経営進化学院とは

理念型企業経営の支援及び自立型人材の育成を通じ「和を基本とする社会」づくりに貢献する事を目的として設立されました。

理念の時代を生きる(理念探究会改題)136号

理念の時代を生きる(理念探究会改題)136

 昨年から私が尊敬している方々が思いがけなく逝去された。その方たちの事を書いた記事を振り返りながら、正に「理念に生きた」方たちを偲びたい。

奥びわ湖物語・三田村正子様・享年八十八歳

語り部・童話の世界、

二〇一二年四月、桜の開花の遅れた満開の琵琶湖を訪ねた。湖北の桜は静かな湖面に映え正に満開だった。何度目かの菅浦は少しの旅人のみで、海津大崎の桜も遠望でき青鷺も飛んでいた。帰途、高月の渡岸寺の十一面観音を拝顔して、今回の旅の目的である「奥びわ湖物語」の作者の三田村正子さんを訪ねた。渡岸寺のほんのすぐそばにお住まいになっている。

三田村さんは私が大学三年生の時、グリークラブ(男性合唱)で指揮者をやっていました。十二月の定期演奏会で「山に祈る」という合唱組曲に取り組んだときにナレーターをやっていただいた。彦根で唯一標準語の語りの出来る女性だった。湖北を旅したことをお知らせしたら、是非一度寄ってくださいとお誘いいただき、湖北地方に伝わる歴史や祭事などを基に物語を創作した童話集「奥びわ湖物語」出版のお知らせを頂いた。早速読んでみた。驚いた。素晴らしい世界がそこにあった。絵は滋賀県在住の著名な日本画家の鈴木靖将氏がお描きになっている。「北近江に伝わる哀切で詩情豊かな心温まる10編の物語」と帯びに書かれている。大人の童話とも言える。近江に伝わる物語を掘り起こし三田村さんの想いを込めてまとめ創作された。私も、妻も読んで人間の愛しさ、哀しさを切々と感じた。今も語りの世界は続けられている。奥びわ湖物語はその一断面。まだ、新しい物語づくりが続けられている。

日本画の世界

ご自宅の玄関に入ると日本画と洋画が目についた。正面の屏風、上がり口の右手の檜の柾目の板に庭の花々と鳥や蜂、そして蛙も描かれている。三田村さんがお描きになったのだと。欄間に飾られている絵もご自分でお描きになったとのお話だ。上がってすぐの日本間の四方の襖にも美しい日本画が描かれている。洋画はお母様がお描きになったとのお話。二階の正面に描かれている絵は、お父様の絵だとの事、趣味の段階は遥かに越えた腕に、失礼を顧みずお尋ねした。

曾祖父が明治最初の外交官でベルギー・オランダ大使。祖母は明治時代、津田梅子たちの次の二回目のアメリカ派遣で留学され、英語を学ばれ、帰国後宮内庁にお勤め、昭憲皇太后にお仕えになった。お母さまは聖心を出てフランス・リヨンに留学され、ピアノと洋画を学ばれ、お父様は東京工大を出てソルボンヌに留学し、ご結婚後お母様の影響を受けて絵も描かれたとのこと。絵は幼少の頃から親しんでおられ日本画は、女学校の頃からやっていた。父上の彦根への転勤、終戦の年に女学校三年生を卒業、京都美大・洋画部門を受験したが、凄い競争率で、不合格。日本画は続けられ五十有余年、最近は仏画に力を入れている。帰る間際に少し仏画を見せていただいた。幾度も絵の作品展を開かれている。日本画は洋画と違って出来上がるまでに時間がかかる。その手間をお聞きするだけで改めて洋画との違いを感じる。至福の時間だった。作品展を開催されるときには万難を排してお伺いしたい。

お茶の世界

奥の部屋に通していただき、庭に面した襖を開けると、満開の桜の咲く日本庭園が広がる。床の間には昨年の強い風のときに倒れた大きな枝を三つに切って、畑においていたら驚くことに、花を咲かせたという。その小枝を飾ってあった。我が家は今、家の外も中も桜の花で溢れていると。庭に面した廊下の奥の戸に龍神の絵が描かれている。この方向は鬼門なので龍神を描いたのだと。その戸を開けると、想像もしなかった茶室が設えてあった。茶室は二十五年前に建てられた。この家を建ててくれた大工さんと幾度も関西方面、京都の有数の茶室を訪ね、茶道の道理にかなう茶室に仕上げるまでのお話もお聞きした。お茶も幼少の頃から習われ、年に数回、お茶会を催され、お茶も教えられている。食後、お茶を点てて頂いた。実に分かりやすく、お茶の世界の本質をお話してくださった。近かったら、進化経営学院に学ぶ塾生と共に学びたいと思った。

生命の静謐な発露

三田村さん現在八十二歳です。ほぼ毎日英語の塾を開いて、受験生に教えているとのこと。今教えている生徒たちが卒業するまで続けるとの話。不躾な質問に答えていただきながら、育ってきた家柄、家の歴史・文化、身につけてきた教養ということをひしひしと感じた。四十二年前、学生だったころお会いした三田村さんは標準語を話され、声優のような明晰なしかもしっとりと落ち着いた声の持ち主だった。その三田村さんの今も変わらぬ声には実は本人の教養や文化や生き方が滲み出ているのだと今回の再会で発見した思いがある。生命の静謐な発露を見る再会だった。

その後、大学のグリークラブのメンバーとそして翌年また、妻とお訪ねした。 

Mランド・小河二郎会長・享年九十五歳

成就の時代「私の質実経営」

二〇一〇年末に一つの小冊子を編集・出版した。益田にあるMランドの小河二郎会長が書かれた本の再版と言うべきか。その小冊子は、進化経営学院の人達の座右の書として備えることとあわせて志を持って生きたいと考えているこれからの時代の人に進呈したと考えている。書名は「私の質実経営」という。その中に成就の時代という個所がある。「人間の能力は、正に無尽蔵(むじんぞう)井(い)泉(せん)である。訓練や努力によって素晴らしい智恵をいくらでも発揮できる。だから縁あって共に働く人達にみんなの念いをかなえてあげたい。成就させてあげたい。成就を分かち与えてあげなければならない。そのために各自にしっかりとした目標を持ってほしい。社長になりたければ社長にさせてあげたい」という意味のことを書かれている。私が会長にお会いしたのは十六~七年前だった。丁度、私の創業前後の頃だ。以来私は師事してきた。平成八年・会長の揮毫になる「知行合一」の額を進化経営学院にも掲げている。

小河会長との一年ぶり東京での再会

二〇一一年は三回ほどお訪ねしました。一回目は3・11地震の後三月、善子のモラ作品を展示する美術館の改装の打ち合わせ、四月美術館オープン、七月養成塾塾生との合宿訪問。今年はのびのびになり、十一月の訪問を企画してお電話をしたら、丁度その日が上京して講演をされる日と重なり会食をさせていただくことになりました。

昨年の震災以来いち早く変化の兆しを見せた若いゲストたちの大きな変化の様子、変わらない大人や政治の世界とは一線を画し、変化する若者たちの姿。食堂で提供する食事は「白米から玄米」に変えて、段々みんなが玄米の生まれを納得してくる様子など等。

話が十二月に訪ねる予定のネパール・ヒマラヤの話に及ぶと、「僕もヒマラヤに行きたかった。その理由はヒマラヤを超える鶴の群れを見たかったからだ」と。ここでもネパールの話題がひとしきり。会長は李登輝元総統と同い年です。台湾を訪ねお会いしたこともあり、今年六月の訪問の際、ご紹介していただく予定でしたが、李登輝元総統が入院のためかないませんでした。

お父上は九十二歳でお亡くなりになられましたが、会長にお会いしていると、百歳は超えられるだろうと、善子ともども願いながら、快くお話が続きました。気がついたら二時間余りの時間が経過していました。明日の講演を控えて、名残尽きなきませんが、車を呼んでもらい、ホテルまでお送りし帰りの汽車にゆられながら会長とご一緒した一時の快い陶酔に耽っていました。

Mランド50周年セレモニー講話

二〇一三年十月二十四日、益田でMランド50周年セレモニーが開催された。昨年、十一月東京で小河会長がある会で講演される前日、中島室長ともども湯島で食事をご一緒する機会に恵まれた。そのとき、本日の会にお招きをいただいた。

