放出119兆ベクレル。
▲東京電力が提案する方法は仮に30年として33兆/年×30年)になるから韓国の排出量を下回る。
■メディアはいかに情報を歪曲して伝えてきたか
- 多くのメディアや言論人は上記のような情報を積極的に伝えなかった。反対にテレビ朝日報道ステ-ションは福島で被爆の影響により甲状腺ガンが多発しているかのような情報を数年にわたり執拗に繰り返している。これに対し環境庁から異例の注意情報が発信された。しかしこれに対しても馬耳東風な対応だ。
- テレビ朝日は2017年8月6日の特別番組予告時点で「ビキニ事件63年目の真実」フクシマの未来予想図というタイトルをつけた。批判を受け一部改変。実祭の内容も情報工作、隠蔽、陰謀、人体実験というキーワードで強調、推測やしょうげんを続け科学的根拠の裏取りもしない。レポ-タ-も感情的に訴えた。汚染や健康被害の度合いに関するデ-タ-も提示しない。
- 処理水に対しても正しく事実を伝えない。2018年9月、朝日新聞は「東電、汚染水処理ずさん、基準値超え、指摘受けるまで未発表」、「汚染水の8割超が基準値を超えていた。東京五輪に、向けて問題を矮小化してきた。汚染水と処理水を敢えて混同している」と伝えている。
- 報道機関は示し合わせたかのように福島の事実を伝えることを避けている。
2019年2月、復興庁が「福島の今」を伝える目的で制作したCMを全国で数多くのテレビ局から放送を拒否された。さきにあげたUNSCEAR報告書に基づいた上でCMをしかたなく当たり障りのないCMに改変。多くのテレビ局は&復興は終わらず避難者はまだいる。そうした人達に配慮したなどの理由を上げ放送拒否。最終的に改変したCMですら放送したテレビ局は3割にすぎない。
■10年経て野党・メディアの偽善が明らかに
先日の菅総理が海洋放出の言及に対しSNSの反応は「処理不可能な汚染水をそのまま垂れ流し、海水汚染と放射能による健康被害が新たに発生する」と喧伝した。いわば非科学的なデマと風説の流布をしている。発言者は共産党、立憲民主党、社民党、れいわ新撰組支持者とシンパが中心だ。
この10年間野党も主要メディアも処理水問題に限らず科学的な事実を伝えることを意識的に避け、福島への誤解や誹謗中傷を許してきた。彼等は真に風評を懸念し解決を望んではいない。
- 共産党の偽善・無視される立地自治体の声
共産党は次のように言う。多くの県民は拙速に海洋放出を望んでいない。汚染水は(実際は処理水というのが正確な表現) 放出せず当面地上保管を継続し、世界の叡知を集め処分方法を検討し、住民・国民やあらゆる関係者と協議し合意の上で決論を出すべきだ。
実は双葉町、大熊町の町長を含め$地上保管継続に反対している。
- 漁業者が放出に反対する理由
科学的安全性を長年調べ続けた漁業者の多数にとって初歩的な常識だ。しかし県外の人は違う。風評は県外の人達の理解の問題だ。理解と協力は本来地元の人達ではない。処理水の安全性の周知は政治的な決断や責任は本来政治の仕事だ。しかし行政はこれまで地元の理解と協力ばかり求めてきた。この状況の中で地元が放出を容認すれば政治的決断に関わったと見なされ地元は活動家とそのシンパから総攻撃の矢面に立たされる。風評の自業自得と扱われ、行政も逃げていくだろう。その事を恐れている。
■科学が風評に負けるわけにはいかない。処理水の海洋放出を実行すべき
事故当時の責任者であった細野氏は原発事故直後、線量の高い水が海に流れ出るのを止めることができず世界から厳しい批判にさらされた。現在、処理水は当時とは全く比較にならない。福島の県民世論は依然として厳しいが伊澤双葉町長は「危険なものだから、そこに置いているという新たな風評被害つながる」吉田大熊町長は「また大地震があった場合、タンクがひっくりかえって流れだす被害も心配。住民帰還の足かせになる」と発言している。楢葉町の議会も処理方法の早期決定を求める決議が採択されている。
