理念探究会93

■理念探究会93号

◇◆◇その一第15回理念型企業快労祭・鯖江◇◆◇

6月16日・17日と福井県鯖江で第15回目の理念型企業快労祭を開催した。くろだワー
クスを創業して丸々二十年経過した。理念を制定した企業個人は三十数社を数える。その経営者たちの年に一回の快労報告である。最初から参加している人で制定後十五年が経っている。理念探究会も二十一回目を迎え、いま現在七名の若い経営者が理念探究に取り組んでいる。取り組み始めて二~三年近く経過している。今年いよいよ制定され個人・企業を含めると四十社を数えることになる。今年、既に制定した人達も六十歳半ばを越える。来年度から会も一新して次の世代に託すことにした。理念制定から理念実践と浸透そしていよいよ互恵社会の建設に向かって力を尽くす時を迎えたといえる。
昨年六月から制定した人達のうち四名の方が著作を発刊された。宇野氏・大家族主義宣言、須田氏・企業の未来開拓を支援する、村上氏・満天の星を数えて、郷家氏・仙台クリーニング一代記。彼らの実践がこうして数冊の本にまとめられた。森信三先生の曰く「形成の功徳」を文字通り実践された。
以下、参加者の感想文を掲載して会の様子をお伝えする。

<Sさん>「経営のアドバイスを通じて、『経営者が自信と誇りに気づいて生きることができる』のが自分の使命だと感じる。」とおっしゃっていたのが印象的でした。私も、事象的には会社内がキレイになることをお手伝いしているわけですが、決してそれが目的なのではなく、整理・整頓・清掃を通じて、社員の積極性が高まり、相互理解が深まることが目的なのです。そして実際、その姿を見ることが、私の無上の喜びなのです。自分の仕事の目的を、再確認できた気がします。

<M上さん>ムラケンから引退し、脳梗塞の後遺症を抱えながらも、MKDやMJD、講演会の開催、トイレそうじなど、日々エネルギッシュに活動されている姿に大変感銘を受けます。これもひとえに「理念があるからこそ(本人談)」なのでしょう。理念が確立していれば、人はおそらく死ぬ瞬間まで、自分の使命を追求していくことができるのでしょう。私もお手本としたいです。

<K田先生>「快労祭は同窓会ではない」という言葉が印象に残っています。我々理念を制定した人間は、その理念の実践に命をかけなければならない。その確認の場であり実践報告の場がこの快労祭である。と叱咤されたように受け止めました。あらためて、日々、理念の実践を心がけたいと思います。(高崎・小早氏)

□大和先生の講話が、例年にまして心に残りました。我々はひとしく大きな歴史の転換
点の中にいる。自覚があろうとなかろうと、そのことは揺るぎない。しかし歴史が大きく動いていることを自覚するものは、精一杯自分の力を尽くして生きよう、仕事をしよう。講話を伺ってそんな気持ちになりました。

□余談となりますが、関西空港に着いたときのこと、JRのプラットフォーム上にいる
のが外国の人ばかりで驚きました。欧米人もアジア人もたくさんいて、周りから日本語が聞こえません。京都行きの列車のなかは、少なくとも私の車両にいる日本人は私くらいだったと思います。田舎から出てきた者には、ひどく新鮮な体験でした。しかし異なる文化や価値観の人々とともに生きていくことが現実のものとなっていて、同僚・友人・家族に国籍のちがう人がいることはもはや珍しくなくなっています。しかしながら、覇道的世界観は健在で世界の紛争は減ることがなく、それどころか混乱は深まっています。これからも私なりに「戦わない経営」の実践を続け、和道を深く探究し、和略を学ぶことが自分のすること、微力なりとも出来ることだと思っています。それが私の「一隅を照らす」だと思っています。(北海道浦河・小山氏)

