■理念探究会107号

■理念探究会107号

●緑むせる創造・久世薫嗣2016年訪問記
一年ぶり7月22日~23日に稚内・天塩に住む久世氏訪ねた。昨年の訪問
で大病からの生還した彼へのインタビュー記事を書いた。今年春、彼から
彼の著書「緑むせる創造」を増刷したいと言ってきた。その時、以前私が
書いた子供さんたち(長男亮氏は酪農経営、長女歩さんはチーズ製造、三
女あもさんは喫茶レティエ運営)のインタビュー記事を載せようと提案し
た。あわせて彼の今後のテーマである、保養のための「自給のむら」の方
針・案内を載せることになった。了解をとって早速編集してまとめた。こ
れが好評で、7月末からの2016年ほろのべ「核のゴミを考え」全国交流会の
資料として更に増刷した。今年、訪問のテーマの一つは幌延深地層研究セ
ンターの訪問と核のゴミの問題を聞くことともう一つが「自給のむら」の
訪問だった。
●久世さん周辺の一年ぶりの近況
22日10時過ぎ、利尻から稚内港に到着した。久世さんが迎えにきてくれ
ていた。最初の目的地、幌延深地層センターに行く途中に長男・亮氏の牧
場があるというので、寄ってもらうことにした。幸い仕事が一段落して自
宅でお会いすることができた。三年ぶりの再会。ただ今41歳。奥さんにも
会えた。亮氏にお嬢さんのことを聞いた。三年前、お嬢さんは小学校6年
生、もう中学3年生。来年から札幌にでていくとのこと。そこで「何故札
幌まで出て高校にいくのか」と失礼を承知で聞いた。確か中学になったと
き、ニュージランドに行ったとか耳にしていた。お嬢さんは将来、酪農家
の道を目指すために札幌に行くと自分で決めたという話だった。
いや、流石!!!
亮氏は小学2年で兵庫の山奥に移住。学校は行かなかった。14歳で北海道
に移住。そして22歳で新規就農、今は酪農家達のリーダーとして活躍して
いる。そのお嬢さんが将来の目的をはっきり持って高校に進学する。
ここに、久世さんの真意が具体的に証明されている。自分の人生は自分で
決める。将来は自分の意思で決める。

●幌延深地層センター・核のゴミ問題
亮さんの家から幌延深地層センターに向かった。広大な原野に巨大な建物
が見える。地上施設は大きなタワーのある「ゆめ地創館」研究棟、試験棟な
どで構成され、地下施設は西立坑、東立坑、換気立坑、排水処理設備で構成
されている。ゆめ地創館は女性の案内の人が説明してくれる。見学自由。入
り口には、地域との約束がキチンと表示されている。地下階行きエレベー
ターに乗って500米までおりる。そして見学。専門家の女性が縷々希望すれば
説明してくれる。事前に久世さんからレクチャーを掛けていたので説明に何
となく相槌が打ちにくい。あとで展望台に昇り周辺を見回す。トナカイ観光
牧場などもある。
そこから「自給のむら」を目指した。自給のむらに到着する道中そしてその
夜から翌朝にかけて久世さんから「核のゴミの問題」「原発」の問題のレク
チャーを受けた。久世さんから後で、福島原発事故に関する参考にとすすめ
られた小出裕章氏の「騙されたあなたにも責任がある・脱原発の真実」「原
発のウソ」を読み、その後知りたくないけどしっておかねばならない「原発
の真実」を読んだ。
久世さんに聞いた話だが、核の開発は戦争と技術の発展が絡んでいる。核開
発、原子爆弾の投下、終戦後、その後の冷戦に移り、作りすぎた核の処理に
「平和利用」転用が考えられた。エネルギーとしての利用だった。今日エネ
ルギーの問題を考えたとき、実は原発は最も経費のかかる発電形態だという。
現時点で見れば、シェルガスが一番安価、そして石油、石炭を使う火力発
電も原発に比べれば、安価であるという。一方、環境問題も存在する。その
他いろいろ太陽光とか風車であるとかいろいろあるが、説明を聞くまで私自
身もエネルギーに関する概念図も知らなかった。