■三現主義
現場、現実、現物を見ることが問題の核心に迫ることができる。メディアも各種活動家も政治家も10年経過した福島原発は勿論、福島県を訪ね住民と話しているのかと疑う。
私達が見た構内の視察をしているか、疑わしい。広報課の人の話によるがまだ6万人程度の人しか視察していない。
福島県を訪ね、ひたすら現状に目を向け耳を傾け、福島原発で働いている人達の姿を目にすれば、2011年当時とは明らかに異なる姿を見ることができる。構内では96%の人達が一般作業着で仕事をしている。メディアも政治家も評論家も現地の情報に基づいて現在発言しているとは言えない。刻々と変化している。
- 何故、漁業関係者が処理水(汚染水を何段階もの多核除去設備ALPSで処理している)の放出に反対するのかという理由は、10年間福島をフクシマと置き換えていじめ抜かれた結果、たとえ処理水であっても、国際機関の判断に合格していてもまた、繰り返される福島への風評被害が恐ろしいからだ。
★今回、科学的な判断に対しても感情的に非難する中国・韓国のみならず、日本のメディア、野党、活動家、進歩的文化人の姿が浮かび上がると同時に国内外にキチンと情報を伝え反論をしない政府にも大いに問題がある。戦後75年経っても平和に慣れて国民として、国家として危機感を持たない日本を来月号から改めて振りかえって見ることにする。(悦司)
理念の時代を生きる 164号
カンボジアに生きる・日本語教育に情熱を燃やす松岡秀司氏
2007年12月、妻とカンボジア・シェムリアップを訪ねた。その旅の泊まったホテルで一人の青年に会った。立ち話でカンボジアに移って間もない様子。滞在中、彼の知っている日本料理屋で会食をした。当時二八才。公務員をやめて、日本語教師としてカンボジアに暮らし始めて間もない。並行してホテルのマネージャー見習いの様なことをやっているという。その後、何か縁を感じてメールでコンタクトを続けていた。
現地の女性と結婚
翌年、2008年春の頃だったか、突然彼から電話が掛かってきた。今、日本にいる、結婚式で日本に帰って来たという。ふと気になり、「相手の人は日本人ですよね」と問うと、「カンボジアの人だ」という。カンボジアに行って間がないのに現地の人と結婚するという。驚きながら、すごい決断をする人だと見直した。その後、大学の理事長が、ホテルのオーナーをしていたこともあり、2008年9月ホテルのゼネラルマネージャーとして就任したという知らせが入った。
カンボジア再訪
2009年7月、大和信春先生たち経営進化学院で講師をしている人達とソーシアルビジネスの関連で活躍しているNPOかものはしのカンボジアの工場とベンチャー企業としてアンコール・クッキーで成功している女性経営者、そしてIKTT(クメール伝統織物研究所・森本喜久男氏)を訪ねる旅を企画した。最終日、彼の関係するアンコール大学日本語教室で大和先生に「欲と志」について話をしてもらった。
IAT研修
その年の暮れ12月三度目のシェムリアップを妻と訪ねた。彼はホテルのマネージャーとして再建に尽力し、軌道に乗せる。その様子をいろいろ聞きながら、情報統合技術を用いて問題解決IATのテキストを使って、具体的に指導する。大局把握から彼が置かれている現状を把握し、近々の将来を予測し、その上で方針を設定する。帰国後、事態は予想した厳しい方向で進む。
幾多の難関
2010年1月にはホテルの業務から決別する。しかし、ゼネラルマネージャーの職を解かれることは、収入が半減することになる。大学に専念できるとはいえ、生活の建て直しを図らなくてはならない。我が身に置き換えて考えれば、生半可なことではない。その中にあって、彼は日本語の小学生を対象にした指導方法を研究し、その優れた教材を出版することも考える。その過程で個人的に資金的支援も考えたが、会社を設立して出版をするには、構想も検討の余地があり、課題も多い。奮闘は続いた。その過程で、いよいよ彼の決心覚悟が固まったようだった。一年前と顔つきが変わっていた。
