脳力開発126号・沖縄問題を考える
先月から沖縄問題を考えることにした。関連書籍を読み始めているが、その関係は複雑で容易に判断することはできない。まずは考える構造を想定した。図のように考えてみたい。
第一回目は、ここ数年私達が見聞きしていることを、時系列に辿ってみた。テーマに関しての詳細はこれから踏み込んでいきたいと考えているが、概略の流れを辿っておきたい。
今年私が沖縄に行った1月中旬、既に名護市の市長選挙が話題になっていた。コンビニで新聞を買いに行くと、沖縄タイムスと琉球新報と僅かに日本経済新聞がおかれていた。ホテルにはいずれにしても沖縄タイムスか琉球新報しかない。旅行者には読むところがない。
新聞でも名護市市長選挙は取り上げられていた。稲嶺進市長(オール沖縄支持)と渡具知武豊氏(自民・公明支援)が争っていたが、結果は3500票の大差を付けて渡具知武豊氏が選ばれオール沖縄が応援した稲嶺氏が大差で破れた。引き続き3月の石垣島での市長選挙も保守分裂選挙となった。保守分裂で革新の勝利も予想されていたようだが、結果として自衛隊配備を推進する中山義隆市長が革新系新人を破り三選された。
■沖縄のメディア
沖縄タイムス、琉球新報 編集方針は同じ
基地に反対する「沖縄県民の戦い」、「沖縄県民の感情」にたいしての日米両政府の無関心
を謳う。沖縄対する数百年の差別を訴える。基地反対派との密接な関係がある。
■沖縄平和運動センター議長・山城博治
1993年2月1日設立、会員数26団体、護憲反安保県民会議と沖縄原水協の統一された原水爆禁止日本国民会議加盟団体。マスコミ労働組合協議会。
■支援団体 社会民主党、自治労、国公労、沖縄県教職員組合、高等学校教職員組合、沖縄社会大衆党、マスコミ労働組合協議会。圏内マスコミへの影響力は強い。
■闘争目標・護憲、反基地、反安保、反自衛隊、反核、原水禁、被爆者支援、部落解放同盟と連携した反差別国際を展開。
活動資金・社民党が中心と言われている。
山城博治議長は2015年2月22日逮捕、映像が米軍から公開される。
■オール沖縄(辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)
普天間飛行場へのオスプレイ配備撤回運動に全市町村が形式上賛同したことに由来する。
2012年9月9日県民大会事務局が取り付けた。会場・宜野湾海浜公園
2014年 沖縄県知事選挙で翁長雄志を支援する仕組みとして具体化する。
革新と辺野古移設反対は保守勢力も参加して統一戦線が結成された
翁長氏は元自民党だったが、辺野古移設反対だった。
2015年 稲嶺進名護市長、市民活動家高里鈴代、呉屋守将金秀グループの三氏が共同代表 シールズ琉球・玉城愛(名桜大四年)も加わった。
辺野古・新基地を造らせないオール沖縄会議
20団体・社会民主党、日本共産党、現・自由党、沖縄社会大衆党、民進党、民進党、沖縄県連、沖縄市議会新風会、県会議おきなわ、沖縄県知事、那覇市長。
辺野古移設反対でも公明党・沖縄県本部、おきなわ維新の会、政党そうぞうはオール沖縄会議には参加していない。
■2014年沖縄県知事選挙
2013年1月28日 オスプレイの配備撤回と普天間移設断念の建白書提出
■自民県連の分裂
2013年12月27日 仲井真弘多知事がそれまでの辺野古移設反対から名護市海面埋め立てを承認した。これを巡り県内の保守勢力や自民党が分裂状態になる。
2014年6月 辺野古移設反対の自民党沖縄県連が翁長市長に出馬要請。前回の仲井支持派の一部も賛同した。
2014年7月22日 社会民主党沖縄県連、日本共産党中央委員会、沖縄社会大衆党、生活の党(現自由党)、県民ネットが翁長雄志に候補を一本化で合意、9月10日本人立候補表明。
2014年11月16日 翁長氏県知事に当選
■その後のオール沖縄の選挙展開