小河会長・九十歳の講話

一言で言えば「運がよかった」という言葉で始められた。創業25周年の時には式典を行おうと考えていた。しかし50周年のセレモニーが行えることになるとは思っても見なかった。それを思うと、こうして自ら50周年の式典を迎えることが出来るとは正に「運がよかった」という言葉しかない。会長は今年90歳を迎えられた。台湾元総統李登輝と同じ歳だ。

第一に「やわらぎの像」=一無の像(一生無事故への祈念)に関してのお話だった。草柳大蔵氏の文芸春秋の記事「やわらぎの像」への想いから始まり、モータリゼーションの対極「こころ」が大事になる。その「こころ」を企業経営の中心に置く。「やわらぎ」と言う字は、火を三方から囲んで人間が語る姿を象徴している。この像は、第一号は新宿西公園に設置され、二号は横浜スタジアムそして三号はこのMランドに見ることか出来る。その後、設置された話は聞かない。

第二は「美しくなりたく候」という会長が早稲田大学に通っていたころの文学部教授であった「会津八一」に惹かれ、新潟に生まれ仏教美術史の研究や俳句、短歌への造形が深い。小柄であった彼が羽織袴で廊下の真ん中を歩く姿には威厳があったという。会津八一の言った「美しくなりたく候」という言葉は、Mランドの構内のあちこちに見ることができる。その具体的な姿が、ギャラリー・フォンテーヌであり、ロビーで見られる岡本太郎のリトグラフや彫刻である。

2011年1月会長から電話を頂いた。善子のモラの作品をフォンテーヌに展示したい、ついてはどのように展示するか相談をしたい。3月11日茨城県に住む私たちも東日本大震災の被害にあった。何とかしてその5日後Mランドを訪ねることが出来た。予定通り4月改装なったフォンテーヌにパナマサンブラス諸島の人が作る手芸の技法を応用したモラの作品14点を展示することが出来た。受講生のみなさんに一時の憩いを提供しているようだ。モラの作品は生きるエネルギーを放っている。

第三にNO1に関するお話であった。50周年を迎え、四輪車免許受講者で数年前ついに全国トップになった。自動車学校がスタートした時点では、Mランドは最盛期でも受講者数は七~八番だったという。25年前には260万人だった自動車学校卒業生は今や130万人、半減している。NO1になるということのイメージは、具体的には「NO1のあの山に登ろう」という言葉で始まった。NO1の富士山に登ろう。富士山の天候が一番安定している7月1日の山開きの日に合わせて、超繁忙期の最中、仕事を終えた社員ともども夜を徹して富士の近くまで移動。翌日五合目にバスで移動。当日八号目に泊まり頂上を目指す。早朝出発ご来光を迎え、登った人たちは山小屋や付近の掃除をして下山する。その夜には益田に帰り着く。会長70歳の年に始められ、三度も会長自ら登山されているという。「あの山に登ろう」と目指す方向、目標を指し示す。目標を達成する方法は、その時々によって変えればよい。

会長の著書「私の質実経営」の中に示され「成就の時代」という項がある。「想えば成就する時代だ」と。想うことがまずスタートである。今や、前述の自動車免許取得者激減の中で、毎年六千人以上の受講生が入学してくる。しかもその六割がMランドを卒業した親兄弟姉妹、知人友人のすすめでこのMランドに来る。私の妻や、私の友人の娘もその例に倣っている。自らが体験したMランドでのさまざまな体験そのものが推薦する理由であり、すなわちMランドの若者を惹きつける魅力であり、教習に携わる人たちの魅力そのものである。

第四に「知行合一」から「知行楽」という新しい概念をお話しされた。若い人に「親孝行をしていますか?」と問い、続けて「朝起きたら両親に挨拶をしていますか?」と問うと「していない」という。頭ではわかっているがその実行は心もとない。私も進化経営学院には平成八年元旦に会長に揮毫していただいた「知行合一」の額を掲げている。知っていてもそれは必ずしも実行していることではない、と肝に銘じ受講生ともどもとも精進している。

「知行楽」とは一日の仕事に全力を尽くす。全力を尽くして仕事をすれば、それは苦労ではない。この仕事の中に充実感が沸いてくる。ゲストに喜んでもらった。一日しっかり仕事をしたという満足感がひしひしと沸き上がってくる。「私の質実経営」の中に「尊業而自楽」という言葉がある。「業を尊び而して自ら楽しむ」と解説されている。一日の仕事が終わって自宅に帰るときに「ご苦労さま」「お疲れさま」と声をかけることが多い。会長は言われる。「いや、決して疲れた訳でもない。決して苦労したわけでもない。辛かった訳でもない」「むしろ、充実感に溢れた一日であったではないか」。ならば、「お疲れさん」「ご苦労さん」と帰る人に声をかけるより「ごきげんよう」と言おうではないか?と続けられた。「ご機嫌よう」。正にぴったりだと会長のお話を聞きながら、隣に座っている妻と顔を見合わせた。

最後に、自然(しぜん)と自然(じねん)という概念についてのお話だった。自然(しぜん)という呼称は人間と自然との対立のイメージがある。西洋文明=自然科学文明はある意味で自然の超克であり、自然を征服することに重点がある。人間が自然を克服して高い山や深い海、そして自然を切り拓くという概念か主流だ。日本はこの概念とは違う。自然(しぜん)と一体となって、人も自然の一部である。その概念を自然(じねん)と言う。自然(じねん)の時代、自然(しぜん)と一体となって生きていく生き方が大切だと言われた。

仕事を自分の生き甲斐にできるような会社を目指したい。社員が一生懸命仕事をする。そしてゲスト(お客様)が満足してくださる。そしてその結果みなさんや地域が潤ってくる。よくなる。そしてゆくゆくは日本が、地球がよくなっていく世界を目指したいと淡々と静かにお話しされ講演を終わられた。

天寿への道

二〇一七年十一月、ある資料を入手した。天寿への道という資料だ。その資料によるとスタートが還暦だ。還暦は六十歳、次が古希で七十歳、次が喜寿で七十七歳、以下傘寿八十歳、橋寿八十四歳、米寿八十八歳、卒寿九十歳、国寿九十二歳、櫛寿九十四歳、白寿九十九歳、百寿百歳、茶寿百八歳、王寿百十一歳そして天寿百二十歳までの道は遠い。

小河会長訪問

島根県益田を一年ぶり訪問した。二〇一六年十一月孫の吉彦常務の結婚式にお招きいただき、おもいもがけなく善子が乾杯の発声を頼まれた式だった。あれから一年。近況報告やら最近の私の仕事等を報告し会長を前に、「天寿への道」のお話しをした。会長は今年九十四歳になられている。櫛寿という。天寿は百二十歳というお話しをすると、常務に伝言され、会長室から一冊の本を持ってこられた。本は「健康寿命一二〇歳説」というタイトルだった。著者は船瀬俊介氏。

「健康寿命一二〇歳説」

実は私が、二年前に減量を試みたとき、年齢とともに過去のやり方では予定通り減量が進まないことに気がつき、偶然から善子の友人に貸してもらった「やってみました!一日一食」長寿遺伝子が微笑むファスティングという船瀬氏の本だった。面白半分に読んだのだが、根拠があることが分かり甲田光雄氏の「奇跡が起こる半日断食」にたどり着き、実践している。

偶然の話の繋がりから「健康寿命一二〇歳説」の中で森下博士(八十八歳)の世界中の長寿郷に学んだ事を中心に船瀬俊介さんと対談されている。この本で森下博士は世界中の長寿村を繰り返し訪問され、現地の人達にインタビューされた、滞在された現地体験を報告されている。そして、森下博士は「東京でガンやその他の治療に指導されている方法と世界の長寿村の食事に共通項がある」と言われる。具体的には玄米食だ。

ココロが磨かれる森の中の教習所

Mランドは全国から毎年六千人の人達が運転免許取得に来られる。二週間の合宿研修だ。ゲストの人達は六割の人達が、体験者の勧めでこのMランドに参加される。朝のトイレ掃除から始まるMランドの研修プログラムは、創業五十年の歴史ととも会長たちが築かれたことで、ゲストは滞在中様々な事を体験できる。詳細は省くが本格的なお茶の体験など、この合宿でゲストは大きな精神的変化と成長を体験する。特質すべきは朝の食事は今、玄米食を提供している。そして禁煙が定着している。何故運転免許取得とこれらのことが関係あるかと思われるだろうが、このことは事実である。妻のMOLAの作品を展示している美術館フォンテーヌもある。

