脳力開発132号
沖縄問題番外編・翁長知事逝去にともなう雑感(8月31日)
翁長知事が亡くなった。沖縄県南部の糸満市内にある摩文仁丘には黎明の塔や健児の塔など各県の慰霊碑や慰霊塔が建立され、平和祈念公園となっている。6月23日慰霊祭が執り行われた。この時、その会場で翁長さん顔をみた私の友人は、闘病後のやつれた姿に愕然としたと一報してくれた。新聞の写真をみても険悪な顔で、安倍総理を見つめていた。顔の相が悪い。人間の思いは顔に出る。その後、逝去され今、後継者選出でオール野党は多忙の中にある。
■翁長さんの本心・権力への執着
翁長さんは何のために知事になったのだろうか。うがった見方を承知で言うと、前知事仲井真知事が、後継者として指名してくれないことが予測されたことから、対立候補として選挙に出る。本心は権力への執着。そこにオール野党(共産党、社民党などが野合)支持推薦し、結果として知事に選出された。論点は一つ、名護市辺野古地への移設反対だ。
任期中、ことごとく前知事の判断を否定し続けた。今年、肝心の名護市選挙で敗退し、引き続き石垣での市長選挙で敗北、そしてその敗北に並行してオール沖縄の財界支持グループの2社金秀グループ、かりゆしグループ辺野古移設の賛否を問う県民投票をするようオール沖縄会議内で提案したが、受け入れられなかったことを脱会の理由に挙げ、オール沖縄会議から脱会すると表明した。共産党色が強くなりすぎた。
■与党とメディア二紙の締めつけ
翁長さんに対して県会議のなかでも与党、共産党、社民党の締めつけが強く、加えて沖縄タイムス、琉球新報の締めつけが大きい。オール沖縄にとって、知事が翁長さんであろうがなかろうが、自分達の言うことを聞いてくれる知事ならば、誰でもよい。極最近の本人の知事後継者候補の指名(遺言)に対して二人とも否定しているという。一方、自民・公明・維新は知事候補の絞り込みにも成功している。
■オール沖縄の崩壊
少し大胆にいえばオール沖縄はその政治的使命を終え、既に時代遅れになっている。社会党が社民党に衣替えして、今でも僅かな国会議員が残っているが、その政党としての存在価値がない野党であるにも関わらず、沖縄ではまだ、存在価値はあるたようだ。自治労、沖教組、大学、高校の教員たち、メディア、社民、共産、自由党など、既に時代遅れの反政府、反日活動は今度の知事選挙で終焉を迎える時期だ。
■翁長さんの人生
翁長さんは自分の人生を生きたのだろうか?知事候補になるころ、当人の政治活動スタート時代の姿勢・辺野古移設の姿勢をひるがえし、全く反対の立場を表明し当選した。だから在任中はオール沖縄、沖縄メデヘア等支持団体から辺野古移設反対の姿勢をどんな場合にも強制され、身も心も消耗しつくして、亡くなられた。そういう印象の翁長知事の3年6ヶ月だった。
この構図は、戦後70年をまとめてみて、GHQに今なお洗脳されているメディアや進歩的文化人の姿と重なる。県政与党が社民6人、共産6人、社大3人、諸派3、無所属9人の計27人、野党は自民が14人、無所属1人の計15人、中立は公明4人、おおさか維新2人の計6人。(8月20日記す)
■翁長知事の遺言テープ(?)で指名された自由党・玉城氏
その後のニュースによると苦渋の決断で、玉城氏は立候補をするということだ。勿論、野党共闘だ。立憲民主党も支援すると報じていた。辺野古地埋め立て撤回を旗印にしての弔い合戦だという意向が強い。本土復帰(1972年・昭和47年)以来、政府と対立して46年経った。簡明に言うと沖縄は共産党、社民(旧社会党)、日教組、左翼系労働組合、そしていまだ残っている琉球大学の左翼大学教授たちに支配されてきた。換言すれば彼等実は中国共産党のしたたかな影響を受け続けてきいる。
反米、反政府ということは、反資本主義だった中国、ソ連の共産主義の夢であった。これは反資本主義=反帝国主義を旗印にしてきた中国とソ連の言い分だ。その中国がソ連と対立したとき、中国はソ連に対して反社会主義だといって非難した。その後ソ連、共産主義の東欧諸国の崩壊を迎え、今では最盛期136人を擁した社会党は北朝鮮の拉致問題が明るみに出て、凋落を続け2018年4名である。
