脳力開発125号/理念探究会125号

脳力開発125号
その一・後半の人生をどう生きるか、どう死ぬか
今回は同窓会について書いてみたい。同窓会三態と言えよう。
●仲良し高校同窓会(いつもの会)
この会は四十二才厄年を迎えるとき、郷土津山高校関東同窓会の幹事役を仰せつかった事から始まった。振り返れば私達は仕事に脂がのっている時代だった。世話役を積極的にこなしたのは、大学教授、国税庁課長、税務所長、NTT課長、書道の先生、体操の先生などなど、多士済々の面々で取り組んだ。私もコロムビア東京中央営業所の次長。方針は「旧来にない参加者を集める。」当時は高度成長の真っ盛りだった。私がまとめ役としてリーダーを務めました。
一年かけて取り組んだ。毎回、会議のあとの飲み会が愉しかった。一人一人のメンバーの話を聞くのが愉しかった。過去最高の参加者を集め、その後も中核メンバーと箱根の会社の保養所とか八丈島とか小さな旅を続けた。私はその後、広島に転勤したが、そこまで訪ねて来てくれた。とりわけ女性陣は仲良しでしかもそれぞれが個性のある仕事をしていた。家庭人としても民生委員として地域や子供の指導をしたり、ハワイアンの教室を指導した、書道の大家や大学生を指導している教授など私の知らない世界で愉しかった。とりわけ税務署の関連の話は面白かった。以来三〇余年。「いつもの会」と銘打って今も続けいている。私はここ数年前に復帰したが。
その会の集まりを浅草でやった。河豚を突つきながら。今回私が鍋奉行を買って出て、お世話したら女性陣は大喜びだった。幾多の接待を経験したお世話役だ。いや愉しかった。今度はフラメンコを見に行くと言っていた。私はいけないが、大いに楽しんでもらいたい。しかし、税務所長を務めたW辺君、箱根の旅に女性陣全員に浴衣を仕立ててくれたH原さんは早く亡くなった。長い時間の経過を感じるが、今も明るく積極的に社会活動をしている、女性陣は愉しい。愉快に生きている。七十四歳とは思えない。

●大学の東京同窓会
落第した私は卒業予定の学年の同窓会にも顔を出している。私が落第したかどうかは、五十年も経てば全く関係ない。オリンピックに向けて工事中の国立競技場の近くで同窓会があった。三回目。寮生活もともにしたメンバーもいた。十五名だった。一人ひとり全ての人が一部上場会社の役員も務めたりして、私のように自営業の人間はいない。
今回、各自の近況報告で驚いた。十五人のなかで病気を抱えていない人はおよそ十名程度。
聞いてみて驚いた。かつてはバレー部、テニス部、ヨット部、ボート部の精鋭で、全国的にも活躍したメンバーもいるのだが、一人一人の報告が、脊椎間狭窄症とか名前の知らない難病とか、どうしても椅子がなければ座れないと。加えて奥様たちの病気とか。
聞いてはいたが、同窓会も次第に病気自慢になるとか。本人は自慢しているわけでもないが、話題の中心が病気の話になってしまった。何故病気になるかということはわからない。若いときは運動もしていて、会社人生もほぼ順風満帆だったの、七十歳を過ぎてくると予期せぬ病気に襲われる。まだ、同窓会に出席できる人はそれでもいい方だが、病気で出席でない人もいる。人生はどうして決まるんだろう。健康に歳を重ねることができるかどうかは全て本人の生活、生き方なのか?考えさせられる同窓会だった。

