経営進化学院とは

理念型企業経営の支援及び自立型人材の育成を通じ「和を基本とする社会」づくりに貢献する事を目的として設立されました。

脳力開発182号/理念の時代に生きる182号

脳力開発182号・青少年の成長変化

理念実践会に参加している経営者の中に子弟が進学の時期を迎えている人達がいる。小学生から大学進学を目指している。毎月の例会の冒頭の各自の近況報告で会社・仕事の他に個人的な報告の中で家庭の報告も時にあります。

子弟の自立を支援する「自給の家」

北海道稚内・豊富で「自給の家」を主催している久世さんの事は小冊「緑あふれる創造」

にも紹介している。私はかつて毎年夏に天命舎で子供たちと合宿をしていたが、当時参加していた子供たちも今は高校生から大学生になって進学や人生の進路を決める時期をむかえている。今回久世さんを訪ねた小路口侑以さんは小四年、五年とお姉さんと天命舎の合宿に参加した。二年ほど前、ラコリーナの会社見学のとき父上と参加、中学生になっていた。今回その侑以さんの久世さんを訪ねた報告をかねて、当時の子供たちの成長変化をお伝えしたい。

■娘の北海道の旅                         小路口欣弘

次女の侑以がこの11月1日から6日までの6日間、北海道の久世さんのとこでお世話になりました。久世さんとは直接の面識はないものの、黒田先生のところで小冊子を読ませて頂いたり、話を聞いたりして存じ上げていました。「北の国から」さながらの生き方をされているとのことでした。

自給の村の青少年支援

その久世さんが夏休みの期間に毎年全国から子供たちを集めて合宿を開いていると聞き、小さい頃から自然が好きで、食に関することに興味を持っている侑以には是非とも体験させてあげたいと、かねてから黒田先生を通じて参加のお願いをしていました。ちょうどコロナが流行りだした年で、合宿は2年続けて中止となり、残念ですが仕方ないと諦めていました。

次女の進路支援

そのような状況の中、高校2年生になる侑以は、周囲の友達とも高校卒業後の進路を話し合う時期になりました。自分なりに考えてみたようですが、話を聞くと管理栄養士の資格取得を目指すとのことでした。妻とも話し合い、侑以の性格的にあまり合いそうにないという気持ちもありましたが、本人が決めることなので、後悔のないようにしっかり考えて決めたらいいとだけ侑以に伝えていました。ただ、小学生の頃から食に関する職業につきたいと漠然としていますが、方向性だけははっきりしている中で、親としては侑以が周囲に流されず、自らの道を歩んでほしいという思いがありました。

自給の村訪問

何か将来のことを考えるきっかけ作りを支援したいと思い、10月の理念実践会の近況報告の中で、その旨を話したところ、黒田先生から久世さんのところへ行ってみてはと提案があり、すぐに久世さんと連絡を取って頂き快く受け入れて下さり、侑以自身も是非行ってみたいということで今回の旅が実行されることになりました。

次女の報告

久世さんの家族の皆さまに大変お世話になったと聞いています。滞在中はこちらの心配をよそに、送られてくる写真が最近では見ない笑顔のものばかりでした。空港に迎えに行った際も目を輝かせて開口一番に「北海道に住んでみたい」というほどでした。学校では研修で毎晩遅くに帰ってくる日が続いており、旅の日程を調整するのも四苦八苦した様子でしたが、「学校を休んででも行って良かった」とのこと、私も妻も良い経験をさせてあげることができたと思っています。

私自身もまた一つ、娘の成長の過程の支えになることができた喜びをしみじみと感じています。これから侑以がどのような道に進んでいくのかを楽しみに見たいと思います。

■北海道体験記                           小路口侑以

豊富町までの一人旅

初めて一人で飛行機にのりました。コロナ禍というのもあり、しばらく飛行機に乗っていなくて耳が痛くならないかと少し不安でしたが、飛行機の窓から見える景色がとても綺麗で写真を撮ったり、小説を読んだり、楽しく過ごすことができました。

新千歳空港から電車に乗り、目的地の豊富町に到着するのには約五時間かかりました。移動中は札幌で買った北海道のいくらと鮭がのった駅弁を食べ、小説の続きを読んでいるとだんだん眠くなってきてつい寝てしまいました。目が覚めると、外は暗くなっていて起きていた時よりも乗っていた人が少なくなっていました。もしかしたら眠っている間に豊富町を通り過ぎてしまったのではと内心焦りましたが、車掌さんに聞くとあと十分ほどで着くと聞き、ホッとしました。

久世牧場と工房レティエでの体験

工房レティエではアイス作りとチーズ作りを体験しました。アイスの材料の生乳は牧場でとれた搾りたてのものを使うのですが、毎日脂肪分が違うのでそれに合わせて砂糖の入れる量を調節していて、こだわりがあるからこそ美味しいアイスができるんだなと思いました。また、キャラメルラテというアイスの製造ではキャラメルを鍋で作る作業があります。キャラメルの焦がし具合によって出来たアイスの味の濃さに影響するのでどこまで焦がすか判断する事が難しかったです。アイスの種類は沢山あり、新しい種類に挑戦していて味見をするときに次の試作でどのようにして味の調整をするのかを考える事が楽しかったです。

チーズ作り・搾乳体験

チーズ作りは思っていたよりも力仕事でした。使用する機械や器具は大きいものが多く、アイスの時と同様に清潔さがとても大事で、洗い物をしていた時や大きな鍋からカードをチーズの型に入れていく作業が苦労しました。私はチーズが大好きで製造するところを見てみたいと思っていたので、大変だったけれどまた製造を手伝ってみたいです。

夕方に牛舎に連れて行ってもらって搾乳を手伝いました。牛との距離が近くて驚きました。搾乳を始める前は牛舎の中はすごく寒かったですが、牛が沢山牛舎に入ってくると温かかくなり、生命の温もりを感じたのも良い思い出の一つです。

久世さん家族との生活

久世さんと初めて出会ったのは豊富町駅の改札を出たところで、先に降り立った見知らぬ若い旅行者が困っているのを見かねて道の説明をしていました。その後、「侑以さんですね」と優しい笑顔で声を掛けて下さり、長旅の緊張感がほぐれ安心しました。旅を終えて聞いたのですが久世さんは親戚が増えた感覚で接していただけたそうで、とても嬉しくかんじました。

娘のあもさんの家族に生活面でお世話になりました。祝日には日本の最北端にある宗谷岬に連れて行ってもらいました。最北端なだけあって風が強く寒かったです。あもさんの娘のひなたちゃんと弟のむさしくんとは、私はとても人見知りなので初日はあまり話しませんでしたが、一緒にご飯を食べたり遊んだりして仲良くなれてうれしかったです。五日目の夜にひなたちゃんとクッキーを作りました。学校の実習で製菓のことを学んでいるのでお菓子作りについて色々なことを教えてあげる事ができました。むさしくんはとても甘え上手でよく遊んでと言ってきたので遊んであげました。私の家族は三姉妹で女性ばかりなので可愛い弟ができたみたいでとても楽しかったです。

北海道での体験を終えて

私にとってこの6日間はとても貴重な時間となりました。北海道に初めて行ってみて、景色も空気も大阪とはとても違い、驚く事ばかりです。時間の流れがゆっくりしていて大自然の中で動物や人が一緒に暮らしているのをみて外国にいる気分でした。北海道に行くまで私は毎日忙しく、最近は心に余裕がない感じで悩み事も多かったですが、北海道では時間や気持ちに余裕があって、将来を見つめ直すことが出来ました。久世さんの家族は皆温かく、その一員になれた気がしてとても嬉しく思いました。久世さん家族、そして私に北海道に行ってみなさいと背中を押してくださった黒田先生と両親にとても感謝しています。ありがとうございました。

 

理念の時代を生きる182号・日本人が知らない近代史の虚妄・江崎道朗

■インテリジェンス読み解く第二次世界大戦

 今回、理念実践会のテキストとして、上記の本を取り上げた、著者は誤解を恐れずに言えば我々が学校教育で教えられた第二次世界大戦、近現代史はもはや「時代遅れ」になりつつあるという。その事は長い間知的保留してきた私が70歳を機会に「戦後70年を検証する」で2018年に二年をかけてまとめ出版しさらにその後の継続した研究の過程で感じていた。しかし同じ世代の友人たちはもとより若い人たちは歴史すら関心も薄く、日本の近現代史等に対して知らない。最近のメディアに関係する人達も、時に政治家ですら日本の近現代史を知らない。

■「リッツキドニー文書」「ヴェノナ文書」

1989年のソ連邦崩壊後ベルリンの壁の崩壊後、中・東欧諸国の「民主化」が起こり脱「共産主義」化の流れの中でソ連の戦争責任を追及する動きが広がり、1991年エリツィンはソ連の機密文書「リッツキドニー文書」の公開に踏み切り、ソ連が戦前から戦後にかけての各国にスパイや工作員を送り込み様々な工作を行ってきたことが「立証」された。終戦50年にあたる1995年に、戦時中にアメリカ陸軍情報部がソ連と米国内ノスパイとの暗号電報を傍受解読した機密文書「ヴェノナ文書」が公開された。

