企業理念と経営理念

理念探究会③
企業理念と経営理念
巷間、理念の重要性を訴え企業関係も企業理念、経営理念と姦しく口の端にしている。私はドイツ人の友人に「黒田、お前の仕事は何なのだ」と問われたとき、稚拙な英語でこう説明した。「人は全て生まれたとき、神から手紙をもらっている。しかし多くの人達はその手紙を読むこともなく人生を終わる。私はその手紙を読みたいと思った人に、彼が読み解けるように支援している」と。全てを言い表せている訳ではない。しかしその手紙の内容こそ自分(企業)に天から与えた使命であり志であり目的である。
 企業にも目的がある。社志でありそれを企業理念という。何のために我が社はあるのか?
多くの企業は社員やその家族が生活するための資を生み出すことをその主眼におく。しかし同時にその仕事(職業)を通じて世の中のために尽くしているものでなくてはならない。
 戦後「経済至上主義」が多くの人達を経済的に豊になることに駆り立てた。見事に日本はそのことを超スピードで実現した。しかし宇宙の大法は動的バランスをもたらし、日本人は多くのものを失っていることは言を待たない。日本の歴史を否定した戦後教育が助長した。この日本がたどってきた道を、まさに韓国、中国が追っている。
 企業理念は経営者の思いを表現したものではない。経営理念として志のない経営者が耳障りのいい言葉を掲げている場合もある。経営理念とはその時の経営者個人のおもい願いであり、企業理念とは、企業が存在する限り百年も二百年も変わらない企業の魂として意志表示された目的使命をいう。従って不変のものである。願わくば、企業理念を探究するに際して、その前に経営者自らの人生理念を探究する方が望ましい。

城野宏先生との出会い2

脳力開発②

先生にお会いした時、私は37才。新宿の事務所を訪ねました。「黒田君、何が悩みなのかね」と開口一番。私の仕事の内容をあれこれ説明しょうとしましたが、「細かいことは言わなくてもよい、要点を言いなさい」と。私は自分の営業活動が不調に陥っていることを語ると、「黒田君、手を出しなさい」とおっしゃり、いきなり私の手のひらを軽く叩かれたのです。そして「私の手が勝手に飛んで行っておぬしの手をたたいたのかね」とつづけられます。「いいえ、違います。先生が私の手をたたこうとされたからです」と答えると。「その通り」「私の手は勝手にと飛んで行かない。私が叩こうとしたからだ」と。そして先生は「おぬしは好調な時と、不調な時とどう行動がかわっているのかね」と重ねて問いかけられました。私は説明するために自分の営業活動の変化を一つ一つ振り返ってみました。そうして考える内に、実は自分の営業活動は具体的には好調の時も不調の時も基本的には何ら変わっていないと言うことに「忽然と」気がついたのです。そのことを言うと、先生は「その通り。人は口ではいろいろと言う。しかしその人の変化は行動をみればわかる」「本気で思っているかどうかは、その人の行動に出てくる」と。私は、本気で今の状態を変えようと、具体的な行動をしていなかったのです。このことをきっかけに、先生の弟子にあたる人の研修に自費で一年間通うことになりました。脳力開発の原理と活用例をキチント教えて頂ける研修でした。10回コースだったようにおもいます。(つづく)


企業理念は企業の魂

理念探究会② 企業理念は企業の魂
今年一年を振り返ってみて企業の不祥事、官僚、政治家の不祥事が目につきます。理念不在(企業理念、人生理念がないこと)ことにより、企業として規模拡大、利益追求が万事の判断基準、疑似理念となります。損得中心、利益優先が当たり前となりひいては合法害悪から事業崩壊に至る道筋を幾多の企業がたどっています。
理念不在→損得中心→利益優先→合理節約→省略増加→手抜進行→実質詐称→合法害悪→良心鈍麻→虚偽拡大→裏面発達→良心排除→脱法隠蔽→腐敗浸透→非道常態→犯罪体質→実態露見→事業破滅     (理念探究会 講師大和信春)
表面にはでていなくても、内部では不正という自覚のないまま、習慣的に繰り返している例がある事は容易に想像できます。
できます。
中江藤樹は「正真(しょうじん)の学問と贋の学問」という話の中で、世間にはどうも贋の学問が多い、贋の学問とは「常に貧富という問題がその心中にあり、また幸福とか不幸ということによって、常に心を動かされる」「常に名利の念(有名になること、利益を得ること)を第一とするか否かがその別れ道だ」と言われています。正真の生き方をしているか贋の生き方かをしているかを問われていると言えます。このことは言い換えれば、理念をもった生き方をしているかどうかと問われているとも言えます。

理念に添って生きることはなにも四角四面の生き方では全くありません。それこそ、天命に従って生きることはまさに自由自在望み放題、実にダイナミックな生き方ができる、それでいて心に些かの咎めることもない生き方、周辺の人達からも喜ばれ、感謝される生き方ができるということです。天命舎で理念を制定した企業が集り毎年6月理念型企業快労祭を草津で開催しています。今年で第七回を数えました。 


理念探究への道

理念探究会①
私は自分のサラリーマン体験を通じて、大企業の持つ限界を感じてきました。23歳で入社して我武者羅に働き、幾多の壁に突き当たりながらも一応は突破し、その度に企業で発揮できる力はつけてきました。学生時代、吉本隆明や埴谷雄高に傾倒し、ドストエフスキーに関して無謀にも評論を書いて、大学の懸賞論文に応募し、2度とも二等賞だった私が、2冊の詩集を、卒業までにし自費出版し、その後結婚の記念の引き出物にもう一冊最後の詩集を出しましたが、その根底にあったのは「人間はいかに生きるべきか」というようなテーマでした。卒業後の進む道に迷いはあったものの、企業に就職をし、実にほぼ愉快に仕事は基本的にやってきましたが、心の中で学生時代から得体もしれずフツフツと燻っていた炭火にやっと目覚めて45~6歳から、心の準備を初めて独立しました。
その独立は自分自身の理念の探究が終わり、制定式と同時に起業したわけです。そしてご縁のあった人達との理念探究の旅が始まったのです。私の人生の充実した10年です。(続く)