脳力開発/理念探究会121号

脳力開発121号・人間の生き方を再考する
今回は城野宏先生の理論と森信三先生のお考えを解説した上で、ここ数回続けているメディアの虚偽、ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい言葉遣いといわれ、政治的・社会的に公正・公平・中立的、差別・偏見が含まれてない言葉、用語)、民意の嘘、正義の嘘、リベラルを装う政治家、文化人、大学教授、裁判官などの人間としての生き方を再考してみたい。
私自身が三十七歳のとき、自分のスランプを解決するために出会ったのが、城野宏先生だった。そして自分の根本的な能力、実力の不足を痛切に自覚した。私の個人的な生活、仕事、諸々の起きてくる問題対応する能力・実力を磨くために、問題に対しての心の姿勢、思考方法の整備、実践力(行動力)の拡大ということに脳力開発の勉強を始めた。
そして自分自身も脳力開発の指導ができるように、インストラクターとしての勉強も始めた。数年経って卒業論文・実践体験を提出した。その後、インストラクターとして認められたとき、私の論文を脳力開発の小冊子に掲載していただいた。城野先生はインストラクター養成講座の卒業論文を以下の六カ条の標準で評価された。その骨子が、以下の標準である。
城野先生と当時の日本コロムビアの社長にも私の仲介で、お会いしていただいた。(城野生成、日本コロムビアの社長はともに出身大学が東京大学であった)そして、会社にも脳力開発の研修教育を人事部に所属していた同期入社の親友と協力して人事部社員研修に導入した。以来この六つの標準に添うように行動してきた。先生はこの六カ条を使って、自分を検査し、他人を検査してみたらよいと勧められる。全部揃っている人は大抵のことをこなしてしまう人物だ、と。
■人を評価する六つの標準
一、 理論がある
  行動の基準となる理論(戦略)を持っているか。基準が明確になっているか。
二、事実がある
  確定的事実。自分が決めたことを確実にやりきる実行力があるか。途中で挫けないか。
三、 意気込みがある
理論(戦略)がありそれを実現しょうという意気込みをあるか。
四、 行動がある
目的を達成するように具体的に行動しているかどうか。
五、成果がある
(Ⅰ)自分が変化したこと。
 理論(戦略)に基づいて行動し、自分はこういう変化をした。
(2)他人を変えた実績がある。
 自分の変化によって他の人の変化をつくりだした。
(3)変えた人を組織化し、継続的な活動にもっていった。
 他の人達を動員し、組織し、目標に向かって継続的に行動をとらせることができた。
六、 今後の具体的展開の政策がある
   今も継続的に、新たな課題を設定し、継続して行動しているか。
   (脳力開発の理論と実践まとめ)
■誠実ということ・森信三(幻の講話・第十二項)
●この誠実という徳は、正直という徳と比べて、どういう点が違うかと考えてみますと、誠実と言う徳のほうが、より多くその人の人間的態度が伺えると申しましたが、誠実な人と言う場合には、その人の「言行一致」と言うことが考えられる。94
●われわれ人間は口で立派なことを言うのはらくですが、実際にそれを行うことはおたがいに容易なことではないのです。そこで、言うことと行うことの間にズレのない人、またズレの少ない人に対して人々はこれを誠実な人として、敬意を払ったり、尊重したりするわけです。95
●誠実ということは自分の言った事を、いかに辛くても、言った通り行うことであります。それどころか、自分のなすべき事柄については、たとえ他人が見ていようがいまいが、終始一貫してなし遂げるということであります。すなわちそこには、前に申したように「言行の一致」ということの他に、さらに持続するということも、ふくまれているわけです。
●そしてこの持続ということは、たとえ人が見ていようがいまいが、その人の行いに、何らの変化もないということでありまして、この点こそ「誠実」の徳が、多くの人々の心を打ち、かつ尊敬せられるゆえんだと思うのであります。96

■総選挙「誠実ということ」・六つの標準から考える
●総選挙を迎えて、前原民進党(旧民主党)は分裂した。一部は「希望の党」(憲法改正を認める)へ合流し、一部は無所属で立候補、一部は「立憲民主党」(基本的に護憲)に分裂した。選挙前に長島昭久の離党が始まり、その後、細野剛志の離党とつづき、その後「希望の党」への合流と繋がった訳だ。  
●元々、民進党(旧民主党)は戦後、社会党結成の時の共産党系・マルクス主義に近い社会党左派と保守的な社会党右派が統合した流れを組んでいた。基本的に根本的な理念が異なるにもかかわらず社会党としての体裁を取ってきた。
●そして民主党は自民党保守ではない非自民をつくろうという流れのなかで、旧日本社会党から合流した者も多く、保守とリベラル(この場合には憲法改正反対=護憲)が併存する矛盾を潜在的に持ていた。

