理念探究75号

◆理念探究75号
■その一・理念に触れる台湾の旅を振り返って
 養成塾で学ぶ、学んだ受講生たちと、台湾を訪ねた。

東日本大震災後の旅
 振り返ると2011年東日本大震災の後、例年のヨーロッパへの旅を中止して、台湾への旅を企画した。目的は烏山頭ダム建設に貢献した八田與一氏を訪ねることがテーマであった。彼についてはMランドの新聞で小河会長が書いた一文が強く脳裏に残っていた。二・二八記念館を訪れて、台湾の歴史の隠された一面を知った。帰国後、憑かれたように台湾の歴史を学んだ。二・二八事件で新聞社を経営していた父親を殺された阮 美妹「台湾二二八の真実」から始まって、入手できる資料を調査、収集し読みこん
だ。その本は30冊あまりになる。

■知らない歴史
 台湾の歴史について如何に無知であるか、改めて歴史を学ぶ大切さを知った。司馬遼太郎の「台湾紀行」で台湾の歴史の概略を知ることができる。台湾民主化に多大な尽力を尽くしている李登輝を知った。
李登輝の政治信条は「天下は公のために」である。「台湾に民主主義を根付かせる事が至急の命題だった。それが何よりも台湾のためだ」と考えた。「政治家は国のためなら権力をいつでも放棄する、そういう覚悟が必要だ」と考えている。
李登輝はこの信念・使命感で政治家として役割を果たしてきた。その考えの根本は自らが学んだ「日本精神」だという。そして日本人に誇りを持てと叱咤してくれる。最近では李登輝訪日「日本国へのメッセージ」、「誇りあれ、日本よ」等の著作で日本人としての誇りを持つことの大事さを伝えている。著書「武士道解題」はよく知られている。

■時代を生きた人達
大学の先輩に李登輝と同じ時代を過ごした台湾在住の先輩がいることを知り、何度目かの機会にお会いした。先輩は昭和18年12月月学徒動員で入隊される。李登輝元総統とは大阪師団に入隊し、すぐに台湾高雄の高射砲第162聯隊転属し、中隊は李宏道先輩が4中隊で、李登輝は5中隊だったとのこと。幹部候補生になってからは一緒に千葉の学校に入り、終戦を名古屋で迎えた戦友である。「台湾紀行」に出てくる人物の中で白色テロから李登輝をかくまった何既明は中学が同期でした。現在88才。奥様は昭和元年生まれ李林雪枝といわれ、矍鑠とされ、お二人ともお元気な様子に驚きました。勿論流暢な日本語で、色々なお話をお聞きすることができた。李宏道先輩は非常に残念ながら今年(旅行は平成25年)の初めに突然逝去され、今回の旅で奥様にもお会いできなかった。

■民主化に尽力した台湾人
奥様の弟さんは、李登輝と同級生で共に台湾の民主化に奔走し、捕らわれ脱獄した明敏の教え子で、かつ支援者。著名な弁護士である事を知った。著書も頂いて読んだ。
明敏は李登輝と同じ1923年に台中に生まれた。李登輝と同じ180センチの長身。日本時代に三高をへて東大に学んでいる。李登輝は京大。終戦後共に台湾大学に編入し、そこで二人は会う。意気投合する。
明敏は台湾大学政治学部を卒業し、カナダのマックギル大学修士、フランスのパリ大学博士課程を終える。東西にまたがる豊富な見識を身につけた彼に蒋介石は注目する。
1961年中華民国(台湾)の国連総会に国民党使節団を送り込んだとき、顧問として抜擢される。帰国して蒋介石総統に謁見の機会を得る。しかし反体制を選択した明敏は台湾大学法学部を卒業した知性派の若者とともに「台湾人民自救宣言」を記す。
 「台湾人民自救宣言」は冒頭に「台湾は国民党でも共産党でもない自らの手になる政府を望んでおり、住民の直接選挙によって選ばれた者が蒋介石に替わって新政府を樹立すべきだ」という意味のことを記している。ある夜、互いの胸の奥にあるものについてひとこともふれぬまま、台湾の前途を危ぶみつつ夕食を共にして別れた。翌日、明敏は警備総司令部に逮捕された。その後、海外亡命。その後、李登輝が蒋経国亡き後、総統に就任する。民主化によりアメリカから帰国、2000年に総統選挙でともに立候補することになる。

■日本人が忘れた「日本精神」
 李登輝は今の日本人を見ながら、台湾人の立場から「日本精神」を忘れるなと我々日本人を励ましてくれる。そして日本人の若い人たちにもかつて台湾に貢献した日本人のことをしっかりと教えてくれる。
台湾の研究が進むにつれ、台湾に貢献した日本人・使命に生きた日本人の存在を教えられることになる。
このことから、2012年6月の理念型企業「快労祭」を台湾で開催した。

■自己に課せられた使命
 今回、養成塾で学ぶ人達に是非紹介したいと考えて、この旅を企画した。感想文を読むと異口同音に、現場を訪ねることの大事さと深い思索が記されている。観念の作業だけでは到底真実に迫れない。自らがかの地に足を運んで検証し、さらに深め、その上でさらに検証する「知と行」の作業が必要だ。自らが考え、鍛え、深め、高める営為が私たちに課せられた役目であろう。そして自己の「理念」に到達し、その後の人生を生きることがその人の「この世に生まれてきた使命」だと感じている。みなさんの更なる精進を期待している。