●郷里津山での同級生・雉鍋の会
例年二月に津山に帰って、雉鍋を囲んでの同窓会を行う。集まったのは五人。作州絣の父親を持つ小学からの同じ町に住んでいた杉原君、彼は大学時代からワンダーホーゲル部に属していた。キリマンジマロ、キナバル、エベレストのベースキャンプ、日本では昨年は四泊五日で南アルプス縦走、年に三回チェンマイ約十日間ゴルフ一人合宿をこなす。今年ヨセミテ渓谷を訪ねるとか。足の踵に骨に棘が生える奇病に掛かっているとか。踵の骨に棘が生えるのですよ。想像できない。切れば治るとのことですが。
ゴルフの達人山口君はメチャクチャに歌がうまい。京都での大学時代は私も彦根からよく訪問し、お世話になった。春休み留守の間に居候をして、私の詩集を出版するお金を貯めるために夜のアルバイトをしたことがあった。居眠りして水がなくなったポットを焦がしたのが、いまだに忘れられない。高校時代は卓球の選手で、ゴルフは達人。三回目のエイジシュターを目指して、鍛練を続けている。病院の事務局長を永年務め津山の様々な同窓会お世話役を引き受けている。今も高齢者介護関連の会社の経営の手伝いもしている。驚くことに写真の名手。卓球、ゴルフ、写真と歌の共通項はいったい何なのか。
小林孝さん唯一の女性。国際ソロプチミスト津山の代表をしている。元岡山ガールスカウト会長もしていた。美術に造形が深く、勝山ひしお美術館副館長をされた。津山市役所の美術関連広報の仕事をしていた。善子のモラの作品展では大変世話になった。
今回、企画してから二年も経ったが、おばさんから引き継いだ自宅をリニューアルされたので、出来ばえを見に行きました。津山の民家は(私の生家もそうだったが)入り口は狭いが奥行きが非常に長い。檜を中心に使って仕上げている。なんとも贅沢。玄関の横は駐車場にする予定だったが、車も必要なくなるそうでアトリエかギャラリーとして使えそうだ。
もともとお父さんも叔母さんも代々続いたお茶の先生で沢山の生徒さんたちを教えていたそうだ。ということで茶室もあって沢山の掛け軸、茶器も豊富でいまだ整理ができないと言っていた。彼女自身も資格を持っている。家具も当然日本的なものが多く、水屋箪笥もうまく使われている。かつて私も探したことかあったが、日本の古くからの水屋箪笥など懐かしい気持の良い家に和と洋の融合した家にリニューアルされていた。おばさんがお茶を指導された畳の部屋で美味しいコーヒーを頂いた。これもいいね。今度はお茶を点てていただきたい。
備前焼の和仁さん。今回は突然の前立腺肥大の顛末記を聞いて、抱腹絶倒。本人にしてみれば脂汗を流す苦痛の中で、耐えてきたのだが、聞くものにとっては腹を抱えて笑った話だ。救急車を頼もうと思ったが、近くの若い友人がたまたま自家用車で送ってくれた。しかし、ご承知のように病院は大変な人で順番待ち、そういう状態で何とかおしっこを出してもらいたいのだが、病院というのは融通が利かない。結果としておしっこが出なくなったら救急車を呼ぶのが最善策だそうです。
おしっこが出たときはほっとしたって。その後、尿道から管をひいて尿を溜めるバッグを抱えての暮らしの様子、バッグが終わって栓をひねる生活など、自分のおしっこを始末するのにてんやわんやの様子に、またまた、大笑い。「他人の不幸は密の味」なんて言葉があるが、こればかり笑わずにおれなかった。
しかし、歳を重ねるということはこういう形で現れることもある。病気の話ばかりではたまらないが、こういう話もおきる年齢になった。今回、中学時代のエースピッチャーだった植月くんは突然のインフルエンザに掛かり、出席できなかったのが、残念。

その二・補助金は人間を駄目(無能)にする(青色)
一月沖縄に行った。私は妻を伴って翌日からの経営熟考会の前日入った。その夜「うりずん」の沖縄料理を楽しんだ。作家椎名誠はこの店のなくなった店主と親しかった。店主の顔(油絵)を見ながら、店主の娘さんと旧交を温めた。娘さんと言っても五〇歳は越えているだろう。沖縄といえば数えることができないほど訪問している。創業し、タヒチに通いだしてシュノーケリングの免許を取ろうと決めてからだ。友人と妻善子と一緒に何とか取得した。以来毎年一月二月にシュノーケリングのキャリアを積むため通った。
沖縄陶器(やちむん)・漆器・紅型に惹かれた十五年間
通うたびに沖縄の焼き物に惹かれ、壺屋どおりで馴染みができ、天命舎でつかう皿や器を買うために通った。新垣修工房だ。新垣さんは金城次郎の流れを込む陶芸家。我が家の日常つかう器が沖縄一色になったこともあった。ねだ沖縄の漆塗りの見事さに惹かれてた。漆塗りは次第に時代から取り残され商売として成り立たなくなり、著名な老舗が閉店する際に、これはと思う素晴らしい漆の器の数々を買いあさった。文字どおり気に入ったものは可能な限り買った。今も使っている。
紅型にも惹かれ、沖縄の友人の伝を頼って、城間栄順の工房を何度も訪ね、気に入った作品を分不相応に分けていただいた。何れも素晴らしいもので、季節に応じて掛け軸がわりに楽しんでいる。勿論沖縄料理もすっかり気に入り、顔なじみになった「うりずん」は毎年訪れる。
そのご、海外旅行に少しあきて、十二月になると石垣島を訪ねたのが切っ掛けで、波照間を訪ね、一週間ほどの滞在で親しくなった沖縄の友人を訪ねて四~五年はもっぱら波照間に通い滞在中は読書三昧に耽った。沖縄の作家の文藝作品や沖縄に関する内地の作家の作品も随分読み込んできた。十五年ほどの沖縄訪問の概要だ。

