理念探究会90

■理念探究会90号

◎進化経営学院西日本校開校
進化経営学院設立の目的は「新しい時代に切り拓き、人類の未来に役立つ人材育成、総互恵社会の建設に貢献する志をもった人材を育てる」事である。理念探究会は既に第二〇回開催した。進化経営学院で育った若い人たちを育て一〇社あまりが創業自立した。今年春から、いよいよ西日本校を開設することにした。五月より高松で開校する。
振り返ると創業以来二一年が経った。一昨年私は古希を迎えた。如何せん毎月、月曜日から日曜日まで連続六日間の全力投球はエネルギーを消耗する。三食の世話をする妻も今年古希を迎える。
これには体力的な限界を感じる。それとともに、次の講師を育ててきたが、一〇年二〇年先を視野に入れると若い人たち(講師)に譲る時を迎えたと言える。
この度、第十一回養成塾ジュニアコース、第十回シニアコースの終了式をおこなった。振り返るとあっと言う間の十一年間、そして次なるステージへの飛翔のときを迎えたといえる。茨城では天命舎設立の原点に戻って、理念探究に焦点を絞ることにした。五月より継続して六名の人達が理念探究に専念する。また、私自身は改めて、地元の卒業生とともに地域貢献する理念型経営者企業の支援を始めたいと考えている。面白いテーマが時とともに浮かび上がってきた。

 

 

●「うつくしま、福島福幸プロジェクト」福島県視察
福島第一原発の被害を受けている実態を知りたいと思い、私達夫婦は若き友人須田氏を誘って被災地を訪ねた。いわき駅で合流した後、地図の行程を二日間にわたって訪ねた。東日本大震災の視察は東北に住んでいる友人に何度か案内をしていただいているが、福島第一原発の被災地は訪ねていない。

●根本鎮郎氏の志

先ず、今回の福島の視察を案内してくれた根本鎮郎氏を紹介したい。彼とは二十数年の付き合いだ。創業の時にいろいろ応援してくれた。彼のブログ等から紹介する。昭和22年2月2日生まれ。
日立製作所OB。30余年勤め54歳で早期卒業(退職)。福島県大熊町出身。感懇創祭CSOの屋号で、人づくり・まちづくり・感動づくりのコーディネーター。退職後、縁あって竹に関わり、竹の功罪を知る。竹をキーワードに自然に感謝して生きる新しい価値観の転換を広めたい発意。
竹藪-竹林-里山復活-森林復活-川の浄化-海の浄化-農林魚業の再興-循環型社会の構築-地球が長生きできると考えている。
3.11の大震災で彼の生まれ育った故郷・・・浪江町請戸、大熊町は津波と原発事故のため壊滅しました。故郷復興のためにという思いから、放射能汚染を自然界の力で何とか低減できないか?竹と微生物で放射能を低減できるのではないか?ということから、「うつくしま、福島福幸プロジェクト」をスタートさせる。3月11日以降、ふるさとの福島に毎月のように通い、竹パウダーやミネラル類、微生物等で放射能汚染された土壌の改良を施している。 2011年8月から飯舘村の畑を借用し実験をスタートさせる。同年7月10日に、東京大学で開催された「中山間地フォーラム」で菅野飯舘村村長の講演と東京大学教授の講演を聞き、シンポジウムで教授に質問した。「放射性セシウムが土壌に吸着されると分離することはできないという理論はわかりました。しかし、土壌には多種多様な土壌菌が生きており、微生物の働きのことは全く触れていませんが、微生物が何らかの働きをすることは考えられないのですか?」その答え・・・
「そんなことはありえない!!」でした。この答えが彼を飯舘村に行かせる決意をさせた。あれから4年、彼の活動もいろいろな成果を生み出している。彼の生涯に渡る活動の一部も今回案内してもらった。福島第一原発の現状を二回にわたって報告したい。

●大熊町・坂下ダム

いわき駅から国道六号線を北上する。楢葉町の道の駅は現在警察関係の人達が事務所としている。富岡町から警戒区域になるので、六号線から入れない。富岡町を越え大熊町から坂下ダムに入る。大熊町のダム管理をしている方の説明を聞く。このダムは福島第一原発の貯水池にトンネルを掘って繋がっている。高低差を利用しているからあの3月11日の津波の後、海水を入れるかどうかの判断の時に、使えたはずであるが、実際には使っていない。吉田所長の決断によって海水を使った段階で、既に廃炉は予想されていた。私は簡単な質問をした。「何故、このダムから供給している水が使えなかったのでしょうか」と問うた。「自動(オート)と手動があったのですが、手動はテロなどの問題もあって、誰もができる訳でもないが、恐らくやったと思う。しかし結果として、ダムの水が使えなかったのは、途中の配管の亀裂などではないか」
と釈然としない答えだった。私は知らなかったのだが、原発のあるところのダムから全て地下を通って水が供給されているということだ。
彼らに「大熊町は一体どうしたいのか?」と問うと「私達は確かにいろいろ福島第一原発によって、恩恵を受けてきた。しかし、此処に住むには、東電に除染をして元に戻してもらう以外に仕方がない。」との答えだ。