これらの公開された機密文書を深く研究している研究家は少ない。私も「ヴェノナ文書」については知っていたが著者江崎道朗氏は「ヴェノナ文書」公開後の研究に詳しい。

■バイデンと習近平

トランプ元大統領以後、アメリカは超党派で中国を「敵国」と見なし外交交渉を重ねている、民主党のバイデンも息子の中国とのうさん臭さ抱えながらもトランプ以来の対中姿勢を貫いている。G20でバイデンと習近平の会談があったと11月17日の新聞で報じているが、強い中国を育てたのは正にアメリカであり日本である。

アメリカの下院議長ペロシ氏の台湾訪問後の三選された習近平の率いる中国の今日をみたとき、安倍元総理の言った「台湾有事は日本有事」が目の前にあるにもかかわらず日本の外務省、政治家はいまだ傍観している。

今回、私達が知らなかった日本の戦後史を改めて振り返って見る事にした。近現代史の隠されていた点を確認したい。

第四章 「強い日本派」(共和党)「弱い日本派」(民主党)

加瀬峻一・初代国連大使の叫び

  • 先の大戦で「日本は悪い国だ」というレッテルを貼ったのは、1946年に始まった東京裁判においてでした。東京裁判は二年半にわたり鳴物入りで日本を糾弾したが、要するに勝者の敗者に対する一方的断罪であった。それに「法律がなければ犯罪なし」の原則に反する。しかも、わが国民は戦勝国の世論操作によって洗脳され、いまだに裁判の真相を理解していない。p102
  • 東京裁判は裁判官も検察官も戦勝国代表で構成しているのであって、その点で公正を欠くのだが、ソ連は日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいいままにした。また、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、日本が終戦を模索していると知りながら、原爆を投下したのは、許さざる重大な国際法違反である。P103

■アメリカは一枚岩ではない・東京裁判を実施したのは民主党政権

  • アメリカは一枚岩ではないということです。アメリカにも多様な政治勢力があるのです。よって、「アメリカが東京裁判を実施した」という言い方は必ずしも正確ではありません。東京裁判を実施したのは、アメリカの民主党政権であって、共和党ではないからです。P105
  • 戦前のアメリカの対日政策は大別して二つの流れがあり、一つは「ウイークジャパン派」(弱い日本派)日本を弱くした方がいい派です。これは当時のルーズヴェルト民主党政権が採用していた対日政策であり、中国の蒋介石やソ連のスターリンもそれに同調していました。P105
  • もう一つは「ストロング・ジャパン」(強い日本派)日本を強くした方がいいというのもありました。この強い日本派は、アジアで紛争が起こっている原因はソ連の膨張主義や中国の排外ナショナリズムであり、ソ連の軍事的な覇権や中国の排外主義を抑えるために、日本は中国大陸で軍事行動をしているんだ、という受け止め方です。P106
  • 1937年の日中戦争当時、アメリカは「弱い日本派」のルーズヴェルト民主党政権だったことです。1933年までは、フーブアー共和党政権で、どちらかというとアメリカは「強い日本派」でした。フーブアー政権は1929年の大恐慌に端を発する世界恐慌に直面して経済政策で失敗してしまいます。P107

■ニューディール連合

  • 国民の不信を買ったフーブアー政権(共和党=ストロング・ジャパン)に代わって登場した民主党のルーズヴェルト大統領はニューディール(新しいやり方)といって、いわゆる国家社会主義的な政策を実施しました。連邦政府主導での道路や橋、発電所といったインフラ整備や、生活保護といった社会保障政策、労働組合優遇政策を推進し、ソ連との連携に踏み切ったのです。P108
  • ルーズヴェルト政権はソ連と連携しながら、日本を追い詰める外交政策をとっていきます。ルーズヴェルト大統領はレイシスト(人種差別)の傾向があり、日本に対してはひどい偏見を抱いていた。中国大陸で紛争が起こっているのは日本のせいだと決めつけ、日本を追い詰める外交を実施します。こうした構図の中でルーズヴェルト民主党政権は日本を追い込み、最終的に日米戦争に発展していきました。P111

■ソ連は戦争中、中国に武器を提供していた

  • 1937年からの二年間で、ソ連は中国に飛行機を800機以上、加えて弾薬、ガソリン、飛行機用兵器、無線通信機、給油装置などを提供しました。P116
  • ソ連からの圧倒的な軍医援助のおかけで、蔣介石政権は自国の軍事を強化し、日本軍に立ち向かうことができました。ソ連こそが、大量の軍事物資を中国側に提供することで日中の和平交渉を妨害していたのです。P116

■外務省、陸軍、海軍にも浸透していた親ソ派

  • 日中戦争を背後から煽ったソ連に対して、当時の日本は、なんと友好関係を結ぼうとしていたのです。当時の日本の、それも軍部の中にはアメリカやイギリスこそが日本にとって最大の敵であり、ソ連と組むべきだという親ソ派が存在していたのです。P119

■ドイツ、イタリア、ソ連との連合

  • 日本の官僚は戦前も戦後の現在も、優秀な官僚はごく一部に過ぎず、大半は、海外事情をそれほど深く知らずに外交や軍事に携わっていると言わざるを得ません。P122

2.「鬼畜米英」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。アジアの同胞を植

民地支配し、奴隷扱いをしてきた英米諸国は「鬼畜」であり、打倒すべき「敵」であ

る。その英米を打倒するためには、共産主義のソ連とも組むべきだ、といった議論が

横行するようになってしまったのです。P125

第五章 東京裁判の構図

■ルーズヴェルトの国際秩序構想の挫折

  1. 「第二次世界大戦後の国際社会をどうしていくのか」米英ソら連合国が主導して国際秩序を構築するのが、ルーズヴェルト民主党政権の世界構想でした。128
  2. 正確に言うと、「五人の警察官」構想といって、アメリカ、ソ連、中国(この時点では蒋介石国民党政権)、イギリス、フランスのこの五カ国が世界の警察官として世界の平和を維持する代わりに他の国はすべて武装解除するというのがルーズヴェルトの構想でした。これが現在の国際連合と、国連常任理事国です。128

■ヤルタの密約

  1. ルーズヴェルトは「世界の警察官」構想、具体的には国際連合の創設に協力してくれるなら、東欧や満州、千島はソ連の影響下においてよいということをスターリンと話し合い、スターリンは喜んでこの条件を飲みました。これをヤルタの密約といいます。128
  2. このヤルタの密約を含め、ソ連と裏取引し、原爆投下を正当化するために「日本こそが世界で最悪の侵略国家である」いうプロパガンダを世界中に対してする必要がありました。これがアメリカとソ連が主導して行われた東京裁判の基本的な構図です。129

■東京裁判も一つの国際政治

  1. これまでの東京裁判の議論というのは、どうしても日米関係だけ、それも日本を弱体化するという文脈だけで語られる傾向が強かったのですが、東京裁判も一つの国際政治なのです。東京裁判をめぐる国際的な構図を念頭に置いておきたいものです。129
  2. 日本の敗戦後、国民党と中国共産党が戦争を始め、中国共産党は内戦に勝利すると、チベットやモンゴルやウィグルといった周辺国まで支配下に置きました。東欧でもソ連が侵略を開始し、東欧諸国は次々と共産主義陣営に組み込んでいきました。130
  3. 中国共産党政権樹立を受けて、アメリカの対日政策は大きく変更されます。日本の軍事力を再度強くすることで「日本を極東における全体主義(共産主義)に対する防壁」にして、中国共産党やソ連の覇権主義に対抗しようと考えた。130

■東京裁判の見直し

  1. こうした対日政策の変更と連動して、歴史認識の見直しが始まります。満州事変以降のアジア太平洋地域の戦争は「日本だけが悪かった」と決めつけた東京裁判の問題点をアメリカやイギリスの学者や政治家たちが指摘するようになったのです。131
  2. 東京裁判には、国際法上、大きな問題がありました。その論点は二つあり、第一は日本だけを裁いたのは不公平だ、という議論です。第二は、捕虜虐待などを戦争犯罪とする戦時国際法は存在するが、戦争そのものを犯罪とする国際法は存在しない、という論点です。133

■マッカーシーの告発

  1. 東京裁判に対する国際法上の見直しと連動して、もっと大きな議論がアメリカで行われていました。「日本を打ち負かしたルーズヴェルト外交は間違っていた」という議論が始まったのです。143
  2. ロバート・タフトという共和党を代表する著名な政治家が1946年、「民主党がヤルタで、ポツダムで、ロシアに迎合する政策を推進し、その結果、東欧とアジア全体にわたる多くの国家と何百万人という人々の自由を犠牲にした」と。143
  3. その2年後の1948年には、ホイッタカー・チェンバースという『タイムマガジン』の記者が、「ルーズヴェルト大統領の側近としてヤルタ会談に参加した国務省高官のアルジャー・ヒスはソ連のスパイだった」と告発したのです。アルジャー・ヒスはアメリカ代表として国際連合をつくった人間です。143

第6章 ヴェノナ文書と米国共産党調書

■モスクワで公開された「リッツキドニー文書」

  1. アメリカを始めとする民主主義国家では「30年ルール」といって、国家機密に関わる公文書も30年が経つと、原則として公開することにしています。時の政府が国益のために、国民に知らせずに秘密の外交や軍事作戦を実施することがあるが、その秘密の外交、軍事作戦についても30年が経った段階で公開します。153
  2. 共産党による一党独裁を掲げ、民主主義国家ではないソ連は、機密に関わる公文書を一切公開しようとしませんでした。1991年にソ連邦が崩壊し、ロシアのエリツィン政権時代に、ソ連、国際共産主義の対外工作に関する「リッツキドニー文書」の公開によって、ソ連の対米秘密工作の実態が判明するようになりました。154

