■理念探究会100号
●戦後70年を検証する
先月号で、これから一年かけて私自身の人生に重なる日本の戦後を検証したい
と書きました。戦後は私が二歳から始まったわけですが、今なお日本は戦後のG
HQ占領政策から開放されているわけではありません。占領政策の洗脳にとどま
っている人たちが多いことも間違いありません。また、私を含めて今日までの日
本人は朝鮮戦争からの戦後の経済復興そして戦後の経済高度成長の波の中で、全
ては「経済優先」をかかげ、世界に対しても「問題を大きくせず、穏便に過ごせ
ばいいではないか?」と「長いものに巻かれろ」として過ごしてきたとも言えます。
私も正に経済成長真っ只中で成長したわけです。しかし、経済の成長が人間の
幸せを保証するものではないことは現在2016年から振り返ってみて、誰しも納得
できることです。先月号にも書きましたが、その間70年の歴史は私自身にとって
もある種の空白状態でありました。そこをキチンと埋めたいというのが今回から
の企画の目的です。
研究の概念図は添付の通りです。この概念図に添ってこれから展開していきた
いと考えています。既に資料を読み込んでいますが、並行して進めていきたいと
思います。お読みになってご意見があればどうぞメール下さい。研究を深める資
料にしたいと考えております。
●第一章GHQの占領政策
今回は、以下のテーマを中心に書きます。この政策が実は戦後の日本人を洗脳
する一番の政策であったと考えます。そしてこのことによって、私たちの知らな
いことが日本に起きてきたということです。欧米人、中国人は戦略思考に長けて
いるといわれますが、日本人はこの戦略思考を最も不得意としていると言われて
います。このGHQの戦略の内容から考えていきます。
●ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
■(英語:War Guilt Information Program、略称:WGIP)とは、文芸評論家の
江藤淳がその存在を主張した、太平洋戦争(大東亜戦争)終結後、連合国軍最高
司令官総司令部による日本占領政策の一環として行われた「戦争についての罪悪
感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(罪意識扶植計画)である。
■1979年よりウィルソン・センターで米軍占領下の検閲事情を調査していた江藤
淳は、アマースト大学の史学教授レイ・ムーアより「Draft of c/n, Subject :
War Guilt Information Program, From : CIE, To : G-2 (CIS), : Date :
6 February 1948」と表題された文書のコピーを提供された。
■2015年、近現代史研究家の関野通夫が、「ウォー・ギルト・インフォメーショ
ン・プログラム」の名称を使用しているGHQの指令文書が国立国会図書館所蔵の
「GHQ/SCAP文書」の中に存在していると、自著や『正論』(2015年5月号)に写
真を掲げて主張し、件の文書を明星大学戦後教育史研究センターで発見したと
述べている。
■「WGIP」の冒頭には、「CIS(民間諜報局)局長と、CI&E(民間情報教育
局」局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、
日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しか
つこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。」
と記している。
■江藤淳は、太平洋戦争史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」
とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、
実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実
には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えよう
とする底意が秘められている」と分析している。
■「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、
「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」
も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという
論理が成立可能になる。
大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かっ
たから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところ
はない、ということになるのである」としている。
■ WGIPは「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、「何を伝えさせ
ないか」という消極的な政策と表裏一体の関係であり、後者の例はプレスコ
ードが代表的である。
以上のように、WGIP存在したことは先人の人たちが発言し、書いている。
藤原正彦の「日本人の誇り」(2011年4月発売)にも書かれている。
しかし現実には、このことを耳にしても何があったのかは知らない人が多い。
昨年、自民党でも稲田総務会長も自民党内で、研究会を発足させたと聞く。
具体的にはまずは以下の言論統制が行われた。
この七年近くに及んだ言論統制、私たち日本人にどれたけの影響を与えた
かは計り知れない。そのことも順次取り上げて行きたい。
プレスコード(Press Code for Japan)
太平洋戦争(大東亜戦争)終結後の連合国軍占領下の日本において、連合
国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統
制するために発せられた規則である。これにより検閲が実行された。
新聞報道取締方針
プレスコード通達に先立って昭和20年(1945年)9月10日に「新聞報道取締
方針」「言論及ビ新聞の自由に関する覚書」が発せられ、言論の自由はGHQ及
び連合国批判にならずまた大東亜戦争の被害に言及しない制限付きで奨励され、
GHQ及び連合国批判にならず世界の平和愛好的なるものは奨励された。9月22日
には「日本放送遵則」が出され、放送準則、映画準則がある。
朝日新聞変節のきっかけ
朝日新聞の1945年9月15日付記事と9月17日付の2つの記事について9月18日に
朝日新聞社は2日間の業務停止命令 を受けた。これはGHQによる検閲、言論統