■オール沖縄の中心は実は共産党である
共産党は護憲派を装っている。改憲派の代表を自民党とすれば護憲派の代表はミニ政党に落ちぶれた社民党である。旧五五体制の当時の二大政党であったが今や対立政党とみずから言うのもおこがましい。にもかかわらず世の中には護憲派と称して大きな顔をしている社民党の連中が多い。その中身は、大学教員・弁護士・組合活動家・ジャーナリスト等などインテリが多い。こういう連中を動かしているのは共産党である。共産党ならびにその同調者、親近者である。共産党が護憲派の中心政党に見えるが、そうではない。偽りの仮面をしている。(参考図書・マスコミ偽善者列伝・加地伸行著)
■オール沖縄・護憲派の真意
共産党こそ現日本国憲法を否定し、改憲を目指している。改憲(現行憲法反対)を堂々と唱えた過去がある。その最大の理由は「天皇を否定、皇室を否定する」ことが、共産党の使命だからである。しかし、日本において天皇、皇室の廃止などおぼつかない。だからオール沖縄などと偽って、内実は中国、韓国、北朝鮮に媚をうり、沖縄から米軍を撤退させることが使命になっている。辺野古移設反対の真意はここにある。社民党やその同調者の真意はここにある。
- 今までもこの古い過去の構図が続くであろうか?沖縄県民にも確かに問題はある。しかし、次第に学習してきた県民は、おそらく玉城氏を選ばないであろうと私はこの時点では予測している。(2018年8月30日)
理念探究会132号・「情けは人のためならず」
情をかけておけば、それがめぐりめぐってまた自分にもよい報いが来る。人に親切にしておけば必ずよい報いがある。★補注:情をかけることは、かえってその人のためにならないと解するのは誤り。「日本国語大辞典 第2版」
日本人の美意識
脳の使い方において日本人は本質的にすぐれているのであろう。つまり美意識の要素をつかさどる右脳をよく使う。それが左脳とうまく融合して、非常にフレキシブルに物事を見る才能を生み出しているのように思われてならない。この才能が日本人の美意識の根底にあるのではなかろうか。見えるものを細かく分析して見ようとするのがヨーロッパ人である。分析して物事を理解する。だから「分かる」のである。これに対して、全体的に物事を掌握していく日本人の理解の仕方は「つかむ」というべきかもしれない。物事を道理で見ていけば、本質を間違えることはまずない。理屈は、木をみて森を見ずということになりがちだ。その点日本人は森全体をみる能力に長けている。(小河二郎・無尽蔵井泉)
- 今回、日本人の長所を見直してみたい。時代は論理(ロジック)よりも情(感性・調和感覚)が見直されている。日本文化が見直されている。戦後教育は論理・合理を優先させてきたが、今は論理と情の融合(左脳と右脳の調和)が注目されている。この感覚は西洋人にはつかみきれないところがあるだろうが、近頃海外からの旅行客が増えて、日本文化、日本人が見直されてきている。この点を考えてみたい。
「情の力」で勝つ日本 日下公人著 ポインパレビュー
第一章「情の力」の神髄 ―日本人と西洋人の考え方は何が違うのか
以心伝心と直観力とアナロジーの威力
- ギリシャ人も、自分が考えたことを他人に伝える話し方には二通りあると考えていた。一つは「たとえ話(アナロジー=類推)」で、もう一つが「論理(アナリスト=分析)」である。「たとえ話(アナロジー=類推)」とは、物事を直感的、総合的に把握して、似た本質を見つけることである。もう一方の「論理(アナリスト=分析)」とは、物事をいくつかの要素に分けて組み立てること」である。14
