理念探究会87

■理念探究会87号

あけましておめでとうございます
「希望の人生を拓く内なる前進を支援する」
「人類の未来に役立つ人材の協働を促進する」

九月李登輝元総統のお話をお聞きしました。矍鑠たる姿、九十二歳です。

昨年から進化経営学院のジュニアクラスに女性三名が参加しています。
四月進化経営学院で学んだ受講生と江戸時代の碩学中江藤樹を訪ね
足を延ばして日本人の魂の宿る伊勢神宮を訪ねました。

六月創業の町を目指す高崎で第十四回理念型企業の快労祭を開催しました。
「そうじの力」「草むしり・com」など、従来事業化など考えられもしなかった
仕事が軌道に乗り、全国に伝わり始め、いよいよ次の時代の始まりです。

尚古集成館を中心に四月、十一月二度鹿児島の地を訪ねました。
江戸末期、欧米のアジア進出を背景に島津斉彬の日本を視野に入れた
産業育成、藩士の海外留学が明治維新の尊皇開国の基本にありました。

十一月進化経営学院の有志と三回目の理念に触れる台湾の旅に行きました。
児玉源太郎と後藤新平、烏山頭ダムと八田與一、教育に貢献した六士先生
台湾民主化の歴史、二・二八記念館、宜蘭の慈林記念館を訪ねました。
古希以降、次世代の経営者の理念探究支援に力を入れています。
三~四十代の彼らは日本人としての誇り、互恵精神を実践しています。
世界の激動の中で、未来を視野に日本人としての貢献能力を磨いています。

二〇一五年(平成二七年) 初春         黒 田 悦 司
●アジア・オセアニアに生きる快男児を訪ねる
この冬はオーストラリアに住む大学時代の友人室殿智秀夫妻を訪ねた。三
年前初めて参加した大学時代の同窓会で再会した。大学の思聖寮で寮生活を
ともに過ごした仲間だ。私は大学を一年留年したこともあって、同じ年の卒
業。彼はラクビー部所属、陽気でエネルギッシュな印象だった。オーストラ
リアから同窓会に出席したということもあって、話がはずんだ。
同窓会の後、私たちの生活や生き方を知ってもらうのに、私の仕事や善子
の仕事なども書いてあるモラの作品集をお送りした。本の中に書いてある天
命舎の暮らしに関心を示しメールをくれた。アルパカと一緒に写っている写
真とともに。何故アルパカなのかと驚かされた。
私たちが毎月出しているニュースレターをお送りした。その後、毎年何度か
日本に帰られるとのこと、是非お寄りくださいと誘ったら翌年の春、奥様と
帰国の際、寄ってくれた。

●オーストラリアに住むまでの経緯
オーストラリアに何故住むことになったのか。一九六七年大学卒業後、デ
ンソー(経理部)に入社、一九七二年にロスアンゼルス・現地法人に赴任す
ることになった。そのとき是非一緒に彼の地でともに生活してくれる奥さん
を伴いたいということが、結婚の切っ掛けだったそうだ。奥さんは父上の仕
事の関係で滋賀県にも住んだ事がある。今回お伺いして奥さんに聞いてみる
と、「結婚の申し込みをしてもらった覚えがない」と言っていた。私もそう
言えば、何やら訳の分からないことをいって一緒になったような気がする。
お互い申し込んで断られたら面子がないよねと心の中でつぶやいた。

●異境の地・環境で鍛えられる
七二年から五年ほどロスに住み、お嬢さん二人に恵まれた。積極的な奥さ
んは子育てと有り余るアメリカの条件を活用して、美術館巡りを始め七〇年
代の海外生活を堪能されたという。彼の名刺はCharlie室殿となっている。
ロス時代、智秀(ちしゅう)は呼びにくいということで愛称になったそうだ。
その後七八年に帰国。海外事業企画部、引き続き八〇年より東京でのGE合
弁会社に六年間出向。ここでも、日本人以外との折衝が重なる。八六年本社
帰任。

●永住権を獲得
束の間の日本の暮らしを経て、八九年オーストラリア・メルボルンのデン
ソー現地法人責任者として駐在。丁度この時期、二人のお嬢さんが大学進学
を迎える時期に重なって、オーストラリア永住権ビザがなければ、想像を絶
する学費がかかるという。苦心惨憺して永住権を確保した。お嬢さん達はメ
ルボルンの大学に進学。
九六年、再びデンソー本社に帰任し、海外事業企画部長として世界一六カ
国四〇拠点を統括する任につく。そして再び、九九年デンソー・インタナシ
ョナル・シンガポール社長として再度海外赴任。この時期、彼はASEAN・台
湾事業を統括した。

●アジア通貨危機と復活
アジア通貨危機は、一九九七年七月よりタイを中心に始まった、アジア各
国の急激な通貨下落現象である。この通貨下落は米国のヘッジファンドを主
とした機関投資家による通貨の空売りによって惹起され、東アジア、東南ア
ジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼした。タイ、インドネシア、韓国はそ
の経済に大きな打撃を受け、IMF管理に入った。マレーシア、フィリピン、
香港はある程度の打撃を被った。(以上・ウイキュペディア)
この逆境の時期を経験し彼は経営者としての力を磨き、発揮した。彼の海外
事業の基本は、「需要のあるところで物を作ることである。その事業の成功
が地域社会の貢献、人々の豊かさにつながり、ひいては世界平和に通じる」
と考えていた。事業の総責任者の覚悟と試練が人を大きく成長させる。

