「自然の美しい調和を感じる能力が人間には備わっています。自然や物を自分の目でしっかりととらえて、その心を形にする事が「美の創造」です。、、、山は偉大にして神聖なり、人間は偉大にして美の創造者になった。」(2008年著書・ヒマラヤの風より)後四年、90メートルの絵が完成する日を愉しみにしている。志に生きる姿を見たい。
志に生きる(ヒマラヤ大壁画に挑む)
志に生きる(ヒマラヤ大壁画に挑む)
今年四月、六本木の画廊で郷里の先輩の紹介で田渕隆三氏の作品展にお伺いした。高校の先輩である。飾られた数々の絵を見ながら、非常に強いエネルギーを感じた。このあとヒマラヤに絵を描きに行くと仰っていた。その会で小品を二点求めた。同行できなかった妻にも是非会って貰いたいと思った。そして七月、ヒマラヤから帰国して、作品制作に余念のない田渕さんを、善子と二人あきる野の美術館・工房に訪ねた。数々の作品に目を輝かせて見入った。昼食を交え夕方まで溢れ返るエネルギーに満ちたお話を聞かせていただ。記念に善子の顔も描いて頂いた。また、作品を二点求めた。「カトマンズの太陽」と「エベレストへ街道を行く・最高峰への道の道」。いまわが家を訪れる人達を迎えている。
今年五月に続いて十月秋のヒマラヤから帰国されたばかりの田渕さんの作品展を見に行った。今までは4200メートルでの制作、今回は5600メートルまで登られ、その地でヒマラヤ三山を描かれた。早朝から氷点下18度の中で5~6時間制作に没頭される。その迫力は形容しがたい。高地順応をしながら、登られ、しかもその地でヒマラヤの山々を描かれる。想像を絶する世界だ。田渕さんは四年後にはオランジュリー美術館のモネの睡蓮の大壁画のように、ヒマラヤの山々を90メートルのキャンバスに描かれようとしている。その構想は着々と進んでいる。
絵画の評価は作品よりも、画家の名前によって評価し、後世の人が、時に法外な値段をつける。経済的な評価が作品の価値であるかのように錯覚する。私たちの好きな田中一村もゴッホも生存中は世間から評価されることはなかった。死後、その作品は異彩を放ち、命を懸けた作品のエネルギーは沢山の人達に希望や勇気や生きる力を与え続けている。
田渕さんを突き動かすものは何か。若くして会った師から「見える通りに描くこと」と教えられた。「私にはこう見える。ここに個人の確立がある。さらに見える通りに描くことは果てしない我が良心との闘争である。良心に添って行動することは我執ではない。道理のうちに自我を没することである。」(2001年著書・光の朝より)