この後会長とMランド構内を散歩した。雄大な自然の環境に囲まれたMランドはゲストの心身を落ち着かせる。YOGAの道を歩いた。私達が暮らす天命舎も自然の中にある。そして毎日のウォーキングコースはコンツオルズの道から湖水地方のように霞ヶ浦の湖畔を歩いている。自然の中で暮らす、野菜中心の食を楽しむ。過食をしない。そういう環境で自らの天命に添って生きることが「天寿への道」に繋がるのだろうと認識を新たにした小河会長との一年ぶりの再会でした。

生涯にわたる恩人・名古屋電請器工業・川本良三会長享年九十三歳

十年ぶりの再会・八十八歳

実に十年ぶりにお会いしました。二十二年前の八月一日長男倫太郎が北海道でバイク事故を起こしたとの報を受けたのは、東京から名古屋の川本社長(当時)をお訪ねし、面談中に、彦根の義母から善子に緊急の電話がかかってきたのです。その時の事故を起こした長男・倫太郎は結婚し二児の父親、シナリオ作家として元気で仕事しています

会長に初めてお会いしたのは、社会人になって名古屋に赴任した翌年、二十四歳の時です。当時から会社を数社経営していらっしゃいました。終戦後の会社を作るまでの経緯をお聞きすると、きりがありません。その根底は優れた技術をお持ちだったことが縁で、NHK・国鉄と繋がり、数社を経営されることになったのです。

その当時(一九六七年頃)家電店のグループ展開を意図して設立された日立系の会社でネッサ川本という会社の社長。技術に詳しい社長でしたから日立系列でありながらも、ソニーの商品も積極的に取り扱っていました。開店当時から私が担当しましたが、日本コロムビアの商品はわずかにステレオを扱っているにすぎない取引先でした。約二年の内にカラーテレビやオーデイオでは、トップの扱いをしてくださるまで、取引を伸ばしていきました。

私の結婚に際し、結婚相手に会ってくださいとお話ししたら「黒田君、結婚は今の君のような人間ができるものではないよ」と小馬鹿にされ、まったく信用してくれませんでした。が、彦根からご自宅に善子をつれて行ったら、「ほんとなのか」と驚かれ、あわててツッカケを履いたまま、レストランに招待してくださいました。その席で、開口一番、「善子さん黒田君とは結婚しない方がよい」ととんでもないことを言われたのを忘れることができません。私は当時から問題児だったのですね。それでも、お金のない私たちのために、アパートを見つけてくれ敷金も払ってくれました。私たちには大恩人です。

今から思い出しても仕事が楽しくて、楽しくてたまらない時期でした。社員の人たちとも仕事が終わってから「寺山修司の天井桟敷」の舞台や音楽会、ディスコや合宿研修なども企画して仕事を楽しんでいました。あのころはよく売れたねと今回会長も振り返りながらおっしゃっていました。

会長は当時から上京されては経済界、業界などでよく勉強もされ、時々講演会の様子をお話して下さり、刺激を与えて下さいました。特長のある部品製造の仕事は愛知時計やその他の取引先と幅広く取引されていました。訪問すると、話を聞いて下さり、時にお店の二階でよく食事をご馳走になったことを覚えています。今回の訪問で、会長が改めてまもなく八十八歳を迎えられるとお聞きして、その若さや身のこなしに善子ともども驚きました。

カメラの世界では超有名なハッセルブランドに六十五歳の頃から凝られここ数年、世界各国を訪問され写真集として数冊、出版されています。数年前にネパールを中心として、山岳写真家の白旗史郎氏と一緒にネパール・ナガルコットの日本人が経営するホテルにも支援をされ、写真の絵はがきを販売支援もされています。三年前社長をご子息に譲り、今は会長として経営にたずさわる傍ら、相変わらず颯爽と活躍されている。最近写真撮影は国内に絞っているとか。話題は縦横無尽。本社に近い新しい工場も案内していただき、名古屋市内の高速道路を飛ばしてホテルまで送ってくださいましたが、その運転の腕前に驚きました。八十八歳。信じられないほどお元気で、私達にとって、刺激的な再会でした。

 

茨城、彦根・経営計画熟考会

毎年末から翌年にかけて、経営計画熟考会を開催している。企業を制定している参加者は理念を背景にしながら基本的に本年度の経営計画を立てる。

覇道の世界

世界は正に覇道(競争)社会で対立の様相を示している。基本的に覇道は一、天下の勝ち残りが目的。二、敵の制圧・征服を通じて目的達成を目指す。三、覇道は権謀術数を駆使して優位を追究する。四、一生他滅をもって収束安定とする。五、覇道は異質排除、自盛他衰を行動原則とする。

世界の米国、中国の貿易戦争も、EUの対立も、日産とゴーンとの確執もこの覇道の原則に漏れない。少し大胆に言えば「利益最大化」を追究する大手企業は殆どが覇道的な姿勢に近い。その基本姿勢が企業の不正、従業員の酷使、結果としての働き方改革を唱えざるをえない結果を招いている。私達は和道経営を目指し互恵圏の拡大、身辺の和の構築、異質共存、互恵共栄を行動原則としている。

和道の世界

覇道世界のヨーロッパの近代は、合理化と効率化で、無駄に見えるものをなくしていった。しかし日本は近代になっても、無駄なものを残した。言葉を変えれば、情の力で勝つ日本のなかで日下公人氏が謳っている情の世界をまだまだたっぷりと残している。氏は「情の力」の神髄を以下のように説いている。

一、情の力でこそ高レベルの仕事に到達できる。二、「情」の戦略すなわち「知・論理」に頼らぬ日本的なあり方。三、「情」の組織論・情で繋がった関係性ほど強いものはない。

四、実力主義の社会だからこそ「情」が大事だ。五、巨大なものに立ち向かう日本精神 。六、苦境にも日本人の使命と希望を語り続けられた昭和天皇。六、近代が終わり、情が復活する。七、情愛深い日本人が求められる時代。

参加された経営者達は、それぞれ自社の経営計画を立てられた。理念を背景とした経営、換言すれば利益追究が優先ではない。理念に添った経営計画、日本的な経営を具体化したい。

和道経営の実践企業

彦根での経営計画熟考会の最中、彦根の知人より「近江商人の哲学」「たねや」に学ぶ商いの基本をプレゼントされ、具体的に彦根にあるお店を参加者と訪ねた。たねや創業家の十代目を迎える山本昌仁氏の著書を読みながら、言い知れぬ興奮を感じている。近江商人に和道経営を実践してきた企業の発見した想いだ。今年はこの「たねや」を視察、探究したいと企画している。


脳力開発135号/理念探究会135号

脳力開発135号 和道と覇道・世界は覇道国同志の対立激化

オバマ大統領からトランプ大統領に変わってから、アメリカ国内はもとよりヨーロッパではトランプ大統領に関しての様々情報が行き交うようになっている。トランプに関する記事はCNN、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストの記事の焼き直しだから、日本には実際のアメリカの実態が伝わってこない。トランプについての評価は、日本の新聞メディアからは現状はつかめない。識者と言われる人間も多くは「木をみて森を見ず」の例えどおり、部分情報についてあれこれ言うが、誰も本質的なことからは遠い。最近の中国・ファーウエィに関する記事も鵜呑みにはできない。今回は私達が学んできた思考の原則に戻って考えてみる。

その一、和道と覇道

  • 歴史を振り返ってみると長らく覇道時代が続いてきた。人々は物心ついたころから優勝劣敗の競争コースに乗せられ、成功者は人生の勝利者と表現され、単純に考えれば競争に勝った人である。企業社会でも競争が激しく「生き残り戦略」が喧伝されている。「厳しい競争社会をいかに勝ち抜くは普通のように考えられてきた。
  • 聖徳太子がとなえた「和を以て貴しとなす」に遡るまでもなく、日本は「和」の実践学が文化として根付いてきた。しかし明治維新を契機に欧米の覇道パラダイムの下で発達した文化が流入してきた。さらに第二次大戦後の米国追従で一団とこの「和」の文化遺産は影を失ってきた。
  • 私達は脱覇道を目指し覇道型経営から進化した和道経営を実践してきた。そしてその基本になる理念型経営を実践する過程で理念を土台とした和道経営を実践している。