■沖縄を本当に愛してくれるなら、県民にエサを与えないでください
著者・恵隆之介氏、衝撃的な本にであった。ここ三年ほど戦後七〇年を期に戦後の日本の歴史を検証している。研究なかで沖縄の基地返還等は気になっていたが、まだこの問題について私は知的保留をしている。しかし、二〇〇九年の政権交代で鳩山由紀夫が普天間基地移設を容易にしゃべり移設問題が浮上してから、沖縄のことが気になりだした。勿論、一九七二年の沖縄の日本復帰については当然知ってはいる。
また、最近では百田尚樹氏の差別発言問題や沖縄タイムズ、琉球新報への発言その他で私ももう少ししたら、沖縄の問題も研究する必要があると感じていた。オール沖縄を標榜する翁長県知事の頑なな発言や、威力業務妨害罪で問われた沖縄平和運動センターの山城議長の欺瞞性が気にはなっていた。
●沖縄県は政府から毎年、国庫補助金合計一兆二〇〇〇億円以上交付されいる。
勿論各都道府県中、最高額である。県民はこれを認識していない。翁長知事は国庫負担金の項目分析をいつわり、三〇〇〇億円の沖縄振興予算にのみ言及して「特段の優遇は受けていない」と発言している。3
●佐藤内閣から始まった沖縄利権が左翼を呼ぶ。
「県民の労苦に報いるために、金で解決できることは最大限行う」と言った。以降、佐藤内閣が雨あられのごとく財政支援をし、そのうち沖縄には特殊利権がいっばいできた。そこに左翼が入ってきておかしくなった。とにかく、基地反対ということで騒ぐと無制限に政府自民党が「基地を極力減らしていく」「日本とほぼ同水準まで、生活レベルを上げる」という方針に沿って、北海道・沖縄開発庁などで開発予算がついた上に、さらに基地予算という形の「三階建て」に事実上なっている。37
●革マルが牛耳る沖縄の教育界。
今の沖縄教育界にも問題が多い。沖縄教職員組合は革マル派が牛耳っている。だから、沖縄の子供たちは、小学校に入るや否や「琉球王国という豊かな国、民主的な国が存在していた。明治になって日本政府によって滅ぼされた。沖縄戦によって多大な犠牲を強いられ、戦後は米軍基地が建設された。米軍はレイプ、ひき逃げ、騒音など三悪をまき散らしている。」と絶えず被害者史観を聞かされるのです。沖教組は韓国で行われているような反日教育を沖縄で行っている。151
●無関心こそが沖縄に対する日本人の罪である。
沖縄を弱者と認めことから生じる過剰な補助金、また福島原発に関わる帰還困難地域等に関する厖大な補助金は、結果として人間を無能にする事実を今後検証して行きたい。沖縄の返還後の歴史を検証していきたい。(悦司)
●今後の展開・今、フーバー大統領の「裏切られた自由」上下巻20000円弱の本を入手して読み始めている。関連の書籍も随分読んできたが、太平洋戦争(大東亜戦争)を何故アメリカは起こしたのか。別の視点から、少し時間をかけてまとめてみたい。その間、沖縄や福島原発等のテーマを検討してみたいと考えています。
写真・ 裏切られた自由

理念探究会125号・2018年度経営方針熟考会
その一、仕事を楽しむ、生活を楽しむ、人生を楽しむ
雪を警戒して一便はやい新幹線で鯖江に向かいました。米原までは快調。米原から金澤でも特急「しらさぎ」は少しの遅れで到着。まだ雪は大したことありませんでした。その後の福井地方の大雪は想像できませんでした。
●ムラケンの経営方針熟考会
前期は計画通りの実績で、今期は新しい挑戦がひとつのテーマです。精神的にも余裕が生まれていますが、壁を常に破りつづけ姿勢が衰えて来ると、これをマンネリする。仕事は面白いもので、追われると辛い、追いかけると面白い。彼らは数年前から金沢の女性(やまだのりこさん)にアドバイスを受けながら「キラキラプロジェクト」という勉強会を続けています。二度ほど私も金沢を訪問して彼女が関わっている町家プロジェクトの視察に同行しました。
金沢は新幹線が通るまでは、人の訪問にも交通の便はやや不自由で、このことが幸いしてか、文化伝統に新鮮味を強く醸しだしています。外部の人間はそう思うのだが、金沢でも高齢化や少子化は始まっている。そこでいままで使っていた町家が徐々に整理され、壊されるということが進んでいるようだが、そこに注目した彼女たち若手の建築設計家たちが智恵を集めて、町家プロジェクトを進めてきた。これが面白い。素晴らしいアイディアを満載している。正に、金沢の文化伝統の現代への復興とでも名付けるべきか。
●仕事を楽しむ・新しいことに挑戦する。
宇野社長も関心をもっていたが、今期は是非、金沢にムラケンのリフォームを金沢の地に実現してみようと構想している。ムラケンは二〇二〇年には無借金経営を実現する。これには見通しも立っている。が、企業は常に青年のように新陳代謝を続け若々しい企業として変化をしなければ何時かは停滞する。この機会に今年は仕事の深化の分野では建築プロデュースを更に進める。そして新しい分野で金沢町家プロジェクトに参加する。この町家の活用構想が胸の中に温まり形になっている。
そして全体方針(理念)としてムラケンの大家族主義経営を進めていく。一、仕事を楽しむ(町家プロジェクト)二、生活を楽しむ(建築プロデュースの深化)三、人生を楽しむ(大家族主義・地域密着宣言)を柱に進めることにまとまった。来年にはムラケン・金沢町家プロジェクトが佳境になっているだろう。