●幌延の住民運動
核のゴミの処理について、我々人類は「時間をかければ処理ができる方法
を発見することができる」として、平和利用という名で先進国がイニシャテ
ィブをとり、近々ではイラン、北朝鮮の核開発が問題になっている。
2011年の東日本大震災と津波により福島原発の問題がおきて、1979年のスリ
ーマイル島原子力発電所の事故、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故
を活かしていないことが問われている。
福島以来、脱原発が前にもまして騒がれている。私は、この問題も含めて久
世さんに聞いてみた。何故、幌延深地層センターに対しての「核のゴミを考
える全国交流会」を行うのか。
今年で第八回をむかえた。彼はこの活動の実行委員会のリーダーをしている。
2000年度にスタートした幌延深地層研究計画は、研究機関を20年程度と道
民に説明してきたが、この約束が反故にされようとしているこことに、住民
運動として出発した。
毎回全国から沢山の参加者が集まり2日間にわたって議論をし、講演会を
開催している。今年は第8回目。今回の講演は大阪大学の今岡良子氏だと聞い
ている。今岡氏は「地層処分問題」について話をされるそうだ。国はこの核
のゴミの問題を解決できないまま、既に作った原発を継続させながら一方で
その処分に苦慮している。

●核のゴミの処理
久世さんに聞いてみた。インターネットで世界の原子力発電所の一覧表を
覗いてみたら世界各国のその数の多さに、唖然とする。世界はこの核のゴミ
を、どう処理しているのかと。耳にしただけでも、フランスでもイギリスで
も処理に困っているのではないかと。海に放棄しているのではないのか。ド
イツのメルケル首相も原発廃止と言っているけれど、もともと、フランスか
ら買っているからではないのか。と問うた。その通りだと彼は答えた。「こ
の膠着状態を打開する道はあるのか」と。彼は答えた。「今のところ、解決
する道は、原発のあるところ、核のゴミを生み出したところに埋めるほかは
ないだろう」

●幌延活動の現在
帰宅して、地元に20年ほど前移住し、久世さんの牧場で研修し、その後譲
り受け、1人で18年牧場を経営し、最近この運動に関わり始めたY路さんに質
問してみた。
Y氏は長崎大学の水産学部に都合7年近く在席しこの道を歩むべきかどうか
振り返り、その結果この豊富にたどり着いた人だ。
「幌延問題をもっと知りたいので、関連の情報を教えてくれないだろうか」
とメールで問うてみた。彼の返事は以下のことを教えてくれた。

「返事が遅れました。幌延問題を知りたい時にわかりやすいFB(フェイスブ
ック)の件ですが、数はありますが、正直、的確なHPなどはあまり無いです。
幌延問題に携わっている人達は、高齢の人達がとても多くて、どうしても60~
70年代の安保闘争や労働運動、政治運動、学生運動等を基本にして『幌延問題』
に関わっています。住民運動をベースにしてやっている人達は、久世さん達ぐ
らいです。幌延問題の本質を知りたいのであれば、やはり現地の人達と話し合
いを続けていくのが一番ベターなのかもしれません。」
*自給のむら訪問については次号でお伝えします。

◆戦後70年検証シリーズ
今年戦後70年を検証する作業を進めている。現代史を知らないことによる
「知的保留」を埋めていくことでもある。全体の概念図は既に提示しているが、
教育・日教組の問題から、先月号では、
一、日教組による戦後教育で失われたもの
二、何故、裁判官の中に左翼的な人がいるのか?
について検証した。今回は、もう少し気になる課題を検証してみる。
三、何故、作家は日本ペンクラブに所属し、クラブとして政府に批判的なのか?
四、何故、大学の先生、芸能人、芸術家の一部は、第九条等に批判的な意見を
言うのか?について考えてみたい。

●日本ペンクラブは、教科書検定、安保条約や刑法改正などに対する批判、国家
機密法に対する反対や破防法適用に関する抗議、書籍等の再販廃止に関する声明
などがある。
果たしてこれらについて会員の意見と統一されているのかといつも思う。その
声明文を読みながら、私は何故、毎回反体制的な発言ばかりするのか?と腑に落
ちないことがあった。彼らの主張することは共通して左翼的な発言の傾向か強い。
そう思っていたら、曽野綾子氏が、日本ペンクラブについて書いていた。入会す
ると、さまざまな声明文への賛同を強制的に押しつけられる。個人的に納得でき
ないことが多く脱退したと。
●また、昨年の安保法案のデモでも、「お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」
などとわめく民主党お抱え御用教授・山口二郎氏、都知事選に立候補した鳥越俊
太郎・候補騒ぎの石田純一・大竹しのぶ・瀬戸内寂聴・美輪明宏・香山リカ・茂
木健一郎・宮崎駿・第九条の会の大江健三郎、坂本龍一などが外にもいっぱいい
る。それぞれが、自分の専門分野で表現するのは納得だが、何故、「いかにも正
義の人間である」かのように発言するのか?それらのことが大いに疑問だった。
今回これらのテーマについて考えるとき、江戸時代の碩学・中江藤樹の考えを基
本において検証してみる。