- 芭蕉の俳句などもその機微を「情」で理解できる。つまり、日本人は全員が詩人の才能を持っているのである。やまと心を持った日本人とは、言葉でなく心でわかり、詩で表現し、行動で結論を見せる人のことである。そのすごさを、今こそ日本人はしっかりと認識したほうがよい。これぞまさに、日本の強さの根本部分なのだから。P17
順番は「情」「知」「意」
- 戦前の日本では、学校教育でも「情」の教育を重んじていた。戦前の教科書を見ていると、「義理人情を兼ねそろえた人間をつくろう」という方針だったことがわかる。よく「知情意」といわれるが、当時の人たちは、子供たちには最初に「情」を教え、次に「知」を教え、最後に「意」を教えるようにしていたのである。P21
「共通の幅広い教養」があるから話が通じる
- ギリシャの哲学者たちは、「論理的思考」と「直観的思考」の二つがあると考えた。ロジカルに人に伝えるときには、論理を積み上げていかなければならない。一方、直観的思考で伝えるときには、「たとえ話」で済む。考えたことを伝えるときには、この二つのやり方があるが、どちらの伝え方をしても、真理に到達する。P27
- 日本人はお互いに「情」がわかるから、たとえ話ですぐに話が通じる。ロジカルに言うのが面倒くさいのではなく、たとえ話だけで十分に通じるから、ロジカルは必要ない。論理ができないわけではなく、両刀使いだ。日本の中小企業の社長には、たとえ話が上手い人が多い。聞いたほうは「なるほど」とすぐに納得する。理屈で説明されると、すぐに「なるほど」とはなりにくい。P28
なぜ「情感」を磨くと数学の問題が解けるのか
- 普通、人が自分と思うのは小我、つまり肉体とその機能と申しましたが、もっとはっきり言いますと、自分の肉体、自分の感情、自分の意欲、それを自分と思う。それで非常に自我が強いと、人の世や自然のような大きいものは映らない。外界が伝わるのは、感覚までで止まる。欧米人は、自我が非常に強いからそうなる。(岡潔「日本民族の危機」)P35
- ところが日本人は――明治までの日本人は特にそうですが――真我が自分だと思ってれば、もちろん、自我なんてありませんし、そうでないにしても自我は非常に弱い。それで大脳前頭葉にまで外界が伝わりうる。伝わりうる場合は、第二段階として大脳前頭葉で受け止める。そうすると、情緒になるのです。情緒というのは、時として、非常に強い印象を与える。P35
「俺が、俺が」では創造はできない
- 岡潔さんは、西洋人は「肉体の働きが自分だ」と思っているのに対して、日本人は「心が自分だ」というのが本当だと思ってきたのだと述べ、その違いから、人間にとっての幸福や創造の秘密を解きほぐしていくのである。37
10、人が幸せそうにしているのを見ると、自分の心が喜びで満たされる。自分の心に深い喜びを感じるというのが、人本然の心であって、それがうまくいかないのは、心に濁りがあるからです。この、エゴイズムという濁りがあるからだと知って、それを取り去ることに努める。そういう人は、真我に目覚めた人と思います。P37
11、確かに「論理的思考」であれば、どこまでも「自我」からの発想ということになるが、「直観での判断」にとって重要なのは「いかに自我から離れるか」なのであろう。このあたりの機微は「情」というものの本質を考えるうえにおいて、非常に示唆に富んでいる。P41
「情の力」でこそ高レベルの仕事に到達できる
- 現代の日本の子供たちはマンガやアニメを見て育っている。マンガには、「パトス」や「エロス」がたくさん含まれている。マンガを読みながら「パトス」と「エロス」を身につけている。ここは大きなアドバンテージである。
- つまり、「エロス」や「パトス」が育っている人のほうが、相手の話をよく聞くようになる。心で感じるから深い理解ができて、相手と深いつながりができてくる。そして、そのようにして「情」でつながった相手だからこそ、「論理の平面」などを遥かに超えた高いレベルの仕事を成し遂げうるのである。P50
- 「情」を理解できる日本人は、そのことを心の内なる密やかな喜びにしておいてもいいかもしれない。「情の力」は日本人にとって、大いなる優位点なのである。P52
