脳力開発124号/理念探究会124号

脳力開発124号
沢山の人に会う、食に合う旅・彦根・沖縄の旅
脳力開発の指針に「できるだけ沢山の人に接触する習慣をつくろう「」できるだけ沢山の物事に首を突っ込むつくろう」という指針があります。私達夫婦は脳力開発の創始者城野宏先生にお会いしてから心がけていたことです。今回はその実践として記事を書いてもらいました。(悦司)
彦根・故郷の旅
 一月五日からの経営計画熟考会が彦根で開催されました。私達は前日茨城空港から神戸空港へと飛びました。我が家から茨城空港までは車で七~八分。飛行時間は一時間二十分程。関西が近くなりました。丁度、私の叔母が甲子園にある介護施設に居るのでお見舞いに行きました。以前より随分良くなった叔母と昔話をして妹のように可愛がってくれたことを思いだしました。元気になっていて本当に良かったと思いました。
 大阪から彦根へ。夜は叔父さんに教えてもらった駅の近くのお料理屋さんで久しぶりのお食事です。叔父は今年で八十八歳になります。七〇歳で京大教授を退官し、滋賀県立大学創設に関わり七五歳まで教授をしていました。今もとっても元気で若々しいのです。ゴルフも月に二~三回は行きますし、車の運転も上手です。(但し、叔父さん曰く昼間だけの運転と決めているとのこと) このお店のご主人とはゴルフ友達で「叔父がお世話になってます」と、いうと「叔父さんはとても紳士で上手です」と教えてくれました。お酒が好きでスポーツが大好きな叔父さん(高校時代彦根東高校野球部のピッチャーをしていました)はとても若々しく髪も悦司さんの方が白いのです。これからも元気で若々しい叔父さんと楽しいお酒が飲めたら幸せです。
三日間の熟考会が終わって三宮で一昨年七〇歳で突然逝去した悦司さんの弟の奥さん会い、軽くビールをのみながら食事を楽しみました。弟がなくなって一年八カ月、まだまだ悲しみは消えません。でも彼女もしっかりと生きています。黒田に嫁いできたもの同志で、色々おしゃべりしました。彼女もスポーツ大好きでテニスが得意でした。今はジムや山登りをお友達と楽しんでいます。元気で今年も何度か会いたいものです。
沖縄の旅
 それから一週間あけてN社の経営合宿が沖縄であります。茨城から沖縄までも直行便があります。寒い茨城から暖かい沖縄へは三時間半ぐらい。私もお供をしました。勉強会の一日前に降り立ち、以前からの馴染みのお店「うりずん」へと足を運びました。何年か通っているのでママさんとも顔なじみ。「お久しぶり」と挨拶をして美味しい沖縄料理を頂きました。「ドゥルテン」「スーチキ」「島ラッキョウ」「島だこ」「ゴーヤチャンプル」等々とカラカラに沖縄のお酒を入れて頂きました。
 私達はとりわけドゥルテンや島ラッキョウの塩漬けが好きでお代わりをしてしまいます。
 食べ物でいえば沖縄牛が美味しいと今回は到着時と帰宅日に焼肉とステーキを頂きました。噛み応えのあるお肉です。市場にあるお母さんたちが開いている「花笠食堂」もお勧めで沖縄に行けば必ず一度は足を運びます。
 以前は織物や染物、やきもの、漆と色々な物を見に行ったのですが、近ごろはどうも食ばかりになってしまいました。暖かく少しのんびりできた沖縄です。(善子)

