■理念探究会94号
◇◆◇恵那脳力開発研修◇◆◇
両面思考(事例・目立つ部分は少数、目立たないのが多数)
脳力開発では両面思考という項目で上記のように教える。そして新聞もメディアも目立つ部分(少数部分)を記事にしたり、取り上げたりする。新聞やテレビで言っている事が全体を語り、国民の意見であるかと言うと、多くは目立つ部分(少数部分)だけを強調して話し、事実からはほど遠い。目立たない部分の方が主流だという両面の観点から物を見ない。新聞記事やテレビで少数部分のみを強調する軽薄なコメンテイターの意見に流されないで、「両面から見た上で、自分で考える、自分で判断する」という事が大事なのだ。
「情報の自立人」ということだが、一般には、世間で先進的だと言われてきた少数意見に単純に賛同し、主義・思想を優先させてステレオタイプの思考をする人が多い。従ってこの両面思考で考えることが大事だと教える。
イデオロギーというものがうさん臭くなったのは、東日本大震災以後、それまで、戦後の進歩的文化人とか学者が説得力を失ってきた。
単に反対だけを唱え教条的な反論をする民主党などは哀れなものだ。振り返ってみると多くが、借り物の情報で判断をしていた。
両面思考から見て、イノジィ・マイノリティ(かまびすしい少数派)とサイレント・マジョリティ(沈黙の大多数)という言葉があります。今の日本のメディアや大新聞はまことにこの言葉が当てはまります。かまびすしい少数派を全面的に取り上げ、メディアで、あるいは新聞記事としている。国会の中継を見ていると情けない。かつて安保反対=戦争反対と勘違いさせられた五十年前の学生時代を思い出します。
●主体的姿勢の人と人に頼る姿勢の人
さて本題、今回研修で取り上げたテーマの一つが「主体的な姿勢をつくる」というテーを取り上げた。がこれを「人に頼る姿勢」とはどういうことかという視点から考える。人に頼る人(依存人格)の特徴は
一、不平や不満を抱いて自らは問題解決に取り組まない。
二、自分にとって都合の悪いことが起きる、そういう状況になると、その原因を他人 や周り環境の所為にする。
三、従って自分を取り巻く環境(会社、職場、家庭、社会)に影響される。という代表的な症状が見える。
主体的な人はいかなる状況であろうが、その状況変えていく(問題を解決していく)原動力は自分にあり、自分自身が転原になるという生き方を貫いている。逆境練機・転原自在という事だ。
人に頼る人は状況を変えていくのは周りや他人、時には企業で言えばトップにあり、制度にあり、国にあるという転原他在の考え方だ。
恵那での研修で、指導したことは私の企業での失敗の事例を挙げて、人に頼る生き方を痛烈に反省した。その後の人生ではいかなる状況に遭おうとも変えていくのは自分自身にしかないという主体的姿勢の徹底を決心したことだ。
話を戻すと、主体的な姿勢が徹底している人は非常に少ない。都合がいいときは主体的に振る舞い、都合が悪いときは人頼りの姿勢になってその場をしのぐという姿勢だ。私も三十七歳までは後者であった。両面思考から言うと、人頼りの姿勢の人が主流(多数)で主体的な姿勢の人は少数だということだ。自分を見るにも人を見るにも両面からみて判断する。人の評価を鵜呑みにしない。自分で考え自分で決定する習慣づくりを中心に新人の十八歳から転職組の四十六歳までの十二名の受講生と白熱した研修がもてた。こういう企業は、大企業ではないが着実に進化を続ける。
◇◆◇志の里・萩の旅◇◆◇
理念探究会は九月からは進化経営学院で集中して七名の受講生で開催される。そにまでは高松と茨城に別れている。彼らは先日、進化経営学院での理念探究の指導者である大和先生と六月末、志の里・萩の旅に参加してきた。今回感想文集を作った。
■松陰の名言に「志定まれば、気さかんなり」という言葉があります。目標がはっきり
と定まり決心がつけば、気力が自然に満ちあふれてくるという意味です。その「志」と「行動」を大切に考え、人に伝えていった吉田松陰自身が、まさにその言葉を身をもって実行した人物でありました。藩の規則に逆らっても会いたいと願う人物があれば、士籍剥奪の結果を導くことになろうとも会いに行き、自分の見聞を広げるために必要と思えば、幕府を震撼させているペリーの所へも、罪になることなどおかまいなしに出掛けて行く。まさに「志」に従い「行動」を行った人でした。吉田松陰がしてきた「教育」そして「志」と「行動」が現在に至るまでの約150年間、数多くの人たち
に影響を与え語り継がれていること、そして私自身もその中の一人であることを改めて凄い事だと思いました。私も早く「志」を定め「行動」していくまでに至りたいと強く想いました。(高橋)
■今回の「志の里・萩の旅」は、参加者全てが理念・志探究の道に入っている方々でし
た。通常こうしたケースはなかなかありません。しかし元々がそのような人たちを念頭に置いて練ってきたプログラムであり、最も恵まれた状況下で進めることが出来たと思います。
萩市から下関に移動する前に立ち寄った松陰記念館では、松下村塾における教育が、一斉授業ではなく個別に勉強を見てもらう形であったことが紹介されていました。理念探究会もその点は同様の形を採っていますが、やはりそれがより進度を高めるのには向いていると思います。 また今回のツアーでのそれぞれの場面においても、各人各様ではありながら、各自が最大に感覚を研ぎ澄ませて感じ取ろう、気付きを得ようとされる雰囲気に満ちていたように思います。その結果は最後の締めくくりの会で感想を話し合った際の内容にも反映され、それぞれに充実した収穫が得られた様子で嬉しく思った次第です。運転で協力して頂いている大石さんの話では、今回は私の説明にも力が入っていて、これまで聞いていない踏み込んだところにまで言及していた部分もあったとのことでしたが、そういえば、自然にそのようになっていたのかなと思います。その意味でも旅の成果は、参加者と案内者の合作に違いありません。今回の旅で得られたものをぜひこれからの理念探究、志のある人生に活かして頂ければ幸いです。(大和先生)
◇◆◇その二・理念探究会への道・鯖江◇◆◇
鯖江でMKD(未来対応経営道場)の主宰者村上広昭氏(理念制定者・企業経営を卒業)から、理念探究会を開催してくれないかと何度も相談があった。この経営塾に三年以上学んでいる三十~四十歳の経営者と経営者を目指している人達だ。彼らとは年初の一日だが経営計画熟考会を私が鯖江に出向いて指導しているから、顔なじみではある。
先日の鯖江での理念型企業快労祭を開催したとき、二日目の講演会に彼らもオブザーバーで参加した。熱意ある姿に心打たれた。真剣に学んでいこうという姿勢に。彼らもかつての私たちのように真剣に人生を経営を考えている訳だ。MKDは端に経営手法を学ぶところではない。私たちが四十歳前半、東京でMG(マネジメントゲーム)や脳力開発や今では当たり前のパソコンを自由に扱うために、シリコンバレーを訪れた日々と彼らが真摯に生き方を探究している姿が重なってくる。
再度の村上さんの要請と私の心境の深まりが重なって、じっくり時間をかけて彼らを支援したいと決心した。第一回目を七月三日に鯖江を訪ねたとき開催した。五時間の講座。
非常に熱意ある姿をみた。私が学んできた蓄積してきた思いを込めて、主宰者村上広昭氏ともども力を合わせて彼らを支援していきたいと決意を更に強く確認させる会になった。
理念探究者七名、そしてその次の候補者六名。今後も次々と育てていきたい。新たな構想が芽生えてきた七月だった。