第47回衆議院議員総選挙でオール沖縄は選挙選挙協力、一区共産党、二区社民党(照屋寛徳)三区生活の党玉城デリー、四区無所属仲里利信で候補一本化成功。全員当選。
2016年宜野湾市長選挙 自民推薦の佐喜真淳市長誕生、オール沖縄の初めての負け選挙
■辺野古訴訟における敗北
2016年3月国と件が訴訟取り下げ。7月22日国は翁長知事を提訴する。
2016年12月20日最高裁で県の上告を棄却国が勝訴
2017年宮古島市長選挙 自民・公明支援の下地敏彦現職当選、オール沖縄敗北
2017年浦添市長選挙 自・公推薦の松本哲治氏再選・
■沖縄圏内11市長の内、那覇市、名護市を除く9市長を自民系が継続。
2017年4月23日うるま市長選挙 自・公推薦島袋俊夫氏当選・オール沖縄3連敗
2017年7月9日那覇市議会選挙 オール沖縄18議席、共産党7人現職当選
過半数割れ、翁長市長の息子は当選したが、前議長で翁長側近の金城徹氏は落選。
■第48回衆議院議員総選挙
オール沖縄は前回同様選挙協力したが、四区の辺野古移設反対派の仲里利信が一本化に成功したが、自民党の西銘恒三郎が当選、仲里氏は引退した。
■2018年平成30年の動き
2018年1月22日南城氏長選挙 オール沖縄・65票差で辛勝
2018年2月名護市選挙 自・公推薦の候補が当選、渡具知武豊氏当選。
オール沖縄敗北、近秀グループの呉家守将会長引退、オール沖縄会議の共同代表を辞任
2018年3月11日石垣市長選挙、自・公・維新推薦の現職中山義隆3選、オール沖縄敗北
次号から構想図にしたがって、詳細を検討していきます。(悦司)
理念探究会126号・決心を問う
三十年先を描きそれに向かって歩みを始める
三月中旬三日間にわたって恵那銀の森で幹部研修を行った。社名「銀の森コーポレーション」は七年前に社名変更を行った。その前の社名は「銀しゃり本舗」、お付き合いを始めて丸々二十一年は経つ。「創業の思いと歴史」をまとめたのが二〇〇三年、創業理念と経営理念も数年をかけて私がまとめた。
お付き合い始めた平成八年一九九六年は、敷地数万坪で公園のように広大な敷地を整理し始めたころだった。まだ、小売りは開始していなかった。二〇一一年旧来の敷地の周辺を購入し、地域の発展と食文化の発展に貢献をめざして食のアミューズメントパーク「恵那銀の森」開園した。社名も「銀の森コーポレーション」に変更した。念願であった小売り部門に乗り出した。カリテレモン、みくりや(美栗会)、おくど、五節会、イタリアンレストラン森の食卓とショップ部門とお菓子の第二工場を併設した。その後の展開で「銀の森」ショップ外部出店にもチャレンジしている。ここの店の紹介は省くが、個性のある商品づくりに挑んでいる。
渡辺好作氏は平成十五年開校の次世代型経営者養成塾の第一期生でもある。今、当時の受講生の殆どが社長、もしくは専務の役を務めている。創業社長から交代し社長に就任したのが一昨年。この春で丸二年を迎える。いわば社長の新人である。
昨年から氏は三十年先のビジョンづくりに専念し、十年単位のマイルストーンを建て三十年先に向かって歩み始めている。養成塾の講師を務めて貰ったS田氏の応援もお願いしビジョンも明確になっている。
意志のある同志と協働する
今回の幹部との熟考会で社長同席の上、三日間にわたり検討した。検討を深めるとビジョンに向かって進もうとする人と、消極的な人との姿が浮き彫りになってくる。これは企業に務める人に見られる普通の姿だ。サラリーマン特有の自己保身の姿勢が浮き彫りになってくる。三十年先のビジョンをともに磨き温めながら社長とともに向かう意志を共有できる人間かどうかを、社長ともども見極めなくてはならない。
未来に向かうとき、自己保身を優先させる人間は中核の幹部として信頼はできない。構造改革や現在の組織の壁の突破をめざすときには少しでも自己保身を優先させる幹部は中核におけない。その見極めも初期の段階から留意しなければならない。