■リッツキドニー文書からヴェノナ文書公開へ

  1. 同じ年、もう一つ国際共産主義運動の実態を解明するうえで重要な文書が、アメリカ政府の国家安全保障局(NSA)、連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)によって公開されました。それがヴェノナ文書です。
  2. ヴェノナ文書というのは、1940年から1944年にかけて在米のソ連のスパイたちが本国と暗号電文でやりとりしていたものをアメリカ陸軍が傍受し、解読した三千頁もの機密文書群のことです。1995年7月CIAは公の式典を開催し、「ヴェノナ」の記録が今後順次公開されることになった。160

■機密文書公開で判明したこと

  1. ソ連のリッツキドニー文書、アメリカのヴェノナ文書が公開されたことで、第二次世界大戦当時、アメリカの同盟国であったソ連が百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込んでいたことが確定しました。
  2. ルーズヴェルト政権で財務省高官だった人物がソ連のスパイであることも明確になりました。彼はハル・ノートの原案をつくった人物です。またソ連はアメリカの原爆プロジェクトにもスパイを送り込み原爆開発についての情報を入手していたことも明らかになりました。163

■米国共産党調書・日本外務省はソ連の対米工作を知っていた

  1. 実は、ルーズヴェルト民主党政権の中にソ連のスパイが入り込んで、アメリカの外交を歪めているのではないかという問題意識を、当時の日本政府、正確にいえば外務省と内務省は持っていました。
  2. 当時の外務省や内務省は、アメリカは一枚岩ではなく、背後にソ連のスパイがいるのだから、ルーズヴェルトの反日外交に過剰反応してアメリカ全体が反日だと思い込むのは危険だと懸命に訴えました。その中心的な人物は「米国共産党調書」等をまとめた在ニューヨーク総領事の若杉要氏です。

■ソ連の目的・日米の対立を煽り敗戦革命を引き起こす

  1. ルーズヴェルト民主党政権にスパイを送り込んだソ連の目的は何だったのでしょうか。

レーニンは資本主義国家同士の反目を煽って戦争を引き起こし、一方の国を敗戦に追

い込み、その混乱に乗じて一気に権力を奪うという戦略を打ち出したのです。172

  1. この敗戦革命の工作対象となったのが、日本、アメリカ、中国でした。アメリカにおいて反日感情を煽り、日本においては反米感情を煽る。日米両国が互いを非難しあい、憎しみ合えばいずれ戦争となって日本は敗戦に追い込まれ、政府は打倒され、革命を起こすことが可能になる。173

■統一戦線工作

  1. 米国共産党の活動家たちは自分が共産主義者であることを隠して、芸能界、スポーツ界、ハリウッド、マスコミに入り込み、反日宣伝を繰り広げました。世論工作だけではなく、アメリカの国務省や外交政策研究機関にも米国共産党は入り込んでいきました。
  2. 米国共産党は、日本敗北後の中国情勢を見据えた工作も開始します。当時、ルーズヴェルト政権は蒋介石国民党政権を支援していましたが、アメリカ国内に毛沢東率いる共産党を支援する政治勢力を構築しようとキャンペーンを始めます。用意周到に米国共産党は対米工作を進めていったわけです。178

■シナ事変を契機に本格化した反日宣伝活動

  1. 1938年8月には経済界を巻き込んで「日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会」という国民運動組織がニューヨークで結成されます。発起人の中には蒋介石率いる中国国民党の宣伝部の協力者もいました。蒋介石政権から依頼されて、アメリカで反日宣伝活動をしていたのです。181
  2. アメリカの経済界が資金を出し、中国国民党とソ連のスパイたちが一緒になって反日宣伝を繰り広げていたわけです。シナ事変当時、ルーズヴェルト政権は、日本に対して極めて厳しい態度をとっていましたが、その背景にはソ連のスパイたちによる反日宣伝があって、それを当時の日本外務省も分かっていたわけです。
  3. 当時の日本政府も軍も外務省の情報に耳を傾けませんでした。中国大陸での日本軍の行動を非難するルーズヴェルト「民主党」政権に感情的に反発し、外務省の「冷静な」分析には目もくれなかったのです。182

 


脳力開発181号/理念の時代に生きる181号

脳力開発181号続門田隆将「日中友好侵略史」青

 先月、途中までまとめましたが、この本の骨格をご理解いただきたいと想い、追加ポイントレビューしました。日本人と中国人の根本的な違い、日本人の長所でもある思考が実は世界から見たら操作しやすい性癖のようで危ういものである。これはGHQの占領と東京裁判でも明らかですが、当時の日本人はGQHの施策に対しても「唯々諾々」と従ってきたことと同様、対中国に対しても「日中友好」という美名にかくれ騙されつづけてきたことを証明しています。戦後70数年経っても、いまだ目覚めない日本人。中国や韓国が喜ぶ活動をしていることすら自覚していないメディア、新聞、NHKが大手を振るっていることを確認していただきたい。第四章から続けます。

写真 日中友好侵略史 

■第一章 始まった「対日工作」

  • 中国による対日工作の開始・西園寺公一(きんかず)と廖承(りょうしょう)志の出会い

■第二章自民党工作のスタート

  • 「ランの花で落とせ」・松村謙三●「LT貿易」孫平化と高崎達之助

■第三章公明・創価学会への中国工作

  • 池田大作と有吉佐和子・昭和36年6月「日本作家協会」が訪中した。
  • 周恩来から池田大作への伝言・公明党への布石

昭和41年(1966年)5月池田大作創価学会会長への伝言「中国は創価学会に非常に関心をもっています」 昭和43年「日中国交正常化提言」が池田大作により提言された。

 

■第四章 権力抗争はこうして始まった・福田赳夫と田中角栄 青

1971年(昭和46年)7月5日第三次佐藤改造内閣がスタートした。福田赳夫は外務大臣、田中角栄は通産大臣に就任した。田中は当時揉めていたアメリカとの繊維問題を「税金で買い上げる」という事で解決した。

■第五章 世界の流れが変わった・ニクソン訪中 青

  • ニクソン・ショックの衝撃

1971年(昭和46年)7月15日「ニクソン大統領は来年五月までに中国を訪問する」と米中同時に発表した。昭和46年7月19日公明党の竹入義勝委員長は代表質問で三週間前北京で周恩来と会談してきたばかりだった。中国共産党が狙っていた公明党工作の見事な成功である。

■第六章 もう一人のキーマン・木村武雄 青

  • 戦前近衛文麿、東條英にも迎合することなく支那事変、太平洋戦争のも反対の論陣を張った政界の一言居士である。戦争中、上海に「木村公館」と称される拠点を構えていた。佐藤栄作や田中角栄に直言できる数少ない人物であった。息子の木村莞爾氏は「北京を訪れるたびに、廖承志さんのご自宅に伺いました。腹を割ってさまざまなことを話していましたね」

■第七章中国を巡って政界大動乱  青

  • 1972年5月9日佐藤派の田中擁立グループの旗揚げが実行された。肝入り役は木村武雄である。次期総裁=首相に田中角栄を擁立することを申し合わせた。佐藤総理は「後継は福田赳夫」を考えていた。田中は6月11日「日本列島改造論」をブチ上げた。7月5日自民党総裁選は日比谷公会堂で第二回目の決戦投票の結果決着がついた。

■第八章日華断交は可能か 青

  • 詰めの「大平工作」とは・大平正芳をターゲツトにしぼり

周恩来と廖承志による対日工作は着々と進んでいた。新しく外務大臣になった大平正芳をターゲツトにしぼり展開していた。7月11日総裁選後六日目総勢二百十名の「中国上海バレエ団」が来日、率いるのは廖承志の腹心、孫平化・中日友好協会副秘書長である。三十六日の間の公演は大反響だった。この目的は孫平化をじかに大平外相と「会見させること」だった。

  • 7月20日、ホテルニュージャパンで歓迎会を開いた。大平外相を出席し、孫平化、肖向前に会う。7月22日正式に大平外相と東京オークラホテル670号室で行われた。

孫化平は「田中首相と大平外相が北京を訪問し、直接我が国の首脳と会談を行っても構わないと考えておられるのであれば、中国政府は大いに歓迎します」と述べた。

大平外相は「非公式の会談でありながらも日本政府首脳の訪中を歓迎する旨のお言葉をいただき、私は大変感動しました。心から感謝します」と応えた。

  • 自民党は「日中国交正常化協議会」を設置し討論の調整をはかることにした。総勢316名という「史上最大」の協議会となった。毎回「台湾問題」で紛糾をつづけた。田中が最も懸念していたのは台湾派の抵抗と「戦時賠償問題」にほかならなかった。
  • 廖承志は周恩来と相談の上、日本側の難題を克服するのに使ったのは「公明党ルート」である。7月半ば中国から公明党に「招請状」が届いた。
  • 周恩来・竹入会談の核