大熊町から双葉町に入る途中、なんとも形容しがたい大きな標語を記した看板をみた。「原子力豊かな社会とまちづくり」「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」
なんとも形容しがたい暗澹たる思いにとらわれる。森信三先生の言葉に「宇宙の大法」の事例として物事には全て一長一短がある。科学の行き着いたところが原爆である。と言われているが、まさに科学万能の限界がはっきり露呈されている。右手に福島第一原発を見ながら北上する。双葉町に入ると帰宅困難区域が延々と続く、全ての家々は封鎖され外から見ると全く私達の暮らす町と変わらないが、此処にはもう四年にわたって人はいない。死の町という人もいる。

根本さんのお父さんの生まれた請(うけ)戸(ど)海岸に到着する。一面何もない。四年前仙台から被災地を視察して津波の圧倒的な被害に言葉を失ったのだが、ここはいまだに手がつけられていないという印象だ。根本さんの話によると、もともと漁業が中心で、白砂青松の浜が延々と続いていた。遥か彼方に福島第一原発の鉄塔が何となく見える。この浜に堤防が築かれていた。更に、その上に二メートルの鉄製の防御壁が延々と設置されていたそうだ。その延々と続いた堤防と防御壁を一気に津波は越えて全てを流し去った。根本さんの父上の生家もコンクリートの土台を残すだけで、跡形ない。姪っ子が遺った風呂のピンクのタイルを見て、「ここが私達の家だったのだ」と言ったそうだ。

大きな建物があるので聞くと、請戸小学校だという。海岸から二百米程度の距離だ。この場所は今、この地の処理をする人達が使っている。大川小学校のことを思い出して、「子供たちはどうだったのですか?」と問うと、根本さん曰く「全員校長指示で山に避難して全員無事だった」と。ホッとした気持ちになった。
小学校を訪ねて二階にあがり教室を覗いてみた。講堂には卒業式の準備がしてあり、グランドピアノも残されている。二階までは水は来なかったらしい。小学校から、離れた山までは私でも二〇~三〇分はかかるのではなかろうか。当時のことを想像すると「本当によかった」と思う。

●浪江町・希望の牧場

浪江町の希望の牧場を訪ねる。この牧場は全ての牛を処分するように国から指示されたにも関わらず、殺傷することを拒否した牧場主が、汚染された牧草を牛に与え、その牧草地も国が処理して使えないようにしたにもかかわらず、全国からボランティアの人達やリンゴジュースのカスなどで飼育している。何百頭牛がひたすら生命を長らえている。事務所の近くには餓死した牛の頭蓋骨がおかれている。道を挟んで国が除染した土地は0.78シーベルトだが、牧草地は3.00シーベルト。牛たちはこの牧場で生きている。
今回は以上の報告にとどめる。

 


理念探究会89

■経営者と社員の違い
来期の経営方針、計画立案の熟考会を一月末から二月にかけて複数回開催している。私もかつては会社に勤めていた。自分では頑張っていると思っていたし、営業成績もトップクラスにあった。全力を尽くしていると自覚していた。創業してみて確かに全力を尽くしていると思っていたが、経営者と社員では取り組み姿勢に雲泥の差があることを体感した。
自力で飛ぶ人、経営者は多方面に目を向けリスクも背負わなければならない。社員は指揮官に従って飛べばよい。自力で飛ぶリスクもない。この企業に囲い込まれた人の仕組みを家畜に例えて社畜という。ひどい言い方だと思うが、しかしその通りだ。
企業理念を求心力にして自立連帯型企業運営を進めてきたのだが,それは規模に関わらず社長を育てることだ。自産階層を増やす仕組みだ。ある会社で世代交代をして役員である専務を世代交替で社長に昇格してもらった。社長に就任した途端に会社の全責任を担う自覚が、様々な問題への主体的な解決につながった。社長はどんな問題も他人事にできない。これが真の転原自在の好例だ。
■生産力と購買力の逆転
数年前から世界的に生産力が購買力を上回った。先進国では当たり前だが。このことは少し極端な表現になるが、販売予想はあたることがないということであり、販売量を予想して作っても必ず余るということ、在庫が過多になるということだ。産業革命以来の大量生産大量販売の仕組みが崩壊したということだ。
恵那銀の森では第一工場はお節料理を作っている。全てが受注生産で、年末に向けて冷凍お節を作っている。ここのお節の品質と味は高い評価がある。四年前から銀の森の敷地に新しい業態を展開した。それぞれが個別の店舗を構え製造販売をしている。そして今回社長は不良在庫、破棄商品を生み出さないために、全ての部門で受注生産をするべく生産方法を変えることに取り組みだした。今までの予想に基づく生産態勢から新たな受注生産態勢へのチャレンジだ。この方法が確立されたら新規事業も一挙に回復されるだろう。