2010年12月4度目の訪問
大和先生と四人の社長に、彼のカンボジアを最初に訪ねた2003年大学卒業旅行からの今日までの概略の履歴を1時間ほど話してもらった。ある社長は「これは凄い」と彼の話に共感していた。
道を開く
同行した人達が帰国し、私達は一晩延泊した。翌日早朝、シェムリアップを去る日に、彼は律儀にも空港まで見送りに来てくれた。4年前、そして昨年来の苦境の中で、確実に成長した彼の生きる姿勢を見ることができた。これから一層たくましくこの地で生きていくだろうと確信がもてた。会ってから4年、一人の青年が日本での職を投げ打って、カンボジアに渡り、かの国の風習、文化と苦闘しながら、日本語教育を通じて貢献しようとしている。現地の女性と結婚し、子供を授かりこの地に骨を埋めようとしている。その志は高い。
「モニサラボン・ディバドン賞」を受ける
この間2009年8月には、カンボジア教育大臣よりアンロンペンでの小学校支援に対して勲章を受けている。その数日後、ノロドム・シハモニ国王より、外国人に対する最高勲章「モニサラボン・ディバドン賞」を受けているという。今回彼に、今日までの自分史をまとめるように勧めている。早速2007年カンボジアに渡ってからの苦闘の日々を綴って送ってくれた。2007年以前も引き続きまとめてくれるはずだ。今30歳半ば。こういう青年を応援せずして誰を応援するのかと同行した社長たちに伝えた。いずれ、又みなさんに詳しく伝える日が来るのを楽しみにしている。(2010年12月悦司)
あれから11年
以後11年経った。毎年経過を報告してくれた。詳細は省くが日本からの支援者も増えた。かつカンボジアでの日本人との交流、カンボジアの学生の日本への派遣など、交流を進めている。その後18年からはミャンマーでも教材開発を行い、その効果を実証した。「今後は中東、アフリカでも教材を開発し、皆で楽しく学べる教材『世界教科書』を届けたい。そして、世界の教育水準を底上げし、世の中に貢献していきたい。と語っている。
極最近彼のメ-ルでNHKで取り上げられた番組の連絡があった。結婚して生まれたさくら・SAKURAさんももう随分大きくなった。縁のある方に見ていただきたい。
最新の彼の手紙
黒田様 こんにちは。松岡秀司です。相手の立場で考え、本質的な部分を見る様になってから、随分と気持ちの面で余裕が持てるようになりました。自分の意見を押し付けず、かつ相手の意見を尊重しながら、教材を形にしていっています。それでも迷いは出ますが、そんな時は黙って続ける、もしくは何もしない!という選択もできる様になりました。以前は、何もしない事=悪でしたが、ゼロベースで作り出す場合は、創り出す私のエネルギーも十分に高めておく必要があると気が付きました。それ以来、怠惰でない様に慎重にはなっていますが、休んだ方が良い時は休むようにしています。
現在も、ドキュメンタリーで出てきた教材の改良と、その教材を使うもう1歩手前の教材開発に着手しています。これからも正しい事は何かを考え、精進して参ります。
以下、上記の番組のURLを送らせていただきます。
査期間などの時は更新ができませんが、ウェブサイトも更新していますので、
こちらもお時間の許す時にでもご覧いただけますと嬉しいです。
https://www.sensei-gem.com/
今年は、こちらのウェブサイトをプラットフォームとしてさらに活用して、物ベースにデジタル分野の要素を取り込む研究もその幅を広げていければと、あーでもない、こーでもないと毎日考えています。デジタル分野は必要ですが、それでもそこに辿り着けない子供や保護者がいるのも事実です。その人達を見殺しにしない為にも、物ベースでの可能性をさらに追求して、よい研究にしていければと考えています。Shuji MATSUOKA(松岡秀司)