■民進党支持「連合」の流れを振り返る
また民進党を支援している連合も以下のような経過を辿って、左派と右派が併存した。
●戦後も政党別の系列が労働組合に持ち込まれ、戦後の労働組合出発にあたって、共産党系も、社会党系も一緒になって一つにまとめようとしたが統一の話は見事に壊れ、産別会議は共産党系、総同盟は社会党系という形になった。
●その後、総評結成
一九五〇年。二・一ゼネストを体験した人々は労働者が一つにまとまらないで、総同盟だとか産別だとか、共産党だ、産別民主化同盟だとかという問題ではないという流れで、総評結成に繋がって行った。
■再軍備に対する考え方
●共産党も憲法ができるとき、軍備を持たない独立国はおかしいと反対した。当時の日本の労働組合幹部のほとんどは、再軍備賛成が多かった。
●総評はその後、階級闘争を基本的理念とし、資本主義体制の変革を目標に据え、日本社会党支持を運動方針に明記し、反戦平和の運動を進めた。
■総評から連合へ
●総評は一九八七年発足した全日本民間労働組合連合会(連合)に合流するために解散した。
その後、社会党(のちに社民党)を支持していたが、民主党の結成後は軸足を民主党に移す動きが強まり、一九九七 年七月に民主・リベラル労組会議に移行した。
■連合結成についての見解(宇佐美忠信・連合副会長の意見)
●「官」と「民」の労組の統一が早過ぎた。官の場合には、民間との間に体質の違いがある。一九八七年に民間の統一、二年後に官民の連合と言うことになった。統合を急ぐが上に立場が違うまま統合し、これが「障害になっている」。だから「連合として大事なことを決めようと思っても、なかなか決められない。憲法問題、有事法制問題なども簡単に結論か出ない。「ものの言えない連合」になった。
●総選挙では連合左派は立憲民主党を支援した。

■衆議院総選挙の振り返り
●総選挙前に、民進党は分裂し「希望の党」に合流したグループと排除されたことが切っ掛けで「立憲民主党」が結成され選挙後、「希望の党」に参加した人達(民進党・希望の党新人)は「希望→失望→切望」と揶揄されている。そして又しても野党の合流という意見や予想どおり進展しなかった責任を前原代表の所為にして辞任を要求する人達も出ている。
●一方、選挙後野党第一党になった、立憲民主党の枝野代表は選挙後うっかり合流等の話に巻き込まれようものなら、立憲民主党も国民意志を無視することになると当選した人を戒めている。
■小池百合子の功罪・政治家のスタンスを明確にさせた
●小池百合子の「排除された」民進党絡みの人達からは非難轟々だが、政治家としての立ち位置を明快にさせた。職業としての政治家には、収入を確保するために当選しなければならない。しかし政治家を志すのは飯を食べるためなのか?と改めて問い直されることになる。
民進党を解党したのは、前原代表はこのままの民進党では政権奪取できる政党としては存続し得ないと認識し、代表一任を取り付けた上に、小池百合子と話し合いをした。一応内部的には全員合流を目指した。しかし、小池百合子は全員受け入れはしません。そして「排除」しますと宣言した。
●憲法改正の踏み絵・全員合流できると思っていたとしたら、全く虫の良い話で、「庇を貸して母屋を取られる」ような事を小池百合子が承知するはずはない。当たり前のことで、ここで「憲法改正」が踏み絵になった。これは画期的なことだ。あいまいに職業としての政治家を目論んでいる人間には予想外な出来事のようだが、国民には分かりやすくなった。
●虚像の失墜・小池百合子の曖昧さ、口先だけ、実行力のない、カタカナ(英語で煙にを巻く手法)を振り回して具体策を持たない実像がハッキリとあぶり出された。そして都民ファースの党の都議から離脱者が出て、加えて築地関係者からも、東京都庁の職員からも、都民からも「小池百合子はおかしいぞ」と不信を抱かれ、かつてあれほど持ち上げたメディアにまで叩かれはじめ「パリに逃亡」とまで言われる。

■メディアの嘘・政治家の嘘に気づき始めた国民
何回かに分けて、朝日新聞、毎日新聞やテレビ局・テレビ朝日、TBS、一部NHKの情報捜査、偏向報道の事を書いてきた。それは森脇・加友・加計問題の偏向報道はデーターを具体的に示しながら報告した。
●十月八日衆議院選公示前、安倍首相は日本記者クラブ主催の党首討論会でこう呼びかけた。「国民のみなさん、新聞をよくファクト(事実)チェックしていただきたい」と。朝日新聞の記者に、「御社は加計問題の予算審議会での元愛媛県知事の加守利氏の発言を載せていませんね」と、問いかけたら、朝日新聞の記者は二度にわたって「載せています」と言い張った。思わず会場から失笑がでた。
●北朝鮮の挑発や少子高齢化の課題に立ち向かう選挙であるいう視点よりも朝日、毎日は相変わらず「モリ・カケ問題」に引きずり、小池百合子までも選挙戦終盤は「モリ・カケ問題」を選挙演説で絶叫していた。
●朝日新聞と東大(谷口研究所)の共同調査でも改憲賛成姿勢・当選者の八十二%と報道している。時期も「こだわらず」が六十五%と十月二十四日の朝日新聞に当選者の考えを政党別に記載している。今回の選挙結果を丁寧に分析してみれば面白い。