その二、構造大改革・壁を破る
N社の経営方針熟考会を行った。昨年から取り組み始めたが全体として変化は始まっている。しかし人間には色々なタイプがいる。現実をしっかり認識して、手を打ち続ける人、現実を知っていても上司の顔色を見ながら、やっている格好をつけるが、いまだに取り組まない人。自立連帯型企業運営とは基本的に社員一人一人の自立を目指し、極言すれば一人一人全員を社長にすることだ。組織としては企業理念(社志・経営姿勢・就業姿勢)を中核において経営することだ。
●自立しなければ成り立たない企業
六社の自立連帯企業は成長した。しかし、事業部制度でやっているグループの変革は遅い。
自分の仕事の成果が自分自身の所得に繋がる状態にある人は、問題に対して困難であろうが立ち向かわざるを得ない。立ち向かい解決しなければ赤字に転落し、いずれ倒産する。赤字を誰も負担してくれない。当たり前の話だ。
真の自立・人は助けてくれない
●広島のM社は来期に完全に社長が交代する。女性社長だ。新メンバーも成長している。会長は完全に退任する。会長には人生理念があるから、今後は理念に添った事業に専念する。
会長がいる間は心ならずも困ったときに頼る。頼っても赤字体質からは脱出できない。今期彼女は負債を応分に背負って社長に専念する覚悟をした。事態は変わり、今期は黒字に展開した。未来の展望も見えた。これからは黒字の連続と社員の成長しかない。
●福井F社は無借金経営に邁進中。かつて大赤字に陥って、意気消沈して逃げたいと思った経験がある。「死にたい」なんて弱音を吐いたと耳に入ったから、私は「その時は足を引っ張ってやる。」と冷たく言い放った。今では、十年先を読んで仕事を、人生を楽しんでいる。
本当に困ると、人間は変化し、変化すると周りが変わり、他人が変わる。今では見違えるように、経営的にも人間的にも変化をした。成長した。自信に満ちている。
●香川K社社長は真面目だが、気持に余裕がない。いつもピリピリした雰囲気を漂わせている。私も昔、父親から「真面目なだけでは人は使えない」と言われたことがある。彼も頑張るのだが、人に対する情が薄い。人間は理屈だけでは動かない。正論だけでは動かない。
今の社員全員自分が採用したメンバーだ。経営できない会社を畳んで撤退しょうかという思いが頭を横切ったことがある。そうだろう。
しかし困難の中で最後に彼は逃げなかった。そのための解決策に邁進した。真剣に動いた。幸いなことに動くことによって情況も変化し始めた。結果として今期は多少の赤字になったが、従来の営業活動の対象を変えることに気がついた。社会の動きや環境の動きを読んで対応しなくてはならないことは頭では分かる。わかっても行動を変えなければ結果は出ない。私も経験した。
情況を変えていく原動力は他人や環境にはない。自分自身にしかない。原動力は自分自身だ。このことに気づき行動を変えた。ここまでくれば、未来は拓ける。困難を愉しみなが現実に立ち向かっていける。立ち向かえば仕事は面白くなる。
●施工会社がある。この会社は社長が理念を制定した。岡山を中心にした施工体制を続けてきた。営業を統括するT橋社長ともども、広島拡大プロジェクトを発足させ、流れから広島にも会社を開くことになった。聞けば、安請け合いで出先をつくったように見える。しかし大事なことは将来予測して先に行動を起こし体制を整えることだ。これが小企業でも大事なことだ。社長新しい道を選択して行動を起こした。
●来期四月からN社で構造大改革が二期目に移る。製造にも営業にも自立連帯企業への脱皮が始まる。企業理念に添った会社として脱皮が進む。(悦司)