■正真(しょうじん)の学問、贋の学問(中江藤樹)
近江聖人・中江藤樹は「世間にはどうも贋の学問が多いが、我々は正真の学問
をしなければならぬ。すなわち本物の学問をしなければならぬ」と力説されてい
る。
正真の学問とは一体どういうのものかというに「正真の学問」の極致は「富貴
をねがわず、貧賤をいとわず、生をこのまず、死を憎まず、福を求めず、禍を避
けず、唯身を立て道(真理)を行う」ような人間になることだと申されるのであ
ります。
「贋の学問」とは、常に貧富という問題がその中心にあり、また幸福とか不幸と
いうことによって、常に心を動かされ、その精神が動揺するようでは、正真の学
者ではなくて、贋の学者だというわけです。端的に申せば名利の念を第一として
いるかどうかが、その岐れ目だ。(森信三)

今回二冊の本を取り上げて、二点のテーマを検証する。
■日本ペンクラブ阿川弘之著・国を思うて何が悪い
●日本ペンクラブが国際ペンクラブをわが国で開催した時、メイン・テーマが
「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのかー」というはなはだ政治的な
ものだった。もう少し穏やかなテーマの方がいいという意見が強かったようです
が、急進派作家たちの剣幕に押し切られたらしい。具体的に言うと、全会員から
アンケートをとった。ところが別の穏健なテーマに集まった方が倍近く多かった。
そうなったら平気でこれを無視する。ペンクラブ会長の井上靖さんも歯が立たな
かった。

●社会主義国というのはやたらに文化人を招待する癖があってね。埴谷雄高さん
がそういう政策を批判して、日本の作家たちも招待されて、のこのこソ連なんか
へ出かけるべきではないということを言っています。いきたければ自費で行くべ
きだと。「近代文学」は埴谷雄高さんの外に山室静、本田秋五、佐々木基一、荒
正人、平野謙、小田切秀雄。すべて左翼運動をやった人たちだ。革新的な立場に
立って戦後の文壇で指導的な役割を果たそうとして訳だ。しかし七人の侍でそれ
を守ったのは埴谷雄高一人だった。
●社会主義国へ招かれて行った人たちは少しだらしがない。特に毛沢東時代に中
国へ行った人たち、あれは何ですかね。向こうの代弁者になって帰ってくる。甚
だ気に入らない。文筆家の風上にもおけないという気がする。
文化大革命を賛美した人たち
●文化大革命の最中に、文藝春秋の池島信平さんが、紅衛兵という子供まで使っ
てあんなことをやるなんて、毛沢東なんか信用できないと言った。石坂洋次郎さ
んも文化大革命に対して疑問を呈している。普通の常識でもって見ればこれはお
かしいと思えることが、ある観念にとりつかれると見えなくなってしまう。
●戦後昭和四十年代頃からか、朝日に左寄りの傾向がひどくなり、跳ね上がりの
過激派学生を支持したり、何にでも反米、親ソの論調を展開したり、社長の広岡
知男氏が「日中和平を最優先課題と考えるから、朝日は中国のマイナスになるよ
うなことは一切書かない」と称して文化大革命を支持したり、これがどうも理解
できないし我慢できない。
●安手の正義感に燃え立っていると、貸す耳を持たなくなってしまう。ペンクラ
ブの会長がそういうことを言うのは許せないといきり立った。現実論よりも原則
論の方が、いつでも勇ましくて立派そうに聞こえますしね。

■平川祐弘著・日本の生きる道
なぜ朝日は「正義」のキャンぺーンを張りたがるのか
●日本の新聞は戦前と戦時下は軍部に、占領中は米軍に、戦後は中国に対して過
度に遠慮した。満州事変を軍が起こしたとき、「敢然として自衛のために立ち上
がった」軍を後押しした。朝日は飛行機を活用し戦場写真の速報性と臨場感で他
紙を圧倒、売上げをさらに伸ばした。「清潔なる軍」が「腐敗した政治」との対
照裡に称賛され、テロを企む「純粋な青年将校」が「昭和維新の志士」としても
てはやされた。