以下、覇道と和道の比較をしながら分析してみる。

覇道と和道の比較

[目的]

覇道は、天下の支配(勝ち残り)を目的とする。

和道は、永続的・安定的な平和秩序の確立を目的とする。

[達成過程]

覇道は、「敵」の制圧・征服を通じて目的達成を目指す。

和道は、互恵関係の拡大発展を通じて目的達成を目指す。

[方法]

覇道は、権謀術数を駆使して優位を追求する。戦略(覇略)を追究。

和道は、身辺に和を築き、それを飛び火的に拡大する。和略追究。

[収束観]

覇道は、一生他滅をもって収束安定とする。

和道は、全体和合をもって収束安定とする。

[行動原則]

覇道は、異質排除、自盛他衰を行動原則とする。

和道は、異質共存、互恵共栄を行動原則とする。

  • 近々の世界は中国と米国の貿易戦争が巷間の話題である。中国は正に次の覇者を目指して米国に対立している。米国は第二次世界大戦後覇権国として世界に君臨してきた。しかし、物事は永久に覇権国であり続けることはあり得ない。それは第二次大戦までの世界の歴史を振り返ってみれば明らかだ。
  • 覇権国米国はその後、覇権を維持するために膨大な経費を負担していた。その負担に耐えきれなくなった時に、中国が米国の隙をついて軍事力を拡大してきた。南シナ海に七つ人工島を造成し軍事基地にするなど秩序を無視して、国際法をゴミとうそぶいて軍事侵略行動を続けている中国に関して、いよいよアジア諸国ばかりか世界の眼がかつてないほどに厳しくなった。
  • 冒頭述べたように覇道時代は十二世紀(ルネスサンス)から延々と続いてきた訳で優勝劣敗は生物の世界でも普遍性をもって信じられてきた。白人中心の世界は正に文字通り覇道的な競争を続けてきた。従って世界は今でも覇道時代の価値観に染まっている。

 

その二、米国の中国に対する基本姿勢

2018年10月4日ペンス副大統領は米シンクタンク・ハドソン研究所で約50分にわたって対中国政策について演説を行い、中国による国際秩序の破壊を見過ごしてきた日々を「終わりにする」との決意を表明した。

この演説は第二次世界大戦後、当時の英国首相チャーチルによる冷戦の始まりを告げる「鉄のカーテン演説」に譬えられ、トランプ政権の「対中ドクトリン」とも表される。

全文を読まれた方は殆どないだろうが、勉強会ではほぼ全文13ページを読了した上でいろいろ和談をすることにしている。骨格をまとめると以下のようになる。

  • 中国は米国国難政策や政治活動に干渉してきた。
  • 一九四九年共産党が政権を担当するまで、米国は蒋介石・中華民国を永年支援してきた。
  • ニクソン・キッシンジャーによる日米共同声明後、多大な投資を中国にしてきた。
  • しかし、共産党は「メイド・イン・チャイナ」計画を通じて大規模な窃盗をしてきた。
  • 今や、中国は経済的な攻撃を選択し、他方、類を見ない監視国家を築いた。
  • 宗教を弾圧し、チヴェット、ウイグル人を弾圧し思想改造を行っている。
  • アジア、アフリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリに対して「借金漬け外交」をしている。
  • アメリカは更なる関税を課す可能性をもっている(用意がある)。
  • 中間選挙にも介入、地元紙への有害PR記事を掲載しプロパガンダ放送も流してきた。
  • ハリウッド映画にもあれこれ干渉している。
  • 学問、言論の自由を破壊している。中国からの資金提供などで標的にされている。
  • 中国の悪行を引き続き暴露していく方針だ。

骨子を書いたが、副大統領の演説は、文字通り縷々詳細に認めている。これがアメリカの中国に対する基本方針で、今後はこれをベースに中国に対して戦略をたて具体的に進めるであろうことは明白だ。このアメリカの対中戦略を頭に入れておかないと到底現状から将来に賭けては見通しできないであろう。覇道国家同志の対決を承知しておく必要がある。

 

その三、AI監視社会・中国の恐怖 

  • 先月、深セン・ハイテクフェアを視察してきたが、その前に見える現象の裏にはこの技術の国家的な活用の仕方がある。中国はかつてのシリコンバレーやWCCFを主宰した民主主義国家アメリカではない。開催は共産主義国家である中国で、企業経営に対しては強烈な統制や国家の企業支配が強制され、要請される。その国家の強制力を無視できないのが中国である。単に、技術力だけで評価することができない。
  • そのことが、アメリカ・カナダやオーストラリア、ニュージランド、欧米、日本を含めてのファーウェイの事件である。この事件の前から、中国に対して次のように見ている識者が存在する。中国の現状を違った角度から見ている。

中国は今、AI技術で米国を凌ぐ勢いにある。

  1. 連邦議会もメディアも、中国への嫌悪のレベルをはるかに超えて、「反中」ムード。
  2. 共和党、民主党もこぞって「反国を叩きつぶせ」という極論も登場している。
  3. オバマ前政権までの中国妥協路線時代には考えられない「反中」という政治環境である。
  4. 10月4日のペンス副大統領の発表が米国の意志を明示している。

中国の実状

第一・中国の社会的矛盾の深化 不平等の恒久化

  • 2018年7月から頻発する労働争議に、北京大学や清華大学の学生が応援している。

第二・中国の外向的難題が一向に解決されない

  • 中国は金で縛って台湾との国交断絶を主導している。
  • 米国は台湾旅行法を制定して台湾を擁護している。
  • 軍事力と外貨をバックに脅迫敵外交、中国圏拡大にきしみが出ている。
  • 一帯一路の矛盾・蹉跌があからさまになっている。
  • 2018年マハティール首相のシルクロード・プロジェクトを中止した。

第三・サイバー・パールハーバー警戒せよ

  • 国民監視システムのほぼ完成 AI全体主義システムの弱点が露呈。
  • 日本は平和目的・経済の効率化・暮らしの向上、どのような職種が省力化されるか、どのような産業分野がどのようになるか明記していない
  • 中国は軍事目的への転用を狙っている。
  • AIを駆使した顔識別技術で既に一万人の犯罪者を逮捕した。
  • 北京・中関村「北京こう視科技」視察で犯人逮捕の効率を教えられた。
  • ウイグルの民族浄化、ムスリムへの弾圧強化、人権無視、顔認識、声紋のデジタル統制に国際非難が起こっている。

第四・中国の経済的破綻が近いという不安の増大

  • 不動産投機、シャドー・バンキング、理財商品、ヤミ金融、ネット上のP2Pという貸し金業者。習近平の登場が減り李克強の記事が登場し始めた。
  • 一人っ子政策をやめてかえって出生率が低下前年より六十四万人減少している。
  • 中国が始めるサイバー・パールハーバーに警戒せよ
  • AI技術 2018年顔認証カメラ5700万台出荷60%が中国。
  • 中国のビッグデーターは国民を見張っている。
  • ドローンの生産量は世界一、スパコンも演算技術で世界一、5G開発でも世界の最先端
  • 次世代量子コンピューター開発も世界一を狙っている。
  • 清華大学2018年報告では2013年から2018年までの累計で世界市場の60%寡占。

このことは先日深セン・ハイテクフェアを視察して漠然とした不安として、中国の技術が様々な分野で突出してきた現状とそれに伴う企業の事人件費減少とは別の問題が浮かび上がってきた。(悦司)

 

理念探究135号 理念企業の環境整備・そうじの力

十二月鯖江での理念探究会の最中、理念制定企業メガネのフレームを専門とする印刷会社(有)ファインの見学会があった。MKDメンバー八名で参加した。社長の藤井高大氏は鯖江若手経営者が学んでいるMKD(未来対応型経営塾)の塾頭をやっている。

藤井社長は二〇〇二年創業、社員は彼がバスケットボールを学生時代からやっていたことがあって、創業当時から社員バスケットボールで共に汗を流したメンバーが中心で取り組んでいる。まるで、パタゴニア(登山用具から始まったスポーツ関係の会社)の創業に似ていると思った。

創業一〇年まで右肩上がりで文字通り順風満帆の時代を過ごしていた。が、振り返るとそのころ、企業の転換期を迎えていたようだ。次のステージを目指し倫理法人会でMKDの村上塾長にも出会い、「そうじの力」主宰の小早祥一郎氏にも出会った。そして以来約八年にわたって環境整備に取り組んでいる。