第一回会議で周恩来はこんな提案を行った。一つは日米安保条約のことには触れません。二つめに1969年の佐藤・ニクソン会議の共同声明にも触れません。三つめは日蒋条約の問題です。田中首相は「復交三原則」を理解していると言っていますが、これを尊重すると言う意味でしょうか」竹入は「そうです」と答えた。

周恩来「毛首席は賠償請求権を放棄すると言っています」竹入は驚いた。そのご田中訪中の日程調整に入った。尖閣諸島に帰属では「歴史上も文献からしても日本の固有の領土だ」と言うと周恩来はニヤニヤ笑うだけだ。「棚上げして後の賢い人達に任せましょう」譲る考えを見せなかった。

  • もたらされた共同宣言案

1972年8月3日竹入帰国、翌日4日午前11時前閣議を終えた田中、大平外相も待ち構えていた。会談に同席した正木良明・公明党政審会長らが記したメモ56ページを示した。「中国は戦時賠償を求めません」と伝えた。翌日、田中さんに会った。「分かった。中国に行く」田中「国慶節でもかまわないのか」竹入「かまわないと言っている」田中「行く」外務省も竹入メモの内容を「極秘事項」として訪中に向かってはしり始めた。

  • 復交三原則一、中華人民共和国政府は中国を代表する唯一の合法政府である。二、台湾は中国の不可分の領土である。三、中華平和条約は不法無効であり、破棄されるべきである8月11日大平外相はホテルオークラで孫平化と肖向前の両氏と会い、田中首相は中国訪問を正式に決定しました」告げた。

■第九章「椎名特使」を巡る攻防  青

大平「実は椎名先生に内々、台湾への特使を引き受けていただくつもりで考えているんだがね」と松本に言った。「いずれ特使は決まる。台湾に受け入れてもらえるような交渉を手伝って貰いたい」

9月13日午前台湾外交部から電話が入り「中華民国は、日本からの特使を受け入れます」田中はただちに椎名特使を9月17日台北に覇権派遣することを決めた。

■第十章台北の怒りと混乱  青

  • 仰天させた椎名発言・従来の関係を継続する

貴国・中華民国との従来の関係を継続していく、つまりこういう点に、立脚し今後の中華人民共和国との国交正常化の話し合いを進めていくと決定を見た」椎名の話はつづいた。断交の交渉ではなかった。翌日椎名発言を巡って北京ではとんでもないことが起こることになる。

  • 態度豹変の廖承志

椎名特使が台北に派遣されると同時に日中国交正常化協議会の小坂善太郎会長を北京へ派遣していた。廖承志はうんうんと頷きながら小坂の話しに耳を傾けていた。小坂も廖承志も互いの労をねぎらっていた。その後行われた周恩来総理との会談も記憶に残っている。一夜明けた9月19日廖承志は「蒋介石のことを総統と称するのは何ごとか」と言い始めた。廖の態度の豹変ぶりがあまりにも露骨だったので、小坂の脳裏に深く刻まれた。

  • 呼び出された小坂善太郎

9月19日夜10時過ぎ前夜の招宴のお礼に日本側がお別れの宴を催して、2時間も経っていなかった。人民大会堂に周恩来に呼び出され詰問された。「台湾で椎名特使が日本と台湾の従来に関係には、外交関係も入っていると発言している。これはどういうわけか。真意を教えていただきたい」小坂は慌てて否定したが周恩来の強硬姿勢は変わらない。「正常化するまでにはいろいろあろうが、田中首相が訪中した際、忌憚なく話し合い解決してほしい」と訴えた。完全に中国側のペースである。

■第十一章丸裸だった日本  青

  • 周恩来は全てを知っていた

1972年(昭和47年)9月25日午前11時30分北京国際空港に田中角栄首相ら日本訪中団が到着した。出迎えの周恩来が近づき握手した。長期にわたる「対日工作」が実った瞬間である。

  • 全て随行員まで調べ上げて国交正常化に向けて緻密な戦略を練っている中国。一方の日本は、中国の事情も知ることなくこの場に「飛び込んできている」

「今分析すると、中ソ対決の情報、文化大革命で中国が荒廃し尽くしていることも知りませんでした。橋本恕中国課長が情報をあげていなかった」「記者団は全部で80人ぐらいいた。記者たちのことも全部調べていた」

  • 第一回会談(外務省公開文書で詳しい)田中の後、大平は冒頭から台湾との関係を清算し、日華平和条約は日中国交正常化がなった瞬間に「終了する」と申し出た。国交正常化をなし遂げたい日本、国交正常化で利益を得たい中国。恩を着せる形で交渉を進める中国の基本形は最初の会談から明らかだった。そんなことに気づく訪中団の人間は一人もいなかった。
  • ざわめく宴会場

田中首相の挨拶の中の「私は改めて深い反省の念を表明するものであります」という挨拶の後、場内に沈黙の静寂に包まれた。後々まで語り継がれる「添了麻煩」問題が起こった。スピーチの原稿の翻訳は橋本恕課長に任せたものである。周恩来は「田中さん、ご迷惑をかけましたという日本語は軽すぎます」と抗議を行った。翌日の午前中の会談は険悪なまま終り、午後からの第二回首脳会談は厳しい態度で接してきた。

  • 田中角栄の反撃

田中「日本側の困難は中国と政体が違うこと、日本が社会主義でないところからきています。この相違から国交正常化に反対する議論も出てくるわけです。この問題で自民党の分裂は避けたいのです」

周恩来「自民党内の国交正常化を急ぐなという意見をおさえて田中首相が一気呵成にやりたいというには、まったく賛成です」攻め込む周恩来、防戦一方の日本。日本は中国の術中に嵌まっていた。

  • 通訳官が明かす大平の車中発言

翌9月27日の午前大平正芳と姫鵬飛の外相会談でも日本の劣勢はつづいた。万里の長城見学の車中、大平の申し出により、車を乗り換えて大平、姫外相の一対一の会談が始まった。

田中も私も徴兵され、あの戦争のことはよく分かっている。中国側の要求をすべて受け入れるのは無理だが、最大限の譲歩はする。来た以上命を賭けてやっている。今度の話し合いがまとまらなければ、日本に帰りにくい。このことを周総理にきちんと報告してほしい。大平の懸命の説得である。それは「大平の贖罪意識」にほかならない。

  • 最後の「攻防」と「譲歩」

9月28日第4回目会談で周恩来「今日は台湾問題を話し合いたい。今日は秘密会談であるから。何でも言ってほしい」大平「いよいよ明日から、日台間の外交関係は解消されます」あらかじめ用意してあった文章を読み始めた。中国課長の橋本恕が書いたものだ。「これらのことについて中国側のご理解を得たい」と大平は語った。日本側が中国の許可と理解を得るかのような会談と化していた。

  • 共同声明は発表された

1972年9月29日午後11時20分日中両国は日中共同声明を発表した。妥協を許さない中国側の姿勢によって全面勝利の「九項目」の合意事項が並んでいる。

日本が命脈をギリギリ保ったのは台湾を自分の領土と主張する中国に対して、その立場を「理解」し「尊重」するものの「認めた」訳ではないと言うことである。

  • 大平は調印後「共同声明の中で触れられてはおりませんが、結果として日華平和条約は存続意義を失い終了したものと認められる」と宣言した。

 田中角栄の政治家としての「功名心」と大平の「贖罪意識」が「日中友好絶対主義」へと発展し、日本の存続すら懸念される事態を招くことになる。

 

■第十二章始まった日中友好絶対主義  青

  • やってきた鄧小平

1972年国交正常化から一カ月後中国からパンダのランランちゃんカンカンちゃんがやってきた。迎える日本人の熱狂ぶりは凄まじいものだった。それが「日中友好絶対主義」をもたらした。企業にとってこれほどありがたいことはなかった。中国は未開の大地だった。そこに商社、ゼネコンを筆頭にあらゆる業界が目をギラギラさせて入っていった。原資は日本のODAである。田中派、大平の宏池会はその窓口になった。日本の巨額な資金が投入された。

  • 1978年10月中国の実質的な最高権力者、鄧小平が来日した。

自分の目で日本の発展ぶりを見て、さらに自ら政治家や大企業のトップを説得して中国への投資熱を高めるためである。新日鉄や日産、松下電器等を訪れて見学・研究する一方経団連や日本商工会議所、経済同友会など経済六団体が開いた歓迎の午餐会で直接面談しトップの決断による中国進出を促した。松下幸之助を訪ね、援助がほしいと。幸之助は「なんぼでもお手伝いします」と答えた。企業の投資額とODAの額はふえつづけ、日本経済は中国への「投資」から「依存」へと形を変えていく。

■第十三章世界を驚愕させた人権弾圧  青

  • 天安門事件の勃発

1989年4月胡耀邦・元総書記の死を切っ掛けに起こった。中国共産党の基本的な考えはある程度の学生たちの民主化運動は容認しても一定枠から「はみ出させない」と言うものである。6月4日未明「長安通り」を人民解放軍が天安門広場を目指して進軍した。軍は抵抗する市民や学生たちに銃の水平撃ちをおこなった。中国は自ら世界に向けて自ら「真実の姿」を晒した。

写真 天安門広場 戦車に立ち向かう 

  • 人権無視と中国擁護の日本外交

主要七カ国(G7)の中で日本だけが「中国への制裁」に反対した。日中友好絶対主義は中中国に対してモノを言ったり不利益なことを言える空気を日本社会から完全に奪い去った。外務省の外交文書の公開(2020年12月23日)で明らかになった。1989年6月4日に欧米諸国の制裁に「制裁反対」の方針を決めた。中国は「天皇訪中」のプロジェクトを始める。