■西洋的経営(ゲゼルシャフト的経営)と日本的経営(ゲマインシャフト的経営)
経営者に「企業の目的は何でしょうか?」と問うたとする。なんと応えるであろうか?多くの経営者は利益を上げなくてはならないと考えている。利益指向が一般的に言えば多い。企業の目指す姿勢は大きく五つのタイプに分けることかできるのではないだろうか?
一、売上を上げる事が何よりも大事である、成長なくして経営とは言えないという経営者(うりつけ屋=売上指向)。
二、利益を上げることが第一であるという経営者(もうけ屋=利益指向)と呼ぶ事ができる。社員やその家族を養うためにも利益あげつづけけることが必要だと答える。
三、ある経営者は企業が続くことが大事でそのためには資産を増やすことだ。(ためこみ屋=資産指向)
四、企業は社会に役立つためにも存続しなければならない、ゴーイング・コンサーン(存続する。継続する)こそ大事だという。(ながもち屋=存続指向)他にはないだろうか?と考えてみると
五、役に立つことが目的だ。(役立ち屋=目的指向)という経営者もいる。

■西洋的経営・利益最大化の弊害
新年になって激動する世界情勢を見たとき、一派的に経済誌は業績のよい会社を取り上げ、何故この会社は業績がよいのかと分析して、評価している。しかし現実には売上指向のうりつけ屋さんも利益指向のもうけ屋さんも順調ではない。もともと、欧米式の会社組織は典型的なゲゼルシャフト(機能や利益で集まった社会)だから業績が上がらなければ人員を減らすとか合理化を図って、ますます働き口が少なくなる。
経営者の大半はこの利益最大化の価値観を最優先させている。
マクドナルドを2004年社長就任以来、八年間増収増益を続けて数年前ベネッセに変わって取りわけ優秀な経営者として評判の高かった経営者原田泳幸氏などはその一番の例になる。利益最大化、増収増益の陰で社員やパートに非常に理不尽なことを押しつけ、挙げ句の果てに中国での鶏肉事件を起こし、交代した外人社長になってからは三年連続売上を減少、先日の決算予測では大幅赤字転落を招いている。「社員は失
業することを恐れ、社蓄」としての仕事に甘んじる環境からは抜け出せない。その他ブラック企業と世間から糾弾される企業には働く社員の疲弊がある。
■日本的経営(ゲマインシャフト的経営)
海賊と呼ばれた男・出光佐三氏の「日本人にかえれ」を改めて読んでいる。奴隷解放というテーマの中で
一、黄金の奴隷となるな。事業は金儲けではない。
二、学問の奴隷となるな。現代の世相は学問とか知識とかに依頼心をもって、肝腎の人間を忘れている。理論の奴隷となるのではなく人としての修養、鍛練を続けよ。実行の尊厳を重視する。
三、組織、機構の奴隷となるな。人を管理する必要はない。人間が自ら立派な人間になれという。
四、権力の奴隷となるな。別の意味で政府に頼るなと。
五、数、理論の奴隷となるな。理屈を排し人間の判断を尊重、少数精鋭を目指す。
六、主義の奴隷となるな。資本主義、社会主義、共産主義に偏るな。
この分配論の前に日本には衣食足りていればよいという教えがある。
七、モラルの奴隷となるな。モラルと道徳は違う。モラルは法律、組織、規則といった紙に書いたものを守る事がモラルであり、日本の道徳はお互いに仲良く暮らすために人間の真心から自然に湧き出たものだという。
西洋の利益中心の経営のあり方に対して痛烈に反対している。私が社会人になって五年、勉強仲間と読書会で「日本人にかえれ」をテキストして取り上げた。企業のあり方を考え始めた時に出逢った本だった。
「人間尊重五〇年」なども取り上げた。
「海賊と呼ばれた男」を読んだ後、彼の「私の資本主義」「マルクスが日本に生まれていたら」も読んだのだ。そして改めて「日本人にかえれ」を読んでいる。今日の世界情勢の中で、「日本的経営」が見直されている。利益最大化よりも、家族主義的経営(ゲマインシャフト的経営=昔の村落のように地縁・血縁で結びついた社会)の要素が入った経営)が業績優先の時代に改めて提示されている。