「そうじの力」社長小早祥一郎氏

小早祥一郎氏は私の主宰する次世代型経営者養成塾の第一期生であった。かつては今話題の日産に勤めていた。優秀な社員であったが、今話題のカルロスゴーンが社長として赴任する前に意あって退社した。

その後、縁あって養成塾第一期生として八名の塾生として和道経営を学びながら、二年後養成塾を卒塾、理念探究にすすみ理念を制定し「そうじの力」を創業した。その間、養成塾の講師の役も永年勤めてもらった。当時の第一期生は現在すべて社長に就任し活躍している。彼の活躍ぶりは「そうじの力」で検索願いたい。

ファイン社長・藤井高大氏

藤井氏は小早氏の紹介もあって環境整備に取り組まれる一方、並行して茨城まで足を運ばれながら理念探究にも取り組まれ二〇一六年に企業理念を制定された。

環境整備に取り組まれ始めて八年になるが、数年前ファインの企業研修、企業見学をした。二〇一六年には企業理念制定式も開催したから、知らないわけではない。しかし今回訪問して本当に驚いた。会社が全く変わっている訳だ。文字通りここまで変わるということは今まで経験したことがない。小早氏の指導されている会社の変化、成果は毎月の小早氏のレポートと添付される動画で拝見しているのだが。

日本を美しくする会

環境整備については「日本を美しくする会」発祥の地岐阜県恵那市の東海神栄電子工業の社長田中義人氏(今年一〇月一日社長交代された)とのご縁が古くからあって田中氏が平成三年十一月に鍵山秀三郎氏に出会ってからの掃除道に生きる実践を垣間見てきた。何年にもわたって東海神栄電子工業を手本にして私の関わる経営者の人達、社員と視察と体験をして学んできた。

それまでは目標とする企業を視察し経営者に会い学ぶというスタイルだった。が今回改めて「企業が『そうじの力』によって変化成長する」ことを体感しました。

ファインの報告

一時から四時までのスケジュールで、社員(今回は工場長坂下氏)のプロジェクターを使っての説明。ビフォアーとアフターがあるわけで、非常に分かりやすい。格段の変化を認識させてくれる。一時間賭けて社内、職場の案内があった。各部署の説明も分かりやすい。以前の仕事の状況・環境と変化している今を担当者が説明する。それだけではなく視察場所を見学者が見落とすことがないように楽しみながらチェックできるように案内チラシもつくっている。しかも使った資料、台帳をもとに戻すということにも工夫がある。ビジュアルにして具体的には漫画や自分の好きなタレントの写真を資料の背表紙に使っている。

率直な感想で言えば一人一人が工夫している。仕事に関わる環境を働きやすいのみならず美しく整えている。楽しんでいる雰囲気が伝わって来る。現場に行くとよく分かる。

小早氏の報告

その後、小早氏による「そうじの力」の報告があった。共通することは環境が整えられる、綺麗になるということではない。それは当然として働く社員、勿論社長が変化する。ファイン社長藤井さんは「社員みんなの意識が前向きに、そして明るく変化し、社内にまとまりができてきた」埼玉県K社の社長は「売上目標に対して野一色・数字が足りないとみんなで支援していこうという意識が芽生えた」という。

私も存じている島根県・石見交通の社長は「若手社員の成長に、10年先の明るいビジョンが見えた!」断言される。みなさんも御存じの香川県・西村ジョイの社長は「6000坪級のホームセンターで3店舗が『倉庫在庫のゼロ化』を実現させたという。この業界では『倉庫在庫がゼロ』不良在庫がないということです。この業界ではまずありえないことだと思います」言われている。

理念企業「ファイン」と理念企業「そうじの力」の互恵関係

ここまで、会社の美観も社員も変化しているとは思わなかった。私は小早氏に、いや見事に変化するものだ。と伝えた。すると小早氏はいくらでも変化するもですよ。と藤井さんともども胸を張った。感服した。

いままで掃除を継続している企業に毎回新たな変化を感じることはない。理念を制定し、理念浸透のためにいろいろ手立てを講じる。人を変化させることは正直言うと容易ではな。

人を変えることは基本的にはできない。どんな指示命令も、計画目標もきめても、役割責任を決めても、どんな規則規制をつくっても、どんな約束をさせても、どんな正義正論を教え、垂れても根本的にはできない。他動的に人間を変えることはできない。

社長が変わる、社員が変わる、会社が変わる

私の恩師「脳力開発」の創始者・城野宏先生はこのことに関してこう言われている。「自分が変わる」「周りが変わる」「他人が変わる」という。まず取り組む推進者が変わる。小早さんは「そうじの力」を始める前に推進者は社長だという。社長が推進役にならないと環境整備に取り組む会社も劇的な変化はない。だから環境整備「そうじの力」の導入にあたって、「社長の本気度」を挙げる。

上記に挙げた企業は見事にトップが率先して取り組み、結果を出している。今回視察したファインと「そうじの力」はまさにその実例だ。上記の企業は創業者やあるいは経営者が「使命観」「志」をしっかりともっている。そして明確な何のためにという一、目的、二、社長の本気度、三、強制ではなく楽しみながら取り組んできた結果が、素晴らしい結果を生み出している。換言すれば、利益を優先させる、利益を上げることが最優先の企業では環境整備も定着することはない。「そうじの力」は、企業を変える力があることを体感したファイン環境整備見学会だった。

(悦司)


脳力開発134号/理念探究会134号

脳力開発134号

シンセン(深圳)ハイテクフェア視察記

十一月十四日から開催されるシンセンハイテクフェアに行ってきました。七月、和環塾の最長老の勘場さん米寿祝いの席で深圳に行ってみませんかという話があった。かつて勘場さんと一緒にシリコンバレーを案内してくれた米川さんに企画してくださいと頼んでおいた。

九月ごろ進化経営学院の理事を務める須田さんから、シンセンに行きませんか?と誘いがあった。須田さんが指導している自販機を取り扱っている会社・原田さん親子と総勢六名で参加することになった。

今年のフェアのキーワードは5G、AI、新世代情報技術、スマートシティなどと発表されている。新興産業、金融、人材、などにも焦点をおいている。昨年は公式発表でのべ60万人が来場しており、約3000社の企業が出展している。中国で一番大きなテクノロジー関連の展示会となり、毎年世界から注目されている。

十三日朝十時二十分に成田から出発した。香港経由で入った。空港からバスに乗り約一時間、シンセンのイミグレーションで何やら複雑な手間のかかる検査がある。とりわけ白人系の人達には微に入り細に入りパスポートを見ている。私は簡単だったが、同行者は結構時間がかかった。結局ホテルに到着したら夕方を過ぎていた。早速空腹の腹を満たした。なかなか美味しかった。六人で楽しんだが、想像以上に安かった。

翌朝、十時に会場に到着したが、一般及び海外からの申し込み者は午後十二時からの入場だった。午前中は展示ブースの開催者関係のみで、十二時近くまでマクドナルドでコーヒーを楽しんだ。シンセンは三十年前経済特区に指定されるまでは小さな漁村だったそうだが、今は一四〇〇万人の大都会になっている。ホテル近くの通りや会場近くのビルを見ると東京以上のビルが建っている感じだ。

海外からの入場者は事前登録をする必要があります。登録した世話役の人の名前はあるのですが、私達の名前が未登録だということで、ゴタゴタしたが、なんとか入場することかできた。受け付け中国語が殆どで英語ではなかなか通じない。結局申込書をスマホに録画していたので、なんとか入場することかできた。一般入場は勿論、長蛇の列。入場料五十元約三〇〇円。しかしこのフェアは既に二〇回目を数えるということだ。

今回は四号館を中心に回った。工業、情報化展会場で、自動化システム設備やロボット等の製品、技術、部品などが展示されており、中でも無人コンビニのキャッシュレス設備を見ることがテーマだった。顔認証システムもずい分進んでおり、通行人を写し年齢を把握し直ちに年齢分析をしてグラフかするというシステムもあった。ItoA、AIでは最先端を行っているようです。全部は回りきれないが、六号館はスマートシティーに関連するネットワーク技術、クラウドコンピューテインク、人口知能などの製品や技術が展示されていた。会場は広く、一号館から九号館まで広く二号館ではスマート医療展も開催されていた。三時間ほどの滞在で一七〇〇〇歩も歩きました。