  • 天皇訪中で中国制裁を解いた日本

1992年10月23日人民会堂で過去の戦争にこう述べられた「わが国が中国国民に対し、多大な苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところで」あります」宏池会の宮沢喜一政権下で親中派の代表とも言える河野洋平官房長官が橋本 恕・中国大使(田中訪中時の外務省中国課長)と計らった日本の歴史上痛恨事とも言えるものとなった。

  • 天皇訪中から11年後の2003年、当時天皇訪中に全面的にかかわった銭其琛(せん きしん)が回想録「外交十記」を著して、天皇訪中の目的を詳しく記している。日本は西側の対中制裁打破の最も弱い輪で、突破口となった」「91年8月1日海部俊樹首相は北京を訪れた最初の西側政府首脳となった。10月23日から28日にかけての明仁天皇と美智子皇后の訪問は西側の対中制裁の積極的な作用を発揮し、その意義は明らかに中日の二国間関係の範囲を超えたものだった
  • 池田維(ただし)外務省アジア局長・激動のアジア外交とともに外交官の証言

「あれ(銭其琛回想談話)はけしからんですね。私が帰国したとき天皇陛下の訪中は決まっていた。総理は宮沢喜一さん官房長官は河野洋平さん中国大使は橋本恕さんですが、反対の声が強かったので外部には決定していないと言うことにしていました」

■第十四章変貌する中国 青

  • 宮中の晩餐会江沢民の発言

1998年天皇訪中から6年目、江沢民が来日、宮中の晩餐会において声高に「日本人は歴史の教訓を忘れるな」と発言し日中の歴史問題をぶり返した格好になりました。この発言は日本人全体の神経を逆撫でし、中国への不信感を一挙に高めることになりました

  • 黒い中山服をまとった江沢民は「不幸なことに。近代史上、日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国人とアジアの国々の人民に大きな災難をもたらしました。・・・前事を忘れず、後事を戒めとする。歴史の教訓を永遠に酌み取らなければなりません」「日本では地位の高い一部の人々がしばしば歴史を歪曲している。間違った言論と行動を抑え、正しい歴史観で青少年を教育すべきだ。これが日中関係の発展に最も有効なことである」

写真 宮中 1998年11月26日

  • 江沢民が始めた反日教育

民主化運動に激怒した鄧小平の指示を忠実に守った。「失敗したのは教育だ。政府は思想教育を完全に怠っていた」愛国教育と同時に「反日教育」を始めた。「日本とは歴史問題を重視し。これを永久に議論することが必要だ。二つの最重要課題はこの日本との歴史問題と台湾問題である」

第十五章ハニートラップの凄まじいさ 

第十六章「破壊者」登場の悲劇・習近平

  • 凄まじい破壊デモ
  • 偉大なる中華民族の復興
  • 千人計画に呼び寄せられる日本人

第十七章不可避だった米中激突

  • やっと目覚めたアメリカ

第十八章「友好」に踊った五十年

 

■理念の時代を生きる181号 葛西敬之・日本が心配だ!

今回の理念実践会では葛西敬之氏の「日本が心配だ!」を取り上げました。現在の経済界について個人的に「経済にかたよりすぎる」傾向を対して疑問を抱いていました。中国との関係についても、「なんとかうまくやりたい」という姿勢に経済人として「これでいいのか」と言う疑問がありました。経済界にあっても本当に久しぶりに「国」を考える人であった葛西敬之氏に出会いました。

写真 日本が心配だ 飛躍への挑戦

序章 正論を語り続けた国士・葛西敬之

■素晴らしい経営者であると同時に国士だった

  • 櫻井:葛西敬之さんが2022年5月25日に亡くなられました。葛西さんは旧国鉄の分割・民営化を主導され、その後も長きにわたりJR東海の社長・会長を務められました。

安倍:素晴らしい経営者であると同時に「国士」でもありました。体の重心につねに国家を置き、安全保障や宇宙政策、経済から教育まで、様々な問題に取り組まれた。最期まで日本の将来を案じておられた。17

■批判を恐れない強い精神力を持っていた

  • 安倍:葛西さんとの勉強会の中で印象的だったのは、靖國参拝をめぐる議論です。参加メンバーの企業のトップはほぼ全員、靖國参拝で中国を刺激すべきではないという考えだった。ところが、葛西さんは異論を滔々と訴えたのです。「祖国のために戦って命を落とした英霊に敬意と尊崇の念を示すのは当然のことだ」「ここで靖國参拝を止めれば、日本は簡単に折れる国だと思われてしまう。譲れないものは譲れない」と。20
  • 安倍:葛西さんは米国にも毅然とした態度で臨みました。私が2013年に靖國参拝すると、オバマ政権は声明を発表。「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに失望した」というものでした。葛西さんは民主党の元上院議員らの前で反論しました。東京大空襲や原爆投下によって、無辜の民間人が犠牲となった。それでも日本人は米国を責めずに耐え忍んできた。日本人は礼儀正しく本音を言わないことが多い。しかし英霊への敬意と尊崇の念を否定するのであれば我々も口を開かざるを得ない。葛西さんの言葉に米国人は驚き、深く納得したそうです。21

 

第1章 日米の核シェアリングが東アジアの平和を守る

■米中友好は米国の国益を損ねた

  • 米国のペンス副大統領は2018年10月ワシントンでの講演で中国による東シナ海や南シナ海への覇権的進出、相手国を「債務の罠」に陥れかねないインフラ開発融資、サイバー攻撃による情報搾取などを強く批判し、貿易のみならず安全保障分野でも中国と対決する姿勢を明らかにしました。39
  • 最近の国際情勢は、ソ連に代わって中国が軍事面と経済面で力をつけ、米国が築く世界秩序に挑んでいます。ソ連を抑えるためにニクソン元大統領とキッシンジャー元米国務長官が中国と関係を改善したことは、その時点では仕方なかったかもしれませんが、結果的に米国の国益を損ねることになったのです。39

■バランスドパワーが日本を守る

  • 日本政府にとって、国家の安全保障は最大の課題であり目的です。それを実現するために欠かせないのが「究極的な抑止力」、つまり究極的な破壊力を持つ核兵器が生み出すバランスドパワー(力の均衡)です。この考え方は、互いを破壊し尽くせるだけの核兵器を持つ国同士が「いざとなったらいつでも使う」と覚悟を決めて向かい合うと、結果的に戦いを避けることができるというパラドックス(逆説)に立脚します。43
  • 日本が戦争に巻き込まれなかった最大の要因はこのバランスドパワー、米国の核兵器の存在です。米国との同盟は彼らの「核の傘」の下に入ることに最大の意味があり、中国や北朝鮮、ロシアなど核兵器保有国に囲まれている今もそれは変わらないし、他に選択肢はありません。とどのつまり、日本は米国との同盟をいかに強めるかをこれからも意識し続けなければならないのですが、その焦点の一つとなるのが、防衛大綱が今回掲げた宇宙・サイバー領域の強化だと思います。43
  • 私は我が国の地政学的条件、宇宙やサイバー分野における日本の高い技術力、さらには自由主義や民主主義の価値観の共有が、これからも日米同盟を支えていくと思います。45

■防衛大綱「専守防衛逸脱」論に違和感

  • 報道によると、今回の防衛大綱に対して、一部野党から「専守防衛から逸脱する」という批判があるようです。しかし私は、時代や安全保障環境や軍事技術の変化によって、専守防衛の意味も変わると考えています。先ほど、相手を破壊し尽くせるだけの兵器を持った国同士は、結果的に戦わなくて済むと述べました。この観点に立てば、抑止力を持つことが専守防衛の要になります。盾しか持つことを許されず、抑止力を欠いた安全保障は、逆に相手側の攻撃を誘発してしまう可能性が高いのです。46

■「核シェアリング」を議論せよ

  • 中国は今、北朝鮮の“火遊び”を米国に対する好ましい牽制球だと見て放置していますが、その結果、日本が米国と核兵器をシェアすることになれば、慌てふためくことは確実です。彼らが「北朝鮮の核を放置すれば、中国に対する日米の核抑止力が強化されてしまう」「そうなる前に北朝鮮の核兵器は撤去させなければいけない」と考えるように至れば、中国に生殺与奪権を握られている北朝鮮は泣く泣く核兵器を撤去せざるを得なくなるのではないでしょうか。49

第四章  大義なき経済人よ、再び国を滅ぼす勿れ 

■中国は技術を吸収したいだけ

  • JRが儲かるわけではないが、メーカーが利益を上げ、体力が増せば、彼らの東海道新幹線に納入する資機材の品質も維持向上される。それは安全な輸送につながる。当社は直接の利益は期待しませんが、旅客の安全性向上というかたちで回収できるわけです。P106
  • 中国の場合は、そういうわけにはいかない。ほかのビジネスを見ても、中国はサンプルだけを日本から買って、あとは自分たちで作りたい、と言い出すケースが多い。これでは日本の鉄道関連製造業が空洞化してしまう。台湾はそういうことがありません。P106