第2章 「情」の戦略 -「知・論理」に頼らぬ日本的あり方
- 「情の力」から生み出される能力に共通するのは、きわめて高度な情報把握能力と、きわめて高度な情報伝達力である。54,55
- かつて「情」「知」「意」の順番で教育をしていた文部省が、戦後はまったく違う教育をするようになってしまったわけだが、日本の子供たちはマンガやアニメを見て「情」を育んでいったのである。56
- 講談社を創設した野間清治が刊行した絵本は、紙の質も上等で絵も一流の画家の手によるものだった。ここまでこだわったのは野間の次のような思いがあったからである。「子供を愛さざればその国滅ぶ。国を興さんと欲すれば国民こぞってその子を愛せよ。子を愛するは天を敬する所以にして何ものを愛するよりも尊き行いなり。子どもを愛するの大事が教育にあるということ言うに及ばず」66
- 大人たちがこれだけ深い愛情をかけ、これだけの力を投入したから、日本の子供たちは「情」を存分に育んできたのだともいえる。そしてその伝統は、今もたしかに生きている。日本のアニメやマンガが世界を席捲したのは、日本が長きにわたって培ってきた文化風土が背景にあってのことなのである。67,68
第3章「情」の組織論 -情で繋がった関係性ほど強いものはない
- アメリカはそもそも奴隷をこき使っていたような国である。そんな国の「使用人をこき使うための組織論」を、ろくな考えもなしに導入しても、これまで「仲間」意識で働いてきた日本の組織構成員は、心の底から納得できない。成果主義を単純に移植したような浅はかな会社は、すでに2000年前半の段階でガタガタになった。P109
実力主義の社会だからこそ「情」が大事
- 人間は「目新しいもの」に憧れる一方で「変化を恐れ」「惰性を守ろう」とする心も持ち合わせている。指導者が変化に飛び込んで行った場合、それに従う人たちの中には、反対したりする心が生まれてくる。そんな心のひだを的確に感じ取る力が「情」である。松下幸之助さんは、「経営で大事なことは、ことに当たってまず冷静に判断すること。それから情を添えること」と述べた。P120
- 「平等社会では『情』を重んじるのもいいが、格差競争社会では『非情』に徹することが大切だ」と考えている人がいたとしたら、考え違いも甚だしい。大切なことは、「仕事に厳しく」ありながら「人には優しく」あることである。P121
日本各地につくられた人情の団体
- 明治以降の日本では、例えば裁判においては「情理兼ね備えた裁判が良い」と言われていた。優れた裁判官とは、理だけで判決を書く裁判官ではなく、情を踏まえて、情理兼ね備えた判決を書く裁判官だ。そういう考え方で国づくりがされて、明治、大正、昭和の日本は出来上がった。常に「情」が大切にされてきた。P136
アイディアも発明も「情」と「意」からわきあがる
- エンジニアも、「情」を持った人の方がいい仕事をする。本田宗一郎さんが一念発起して、エンジンのピストンリング製造を志した。本田さんからすれば、いいエンジンを作りたいという目標が先にあって、勉強はその後であった。目標というのは、情」がなければ生み出せない。「情」によって目標が出てきて、「意欲」が生まれてくる。そこから発明が湧き上がってくる。P147
第4章 巨大なものに立ち向かう日本精神 ― 闘いに必要な気概と情
苦境にも日本人の使命と希望を語り続けられた昭和天皇
- その戦争を押しとどめようと苦慮され、最終的に止めたのは天皇の大御心だった。責任はすべて私にある。文部百官は、私の任命するところだから、彼らに責任はない。わたしの一身はどうなろうと構わない。どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」このお言葉に、マッカーサーは驚愕し、胸打たれ、昭和天皇に敬意を持つようになった。p201
全国巡幸を歓呼の声で迎えた国民の「情」