翌日はアジア最大の電子街である華強化・ファークャンベイも訪ねました。かつて秋葉原を担当した経験がありましたが、この地域もおそらく真っ白なところにビルを建てたのでしょうから、規模は非常に大きなものがあります。まあ何といっても中国スマホトップメーカー、ファーウェイや関連の会社が目白押しです。正に秋葉原のようなパーツ専門の店舗もありドローンやロボットを扱っているお店もありました。今回は特に企業訪問は計画していなかったことと、言葉が殆ど中国語だということもあってシンセンのハイテクの一端に触れたというの感想です。

一八九八年、コンピューターラッシュの最中、西順一郎先生とロスアンゼルスのWCCFワールドコンピューターフェアをメインとしてアップル、マイクロソフト、インテル等を訪ねスタンフォード大学、つい前年まで孫正義通っていたカリフォルニア・バークレー校の旅をした。

一九九六年二度目シリコンバレーをNTTに勤めていた米川さんをリーダーとして当時巷間言われていたシリコンバレーを訪ねた。この旅はヒューレッド・パッカードの二人が創業したガレージから始まり、シニアネットの普及とスーパーへの注文をハソコンでやるシステネ、ヴーォイスメールを中心にしているVOYSIS社サンマイクロシステム社の視察等を訪ねた。そして今二〇一八年私の友人の息子がトヨタから派遣されシリコンバレーで最近の技術研究のまとめ役を勤めている。

今回以前の旅を振り返りながら、確かに人間が開発した技術は現実に進んでいる。そういう視点から考えて、「バードウェアのシリコバレー」として変貌しているシンセンを訪ねたが、いずれ今テーマになっているItoAやAIの進歩が、果たして人間の幸福感にどのように貢献するのかと若干疑念を感じている。なぜならばこれらの技術は経営における省力化(社員を減らす)の方向が目的の一つになっているからだ。多くの職業が一〇年しないうちになくなっていく可能性を秘めていることは間違いない。経営は利益を挙げることだけが目的ではないはずだという想いを吹っ切れない。(悦司)

 

 

理念探究会134号

七度目の烏山頭ダム・八田与一を訪ねる

昨年知り合った烏三頭ダム・嘉南農田水利会の勤務・羅恵如さんを訪ねて今年も台南を訪ねました。昨年、休日出勤していた彼女とお嬢さんに出会い、突然の訪問客の私達にとても親切に八田与一のダム開発のDVDを豊かな試聴室で見せてくれました。そして貯水池を一望に眺められる二階の展望ロビーから見せてくれ、御礼に善子のモラの作品集をおくる為に住所をお聞きし一方八田与一の記念誌をいただき交流が始まりました。

今回、彼女はワザワザ休日をとって、到着の翌朝ホテルまで迎えにきてくれました。最初に成功大学を訪れ、昭和天皇が皇太子時代にお手植えされた樹齢百年のガジュマルの樹を訪れ、日本統治時代から成功大学が丁寧に管理している巨大な樹の前で記念写真を撮りました。

次に台湾歴史博物館を訪ね、台湾の歴史、時代の変遷を資料とジオラマで一時間ほど見学、沢山の子供たちが勉強にきていました。

管理事務所トップ洪振東氏との出会い

ダムに到着、早速八田与一の像を前に三人で手を合わせ日本人として今なお沢山の人たちから尊敬され与一に感謝の言葉をそれぞれ唱えたようです。事務所に到着する途中、通訳機アイフォンで私の上司が貴方達を招待して、お待ちしていると話してくれました。

到着すると上司の洪振東氏が玄関立って迎えてくださり、早速応接室に通してくださいました。彼は管理事務所の総責任者です。早速自己紹介をし、羅さんと知り合った経緯と既にダムを何度も訪ねていることをお話しました。筆談です。それから彼が取り出したアイフォンの翻訳機を使って、あれこれ情報交換がスムースにでき話がはずみました。

八田ビールで乾杯

初対面を祝して台湾ビールで乾杯です。この地、善化工場で造っている台湾ビールを私達「八田ビール」と呼んでいる。烏山頭の水を使っていると誇らしげ語るのです。何度も乾杯しました。沢山の日本人や台湾の人たちが訪ね、ついでに最近来た手紙の代読、翻訳をしてほしいと頼まれ、沢山の訪問客からの手紙を見せていただきました。ダムができた当時、花園小学校の卒業生だった方の手紙を読み、当時の日本人たちの思いを垣間見ましした。

ダム・貯水池を遊覧

 ボートを出してダムを案内してくれるという。ボート乗り場から三十~四〇分の周遊だった。日本で言えば松島巡りとでも言ったらよいのか。途中の島に上陸して、かつて総統が来客をもてなしたバンガローまで案内してくれた。風景のすばらしい閑静な林のなか。いまは使われているかは不明。

放水口・施設の視察

乗り場にも戻って、放水口に案内してくれた。管理者の人が、放水の現場を見せてくれ、実際に放水を始めた。数分の内に轟々と音を立てて、水が噴き出てくる。その水の勢いをみていると。八田夫人の投身自殺を思い出した。一九四二年六月、八田与一がフィリピンに赴任する船が米軍の魚雷で沈没、享年五六歳だった。一九四五年七月総督府で葬儀、その年の九月一日、夫人・外代樹(とよき)は「子供達にもう大人になったのだから、しっかり生きていきなさい」と遺書を残し放水路に身を投げたと聞いていた。四十五歳だった。

八田外代樹の投身の地

妻善子はこのすさまじい轟音の放水口に身を投げたのかと思った瞬間、涙があふれたと私に話してくれた。おそろしい水の勢いに私も身がたじろく。動画で撮影したが、おそろしい水の勢いだ。この水が嘉南大洲を潤したのだが。乃木将軍は明治天皇崩御に際し殉死された、その夫を追って札奥様も自害された。与一亡きあと夫を追った外代樹の逸話を体感し、現代の人達ではとても想像できない明治時代生まれの夫婦の心情を思った。

夫亡き後、夫を偲び後を追う妻の心境はいかばかりなものか?夫の後を追う妻の心境は二人が生きること、思い、志という表現では相応しくないが、支えあってはじめて人生を全う出来るという思いが外代樹夫人をそうさせたのではと思われてならない。

地下遂道トンネル

そのあと、放水口の地下の部分を案内していただいた。地下深く延々と下っていく。大きな逐道がきれいな鼠色で塗られ続いている。両脇にはパイプがズーット繋がれている。その奥から上部に梯子がついていてダムの中央に出て行くだという。真っ暗で、とてもよじ登る気にはなれない。この構造に驚きつつ、地上に戻った。いささか疲労を覚えた。写真から想像願いたい。

二〇二〇年理念型企業快労祭の企画

二〇二〇年には理念を制定して経営をしている企業の第二〇回・理念型企業快労祭をこの台南で開催したいと構想している。既に初期の理念制定者たちとは台北で開催したが、新しい制定者も交え開催したいとこの構想を洪振東さんに話した。非常に喜んでくれた。

来年も訪れ、プランをもっと練りたい。桃園空港から新幹線を利用すれば、夕方早め台南まで移動できそうだ。台南は台北とはまた異なる日本的な建築物のみならず日本文化を色濃く残している、台南を訪れ八田与一の新たなく足跡を追いたい。かつ文化・伝統・食を体験し日本人がこの台湾に残した日本的貢献を振り返り、明治、大正、昭和の日本人の気概を検証して見たい。(悦司)


脳力開発133号/理念探究会133号

脳力開発133号

大学卒業後10年目の創業

ひとりの青年・瀬来雄一君のことを書きます。彼はダスキンせらい瀬来清美氏の長男です。彼が大学3年生ころ次世代型経営者養成塾に参加してもらったこと始まる。大学卒業にあたる年、卒業論文の変わりに、理念制定をしていた全国各地の企業経営者を訪ね、経営者にインタビューして訪問記を書いてもらった。北海道、仙台、群馬、高崎、鯖江、香川、広島とめぐった。10社以上を訪ねた。そして一宿一飯のお礼に、トイレ掃除でお返しをしてきた。起業の心構えをきいてきた。

  • 自己派遣業すすめ

卒業後、家業であるダスキンに入社する予定だった。私の考えとしては、そのまま社長の息子として家業を継ぐことには疑問だった。学校をでて就職をするというのが一般的で、今もそういう固定観念に縛られている人が多い。就職活動が最近では大学二年生あたりから始まり、今年経団連は統一した就職活動の廃止を唱えた。

私達は「自己派遣業のすすめ」というコンセプトで、卒業したらそのまま、就職するのではなく、独立という道も選択肢として考えるということを思考していた。独立した後、自分ですべきことは、税金の申告、国民健康保険の手続きぐらいなもので、自立支援型の事業家と出会えば、第一歩から独立事業主として提携のビジネスが可能である。実際に広島に住んでいる経営者はこのことを新卒者にすすめ実践していた。

  • 新卒から仕事ができるか?