◆「朝日」と大学人との関係
●軍事国家が崩壊すると新聞は文化国家の建設を唱えだした。
戦後は東大の南原繁、矢内原忠雄両総長が平和主義の二大巨人として持ち上げ
られ、昭和20年代を通して東大総長の訓示は首相の施政方針よりも大きく敬意を
込めて「朝日」紙上で扱われた。
●吉田茂首相が単独講話に反対する南原茂以下を「曲学阿世」と論難したとき、
世間は南原を擁護し吉田を罵った。南原・矢内原の二人が名前を連ねた平和問題
懇談会や岩波の雑誌や「朝日」紙上全面講話論を展開した南原やその弟子筋の丸
山真男、マルクス経済学の大内兵衛、米国左翼と親しい都留重人などは直接間接
に社会主義勢力を支持していた。

◆朝日に忠実な秀才の末期
●私(平川)は東大でまだ一年生だった岡田克也を教えた。家永三郎執筆の日本
史教科書が文部省の検定で修正をまとめられ、家永裁判があった。その訴訟がク
ラスで話題になると、学生の岡田は「朝日」の社説のような意見を堂々と述べた。
そのような模範解答をすなおに言い続けれていれば、世論にも支持され、ある程
度までは必ず出世できるのが今の日本の仕組みだが、実はそれが落とし穴なので
ある。
●民主党政権を担った左翼秀才の面々は、かつて持てた人であった。だから以前
は選挙に勝てた。だが、いまは持てない。日本でも通用しない。世界で通用する
わけがない。管直人も仙谷由人も戦後日本の教育情報環境の中で育った優等生、
いってみれば論説どおりに行動した。彼らは左翼系大新聞の模範的解答どおりの
答えを述べた。

◆家永三郎と「日本悪者史観」
●家永は資料を集めるうちに、吉田清治の「私の戦争犯罪朝鮮人強制連行」1983年
に飛びつく。そして「吉田告白記には、悲鳴を上げて抵抗する娘たちを暴力で護
送車に押し込め、連行途中で護送兵士に・・云々と凄惨な情景がなまなましく記
されている」と書いた。何人かの人たちはこの類の記事をいとも簡単に真実と思
い込んだ。
●徹底した実証主義で知られる近現代史家の秦郁彦は「朝日新聞」の報道であやし
いと直感して出版社に電話すると「あれは小説ですよ」と返事をした。済州島の土
地の人も否定した。このことが朝日新聞によって世界的に報道され、吉田の本は韓
国語に翻訳され、国連報告書にも採用され、日本は性奴隷の国にという汚名をかぶ
せられた。
●家永は戦後という時代の御用学者として歴史書を書いた。
日本の悪い面を列挙した挙句、中国人民解放軍の良い面を列挙し、「日本はアメリ
カの物量に敗れるに先立って既に中国の民主主義に敗北していた」と書いた。

◆「朝日」ヒーローとしての大江健三郎
●大江健三郎は戦後民主主義の寵児である。大江の言い分は正しいだろうと朝日の
社内の人も読者も頭から決めている。しかし大江は反体制のチャンピオンで、安保
騒動が起きればデモを支持し、文化大革命が起きれば中国の紅衛兵はもとより安田
講堂に立て籠もる造反学生を支持、韓国よりも北朝鮮を支持した。口先だけが反体
制、反政府でしかし、文壇ではこれが主流である。そして女子大生に「自衛隊員の
ところへお嫁に行くな」と叫んだ。

◆沖縄ノートの虚偽
●大江は学生作家として芥川賞をとり、昇りつめてノーベル賞まで取ったが、日本
の文化勲章は拒否するスタンドプレーをし、それでもフランスから勲章を喜んで戴
くなどするうちに、近年は読者から見捨てられた。

◆日本左翼の自家中毒症状
●一連の朝日知識人というべき人士がいる。北京を批判しないという立場の知的巨
人としての加藤周一は多くの人から「良心的」と見なされ、加藤の言い分は正しい
だろうと朝日の社内の人も読者も頭から決めている。大江と同じで、ジャーナリズ
ムでの名声と地位に敏感にこだわる人だ。
●世間の作家、評論家は北京を批判しない「朝日新聞」の調子にあわせて物を書く、
左翼には左翼流の出世の仕方立ち回り方がある。朝日新聞の調子にあわせて大学の
先生もいろいろ大合唱をした。

しかし、日本では「朝日新聞」の社説やコラムのよしなことを言えば「良心的」と
いわれる時代が長く続いた。

◆まとめ
自分の本業の世界で学生、読者、音楽や映画を愛する人達に伝えるべき人たちが
政治の世界で、「正義面」をして語る。彼らの本性は何なのだろうか。その本性は
正に、中江藤樹のいう名利の念を第一に求める贋の学問ではないかと考えざるを得
ない。