■理念探究会69 その一・第十三回快労祭イン北海道
理念制定企業のトップが集まって年一回快労報告と次の展望を語り鋭気を養う事を目的として集まっている。昨年は始めての海外研修を台湾で行い、知らなかった日本の統治時代の歴史、その後の台湾、李登輝の民主化への長い苦難の歴史、嘉南平原の大潅漑用水事業に命を捧げた八田與一や、台湾に貢献した日本人の足跡を訪ねた。
今年第十三回快労祭を北海道で開催した。北海道の同志を中心に協力いただき、明治時代北海道開拓の歴史を開いた「志士」開拓判官・島義勇(よしたけ)、新得で理念に生きる「共働学舎」宮嶋望氏を訪問、最後に富良野に倉本聰が主催する富良野グループを訪ねた。
■北海道開拓判官・島義勇の志
明治二年七月開拓判官として赴任した。現在の札札幌の基礎を構想した。当時あまりにも雄大な構想に最初の予算を使い果たし罷免、一時中止。やがて雄大な構想が再認識され後任の岩村通俊判官も前任の島義勇判官の構想をもとに札幌の街づくりを進めた。
時代の節目に生まれた志ある人に共通する使命の最大公約数のようなものが「人類新生のために奉仕する」という意識に代表される「志士群理念」である。
北海道開拓の歴史のなかにも見ることができる。現在島義勇の銅像は市役所ロビーと札幌神社に建立されている。彼が定めた札幌市の基点も見ることができる。
改めて北海道の歴史の一端を知ることになった。
■新得共働学舎・宮嶋望の志
共働学舎は宮崎真一郎氏(大正11年生まれ)は自由学園に学び教師を勤める。五十歳のときに退職創設した。
一、競争社会ではなく協力社会を。
二、手作りの生活を。
三、福祉事業への願い。
四、真の平和社会を求めて。
この四つを構想として掲げている。
新得の共働学舎代表宮嶋望氏(昭和二六年生まれ)が一九八二年開設。自由学園を卒業後、ウインスコンシン大学に留学。酪農の体験を積んで、一九七八年請われて新得に入植。障害をもつ人も含めて「共に働き共に生きる」「自労自活」を理念として運営。「自労自活」という方針を謳ったことが福祉法からはずれることになるが、この不利な条件を活かしエネルギーを沸き立たせる。
新得から提供された土地も勾配が二〇度もある傾斜地で不便な場所だった。この土地がヨーロッパの風土に似ていることから、後にチーズに特化することになる。その後チーズの世界では数々の成果を生み出し、日本独自の、新得独自のチーズを生み出したことが、高い評価につながる。文字通り「特異貢献」。
私たちは西洋の優れたものを見てまずは真似をすることから始める。模倣の段階では評価されない。
共働学舎の作るチーズは炭(炭埋)を牧場から牛舎はもとより、あらゆる場所に施している。
また水も電子水や浄化水を使い氏の学んでいた物理学、微生物学を活用した「メタサイエンス」を縦横無尽に活かしてナチュラルチーズを作っている。
G8北海道サミットでは、共働学舎のチーズ「さくら」が供され、天皇皇后陛下は「シントコ」と命名されたチーズがお好きだという。是非、お訪ねして氏のお会いすることをおすすめしたい。
■富良野自然塾・倉本聰の志
あなたは文明に、麻痺していませんか/石油と水はどっちが大事ですか/車と足はどっちが大事ですか/知識と智恵はどっちが大事ですか/理屈と行動はどっちが大事ですか/あなたは感動を忘れていませんか/あなたは結局何のかのと云いながら/わが世の春を謳歌していませんか/聰
倉本聰は一九七七年富良野移住以来三六年(詳細はここでは置く)。麻布高校同窓生の堤義明が富良野のゴルフ場を閉める時、倉本聰に相談した。倉本聰の提案「自然に返す」ことを承知した堤義明から受けて、植樹を始め一〇年。その後この地を活かすことに着目し「地球温暖化に加え、東日本大震災・原発事故・TPP参加などにより、地球環境やエネルギー事情、農業への関心が高まる中、企業・団体研修向け環境教育プログラム」を開発した。
私達は二時間のコースでプログラムの「緑の教室」「裸足の道」「石の地球」「46憶年・地球の道」を体験した。プログラムの進行・案内は元塾生の斉藤氏が案内してくれた。訓練された声と解説進行。富良野塾の起草文を根本に置いたプログラムだった。
富良野には「北の国から」で、また、数々の演劇その他で人の心に強い思いをつたえてくれる世界があふれている。
是非、子供たちと訪ねることをおすすめする。
■その二・浦河経営計画一日研修
浦河で一DAYのIAT研修を行った。昨年から浦河に帰郷した村下知宏君(社長)がユートラインを創業した。村下君の思いは「共働自立」を理念に掲げる(株)マルセイ小山社長と理念を共有する。村下君は浦河高校の卒業生。大学卒業後、青梅で町おこしの会社に入り二年の実践を積み、故郷に帰り浦河の町に貢献したいと会社を立ち上げた。卒業後企業に就職するという選択肢を選ばず、思いに生きる。志に生きる。安定した生き方ではない。
今年四月創業した。それまでの活動は小山さんと共に進めてきた。村下君は小山さんのお嬢さんと同級生だという。もう、浦河町を巻き込んで浦河移住計画のプロジェクトを始動させている。私はカンボジアで活躍する「カモノハシ」の本木君や青木君を思い出す。
たった二人の会。しかし実に楽しかった。私も彼らを心から応援したい。そしてIAT情報統合技術を駆使しながら、二人の近い将来二~三年先を考えた。
実践している下地もあって、実にスムーズに局面が展開していく。方針と方策までやり切った。後は二人で具体的なスケジュールまで落とせば良い。昨年職場創業式を執り行った理念のある経営者が、私達の仲間にいる。
経営者もある年齢に達したら「次世代の若者たちの成長を応援する」ことが一番の責務になる。ある意味で六十五歳前後からの人生が本当の人生だという考えもある。小山氏はまだ五十五歳。
しかし理念に生きる人は年齢に関係なく時期を心得て力を尽くしてほしい。その実例を浦河に見た想いだ。