今年2018年、働き方改革の切っ掛けになったのが、電通に就職して一年目に自殺した東大卒の高橋まつりさんのことだが、彼女のことはさておいて、大学を卒業してすぐ一人前の仕事ができるか?ということには大いに疑問がある。私は30年間ほど、新卒(高校、大学卒)の新入社員研修に携わっているが、新卒が一年目から仕事ができるわけがない。当然といえば当然だ。にもかかわらず企業は一人の社員として給料をはらい、教育をせざるを得ない。新卒採用の弊害だ。

  • 自己派遣業のすすめ

話を彼の当時に戻そう。彼自身も実家のダスキンせらいに就職しても、すぐ一人前の仕事ができるわけではない。私は彼に自己派遣業の形をすすめ、数年は一人前の賃金をもらうのではなく修業の後、一人前になって始めて妥当な賃金に匹敵する報酬をもらうようにするという契約のあり方を唱え、彼の屋号をYOU/ONE/WORKSと名付け家業についてもらった。その間は修業であると考え本人は一日も早く仕事を習得することを心がける。

現実に、私が述べる形態については十分の理解をえられないまま、半年後には社員として就職して給料をもらうという形になってしまった。これは私のフォローが足りないことと卒業したら就職し、仕事ができてもできなくても賃金が支給されるという世間一般の就職・就業の仕組みを打破できなかったことにある。

  • 入社後の実態・嫉妬の対象

さて、その後彼はどうなったか?家業ではなく他社に就職して他人飯を食い修業している場合には起きないが、新卒として入った仕事のできない社長の息子は、人間が持つ原罪である「嫉妬」の対象として職場に曝されることになる。当人がチャランポランな性格ならまだしも、誠実で愚直な性格で、自分の意見をしゃべるタイプではない。また父親である社長としては一日も早く一人前になって欲しいから、何かとアドバイスとして忠告、干渉し本来ならば幹部だけでいいはずの会議にも出席させるという過ちを犯すことになる。期待と現実には当然ギャップが生まれる。一人前に仕事ができる経験も能力もない彼は、私にいわせれば「毎日が針の上の筵(むしろ)」状態だ。しかし、彼の心境を理解する人は少なかった。殆どの人が無関心だった。

  • 先輩、同僚からのいじめと退社

そういう彼を嵩にかかっていじめる同僚、こんな根性で将来経営者になれるのかと言葉には出さないがそんな心理状態で指導する上司。そういう先輩同僚の諫言を無視できない父親である社長は彼を指導しょうとする。そういう構図になってしまった。詳細は省く。

私も可能なかぎりフォローしたが、到底彼の取り囲まれた状況を打開できなかった。五年の月日が経った。そして突然彼は自分の意思で、退社し家を出てしまった。

どこに行って何をしているのか?風の便りでは九州に流れて行った。そしてその後大阪に移ったと耳にはするが、確かなことは皆目わからない日々が続いた。雀荘に勤めている。パチンコ屋にいる風の便りに聞いた。

  • 彼の長所・物おじしない性格と博才

彼は大学3年の時に天命舎にきた。2年通ってその卒業論文の代わりに理念制定企業経営者インタビューの旅をしてもらった。その間に12月にヨーロッパ研修を企画して、その経費は自分で貯めろと指示をした。そうしたら3カ月後、30万円ためたと報告があった。どうして貯めたのかと方法論を聞いたら、賭けマージャンとパチンコで貯めた。雀荘で馴染みのパチンコ名人に目的を話して方法を聞いたら、遊びでは儲けられないといわれ、仕事として取り組む姿勢を教授された。パチンコは数学の確率論だき言われ実行した。そしてお金を貯めて私達ともう一人の青年4名でドイツ、オランダの旅をした。旅行中、毎朝読書会もした。彼のマージャンの腕は特筆するものがあった。

  • その後、居所は母親には伝えておいたらしい。3年経って会社の幹部が何とか捜し当て訪ねていった。彼を支援していた幹部二人が訪ねた。そして会った。一瞬帰ろうかと思ったが、このままだと同じ繰り返しになると自戒し、誘いに乗らなかった。その後、父が訪ねてきた。会社には帰らなくてもよい。しかし、何とか家名を継いでくれ。家業は継がなくてもよいと。その時、彼は家名を途絶えさしたらいけないと思った。
  • その後2年経った。父が65歳で社長を退く覚悟は知っていた。そして次期社長と役員になる社員から、今までにない事業を始めたい。ついてはその事業の中核になってくれないかと言われた。この仕事ならば誰もがやらない仕事だから、立ち上げて軌道に乗せれば、過去の自分を断ち切れると思った。
  • 帰郷の決心

家を離れてから五年、自分の心の中でもいずれ事業(家業)を継ぐことはなくても、父のいう家名を継ぐことは断れないし、自分もどんな道で生きていくかはまだわからないが、この機会に帰ろうと決めた。誰もがやっていないこの仕事は自分を試すに相応しいと感じた。今年6月、今から3カ月前に故郷に帰った。

  • たった一人の創業

提案のあった仕事は「高齢者向け配食サービス」事業だった。ビジョンだけは決まっていたが、場所も体制も全く自分で取り組まねばならなかった。立ち上げの準備に入った。ワタミのような冷凍食品を解凍して配達しているものは、やはり食感に問題がある。研究の結果なんとか当日仕上げる生産業者を見つけた。

  • 店舗及び事務所も自分で検討して決めた。計画を立て検討するとおのずと家賃にも制限がある。あれこれ検討したが何とか、望みのところを探すことができた。この広さならばお客様がいくら増えても対応できる。当初自分一人でやるつもりだったが、縁あってパートの人にであうことができた。この人は本当に素晴らしい人だった。9時から3時まて、親身になって働いてくれ。年齢も私と同じぐらいだ。子供が複数いるのだが、この仕事に対して実にわがこととのように働いてくれる。
  • 開店資金等はすべて自分がこの5年間稼いで貯めておいたお金を使っている。父親から資金援助はなかったのか?と聞いた。全くない。金銭的支援皆無との話をきいた時、彼の決意を感じた。家を出てからの5年間が全く無駄ではなかった。回転資金、運転資金で300万近くは既に使っている。1年後損益分岐点顧客数を想定していたが、3カ月目の後半で、なんとか自分の給料は払えないが、トントンまで顧客がついてきた。
  • 朝6時30分から用意して昼食、夕食の配達とその間営業活動をしている。グループのみなさんにとお客様の紹介をお願いしていることもある。しかし彼自身の営業活動が原動力だ。たまらなく愉しいという。どんどんお客様が増えていくのだと語る。自分の会社を経営することはかつての勤め人の根性とは全く違う。パートの彼女は親身になって働いてくれ顧客が増えるたびに自分のことのように喜んでくれる。こんな人に出会ったことがない。
  • 自立への決意と実践

この話を徳山駅まで父親に替わって私をむかえにきてくれた、かつての教え子の青年から聞いた。人を育てることは容易ではないが、彼にはこの5年間、自分を育てる時間が必要だったのだろうと思った。青年を育てることには最低10年はかかるのだろう。そんな想いがない交ぜになりながら、話を聞いた。嬉しい時間だった。

自分の道を自分で歩き始めた人間、経済的にも精神的にも「自立」に向かって歩きはじめた彼の今を、かつて天命舎、進化経営学院で共に学んだ尚友・同期生・諸先輩、彼が卒業論文で全国各地の理念型経営者の人達に伝えたい。人にはそれぞれ必要な時間があった。(悦司)