■十月初旬、茨城・西日本理念実践会で森信三先生の幻の講話より「誠実ということ」について和談をした。その時に、丁度話題に上っている民進党幹事長候補だった「山尾志桜里」の「週刊文春」の写真入り記事が話題になった。東大法学部出身、司法試験合格、検事を経験し「保育園落ちた。日本死ね」で一躍脚光を浴びた彼女の政治家としての言行を確認した。離党して臆面もなく立候補した。結婚指輪を外して(?)。彼女が僅差で当選したことには、幻滅した。彼女の選挙区の尾張旭市住んでいた人間としては情けない。
●冒頭にあげた、人を評価する標準、誠意ということに添って、新聞・テレビ、メデイア、政治家などを評価してみるとハッキリと評価が明確になってくる。振り返ってみると「学歴の高さと実行力・人格は反比例する」「口先だけは立派な事を言う」また「きれいごとをいう女性政治家」達の振る舞い(言行不一致)で国民から冷厳な評価を受けた。国民は今回の選挙ではイディア、テレビ、新聞などに心配したほど影響をかけ、振り回されずには冷静な判断をするようになったと多少安堵している。事実は徐々に理解されてくるようだ。(悦司)

理念探究会121号
その一・逆境こそ成熟の機会
N谷石材グループは自立連帯の企業運営を実践している。ここ数年の石材業界・墓石業界の変化は一般の人達でも感じているところだ。例えば墓石販売に関しては、葬儀の仕方が段々多様になり、樹木葬とか散骨と、都会の場合にはお寺もいろいろ工夫している。これは今さら言われる問題ではない。私達十二年前、自立連帯型経営を採用して、企業理念を制定、また販売部門・それぞれの営業所(福井、鳥取、広島、津山、香川)施工等をそれぞれ経営者としての勉強を指導しながら経営的に自立させ自立した企業として経営を続けてきた。
勿論、事業構造の転換への準備も進めながら、それぞれが経営者としての能力を磨き、経営者としての理念探究も進めてきた。窮極は経営担当者の理念制定を目指して進めてきた。しかし、一方で五十年近く進めてきた旧来型の経営の部分も、事業部としては残して転換を目指しながら、決断を仕切れないところもあった。
ここ二年最終的に、事業構造の転換五カ年計画をたて進めている。N谷石材は自立した企業も上記のように六社存在する。しかし、まだ自立まで至っていない岡山営業部、製造部、総務部、施工部などが存在する。一方、新規事業・草むしり事業も大きく進展してきた。そして四月以降複数のプロジェクトも立ち上げスタートしている。
順境にいた人間には変化を恐れる
五十七期始まって、事業転換を具体的に進めるためのプロジェクトがスタートしている。めざましい変化を始めた事業部もある。しかし、いまだ親方日の丸の生ぬるい環境から抜け出す固い決意をしていない部署や社員もいる。まあ、当然といえば当然だろう。自立連帯の渦中にいないで今までどおり過ごしてきた人間が、プロジェクト開始とともに、個人的にも事業としても試練に出会って、いまだ躊躇っている。
 企業理念を制定したからといって、企業がいっぺんに、変化するわけではない。しかし、その間の変化、逆境を体験した人間は、強く鍛えられている。最近の大手の企業の粉飾を思い出してもらいたい。東芝電気、三菱自動車、日産、神戸製鋼所を見れば分かるが、理念のない企業、サラリーマン型経営者の企業は長い間に「茹で蛙」となり、突然滅亡の渕に立たされる。
 変化を始めたN谷石材の部門は最終的には自分の部門を変えなければ、存在する価値がないことを自覚して、自ら積極的に取りくむことだ。何も努力や工夫しない人間が救われることはないと、自覚してもらいたい。正に、逆境こそ人間を鍛え、成熟への機会である。これは国家でも同じことだ。いつもきれいごとを唱える政党が国民を守ることはない。(悦司)