■経済人のプライドはないのか

  • 最近、日本の経済界がなだれを打つように「中国詣で」を繰り返し、そればかりか「政冷経熱では商売がうまくいかない」という理由で、「首相の靖国参拝はやめて欲しい、尖閣諸島の問題は話題にしないでくれ」などと言い出す。こうした動きは、非常に愚かです。戦前「支那には四億の民がいる」と言って中国に進出し、反日運動が起きると軍部をたきつけたのは経済人でした。P107
  • また中国は最近急速に軍事力を強化しています。その軍事力は台湾と同時に日本に向けられていることを自覚すべきです。さらに東南アジアにおける覇権を確立すべく東アジア共同体構想を提案して日米の分断を策しています。安全保障の上では、日本の唯一最大の脅威と考えるべきです。短期的には商売上魅力でも、民主主義と自由のないところに長期的安全はありません。P108

■「日中友好」を呪文のように唱えてもしかたない

  • 今日本がとるべき道は、アメリカとも関係をより強化し、それに拠って中国との間では、お互いに尊重、尊敬しあえる関係を作り上げることです。貧富の差が拡大し、これからますます高まっていく中国の国内不安、対政府不満のはけ口にされるだけです。P111
  • 日本は民主主義・自由主義を基本的価値とする太平洋の西端の島嶼である。日米同盟によるアメリカの核抑止力により中国の核戦力とバランスさせる。姿勢を明確にしたときはじめて中国は日本に敬意を払うようになり、友好的で大切なアジアの隣人として付き合えることになるでしょう。P111
  • 「うまく付き合う」とはそういうことです。呪文のように「日中友好」と唱えてもしかたがありません。まず、真正面から、脅威である面も含めて相手を見すえて考えるべきでしょう。日本は中国の現実に対して目を閉ざしている。それは長い歴史の中で育まれた先入観なのでしょうか。P111

■プロパガンダに毒された思考停止から脱却せよ

  • 事実を自分の目で見て、自分の頭で考えて判断するという能力が、特に戦後の日本人には欠けている。ことは中国問題だけではない。国連の実態とか日本国憲法の問題に関して、日本人は一貫して思考停止のままです。都合の悪いものは見ないどころか、ないことにする。中国に対する姿勢は、その典型的な例です。P112

■「戦後の民主国家としての日本」の歴史を評価せよ

  • 第二次大戦後この六十年で冷戦が始まり、そして終わった。日本は平和憲法を守り、経済的に発展し、他国を一歩たりとも侵略したことはない。中国ではその間に国共内戦があり、大躍進の失敗があり、文化大革命があり、チベット併合があり、ウイグル併合があり、ベトナム侵攻があった。中国に対するとき、「まず至近の六十年を評価してみよう」となぜ言わないのか。日本は自国の六十年間に誇りを持つべきです。P115
  • 日本は目を開いて事実を直視し、歴史から学び取った知恵を以て、その現実を判断し、合理性と大義に基づいた選択をするべきだと思います。アメリカと並びたち、中国と正対する。それが日中関係を正常、良好とする正解なのです。P116

 


脳力開発180号/理念の時代に生きる180号

脳力開発180号・門田隆将「日中友好侵略史」

安倍元総理の死と世間の喧騒

時期を得た本に出逢った。安倍総理の死後、政界メディアやテレビはテロの問題から旧統一教会の問題にすり替えて、世間もこの問題に過激に反応している。朝日、毎日、NHKや各地方紙も国葬に税金を使うことは無駄だとヒステリックに叫んでいる。

国葬反対の議員たち

立憲民主党は辻元、福山たち在日朝鮮人と蓮舫が出席しない、民主党元総理の管、鳩山は欠席し野田さんは出席するとのニュースが流れている。あろうことか自民党の内部にも村上誠一郎なる議員は安倍元総理を「国賊」と呼び、葬儀には欠席すると言っている。またぞろ石破茂は安倍氏の国葬にイギリスのエリザベス女王の葬儀を引いて、イギリスでも国政での審議があったと誤認情報を流し、訂正をしている。国葬の二日後に、日中国交回復50周年記念祭典を福田康夫、二階俊博達親中派が開催するという。

その場かぎりの単純な判断

 当初国葬賛成だった世間が最近は国葬反対が70%に変わったと言われる一方、落ちたはずの内閣支持率が少し回復しているとも新聞に出ている。国葬反対=統一教会問題の構図をでっち上げ、安倍総理を退陣に追い込めなかった朝日を代表とするメディア、政党の悪あがきそのものだ。ここでも先月号で書いた慰安婦問題、福島原発事故の吉田調書の虚偽情報を仕立てた「朝日新聞政治部」に代表される小ずるいサラリーマンが保身のために書いている記事に過ぎない。

中国の強かな長期的戦略

誰もが反対を言えない「日中友好」と言う美名に隠れた、中国の強かな長期的戦略に翻弄され、私達日本人が揃って政官財が一体となって翻弄されてきたかが描かれている。日本人は如何に人がよく、世間知らずで世界のみんなが自分たちと同じように考えるに違いないと思い込んできて翻弄されたノーテンキ、振りかえれば大国に弄ばれた苦渋に満ちた

戦後が描かれている。

戦後史そのもの

この日本の近代史はまさに私が生きた戦後史そのものと言える。その間憲法に何ら疑問を抱くこともなかった平和惚けした私達日本国民、政官財が突きつけられた現在の問題点がハッキリと描かれている。

 以下一部流れを抜粋し中国の今日まで続く対日工作を確認してもらいたい。中国の人権問題に対しても、ロシアと中国との関わりも、ウクライナ問題にも繋がっている強かな長期戦略を読み取っていただきたい。

 

写真 日中友好侵略史 

西園寺公一回顧録 「過ぎ去りし、昭和」

 

■第一章 始まった「対日工作」

西園寺公一(きんかず) 祖父は西園寺公(きんもち)望1906年(明治39年)英国オックスフォード大学に留学、マルクス主義に出会う。外務省嘱託となる。人脈を広げ近衛文麿と親しくなる。朝食会で朝日新聞記者の尾崎秀実と交流、ソ連スパイリヒャルト。ゾルゲ事件に連座、国防保安違反容疑で逮捕。戦後釈放、昭和22年第1回参議院選挙に出馬当選。革新系無所属議員として活動。

廖承(りょうしょう)志 1952年共産党委員会は対日工作を担当させる。父は廖仲 愷、母は何香凝。両親の日本留学中1908年(明治41年)に生れ、暁星小学校に学ぶ。べらんめぇの江戸弁が特徴。11歳の時帰国。1927年白色の国から再び来日、早稲田大学に入学し

政治活動に没頭し翌年28年追放になる。帰国後共産党に入党。幾度かの投獄、留学を経た後、革命家として周恩来の下、対日工作の責任者となり辣腕を振るう。

 

中国による対日工作の開始

西園寺公一(きんかず)と廖承(りょうしょう)志の出会い

1959年(昭和24年)春の北京、戦前はイタリア大使館だった西園寺公一(きんかず)の邸宅に一人の中国人が訪ねてきた。「対日工作」を担当する廖承志だった週に二、三日「日常化」していた。

廖さんは僕(西園寺)と話す時はいつも流暢な日本語を使ってくれた。発音は完璧で語彙も下手な日本人に比べれば格段に豊富だった。西園寺は廖承志の導きで最初の訪中を果たし、その後貴重な日本の情報を伝えていくことになる。

廖承志は情の人である。対日工作に携わる部下にいつもこう訓示していた。「日本人は情を大事にする。情を深めれば、必ず理解してくれるのが日本人だ。金銭的なことは余りやるな」

「松村謙三が適当でしょう」

「政策に影響を及ぼすために自民党への工作を強化せよ」いつまでも共産党(日本)など左派勢力だけの関係を深めても日本の政策は変わらない。共産党中央委員会から命令があった。自民党が始まった。松村謙三と石橋湛山が念頭にあった。ともに早稲田大学出身の政治家だ。廖承志は早稲田大学人脈に深く繋がっていた。

「ランの花で落とせ」

76歳の松村謙三が北京空港に降り立ったのは1959年(昭和34年)10月20日午後4時過ぎだった。後に親中はとして自民党の中心になる面々が顔を揃えていた。1957年12月来日し松村は赤坂の料亭に廖承志を招いた。

「LT貿易」

第一回松村訪中のメンバーはその後、日中国交正常化の推進力となる。松村は周恩来との会談で両国間の貿易の重要性を語り同僚議員の高崎達之助を推薦し「LT貿易」が始まった。廖承志のL高橋達之助のTを取り三年後1962年貿易を行うための覚書が交わされた。廖承志は松村を突破口に着々と中国シンパを構築していった。

 

第三章公明・創価学会への中国工作

孫平化1939年(昭和14)蔵前工業専門学校予科(現東京工業大学)に入学したが、1943年に中退して帰国する。1944年中国共産党に入党。中華人民共和国成立後の1955年(昭和30)中国共産党貿易代表団副秘書長として来日。

孫平化と高崎達之助

 孫平化は高崎邸に通う傍ら、創価学会、池田大作のことを頻繁に聞いた。高崎氏は「あんたは日本によく来るので、先生に会うべきだ。彼は若く、毛沢東全集を通読している」と言った。創価学会との間に密接な友好関係を築き上げた切っ掛けになった。

