目的と目標の混同

理念探究会29
目的と目標の混同
 企業に取って目的は何でしょうか。売上を上げること(うりつけ屋)利益、儲けを増やすこと(もうけ屋)資産をため込むこと(ためこみ屋)それとも長持ちをすること(ながもち屋)でしょうか。そして、最後に目的を持った(やくだち屋)をさんもあるのですが、もし貴方がお客様ならどこの店に行くでしょうか?
 こういう質問をすると、誰でもやくだち屋に行くというのですね。では、貴方の会社はやくだち屋さんですか?と聞くと、○○を通じて役に立っていると言います。確かに○○を通じて多少は役に立っているが、例えばパチンコ屋さんなどは、本当になくてはならない仕事なのでしょうか?確かに世の中には存在するが、なくてもかまわないし、あることによって困っている人も沢山います。夢中になって赤ちゃんを炎天下に放置して死なせる親、夫や奥さんがパチンコにのめり込んで家庭崩壊に陥る家庭。
 企業にとっての目的の一つは社会の役に立つことです。資本主義経済は資本の増殖を目的とする事を許してきました。その結果がサブプライムローンから発した欧米型資本主義の崩壊です。今年の年賀状にも書きましたが、これからドンドン大企業が崩壊に向かうことが予測されます。ちなみに世界のお金の95%は投機マネーだということです。
 企業の目的は企業理念です。その企業理念は目的性のみならず、倫理性、指針性、本望性、英知性、共有性、永遠性、具体性を持っていることが望ましいのです。企業はその企業目的を実現する過程で、目標を設定もします。目標は、目的を達成するために確かに大事なことですが、目標=目的ではありません。
オリンピズムの目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することを視野に入れ、あらゆる場で調和のとれた人間の発達にスポーツを役立てることにある。」とオリンピック憲章に書いてあります。 参加する人にとって目標は金メダルだったり、参加することだったりします。しかし人間は目標を追求することだけではシンドクなります。第一、金メダルはたった一人。参加する人誰もがかなうことではない。かって東京オリンピックで銅メダルをとったマラソンの円谷選手は、期待された次のオリンピックを前に、自殺しました。「私はもう走れません」と遺書を書いて。目的と目標の混同です。サラリーマンにとって、時に目標は社長になることや、役員になること、昇格すること、年収○千万円等色々ありますが、ご承知のように誰もが社長や役員に成れる訳ではありません。それを追い続けるとギクシャクします。勤める人にとって貴方の目的はなんなのでしょうか?
 目的のない企業は、目標を追い続けて、結果的に法律で許される範囲はかまわないということで、合理節約から脱法隠蔽、非道常態、実態露見そして結局は企業崩壊の危機に瀕するのです。目的を持たない企業は疑似理念(利益指向)を掲げるようになり次第に、崩壊への道を歩むようになるという時代を迎えているようです。