今回、会長、社長と三十年来のお付き合いを振り返りながら深い話をしてきた。六月には第一段階のビジョン具体化の合宿をすることを渡辺社長は決めた。未来に向けて積極的に自分のもてる力を発揮するメンバーと進んでいくための応援をしたい。
写真 銀の森全景
鯖江理念探究会の本格スタート
三月十日~十一日と金沢経由で鯖江に入り、いよいよ鯖江理念探究会をスタートさせた。初日は七名、二日目三名。二日間とも出席の三名が正式に発足した理念探究の対象者だ。初日は二年前からMKD道場で開催している理念探究の準備会の対象者でその中から今年三名が本格的に取り組むことを決心した。毎月二日間、私自身の日程で言えば三日間をつかうことになる。結構体力的にもきつい年齢になったが、体力の続く限り続けようと決めいる。
理念探究会は平成七年四月より開校した。その後、平成十五年にそれまでの理念探究会の経験をまとめた著書「理念探究会のめざす世界」を出した。今年理念探究会も第二十四回目を迎えることになる。理念探究会を端的にいうと次のようになる。「全ての人間は生まれたときに、神から一通の手紙をもらっている。大概の人はその手紙を読むことはない。しかし、その手紙を読みたいと思う人がいたら、私はその人が神からの手紙を読むためのお手伝いをする」、この表現は、親しいドイツ人の友人がいて彼が英語で私に、「黒田、お前の仕事はなんだ」と幾度か問われ、それを英語で応えた文章を、あらためて日本語に訳した文章だ。そのための会が理念探究会である。
願望と意志の違い
理念探究は意志があって、決心して取り組む人には諦めて限り到達できる。しかし、決心したつもりだが、到達できない人もいる。その根本的な理由は決心したつもりでも「願望と意志」の違いを理解していない人だ。「希望することと決心することとは違う」「決心にも全人的決意」がないと到達できない。その意志を時間をかけて不動の決心として探究する事を支援するのがわたしの役目である。こうして理念探究に到達できた人は四十名(社)強。そのうち一昨年六名が誕生した。
鯖江理念探究会の第一回目の感想を記すと、次のようになる。この会の発足は二年前に遡るが私には到底その段階ではないと思っていた。理念探究にまで進みたいのならばMKD(未来型経営道場)を主催している村上氏に二年間はあなたが畑を耕してほしい。それができたら検討しましょうと。二年にわたって私も年四回、講師の役をになった。
感触がよい。いままでの経験から言っても二年先の可能性が非常に感じられる。勿論一人一人人間が違うように同じテンポでは進まないだろうが、過去の経験よりも可能性が強く感じられる。これはこの道を二十五年進めてきた「勘」というものだろう。この三名意外にもここ数年MKDが独自に進めれば、もっと他の人達も理念探究の可能性があるという「勘」である。楽しみが増えた。
村上廣昭氏からの手紙
今月から先生の理念探究講座は、わたしの「職場卒業式」で述べました、地域で理念制定者を一〇名育てたいという願から始まりました。思えば三年前に蟹江が主幹隣開催した、快労祭にMKDの無事井、大橋、古澤、松原さんがオブザーバーとして参加したことが発端となり、先生の心を動かすことに繋がり、やっと実現にこぎつけることになりました。
偏にここまでに来られましたのも、先生と塾頭(藤井氏)のお陰だと心から感謝しています。塾頭には塾生たちの相談に当り、私への力添えとなってくれましたことに嬉しく思い、また先生には七五歳を迎えられた高齢にもかかわらず、月に一度鯖江に来ていただいた、二日にわたり指導していただく熱意に、心から込み上げてくるものがあり、何ともいえない悦びを感じているところです。