池田大作と有吉佐和子

昭和36年6月「日本作家協会」が訪中した。中国の政界工作はきめ細かく凄まじい。財界にも文化面にも及んでいた。創価学会へのアプローチへのキーパーソンは「有吉佐和子」である。中国側は作家たちに「強い要望」を行っている。周恩来は「日本は米中の間に立って仲介の労をとり、橋渡しの役割を務めてくれてもいいと思っている」と伝えた。

周恩来から池田大作への伝言

有吉佐和子訪中5年後、昭和41年(1966年)5月池田大作創価学会会長との会談は実現している。その時有吉は伝えた。「中国は創価学会に非常に関心をもっています」周恩来の指示で研究が始まり3年前(1963年)には「創価学会」という小冊子もつくられていたらしい。有吉は「実は周総理から伝言を預かってまいりました。将来、池田会長に、ぜひ中国においでいただきたい。ご招待申し上げますと伝えてくださいとのことです。

昭和43年(1968年)9月8日「日大講堂」での学生部総会の席上「日中国交正常化提言」が池田大作により提言された。3年後、昭和46年6月28日、初めて訪中した竹入義勝・公明党委員長は周恩来と会談を行い、日中国交回復五原則を託され持ち帰っている。周恩来との会見が実現したのは、昭和49年(1974年)年末である。

★中国に翻弄される日本の現代史

以下、第五章ニクソン訪中、第七章田中角栄総理誕生の経緯から第八章日華断交、第九章椎名特使、第十一章功をあせる田中訪中と日本の準備不足、第十二章その後日本が陥る「日中友好絶対主義」、公明党の煮え切らない姿勢へと続く。息も継がせない中国に翻弄される日本の現代史が描かれています。リアルな現代史を是非ご一読ください!!

 

理念の時代を生きる180号 理念実践会

■日本人の真価・藤原正彦

今回は、藤原正彦氏を久しぶりに取り上げました。藤原氏が新田次郎、藤原ていのご子息であること。数学者としても著名であり、イギリス、アメリカに留学されていることも皆さんご存じでしょう。著書として有名なのは「日本人の誇り」「国家の品格」をお読みになった方も多いかと思います。久しぶりの著作です。

前述の本や英語が堪能な上に海外で暮らす生活の中から、改めて日本の歴史、戦後史を綿密に研究され、その上で戦後アメリカGHQの日本人への呪縛を明快に展開しています。数学者であり著名な岡潔先生を尊崇され、まさに日本人の特質、日本人の情緒の中心の調和が損なうと人の心は腐敗すると言われる。一般の人間は論理がより情緒より大事だと言う印象があるが、論理と情緒を的確に説明してくれる。

藤原正彦氏は今回も、一般の日本人が頭を傾げる視点で私達に箴言を与えてくれます。ズバリ最近の日本人の愚かさを辛辣に指摘し、その上でこのままでいいのかと根本的に考えさせられる著書です。

日本人は一見理論好きな様に見えますが、逆説的な表現の中に、論理のみの偏見に気づかせてくれます。日本人の真価は、論理と情緒にある。岡潔先生が言われたように情緒を大切にしてきた。重んじるところにあると。

写真 日本人の真価  

   日本人の誇り     国家の品格

■第一章 ニッポン再生(どこにあるか?)

■日本の通信簿・精神性を尊ぶ

  1. 数学や物理学における世界の天才を調べたことがあるが、天才の生まれる土壌は私得意の独断によると、まず美の存在である。美しい自然、芸術、文学などが身近に存在することだ。自然科学の独創に最も大切なのは、分野に関わらず美的感受性であり、それは美のある環境の中で培われるからである。21
  2. 次いで精神性を尊ぶ風土である。金銭に結びつかず役に立つかどうかさえ分からないことをも尊重する風土ともいえよう。普遍的価値に敬意を払う気風なくしては、真理の探究に命を懸けることなど到底できないのだ。
  3. 日本では近年、「精神性を尊ぶ風土」が急激に壊されている。二十年余りの新自由主義により、社会は生き馬の目を抜くような激しい生存競争に巻き込まれた。物事の価値を金銭や役立つか役立たないかで測る風潮がはびこった。この風潮は学問の世界にまで蔓延している。23

■模倣という独創・無から有は産めない

  1. アメリカの大学へ息子を留学させている友人の話だが、歴史の授業で「日本は模倣で発展した」と言ったらしい。この教授の言うことはある意味正しい。日本人は模倣の天才だからだ。しかし教授の言が一方的なのは「闇雲の模倣ではなかったこと、またそこから必ず自国ならではのものに発展させたこと」に触れなかったことだ。例えば律令制度は取り入れたが、科挙や宦官は朝鮮をはじめ、中華文明圏で広く採用されていたにも拘わらず、我が国は受け入れなかった。35
  2. そもそも人間の知的活動はすべて模倣から始まる。赤ちゃんの母語習得もそうだし、人類史上の発明発見だって、すべて下敷きがある。人間は無から有を産むことのできる生物ではない。模倣から始まり、類推、連想、帰納などを用いて新しいものを産んできたのである。36

■第二章 「英語教育」が国を滅ぼす

★この章についてはおそらく色々な意見の違いはあるだろう。しかし、藤原正彦は英語には堪能であり、かつイギリス、アメリカの著名大学で数学を教えた人である。海外生活も永い。その彼が、英語教育について語っている。何故か?そこを考えてみませんか?

■「公平」は欧米の作ったフィクション

  • 「公平」という言葉を日本人は大好きだが、自由、平等などと同じく定義はなく曖昧なものである。雰囲気を示すだけのものと言ってよい。そもそもこの世界には、自由も平等も公平も存在しない。すべて欧米の作ったフィクションなのである。P62
  • あるオックスフォードの卒業生に日本の入試について話したら、「面接をしないのですか。面接もしないで人間の意欲や能力を判定するなどというのは、受験生を馬鹿にしている」と憤慨されたのを覚えている。面接は主観のかたまりである。ただ、ケンブリッジでの私の経験が示すように、各面接官のブレは極めて小さい。三十分も質問すれば、能力は無論、人間性もかなりよくわかる。P63

■英語無能国民の驚くべき事実

  • この英語無能国民の日本が、世界三位のGDPを誇り、自然科学でノーベル賞を二〇一九年までに二十四人も獲得している。今世紀に入ってからはアメリカに次いで世界二位だ。むしろ日本こそは、国民の英語力が一国の経済力や知的生産力に無関係、という驚くべき事実を体現しているのである。経済界や政府は一体いつまで「グローバル人材育成」という愚論にしがみついているのだろうか。P66
  • 「グローバル人材育成」を愚論と切り捨てたが、それは愚かなだけではなくわが国に大いなる実害をもたらす。現在、小学校では五年生から英語が教えられているが、二〇二〇年度より、五、六年の英語は正式教科に格上げされ週二、三時間ほど教えられる。教えるのは担任だ。68

■国民のエネルギーの壮大な無駄

  • 一つ目は壮大な無駄である。あるAI専門家は先日、私に「あと六、七年もすればスマホに音声自動翻訳ソフトが入ります」と言った。いまでも出来ているが、六、七年後には実用に耐える、性能のよいものが備わるというのだ。P69
  • 今の小学生が社会に出た時には、日常会話程度なら相手がどこの国の人であっても、ボタンを押すだけとなる。八割以上の日本人は、英語の本や新聞や論文を読まないし、英語で難しい商談や外交交渉や演説をしないから、これで十分足りる。国民全員に小中高大と英語学習を強いるのは、どう考えても壮大な無駄であろう。P70

■語学ができるほどだんだん馬鹿になる

7、二つ目は、日本人としての自覚の妨げになるということだ。幼いころから英語を学び米

英人に教えられるということは、単なる語学を超え、米英的発想、態度、文化を無垢な

心に刻印されるということでもある。それは子供達が日本の文化、伝統、情緒、道徳の

よさに触れる機会を減少させ、日本人としてのアイデンティティー形成の妨げとなる。

小学校ではまず自国の文化、芸術、文学などに触れ、自国への自信と誇りを身に着ける

ことが先決であり肝要である。P70

8、三つ目は、教養を積む妨げになることだ。小中高で英語などにかまけていると、古今東

西の名著を読む時間が取れず、教養が身につかない。例外的に優秀な者を除き、「教養

と外国語並び立たず」なのだ。かつて英文学者の中野好夫氏は「語学ができるほどだん

だん馬鹿になる人間のほうがむしろ多い」と述べた。P71

■英語、IT、プレゼンは小手先技術にすぎない

9、これほど無駄で、実害のある「グローバル人材育成」は愚民化政策と言って過言でない。

二〇〇一年に成立した小泉竹中政権の頃から、半ばアメリカによる洗脳と強要により、

日本は新自由主義に大きく舵を切った。規制緩和、規制撤廃などを合言葉に、人、カネ、

モノが自由に国境を超えるグローバリズムにのめりこんで行った。P72

10、互いに思いやるという日本型社会に、競争と評価という世知辛いシステムが導入され、

人々は生き残るため、我が国になかった自己中心主義や金銭至上主義に傾いた。そして

政府は、グローバリズムでの敗者とならぬよう、デフレ不況克服という課題もあり、経

済至上主義を政治の基軸にそろえるようになった。P72

■第三章 論理と情緒・経済至上主義の間違い

■ヨーロッパの轍を踏むな

  1. 西欧と北欧は無邪気だった。どの国も少子化による労働力不足を補うために進んで移民を受け入れたのだが、当初は「仕事が一段落したら母国に帰る」と誰もが思っていた。単身で来た移民青年が、数年後には家族や親戚をよぶことや、移民の出生率の高さなども想定していなかった88
  2. 2016年になって西欧北欧は、世論調査で圧倒的多数が移民政策を否定した。安い労働力と人道主義に浮かれているうちに、自国が瓦解していたことにやっと気付いたのである。遅すぎた。元のヨーロッパにはもう戻れないだろう。移民とは不可逆過程なのだ89