理念探究会124号
その一・経営計画熟考会・茨城・彦根
見通皆無・不安亦無・唯一予見・大局正解
 昨年十二月二十五日から茨城で、新年五日から彦根でそれぞれ三日間経営計画熟考会を開催しました。今回は全員で十五名の若手経営者が参加しました。理念制定企業は十一社。理念探究中は四名だが、何れも若手経営者。一昨年理念を制定してから約一年半経過して二〇一八年の経営計画熟考することを目的として集まります。年末年始で既に一年間の経営方針が明確になる訳です。
 昨年までは七〇代の経営者も含まれていたが今回は一名以外全て三〇代~五〇代初めまでだ。世代交代が完全に進んでいる。日本も世界も大きく動いている。世間では経営と言うものは一般的に利益をあげる事が評価の中心にある。したがって日本でも世界でも成長率がどうかで評価して、日本のGDPの成長率は高くないとかまびすしい。
●企業理念を背景に熟考する
 理念を制定している企業は企業理念(企業の志=社志・経営姿勢・就業姿勢)を基本において、企業理念の実現に向けて邁進する。丁度一年前のこの欄で「志ある経営者・人間尊重の経営・出光佐三の生き方」を紹介した。私は理念を制定した人達と「理念実践会」を毎月岡山と茨城で開催しているが、その中で出光佐三の「もしマルクスが日本に生まれたら」「働く人の資本主義」をテキストの一つとして取り上げて輪読し研究している。
 出光佐三は当時、出光には①人間尊重をわれわれの金科玉条とせよ。②資本家の搾取がなく、全員が経営者である。③馘首、定年制、労働組合かない。④黄金の奴隷となるな。⑤主義の奴隷となるな。等をその著書の中で唱えている。出光佐三の経営に対する姿勢が私の目指す世界に非常に近い。
 日本の現実に戻って考えてみると雇用の七割を支える中小企業の後継者不足で、深刻な廃業に追い込まれる例も少なくない。二〇二五年には六割以上の中小企業で経営者が七〇歳を越え、後継者が決まっていない企業が一二七万社あると経済産業省は試算している。
●新しい日本的企業
 若手の経営者は具体的な事例で言えば創業して約十年目を迎える「そうじの力」、創業して五年目の「くさむしり隊」が誰も振り向かない業種を切り拓いている。社員を雇用しお客様から心から喜ばれている。「そうじの力」は企業の社員の生き方を変え、企業を変え正に「新しい日本人として仕事に取り組む」企業変化をもたらしている。
 企業は永遠に脱皮を続けなくてはならない。それには働く人達が「親方日の丸」的な働き方をする依存人から「自分の人生の主人公は自分自身である」という自立人の生き方を選択する・決心することがまずはスタートとになる。若手経営者は自社で働く社員にも個人個人の自立を支援し、各自の使命探究を支援している。今年も参加した経営者の大いなる成長変化が期待できると確信できた若々しき息吹に満ちた経営計画熟考が開催できた。

その二・新しい日本人が日本と世界を変える・日下公人ブルー
■事実よりも「主義・主張」を重んずる朝日新聞と毎日新聞
●「世界の記憶(記録遺産)登録制度の改善まで支払いの留保を継続する方針で、菅義偉官房長長官は10月14日の記者会見で「(ユネスコの活動が)正常化されるまで見ながら対応を考えたい」と述べた。この分担金の留保について「朝日新聞」は節度を欠く分担金の保留、「毎日新聞」は品位ある関与が必要とそれぞれ社説で日本政府を批判した。「産経新聞」は政治利用許さぬ改革を迫れ、「読売新聞」は記憶遺産の政治利用を許すなと、日本政府の判断を指示する姿勢を見せ、朝毎二紙とは異なる意見を国民に示した。23
●朝日も毎日もGHQが刷り込んだWGIP「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」を無意識的であれ意識的であれ受け入れたままらしい。政治の現実も選挙のことしか念頭にないから面倒を避けたいし官僚も人事異動が心配で「事なかれ主義」である。26

■国際連合の実体
●新しい日本人は国際社会の現実をしっかり見ようとする人達である。「国際連合」の実体は第二次世界大戦の「連合国」のことで、昭和二十年の創設から、安全保障理事会の常任理事国は米英仏露中の戦勝クラブ中心の「戦後体制=戦勝国の優位」を事実上維持してきた組織である。28
●日本は昭和三十一年十二月国連加盟後、分担金をアメリカについで負担しながらいまだ「旧敵国」の立場におかれている。国連憲章では今日でも「旧敵国」に対して自由に制裁(武力行使)ができる。問題は「第二次大戦の結果としてとる行動」(一〇七条)が曖昧で事実上連合国側の恣意(しい)に委ねられている。こうした現実をマスメディアは伝えない。日本への差別は事実上放置されたままである。28
●「新しい日本人」の出現と、「新しい日本」の時代が始まっているのに、マスメディアも野党政治家も完全に周回遅れとなって旧態依然の非難しかできない。日本敗戦と戦後の国際秩序によって権益を手にしている内外の利得者たちは、それを改めようとする安倍総理をどうしても封じ込めようと画策することになる。33