●ラクビーが更に世界を広げる
この時期、彼が学生時代熱中したラクビーに再会することになる。シンガ
ポール日本人会ラクビー同好会は一九九五年に発足した。九九年に赴任した
彼はシンガポール日本人会ラクビー同好会名誉会長をつとめ二〇〇一年(第
五回)アジア日本人ラクビー大会で初優勝して以来、往年のラグビー狂に戻
ってしまう。二〇〇五年には一〇周年を迎え、元ラクビー日本代表監督の平
尾誠二氏を呼んで、講演会も開催した。ラクビーに熱中した、彼は後輩たち
のため母校のグランドを先輩たちと支援して芝生に張り替えた。
二〇〇五年、シンガポールで定年を迎え二〇〇六年、お嬢さんたちもオー
ストラリアで仕事を見つけ結婚をすることもあって、日本の家を売却し、ゴ
ールドコーストに移住した。

●二〇〇八年思いも寄らずマレーシア単身赴任
自工会から声がかかり日本・マレーシアの経済連携プロジェクトに従事の
話だ。日本とマレーシア間でFTA(自由貿易協定)が発展した形のEPA(経済
連携協定)が締結され、マレーシアが日本との間で自動車の輸入関税を長期的
にゼロにする見返りに日本はマレーシアの自動車部品産業競争力強化のため、
LPS(トヨタ生産方式と同様のシステム)を部品メーカーに導入、指導する。
そのため十五名の指導者を五年間にわたり派遣する。日本の派遣元は、日本
自動車工業会で十四名がトヨタ、日産、三菱等のOBエンジニアで、彼は
Project Coordinatorとして赴任。二年半従事。彼らの奮闘の結果、地元部品
メーカーは大幅なコスト改善、利益増となり、プロジェクトは成功、NHK経済
最前線、地元国営TVにも活動が取り上げられた。プロジェクトは現在第二ステ
ージで最終段階となり、ローカルの指導員育成も進み、定着しつつある。まさ
に現地の自立化に貢献する日本人の真骨頂だ。
■二〇一五年経営計画熟考会
年末から年始にかけて茨城と彦根(昨年から)で理念制定の企業経営者、
探究中の経営者たちと経営計画熟考会を開催している。関東地方と関西地方
で開催することにした。茨城も八名、関西で八名が参加する予定だ。初日大
局把握から開始する。世界の大局は既に覇道(競争型社会)から脱覇道にパ
ラダイムシフトしょうとしている。世界史を振り返ってみても「もの盛んな
れば必ず衰える」という宇宙の法則は当てはまらないことがない。
私たちの人生は長くても百年、平均七~八十年は生きる。そうして自分の
生きた時代の影響をうけてその生涯を閉じることになる。私が今更申し述べ
るほどの事ではないが、ローマ帝国も、その後の世界の覇権国家も必ず衰亡
した。近々では第二次世界大戦後のアメリカもその例外ではない。もはやア
メリカが世界の主導権を握ることはあり得ない。今年は年末になって、台湾
の国民党馬英九の失墜、日本の民主党の海江田万里の落選、社民党、生活の
党などのほぼ消滅もその例にもれない。そういう点から見れば中国共産党の
将来もこの例から漏れることはない。
もう一つの視点は、日下公人氏が二〇一一年三月の東日本大震災の後、戦
前派、戦後派になぞらえて指摘したのだが、戦後の日本の主導的な役割を果
たしてきたと自負する朝日新聞やNHKあるいは進歩的文化人と呼称された
学者や理論的指導者(総称して戦後派)を呼称して「(震)災前派」と呼び、
彼らが崩壊すると指摘した。そしてこれからは「(震)災後派」が時代を拓
いてくると指摘した。まさにその通りにここ数年、指摘したように変化して
きた。今回の選挙結果もメディアはアベノミックスの不調をしたり顔に指摘
しているが、もともと経済政策が政府の思うように動いたことはあり得ない
話だ。民間がどう動いていくかが本来の日本人の活力だ。三年前の愚を日本
人は繰り返さない。
理念を中核において経営をする企業にも、基本的な背景は変わらない。し
かし理念に添うように経営を志す経営者にとって、全ては試練でありその試
練が新しい時代を切り拓いていく。冒頭にも書いたのだが、今までそんなこ
とが事業として成り立つと歯牙にもかけられなかった事業が堂々と軌道に乗
りだし、その「そうじの力」とか「ザ草むしり・COM」の事業に参加した
いと、かつての経営者や中高年の人達が参入してくる時代になった。
年末から、新年にかけて熟考会に参加する経営者がこの歴史の変わり目で
大いに活躍する時代がそこまできている。日本もやっと世界における日本の
役割に気がつき始めた。これからますます「(震)災後派」が活躍する時代
になるだろう。