私は幸せ者です!体は思うように動かすことは叶いませんが、わたしの理念が遂行され、みなさまのお力で鯖江においての講座が実現できたことに、感謝している次第です。
今さらら、初めて先生とお会いしてから二一年の経過し、私の人生においての最高の慶びとして浸っております。
今後ともよくご指導をよろしくお願い申し上げますと共に、先生にはお体には十分に留意してお過ごしいただきますよう、せつにお願い申し上げます。謹啓 村上廣昭
- 村上廣昭氏は平成一四年、十七年と脳梗塞を患われた。そして社員であった宇野氏に平成二十一年社長を任せ(宇野氏はその後理念を探究され、現ムラケン社長として活躍している)MKDを創業され、その塾生の藤井大氏が平成二十八年に理念制定をされた。その藤井氏が会社経営のかたわら、塾頭として村上さんを支援されている。
- 小企業であるが、社長が脳梗塞になったら、普通の会社だったら社員はとうに退社して会社は消滅するのがおそらく当たり前だろう。しかし、村上さんが社長の当時、企業理念を制定され社員教育にも熱心だった。そのことが後継社長を育成に結びつき、後継社長も人生理念を探究した。その間二冊の著書を記した。そして職場卒業式を経てMKDを起こし、MKDで育てた藤井さんが理念を探究され、なお後輩を育てようという流れに繋がっている。理念が人を育て理念が会社を磨いていく実例です。
写真・理念探究会の世界
職場卒業式・理念のある同志の次ぎなる進路
職場卒業式などという言葉はお聴きになったことないでしょう。実はこれは人生理念を制定した人のみに使える言葉です。誰にも人生は一度しかない。人生理念のある人は企業を経営していた、あるいは務めていたとしても企業を卒業した人には次ぎなるステージが始まります。理念制定者では二人目です。一人はムラケン社長だった村上廣昭氏現MKD塾長、そして二人目が今回卒業する竹内将清氏だ。氏は企業改革を中谷石材株式会社の中谷明生氏と力をあわせて推進してきた。戦略会計の導入、PCの導入、脳力開発の導入、企業理念の制定、自立連帯型経営の実践と現役時代邁進してきた。そして企業を卒業して自己の人生理念に向かうことになった。理念を制定している後輩企業の手本となる式典を行った。そして新しい道に旅立った。その時に、職場卒業証書をお目にかけたい。
職場卒業式証書
竹内将清殿
貴殿は、昭和四十九年に中谷石材株式会社へ入社以来、永きに亘り会社の繁栄のために尽力されてきました。振り返れば先々代社長中谷忠雄氏に出逢い、以来営業職を中心に取締役として活躍されました。平成十六年の企業理念制定にともない、自立連帯型経営をすすめる中でフクイ中谷石材(株)、(株)とっとり中谷、そしてメモリーアート中谷(株)の三社の設立にかかわり、各社の現社長が経営者として身につけておくべき必要な能力要件を、理論的にも実践的にも十数年にわたり指導されてきました。お蔭で各社長は立派にその職務を果たしております。
思い起こせば、竹内さんとの出逢いからも早や三十年近くが経っております。最初は西順一郎先生の戦略会計を学ぶマネジメントゲームから始まり、パーソナルコンピーターMTの企業導入にも取りくみました。昭和六十年代当時では、日本での黎明期の導入になります。その後、脳力開発研修の導入へとつづき、中谷石材の理念制定を経て、自立連帯型経営の実践へと結びついたわけです。
この度、今期をもってメモリーアート中谷を和木坂貴子社長に任せ、完全に職場を卒業することを決意されました。次ぎなるステージへの出発であり、誠にめでたいことであります。
メモリーアート中谷を和木坂貴子社長に任せ今後は、竹内さんの人生理念に添って、全国の企業の経営指導とともに、進化経営学院西日本校として経営人材養成塾の塾生達を中心に未来をになう人材を育成され、活躍されん事を願います。
平成三十年三月二十四日
一般社団法人進化経営学院 代表理事 黒田 悦司