その二・高齢者の集う古民家
山を背にした小さな集落に一軒の古民家がある。その古民家の屋号は「サロン・ハナミズキ」という。いつもウォ―キングの途中に気になっていた。こちらに引っ越してきてから近所を歩いていると、鬱蒼と木の生い茂った古民家があり、高崎医院分院という看板が気になっていた。立派な家なのに住んでいないようだった。ところが最近、鬱蒼とした木々が刈られ、何やら人の気配がする。そしてある時いつも散歩の途中時々寄ってお話しをするY本さんの娘さんと話していると、今、その古民家で月水金とお茶を飲ませてくれる。そしてお年寄りが寄ってお話しをしていると言うことで、丁度その日にお話しを聞いた足の不自由なお母さんをお連れして娘さんが行くと話を聞いたので、私達も寄ってみた。
二人の六十代の女性の決断
 立派な古民家で、六〇代の女性が二人で近所のお年寄りにお茶を提供しているとのことだった。よくやっているものだと思い、失礼を顧みずお話を聞いてみると、高崎家はこの地域の旧家で本家から出た人が、医学の道を選んで、東京で病院を経営している、その方の実家がこの古民家で、ここは高崎医院の玉造分院となっていたそうだ。
ここでお世話している二人の女性は横浜から転居されたY田和子さん陽子さんという義理の姉妹だ。どういうご縁でいらしているのかとお聞きしてみたら、NHKにお勤めだった陽子さんは高崎さんのお誘いにのり義理のお姉さん和子さんをお誘いして移住されたとお聞きした。
高崎家の縁続きの方が(現役時代NHKに勤務された)この古民家管理を引き受けられ、この家を大掃除し、近所の方たちのお年寄りの寄り合いの場として使い始められたと言うわけだ。古民家再生に関心がある進化経営学院の参加者と見学に行った。およそ百年も経つ古民家の構造としっかりとしたつくりに感嘆した。
お話好きな高齢女性
その後私達も通い初めで馴染みになった高齢者の女性たちの年齢はF田さん九十二歳、Y原さん八十六歳、T崎さん八十三歳、Y本さん八十歳、N島さん七十五歳ということだ。勿論他の方たちもいるのだが。お会いする人達と話を交わすうちに、田舎の一見無口なおばあさんたちは予想外によく話をする。
先日、善子の誕生日とお世話する陽子さんの誕生日が十月なので、一緒に誕生会を開いてくれた。その際、私が「後三食、食事をするとしたら何を食べたいですか」とお聞きしてお話しを聞いてみた。
九十二歳のF田さんは、かわいいリボンを頭に結って、フリルの付いた洋服を着て参加されていたのだが、「お芋、沢庵、キュウリ」とハッキリとお話しされた。その他の人達も「お魚、お肉、野菜」とか「お寿司、お肉、野菜」とニコニコ話してくれる。というように、月一~二度ご一緒しながら楽しく過ごしています。
強力な援軍の男性Y中氏
 男の人たちも少数ではあるが参加されている。積極的に応援しているY中さん(男性)は七十歳前後。この方は現役の時はトラックの長距離運転をしていたそうだ。少し聞いた話だが、長距離運転の仲間がいて、日本各地で懇親を温める楽しみがあった。振り返ると食事は高速のドライブインやその他で、謂わば、お腹を満たす偏った食事をしていたそうだ。長距離運転の現役を退いてから玉造の家・実家で暮らし始めたとき、変調を感じて自分で運転して病院を訪ねたそうだ。丁度病院が非番の日に当たり、結果として心筋梗塞の疑いに対して手当ては少し遅くなったそうだ。回復には五年掛かったと教えてくれた。自分の体験があるから近隣の高齢者や多少の障害がある人と積極的にこの「サロン・ハナミズキ」にお誘いしてくれる。個人的には今は自転車に凝っていて、霞ヶ浦の湖岸を走っている。私達とウォーキングの際であっていた近隣の男性も引き込んで、自転車で朝走っている。健康にも一入留意している。
介護の研修に通っている陽子さん
先日誕生会の後で、陽子さんが次回金曜日は研修で休みますということだった。何故かと聞いてみると、研修が何日かあるために金曜日と次の月曜日はおやすみにするという。
私は管理をしている高崎さんと彼女たちの「サロン・ハナミズキ」構想については詳しくは知らない。当初はこの古民家で食事も提供できるようにと構想されたようだったが、食事の提供だと古民家改修に消防法の問題があるということで、現在の形を取ってるが、まだまだ、いろいろな構想をもっていられるようだ。そしていま介護予防士二級の資格をとるための勉強し始められていたようだ。他にもシルバーリハビリ体操指導士三級の資格取得にも挑戦されている。
この地で地元の高齢者の人達を長期的に支援されようとしている構想に、身近だが女性たちのこの後の生き方の片鱗を覗いたような気がした。そして、これから次々と展開される構想に対して私達も応援したいと感じてこの記事を認めている。(悦司)