森本喜久男氏講演会

脳力開発29
森本喜久男氏講演会
 2月21日アルカディア市ヶ谷で年初に企画した森本喜久男氏の講演会を開催しました。55名の方に参加していただきました。私の懇意にしている人たちとそのお友達を中心に、森本さんのブログでの参加者10名の方が参加してくださいました。参加者の多くの方が、森本さんのお話に背筋を伸ばし、日本人として生まれたことの誇りを感じてくれたようでした。この講演録は小冊子にする予定です。感動が書面で伝わるかどうかはお楽しみに。
以下、私が森本さんに昨年の暮れにあった時、書き記したものです。
私の魅せられる訳
強く森本さんに惹かれる訳は、「現代、世界に誇れる日本人の生き方」をみるからだ。日本人は、終戦後占領軍アメリカの影響下で、軍事に経費を投入することなく、経済復興に全力を投入した。当時アメリカは戦前の日本の教育を全否定して、善し悪しは置くとして教育も今は再検討を巷間、話題にされる日教組に任せた。片や民主主義。片や経済復興とその後の経済至上主義だ。今やその弊が大きい。しかしその一方で、「日本人としての特質」も決して失われたわけではなかった。古くは安土桃山時代から、日本人は世界に飛躍しつつ現地から尊敬される生き方をしてきた。
 江戸末期、世界各国から日本を訪ねた多くの外国人は日本人の生活を目にし、日本人の優秀さ、礼儀正しさ、文化水準の高さを世界に特筆すべきものとして評価している。私たちが海外を旅し、訪ね各国で、日本から江戸時代輸入あるいは買い占めてきた日本の浮世絵、漆器、陶器、その他の工芸品を目にし、彼らが書いている書物に触れると、私たちは、江戸時代の日本人の優秀さと、優れた文化を再認識する。戦後コントロールされ、過去の日本人、戦争以前の日本人は間違っていた、欧米よりも劣っていたという日本人の多くが抱く劣等感から開放される。
利己心を越えた世界
森本さんに見るのは、カンボジアにいて、一枚の布をきっかけに探究を続けて来た結果、現代世界が閉塞感にとらわれている世界の次の時代の生き方を提示するからだ。そして同時に日本人の今後の世界での果たすべき役割をはっきりと示しているからだ。
人間の、人類の持つ最大の問題点は「利己主義」だ。個人が持てば利己主義者として多くの人たちからも忌み嫌われる。そしてこれが国家になると、当然であるかのように万人が納得せざるを得ないかの様相を呈するが、しかしこれも21世紀を迎え「国家我」(国家のエゴイズム)として、もはや世界が納得しない時代を迎えつつある。
21世紀を迎えて、この時代の転換をいかに乗り越えられるかが課題だが、10年~20年そこらで解決する問題ではないだろう。しかし、いずれこの問題が解決の方向をみない限り、人類は過去のように文明の崩壊を迎え、御破算になる可能性ははっきりと推測される。その閉塞状態を打開する鍵が、実は森本さんの生き方だ。
世界から喜ばれる生き方

日本人は、混迷する世界にあって、利己主義を超える、国家我を超える各国の調和を斡旋する国としての使命がある。覇権の根本は国家我である。しかしその国家我を主張するだけでは、間違いなく世界は破滅に向かうことは歴史を省みても明らかである。民主主義も、共産主義をも超える古来日本人が持ち、世界に進出しながらも受け入れられてきた「現地に融合しながらその国に役に立つ生き方」「その地にあって、どこまでも現地のために力を尽くしてくれる日本人」の生き方こそ具体的な姿だ。日本人がもつ「和」の概念、生き方だ。様々なお話を聞きながら、私の経験している世界、目指す世界もお話した。人間が真に自立して自分の世界を築いていく、青天井の世界を。そして、自らの腕で編み出す職人の世界の感動を。話は深く進み、日本の文化人といわれる人たちの事まで及んだ。


志ある人を訪ねて2

二度目のカンボジア訪問(前号つづき)
京都の手描き友禅の職人だった森本さん
森本さんは三十年前タイに渡り、タイシルクに魅せられタイに移り住み研究されていました。その中でカンボジアクメール族の作っていた伝統織物と出会われ、昔ながらの織りをしている人がいると聞けば探してお婆さん達に教えてもらいながら研究され再現されていきました。森本さんの話だと昔のように完全に再現することはとてもできないという事ですが、伝統の森で糸を紡ぎ、模様が出るよう結び、染めて織る作業を見ていると気が遠くなってしまいます。
安心して子どもたちと仕事をするおかあさん
 彼女たちの頭の中にはデザインが入っていて一定の枠の中に収まるよう糸を結んでいきます。次に植物を煮出して色を染めまた次の柄を糸で結び染色するという行程を何回も繰り返し次は織り機にかけて織っていきます。見ていると気の遠くなる図柄で驚きです。彼女たちは幼子を抱えた人が多く、染め粉を作る行程や糸を紡ぐ機械、織り機の横にハンモックをつって子供を寝かせ、あやしながら時にはおっぱいをあげながらの仕事です。
 森本さんは子供がいると仕事がはかどらないのではなく、子供と一緒にいることでお母さんは安心してより良い商品を制作するというのです。良い物ができれば良い値段で売ることができます。実際、森本さんのところのシルクはとても高価格です。すべてが自然素材で隅々まで手をかけて制作されています。納得した人だけが買い、使用感が良いのでまた買うといったリピーターが多いようです。使えば使うほど味が出て長持ちがする商品とのことです。私達の生活にもナチュラルなもの、本物が戻ってくる時代の始まりで二十年、三十年経てば当たり前になっているのではと森本さん。
コレクションを目にすることができました。