制の始まりであった。
9月15日付記事では「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆
弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争
犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」といった鳩山一郎の談話が掲載
され、9月17日付記事では「求めたい軍の釈明・“比島の暴行”発表へ国民の
声」の見出しで「ほとんど全部の日本人が異口同音にいってゐる事は、かかる
暴虐は信じられないといふ言葉である」という内容の記事が掲載されていた。
「朝日新聞」ある事件から「軍国新聞」に急旋回、「反日新聞」へ
作家・門田隆将氏ブログより
朝日というのは、思想が両極端に振れる新聞でした。大正時代には大正デモ
クラシーの最先端を行く新聞だったが、急に軍国主義の新聞に変わる。きっか
けは、大正7年に起きた「白虹(はっこう)事件」。当時、寺内正毅内閣の打
倒に走っていた朝日が「白虹日を貫けり」と書いて大騒動になったんです。
「白虹日を貫けり」とは、荊軻(けいか)が秦の始皇帝を暗殺しようとしたと
きに起きた自然現象のことで、すなわち帝を殺し、世の中をひっくり返すとい
う意味に使われます。
これで不買運動が起こっただけでなく、当時の社長が帰宅途中に襲撃される騒
ぎまでになった。この事件により経営陣や編集幹部が総退陣して右旋回する。
それ以来、あの旭日旗の軍国紙面になったのです。その右翼新聞が、終戦の昭
和20年8月15日を境に変わったわけではない。当初は「GHQ何するもの
ぞ」と戦っていた。
一番すごかったのは同年9月15日付の鳩山一郎氏(後の首相)のインタビュ
ー記事です。これは大きな波紋を広げました。「“正義は力なり”を標榜する
米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が、病院船攻撃や毒ガス使
用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことはできないであろう」
この記事があまりにもGHQの急所を突いていたので、発行停止処分を受け
たんです。 これをきっかけにGHQはプレスコードという30項目の規制を
発表し、GHQ批判や東京裁判批判、戦争犯罪人の正当化など報じることを禁
じました。
そこで朝日が変わった。白虹事件のときと同じように経営者、編集幹部が総
退陣した後、10月24日付の1面に「戦争責任明確化 民主主義体制実現」
と大見出しを掲げた後、「自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する
数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と書いて過去の報道と一線を画
すことを宣言したのです。それ以降、いまの朝日が続いている。いまに至るま
で反日報道を続けている原因がここにあります。(以上門田氏)
GHQが定めた三〇項目の報道規制とはなんであったのか?
以下の30項目の報道規制は占領国アメリカの本心(戦略)がうかがえる。
1948(昭和23)年には、GHQの検閲スタッフは370名、日本人嘱託5700名がいた。
新聞記事の紙面すべてがチェックされ、新聞記事だけで一日約5000本以上であ
ったそうです。
以下の項目を基準に、規制された。この言論統制が七年近く日本の言論・出版、
放送をコトロールし続けた。
1.SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2.極東国際軍事裁判批判
3.GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表
これだけの規制をしてマスコミはもとより放送規制があったのが事実です。
またラジオ番組「真相箱」が流され、昭和21年8月25に発行の「真相箱・太
平洋戦争の政治・外交・陸海空の真相」連合国最高指司令官民間情報教育局
編 コズモ出版が出されており、当時のラジオ番組「真相箱」の台本をまと
めたものがある。(次号に続く)
■希望ある悩み・茨城と彦根の経営計画熟考会
12月25日~27日、1月8日~10日にそれぞれ茨城7名、彦根8名の経営者が集
まった。いずれも好天に恵まれ、2016年度の自社の経営計画を熟考した。
まずは、大きく世界の変化日本の変化、時代の大局を参加者ともども認識
する。その後、第一局・理念設定から第二局・案件設定をこなして初日が終
了、交流会が行われる、茨城では北陸の蟹を送っていただき、新年の交流会
が始まる。
二日目、第三局・現状把握は案件のデーターを具体的に、客観的に把握する
ことが目的だから時間は一局で四~五時間は費やす。第四局・来果探究局面
では、現状に最善の手を打った場合可能な最上級の未来(上極来果)をあり
ありと描く。また新たな手を打たなかった場合の正面来果も率直に描く。
第六局・予悔充足では未来に立って、現状の中にある真の問題点、手の打ち
所を探究する。この局面が自分自身の内省取材の真骨頂になる。朝八時過ぎ
開始して七時前で終了。毎回発表で局面ごとに発表と和談をし、私のコメン
トも各自に伝える。各自に経営計画の骨子が見えてくる。二日目は以上。
そして交流会でお互いのアドバイスが始まり若い人にも経験者にも、サラリ
ーマン経営者と違い、極端に言えば、命を懸けて経営する経営者の真剣な会
話が交わされる。
彦根の時に、事務局を務めてくれた善子の感想はこうだった。参加者の今
の状態は「希望のある悩みだ」と。実に自社の課題は確かに問題だろう。し
かしそれは未来の希望に満ちている。
三日目は、方針設定から始まる。昨日までの五局面を経て、いよいよ今年
度の方針を決める。この局面は意思決定、決心するだけでいい。やるかやら
ないかを決める。大局策を決める。大事なことは実行方法、やり方など一切
考える必要がない。すなわち方針設定とは戦略決定にたとえられる。日本人
の欠点は「戦略と戦術の混同」がある。方針(戦略)を決定した後に、第七
局・方策探究に移る。方策(戦術)を考える。方針を達成するための方法を
考える。参加者の智恵も借りる(借脳という)。また新たな方法を考え出す
こともある。
最終局面第八局・計画探究で年間の実行計画に落としこんでいく。
こうして、毎年続けて参加する経営者は常に上局来果(可能な最上級の未
来像)が高くなり、理念にそって生き方(企業、個人)が続き、どんな環境
の中にいてもどんな困難に遭遇してもへこたれない企業が育つ。そして事業
転換も速やかに取りくめる。今年一年も充実した経営計画をたてた年末、年
始の経営計画熟考会だった。