理念探究会133号 

著書紹介「理念の時代を生きるⅡ」ブラー印刷岡田社長

この度の上梓、「理念の時代を生きる-II」黒田悦司著、「戦後70年を検証する」黒田悦司著、「森のフォーチャの暮し-II」黒田善子著、「BREAKTHROUGH-II」黒田倫太郎著
 月刊「森のフォーチャ」にこの5年掲載の記事を、今回纏めたものである。「○○○○-II」とあるからには「第2弾」、そして「この5年」というからには、その前の5年も纏めた著書を2013年に上梓されている。
企業や個人の「理念づくり」の支援をされている黒田悦司氏が、師と仰ぐ森信三先生の教え「成形の功徳」に従って作られたと「あとがき」に記されている。
これらの本の上梓はいわゆる「自費出版」である。
一般流通に乗せ、書店に並び、見も知らぬ不特定多数の(なるべく多くの)読者に読んでもらおうという「出版」がある。それと違い「自費出版」というのは、縁あるあの読者がどんな顔してどんな思いを持って読んでくださるかに思いを馳せる。そんな贅沢な「出版」である。前者の「本が売れるか、売れないか」の価値観とは異質なものである。
弊社は両方の「出版」のお手伝いをできる形態を持っているが、「お客様の自己表現・自己実現を支援する」という理念を掲げている弊社としては、「自費出版」という形態はその理念により合致するのである。
 奥様の10月18日の誕生日に合わせて上梓されたこの4著。そういえば、うちの亡き父も10月18日が誕生日だったよ。(岡田吉生氏ブラザー印刷社長)
理念探究会133号・理念の時代を生きるⅡ

  • 森のフォーチャに毎月掲載している記事をまとめた「理念の時代を生きる」を小冊子化して五年経った。私の古希を迎えた記念でもあった。今回七十五歳を迎えた。まことに時の経過は早いが、一方でこの五年間は私にとっても変化の年であった。
  • 一つは私の仕事を進める上での力強い協力者、同志でありかつ妻である善子が七十歳を迎えるのを機会、彼女自身も四十数年続けていた東京でのモラ教室を閉鎖することにした。同じ時期に私が続けていた茨城での進化経営主催養成塾ジュニア、シニアクラスを終えて、高松での開催に変更した。
  • 善子には、毎月一週間も続けてきた幾多の研修参加者へ食事の世話をしてもらっていた。二日間三食の食事の世話を六日間毎日続けてももらって来たわけで、毎回七~八名、多い時は十二~三名を超えるみなさんの食事の世話を二十数年間してもらった。善子なくしては、私の理念事業も不可能だった。心から感謝を述べておきたい。
  • この五年間で六名の理念制定者が誕生した。三十~四十代の経営者だ。この五年間、前半は理念探究の指導であり、三年前には既理念制定者も含めて理念実践会を立ち上げ、茨城と岡山で開催している。加えて鯖江での本格的な理念探究会も開始している。理念制定企業を対象にした快労祭も第十八回目を数え、完全に世代交代をした。まさに次代の経営者の養成、指導の最終コーナーをまわっている感がある。
  • 前回は三部構成であったが、今回は四部構成にしている。戦後七十年を迎えた日本の戦後史を検証したいと発意したことによる。昭和十八年生まれの私は正に戦後教育そのものを受けて育った。平易にいうと、日本の戦前の教育を知らないで育ち、大学生の時代の前後に、学生運動も直接、間接に体験している。労働運動も経験し日本の経済復興と高度経済成長そのもの、同時にバブルも体験している。しかしながら私達は日本の歴史について全く知らない世代で、このことが私自身には澱のように、心の中に引っかかっていた。戦後のGHQによる占領政策がいかにその後の日本に影響を与えたかということは私にとって知的保留事項だった。
  • 理念探究の過程で勉強してきた日本の特長と同時に部分的な歴史の断片を一貫したものに統合し筋の通った歴史観を、世界観を確立したいと切望してきた。戦後のGHQの日本への影響を知り、真実を捉えたいという課題に挑戦することが私とってのテーマとなった。三年弱の研究だが、いろいろなことがわかってきた。研究概念図を掲げてその分野の関連部門を読書し、ポイントレビューでまとめ、その上で記事として書くことにした。そしてこのテーマごとに森のフォーチャに毎月掲載した。今回、この「戦後七十年を検証する」として独立させ、纏めることにした。このシリーズは若い経営者に読んでもらいたい。そして疑問に感じたら自分で深めてもらいたい。
  • これから人生百年などといわれ長寿化がどんどん進んでいく。下手をすると長寿化社会とは長呪化社会になりかねない。医療費たるや膨大な費用がかかっている。国から支援を期待し生きることが果たしていかがなものかと感じている。残る人生で、心がけたいことは、前回にも書いたが老シロアリになることはせめて避けてほしい。国家の大難に遭遇したとしたらせめて次の時代のことを考えて「老人よ、銃をとれ」る老志士として生きたいものだ。

理念に添って生きる・あとがき

  • 創業して二十五年目を迎える。創業の当時十年でも長いと思っていたのだが、誠に早いものだ。その間、利益優先の経営とは異なる次世代型進化経営を追及してきた。世の中の経営を競争型経営(覇道型経営)と呼ぶとしたら、和道経営といえよう。その経営の核になるのが理念であることから、理念経営ともいえる。

創業にあたり特に親しかった人達五十名をお招きし、理念の制定宣言と創業記念パーティーをアルカディア市ヶ谷で行った。創業する「黒田の今後を祝ってやろう」というお気持の一方で「一体何がしたいのか」なんとも理解しがたいというのが感想だった。

  • 翌年、茨城県の霞ヶ浦の近くに自宅兼研修施設を建て、その施設を「天命舎」と名付けた。天命を探究する学舎という意味だ。以来、理念探究会としては二十数回開催し、四十数名の理念制定者(企業)が誕生した。理念を制定した人達、企業を中核にして一年一回集い理念企業快労祭も今年で第十八回を迎えた。天命舎で理念を制定した当時五十歳前後だった人も年を重ねた。経営の一線から退く人も出てきた。ここ数年、世代交代ということをひしひしと感じる。そして三年前に六名の制定者が生まれて、一気に若返った。今も理念探究者を三名指導している。
  • 若いというのは非常に楽しみだと最近特に感じる。若いということは成長するということだ。成長を通じて彼等が経営する企業そしてそこで働く人達も成長するということだ。こうして年を重ねることに、理念を制定した企業と関わる人達も増え続け正に互恵人脈がその和を広げてくる。
  • 世界全体が混迷の時代を迎えているが、この覇道の世界競争の世界からの脱皮を推進できるのは日本人をおいてしかないと確信している。日本に生き続けてきた和道の精神、手法を再体得し、企業経営や社会生活で実践し日本から世界に伝えることは気が遠くなるように思うかもしれないが、創業して二十五年経った中で、その事を実感している。
  • このあとがきを書いている最中に、TEKOサミットの会合が一橋大学の如水会館・東京であった。三ヶ月おきに開催されている。今回出席のTEKOの参加者のお歳は、八十五歳前後の方三名と私達夫婦。通常は九十五歳の方も交えて六名で構成されている。
  • 今回、企業理念制定からその実際についての報告が私に課せられた発表テーマだった。資料を制作し企業理念の備えておくべき要件から関わっている準大手企業一社、小企業一社の実際例まで報告した。二社の企業の社志、社訓(経営姿勢・就業姿勢)の実物をお見せし、理念に添ったその企業の制定後二十年にわたる企業の変遷、事業構造転換の話もした。
  • 発表後、敬愛する岡部氏は「あなたの仕事を見直した。九十歳まで続けなさい」と激励してくれた。現在七十五歳の私が八十五歳の先輩から言われた訳だが、先輩達に毎回お会いし、発表を拝聴していると、頭脳明晰、研究心旺盛、身体健康、かつ食欲も旺盛。九十歳まであと五年だ。今回の会の冒頭、二〇一九年度の開催日を四回決定している。

●帰りの道、上野の都立美術館で没後五〇年藤田嗣治展をみて、上京の際はお寄りする天麩羅「天庄別館」で食事しながら、寿命の話になり、このお店の最高齢のお客さんは一〇五歳でお酒も召し上がるという。今日の一日を振り返りながら、七十五歳を迎えたからといってよしとするには早すぎる。九十五歳を迎えたMランドの小河会長しかり、同年齢の李登輝元総統しかり。私達も理念に添って更に精進を続けてなければとガッツンと頭を叩かれた一日だった。二〇一八年九月末