■「戦後派が災前派」になり「戦前派が災後派」なる
●「新しい日本人」というのは(もともと日本人が持っていた歴史に根ざした現実主義と、庶民の[暗黙知]に覚醒し、それを発揮し始めた人々)のことである。東日本大震災の前と後では、日本人の心、暮らしぶりには変化が起きている。その意識の変化は昭和二十年(一九四五年)の敗戦を境としての「戦前派」と「戦後派」と同じように、三・一一を境として「災前派」と「災後派」に分けられる。34
●自衛隊が東日本大震災でいかに多くの国民を救ったか。「反自衛隊」や「嫌自衛隊」を売りにしてきた政治家の多くが、いまだに自らの不明を恥じるどころか頬被りしてままだが、多くの国民の意識は変わり、自衛隊に対するテレビの報道も明らかに変わった。カメラを切り換え「自衛隊ありがとう」という、被災者の横断幕やテロップとともに自衛隊を写すようになった。35
●平成二十八年四月に起きた熊本震災でも、自衛隊は即座に陸海空部隊を派遣し、約二万人の救援活動を展開してきた。こうした自衛隊の活動に「ありがとう」と率直に頭を垂れるのは「災後派」の人々、すなわち「新しい日本人」である。彼らは空疎な理想主義や正義には走らない。彼らには、日本を「我が国」と思う一体感がある。同胞の絆を大切にし、日本という共同体の価値観を尊び、歴史や伝統文化に対して謙虚である。36
●だからといって愛国主義、軍国主義、国粋主義、保守反動といったレッテル貼りをされるような単純な「戦前派」ではない。潮流として「戦後派が災前派」になり、「戦前派が災後派」になるという逆転現象が起きている。戦前との歴史の連続性に気づき、それを大切にしょうとする人々が、戦後七十年余の「戦後体制」から脱却しょうとする「新しい日本人」なのである。36

■永遠の〇で描かれているマスコミ秀才の盲信
●百田尚樹氏は特攻にこめた思いをこう語った。「けして命を粗末にするなというメッセージです。生き残るために戦いぬくことと、生き延びるために避難することとは全然違います。宮部が二十六年という短い人生で全うしたのは前者です。『自分の人生は誰のためにあるのか』という思い、生と死の間にあって宮部が葛藤した諸々のことから読者が生きる喜びと素晴らしさに気づいて、どんな困難にあっても生きる気概を持ってほしいと願って書きました。」45
●戦後七十年余の「戦後体制」を是とする人々は、この逆説を感じ取れない。特攻隊について非人間的な作戦だと非難し、理不尽さを強調した本は沢山ある。命じたものも行ったものも同じ日本人だととい同胞意識に欠ける。他人事のように、あるいは第三者の犯罪を追及すくかのような視点は、現在のマスコミ人に根深く埋め込まれたものである。45
●登場する大新聞の記者は神風特攻隊を「テロリスト」「ニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ人達と同じ」と言い国家主義に洗脳された狂信者と断言する。「戦前の日本は狂信的な国家」で「国民の多くが軍部に洗脳され、天皇陛下のために死ぬことを何の苦しみとも思わず、むしろ喜びさえ感じてきました。私達ジャーナリストは二度とこの国がそんなことにならないようにするのが使命だ」と誇らしげに語り、戦後はその洗脳が「思想家や、私たちの先輩ジャーナリストたちによって解けたのだ」と胸を張る。46
●これはまさに戦後GHQが日本人に刷り込んだWGIPを盲信する者の見方で、戦後教育に何の疑いもなく育った結果のマスコミ秀才である。朝日新聞だと名指しこそないが、朝日や毎日、NHKの記者のことだと「新しい日本人」にはわかる。46