 伝統の森三日目はタイに住む欧米人達で作るテキスタイルの会の人達十名ぐらいが森本さんを訪ねて来られました。ラッキーなことに森本さんコレクションの伝統ある古いシルクの数々を一緒に見せていただくことができました。動物や植物が細かくデザインされナチュラル染めは時間が経つほど深く美しくなるようで自然光の中で見る布は特別でした。特に私はインディコブルーの美しさに見せられてしまいました。まとった布が優雅に揺れ気品ある光沢が美しく細身の人が着ると素敵だろうなと想像していました。森本さんを名誉会長にとリーダーの女性が認定証を渡されました。こんな機会を見ることは滅多にないことで良い体験でした。


2010年度経営計画熟考会

 理念探究会28
経営計画熟考会(新年度の計画を考える)
 昨年暮れ12月25日~28日、新年1月3日~5日に掛けて、新年度の経営計画熟考会を開催した。そして1月8日~10日も高松に出かけて、熟考会を実施した。既にお話をしているように、今年は単に新しい年を迎えたという認識では、到底次の時代にシッカリと経営をしていくことができない。先月号で書いたGNPからGNHへというブータンの記事には関心を持たれている方が多く、反応は大きかった。時代の激変は感じてはいる。しかしどういう方向に進むかが見えない。官僚も、財界も、学者も、評論家も全く見えない。大半の人はこの経済状態を不景気だと捉えている。リーマンショックで世界は不景気になり、中国の景気は既に回復基調であるという論評が目立つ。そもそもそういう認識が誤っている。時代は変った。もう景気は元には戻らない。
 徳川時代から明治維新を迎えそれまでの倒幕軍は「尊皇攘夷」と言ってきたが、維新後は速やかに「尊皇開国」に転身している。そして明治維新が実際に新しい政府として動き出したのは明治22年「大日本帝国憲法」の発布をしてからだといえる。その間は、徳川時代を引きずりながら少しずつ少しずつ変わっていく。相当あとになって、あの時が変わり目だったと体験した人は感じる。一般には明治時代になってもチョンマゲをしていた人は多い。①いずれこういう時代が来ると読んで手を打ってきた人、②ここまで来たらもう元に戻らないと覚悟を決めて人生も経営も設計し直す人、③年末には景気が戻る、遅くても来年には景気は戻ると考える人と人様々であろう。
 私たちは、こういう時代を想定して考えてきた。そして個人も、企業も準備をしてきた。そして、改めて、今年の経営計画を熟考した。理念を掲げて、自立連帯型経営をする企業の若いリーダー達は、今年を新しいスタートと捉え、腹を括って経営者への道を歩みだす決心をした。叉、あるものは、親の代から続けてきた会社から新たに創業の道を選ぶ人もいる。創業者から引き継ぎ、代々初代と考え新しく進むことを決心する社長もいる。人は言うかもしれない。まだ経営ができる間は敢えてこの寒風に身をさらすことは避けたらどうかと。しかし、タイタニック号は沈んだ。最後の最後まで沈み行く大企業に実をゆだねる事ほど危険なことはない。例えトヨタであっても例外はない。今こそ、厳しくても自分の足で立つ時を迎えている。そういう若手の気概を感じた3つの経営計画熟考会だった。