◎第二十一回理念探究会
その二理念探究会講演・アルコール依存症から脱出
理念探究会の六月初日、宿題であった李登輝の「指導者とは何か」のポイントレビューを皆で輪読和談した。この本は全てのリーダーにとって上に立つ人間としての備えるべき姿勢、思想を示唆している。
その後、各参加者の近況報告を聞いた。アルコール依存症を抱える李さんの母親が来日している。彼女は今、近くのショップで韓国料理を提供しながら新たな生き方を模索している。
彼女が日本に滞在中に北海道に住んでいるT澤氏の話を皆さんにも聞いてもらいたいと思いついた。以前の理念探究会や養成塾でお呼びしてお話してもらったことが二~三度ある。そして思いついたが吉日と研修の場から携帯で電話をした。七月か八月に茨城まで足を運んで理念探究会の人達に話してもらえないかという依頼の電話である。併せて、今アルコール依存症からの脱出に取り組んでいる韓国から来日している母娘の話をした。
そうしたら、「今東京にきている、明日茨城に行ってもよい」との返事。なんという僥倖、正に超確率現象であり、仕組まれたかのような縁に驚きを隠せなかった。翌日八時過ぎには我が家に到着。そして九時から講演開始。彼女のお母さんも参加してくれた。Iさんは話を聞きながらパソコンで韓国語に変換し、お母さんはそれを見ながら講演の内容を理解される。
T澤さんをお呼びする訳は「中途半端な取り組みは結局アルコール依存症からの脱出はできない。私たちも自己の探究を徹底的にしない限り理念探究にもたどり着かない」という点が共通しているからだ。
以下、参加者の感想を掲載します。

感想 T澤さんの最初の印象は、気取ることなく自然体で優しそうな印象を受けました。完全に禁酒を始めてから28年になるとのことで継続する心の強さに感服しました。昔は、酒を飲むと弱い自分を見せらず人から良く見られたいとの思いから強い自分を演じていた。結果、本当の自分の存在がなくなっていたのだと。人は多かれ少なかれ、他人からどう思われているのかを気にしてしまう生きものだと思います。自分の中にも『他人からの評価』を無意識のうちに考えていたことがあったのだと気付きました。
「他人との比較」ではなく「昨日の自分を超える」ということをもっと意識していこうと思いました。
中略
「逃げなければ必ず問題は解決する、逃げれば問題は大きくなる」との言葉も深く印象に残りました。
石岡駅から上野駅までの約一時間、ご一緒させていただくことになりました。 車中T澤さんは、「自分はやりたいことをやっているだけ」なのだ「人のためにと思って何かをやるとしんどくなって続けることが出来ない」と言われました。(後略)(F氏)
●弱い自分を認め、素直に表現できるというのは、人間の真の強さではないだろうか。
わたしの母はアルコール依存症です。母の発病に自覚したのは、今から約一年半前です。
当時のわたしは自分のことで、目一杯でした。ある日から、毎日って言ってもいいぐらい多かった母からの連絡が来なくなりました。電話をかけても出ない状況が何日。やっと通じた母との電話。坂から転んで連絡ができなかったという。
後々父に聞いた情報では、母に異常がでたということでした。その後、肺炎が発病し入院をすることになり、わたしも日本から母が入院した病院に飛んでいきました。そこで見た光景は悲惨なことでした。今まで知っていた母はどこにもいなかったです。人間として生きるという意志を失った中年のおばあさんが一人横になっているだけ。母がそこまで心身が疲れている間、わたしは何をしたのかと。
自分を責めながら、自分の感情もどんどんパニックに入りました。
そのときに力になってくれたのは、養成塾で学んでいた「心の自立」「和の実学」やいつも近くにいてくれたSさんでした。このままでは何も変わらないということに気付き、母を健康にしたいと思うようになりました。肺炎が治った母は、その後、アルコール依存症の治療と肝臓治療を始めます。そこで直感的に分かったのは、母は体より心の病気が大きいのではないかということでした。退院してすぐ日本に来てもらい、ほぼ一ヶ月間一緒に生活しながら、母は少しずつ生きる意志を取り戻すこと
になりました。
それから、九ヶ月間母は一人で、生きるためにアルコール依存症と戦ってきました。最初はわたしもいろいろと気を配ったりしてきたのですが、今思えば、大丈夫だろうとだんだん油断していた自分がいました。

それから間もなくアルコール依存症が改めて発病し、今に至っています。今年の五月、再び母を日本へ連れてきたときに、父との話し合ったのですが、これが最後だと思って、母の病気を直すために一所懸命に自分ができることをやると。そう誓いました。
このたび、T澤さんとも出会い、「生きるというのは?」とか、自分自身の人生を振り返って深く考える機会となりました。わたしに特に心に残ったのは、「弱い自分を認める、表現できるというのは、真の人間の強さではないか。」ということでした。
『すべては今のためにあったこと』という本を思い出します。今起こっている様々な物事というのは、きっと未来をつくることになるでしょう。今わたしに起こっていることには、何かしら理由がきっとあると。何をわたしに言っているのかと。(後略)
【追伸】母の一番心に残った言葉は、「ただ命があって生きていくということと、目的のある人生というのは全然違う」ということのようです。(Iさん)