2、昭和天皇は敗戦直後から日本全国を巡幸して国民を励ます、全国巡幸を始めた。GHQは天皇に危害を加える人が出るのではと想定していた。現人神といわれていた天皇が生身の姿を民衆の前にさらすのは、占領軍にとって都合のいいことだろうと考えていた。だが、実際に巡幸が始まると歓呼の声が鳴り続いた。「ああ天皇さまも犠牲者なのに、我々の事を本当にかんがえてくださっている」と、庶民たちはピンときた。天皇と庶民とは、日本の長い歴史が作り出した紐帯と数々の物語と「情」と「情」とでつながっていた。p208
3、圧巻は広島だった。原爆被害が生々しい広島に数万人集まり、君が代の大合唱の後、天皇がお言葉を述べられた。その直後、「天皇陛下万歳」の大歓声がわきあがった。これに高々と帽子を掲げつつ、丁寧に会釈で応えられる天皇。これが日本人の「情」である。アメリカはじめ、連合国はこの光景に圧倒された。日本は戦争に負けた。しかし、「情の力」で勝った。戦後、たちどころに日本が経済成長を果たし、「文明の質」において、アメリカを圧倒する存在になれたのは、このような「情の勝利」がベースにあったからこそなのである。p210
第5章 近代が終わり情が復活する ー なぜ日本は世界にまれなる良い国か ー
- 日本はこれだけ長く歴史が続いてきた国である。連綿と続いてきた歴史の中で、経験が蓄積され、物語や言い伝えとなり、習慣となり、それは思考行動にも反映されている。江戸時代の和算や商業のあり方を見るまでもなく、論理的なこと、数値的なこと、計量的なことも高度な伝統を積み重ねてきている。一方で、人間社会には論理では片付かない隠された智慧や価値があることも知っている。p231
情愛深い日本人が求められる時代
- 江戸、明治、大正、昭和初期には、情緒深い日本人がたくさんいたが、戦後になると、世の中全体が成績ばかり気にするようになってしまった感がある。以前、東京都内で親が子供に言う言葉を調べた人がいる。小さい時は「早くしなさい」。小学校入学前ぐらいになると「◯◯ちゃんに負けるな」と言う言葉が1番だった。情のことよりも、スピードと成績が重視されるようになってしまった。 p243
- 情愛たっぷりの人間同士なら、直感的に話が通じる。「おい、あれ」と言うだけで、通じることもある。女性の部下に「あいつを呼んでくれ」と言ってしまったことがあったが、彼女は直感を働かせて、「この件だからこの人」と感じ取って適切な人を連れてきてくれたのだった。情の時代には、このような気働きや直感力こそが求められる能力になるということである。p243
- 情愛がない人間同士の場合は、箇条書きにして言葉で全部説明しなければいけない。だが、情の世界が復活すれば、話が通じやすくなる。そのスピードは、圧倒的であろう。242
横ばいのなかの幸せを世界が見習う
- ヨーロッパの近代は、合理化と効率化で、無駄に見えるものをなくしていった。しかし日本は近代になっても、無駄なものを残した。風流な暮らし、お月様や雲を友達にする暮らしがあった。日本には豊かな心の世界があった。p243
- 伊勢神宮に行くと、天にそびえた建築物は1つもない。川のせせらぎがあるだけだ。日本人は、これを国の中心と考えてきた。伊勢神宮は、論理的に説明する世界ではなく、感じる世界なのである。伊勢神宮の大宮司が、外国の要人を数多く伊勢の神宮に案内し、「何か深淵なるものを感じないかと問いかけたところ、多くの人が感激した・・・と言うところに情で理解してもらうことの本質がある。日本人は無理に論理にするのではなく、情で伝えるべきものは情の方法論で伝えれば良いのである。
- どんなことにも「ありがとうございます」と拝むことができるのは、日本人しかいない。世界の人は「何がありがたいのかわからない。変わった人たちだ」と見ている。もちろん日本人にも何がありがたいのかは、よくわからない。しかし、言葉では説明できなくても、ともかくありがたい。生きてること自体がありがたいのである。P245