■海賊と呼ばれた男を泣きながら書いた百田尚樹氏
●出光佐三は従業員、その家族、郷土や共同体、ひいて「我が国」のことを考えた。文字通り「経世済民」を実践しょうと努めた経済人だった。敗戦後重役の一人が社歴の浅い社員に辞めてもらおうと提案すると、佐三は「馬鹿者!店員は家族と同然である。社歴の浅い深いと関係ない。君たちは家が苦しくなったら、幼い家族を切り捨てるのか」と一喝する。佐三は社員を一人も馘首しないという方針を貫いた。50
●社員もそれに応えようと奮闘した。日章丸が日本に発つとき、イランに向かうことを船員たちは知らず出航した。セイロン沖で暗号電文を受信した船長が「本船の目的は英国の海上封鎖を突破してイランから石油を積み出すことだ」と告げると、船員たちはたじろくどころか「日章丸万歳!出光万歳!日本万歳!」と叫ぶ。51
●百田氏はこう語った。この件を書きながら、何度も泣きました。己一個の人生の充実、幸福なんてどうでもいいとはいいませんが、己一個を超えたところと繋がる人生がある。出光佐三、そして彼を支えた男たちの凄さと、今の日本人は繋がっているのだということを知らせたかった。私達の祖父は狂信者ではない、苛酷な時代を懸命に生き、自分以外の誰かに人生を捧げたのだ。52

■戦後の人権観
●旧態依然の日本人には、この感覚はわからない。「公共や国家のために個人が犠牲になってはならない。その必要がない」というのが戦後の人権観、人命尊重である。「個人の尊重こそが唯一無二の価値で、国家に奉仕や献身を求められることがあってはならない。自分以外の誰かのためにと考えるのは、最後に必ず国家と結びつく戦前の危険思想だ」彼らは考え忌避してきた。52
●共産党に限らず戦後日本の左派の多くは、自衛隊を「違憲の組織」と決めつけ、国と国民を守る役割を否定してきたが、こうした流れに乗せられる国民は少なくなってきた。「新しい日本人」は個人の幸福追求は自らが属する国家社会が安定して存在してこそ可能で、人間は一人では生きられないという現実を認識し、そのための義務や責任を果たすことを棚上げできないと気づいている。56

■民意の嘘がばれてきた
●日本の自立性と国力向上に資する政策がマスメディアの一斉攻撃を受け、世論調査で支持率の下落を招くのは何故か。安倍首相が「日本を取り戻す」ための政策に取り組めば取り組むほど、新聞やテレビが伝える支持率が下がり、それが「民意」とされたが、それは正しいか。「民意」はおおむね有権者の意向を指すが、戦前との連続性を断ち切ったまま、いまの「民意」のみを尊重するならば、日本の永続のため何が肝心かという問題意識が薄くなる。60

■世界は新しい秩序を求め始めている
●現実を直視すれば、現在の国際金融資本が主導するグローバル化は、国境を越える多国籍企業を富ませはしても、世界の「国々」の「民」を富ませているとは言えない。人道問題として移民や難民を受け入れることと、それを安価な、使い捨て可能な労働力と考えて移動を自由にせよというのは、全く違う。こうした訴えを排外主義や感情的なナショナリズムと切って捨てるのは誤りである。
●英国のEU離脱は国際金融資本が主導する経済体制への「国民」の反発の現れである。米国の有権者も英国民と同じグローバリズムに反発を強めた結果、「敵はウォール街だ」という劇薬のようなトランプ氏を大統領に選んだ。これは反グルーバリズム、反普遍主義、反エスタブリッシュメント(支配層)というそれぞれの国民意識が反映されたものである。
●世界は新しい秩序を求め始めている。欧米が主導した秩序の行き詰まりを意味している。これからの時代はグローバリズムからローカリズム(localism)の時代に移っていく。言葉を変えれば、エスニック(民族的)エスニシティー(土地、血縁関係、言語の共有、宗教、伝承、社会組織=民族概念への帰属意識)の時代とも言える。173
●これは国際政治の世界では、民族主義や地域共同体の尊重ということになる。それぞれの国の歴史伝統や文化を侵さずに共存していく考え方である。経済のルールに共通性をもたせるにしても、それはお互いの存在基盤を壊さない範囲にとどめるべきで、そうでなければ「国民経済」は成り立たない。173
●この三〇年近くを振り返れば、日本アメリカの望む規制緩和を行い、市場を開放し、金融を自由化し、グルーバリズムを受け入れてきた。それを主導したのか「崇洋媚外」(すうようびがい)の人々だった。政治家や官僚、学者や経済人は国際性の重要性を語ったが、はたしてそこに日本の「国益」はあったか、「国民」の利益はあったかということを改めて問わなければならない。173
●瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、ウォール街から世界を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形であります。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のあり方を考えていきたいと思います。(新しい国へより)265