■経済至上主義の間違い

  1. グローバリズムのもたらした熾烈な競争は大企業だけではなく政官をも巻き込んだ。政・官・財が一体化したため、どの国でも政官そしてメディアまでが大企業の意向に沿うという経済至上主義となった。移民が止まらないわけだ。89
  2. 20年間も給料を上げず、全雇用者の4割を非正規としたから企業の内部留保は史上最高の470兆円だ。こういった職種の給与を倍にして正規雇用とすれば、年収200万未満の非正規社員が千六百万人もいていくらでも集まる。そうすれば結婚も可能となり、少子化も解決に向かう90
  3. 日本の政官財メディアはヨーロッパと同じく、安い労働力の欲しい経済界に迎合し、移民受け入れ支持だ。安価でほぼ無尽蔵な移民への依存は始めたら止められない麻薬だ。我が国にもポリティカルコネクトや歴史的負い目があり、警鐘を鳴らす人が少ない。日本はヨーロッパの轍を歩み始めた90

■第四章 隣国とのつきあい方

■嘘つき文化・欧米の過去の歴史

  • アメリカはベトナム戦争でのトンキン湾事件、イラク戦争での大量破壊兵器など、でっち上げの専門家だ。東京裁判でも、終戦まで存在しなかった「人道に対する罪」や「平和に対する罪」をでっち上げ、戦勝国側の行為は不問に付した。だから、原爆投下のトルーマンやマッカーサーは絞首刑にならなかった。P123
  • 歴史教科書では、先住民への残虐な迫害とか、カリフォルニアなど西部諸州のメキシコからの強奪などにほとんど触れず、原爆投下という人道への最大の犯罪を、戦争を早く終わらせるために必要だったと正当化している。P123
  • 我が国に詐欺や嘘の少ないことは、十六世紀に来日した宣教師ザビエルやフロイスが述べたし、幕末に来たドイツ商人リュードルフも「日本人は嘘をついたり、物を盗んだり強奪することに嫌悪感をもっている。この点において中国人と著しく異なっている」と書いた。P125

■楼蘭の美女・ウイグル問題

  • ウイグルは1945年に中国軍に占領され、1955年に新疆ウイグル自治区として中国に組み入れられたが、以降も中国の圧制に対する暴動やテロが相次ぎ、その度に中国の苛烈な弾圧が行われてきた。P127
  • 圧倒的なチャイナマネーと軍事力による中国の海洋進出、一帯一路による地球規模の勢力拡大、国内外での強圧的姿勢、などにやっと危険を感じ始めた先進国二十二か国は2019年夏、ウイグルでの人権弾圧に非難する書面を国連人権理事会に送付した。実際、続いてアジア・アフリカなど三十七か国が、ウイグルにおける中国の顕著な貢献を讃える書簡を同理事会に送付したから、人権弾圧非難の効果は吹っ飛んだ。ほとんどがチャイナマネー借金国だ。P130

■いまこそ中国へ内政干渉を

  • 中国はウイグル以外でも、内モンゴル、チベット、香港と、極端な人権弾圧を続けて恥じない。南シナ海、東シナ海での国際法無視や台湾への恫喝とやりたい放題だ。外部からの批判に対しては一つ覚えで「内政干渉」と叫ぶ。P140
  • 本来は国連が処理すべき問題だが、政策を決定する安全保障理事会では常任理事国五か国の全員一致が必要で、そこに中国が入っていて何も決まらない。国連とは、第二次世界大戦の戦勝五か国が世界をとりしまるという理不尽なものだからうまく行かないのは当然なのだ。P140

■第七章「日本人の品格」だけが日本を守る

■アメリカは怪獣中国の生みの親

  1. アメリカは二十世紀初頭以来、日本の目覚ましい工業化や日清日露での勝利を見て、白人優位を覆しかねない有色人種国家と見なすようになりました。セオドア・ルーズベルト大統領が一九〇六年に始めた対日戦争計画(オレンジ計画)や、一九二四年に定められた日本人をターゲットとした排日移民法はその表れです。P198
  2. 図体が大きいままいつまでも惰眠をむさぼっている中国を、日本の対抗として育てようと陰に陽に支援してきました。日中戦争では、中立のはずなのに莫大な軍需支援を行ったばかりか、米軍の現役パイロット百名を一旦退役させ、戦闘機百機とともに中国へ送ったりしました(フライング。タイガーズ)。P198

■狡猾に振舞っていたヨーロッパ

  1. アメリカと同じでヨーロッパも、二十世紀初頭から日本に対し黄禍論に代表される差別に基づいた警戒心を抱いていました。散々なていたらくの清国しか知らない欧米は、中国には日本と違い白人を脅かすほどの資質がない、と誤解し中国に肩入れし始めてしまったのです。P200
  2. 日本に対する彼等の危惧は正しく、大東亜戦争で日本は白人勢をアジアから一掃しました。彼等は中国が、軍事大国となっても、南シナ海や東シナ海で乱暴を働いても、ウルグアイ、チベット、香港などで人権を暴力的に抑圧しても、いつもは自由人権平等などと偉そうなことを言うのに目をふさいでいました。P201

■「中国への見方が変わった」

  1. 新型コロナを契機として、VS中国が、米欧VS中国に変わったのです。自由民主主義国家VS全体主義国家の冷戦です。世界制覇の野望を露わにする中世的国家、人権弾圧の全体主義国家は、世界中が協力し早いうちにその体質と体制を潰さなければなりません。P204
  2. この冷戦において、我が国は必ず米欧側に立たねばなりません。世界最大のマーケットに歯向かうことで、一時的に経済損失を蒙りますが、それを恐れ、「どっちつかず」でうまく儲けよう、などとずる賢いことを考えないことです。民族的羞恥となります。P204

■経済至上主義への懐疑

  1. これまで、利潤を最大化することだけを念頭に、競争、競争、評価、評価でやってきた社会が、切り捨ててきたものの大きさに気付いたはずです。そして金銭で測れないもの、美しい自然、豊かな文化や芸術、教養、道徳、人類への貢献としての基礎化学など、金に結びつかない、金で測れないものの価値が見直されるのではないでしょうか。P213

脳力開発179号/理念の時代に生きる179号

脳力開発179号 方針・日本のために貢献しているのか

 その一 朝日新聞政治部・吉田証言取り消しまで

 朝日新聞政治部著者鮫島浩氏は吉田調書問題当時のデスクだった人である。本の帯びに崩壊する大新聞の中枢「池上コラム掲載拒否」「吉田調書問題」「慰安婦記事取り消し」そして「経営陣はどこで何を間違えたのか?」と書かれている。すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション。保身、裏切り、隠蔽  巨大メディアの闇と。

帯びに引きつづき以下のように書いている。そうか、朝日新聞はこれに屈したのだ。ネツトの世界からの攻撃に太刀打ちできず、ただひたすらに殴られ続け「捏造」のレッテルを貼られた

折り返しにこう書いている。若宮啓文政治部長が私達駆け出し記者に投げかけた訓示は衝撃的だった。「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力とシッカリ付き合いなさい」

 

■若宮啓文は朝日の主筆として権勢を誇った。以下ウイキュペディアより

  • 2011年主筆、著書「新聞記者 現代史を記録する」において、従軍慰安婦問題について、「朝日新聞もこれを熱心に報じた時期があった。中には力ずくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」とし、従軍慰安婦問題に関する朝日新聞のキャンペーンに根拠がないことを暴露した
  • 2013年1月16日、65歳になり朝日新聞社を退社、朝日新聞主筆を退任。1月30日、韓国の東西大学は若宮を「碩座教授」に任命。2016年4月27日に北京で、体調不良を訴え、翌28日に滞在していたホテルの浴室で死亡していた。68歳没。7月29日、「知韓派」のジャーナリストとして日韓関係の発展に貢献したとして、韓国政府から修交勲章興仁章が授与された。

 

鮫島氏の著書から本のポイントを抜粋しながら朝日新聞の断面・深層を改めて見なおす。

■吉田調書入手・吉田調書取材班を結成

  • 吉田調書は2014年2月経済部の木村記者が入手、特別報道部の市川誠一部長に呼び出され経済部の宮崎記者と三人で吉田調書取材班を結成。木村・宮崎記者は朝日新聞の記者に不信感を抱いていた。二人の不信感は東電や経済産業省に近い編集局幹部や特別報道部の同僚にも向けられていた。5月20日吉田調書入手の第一報掲載。関係者は両記者に二人が指名した堀内記者と私(鮫島)4名のみ。A4×400Pの資料。P203

■待機命令に反して9割が離脱

  • 2014年5月20日長官一面と二面に掲載。東京電力第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日の朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反して、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せていた。P216

■第一報翌日の社内一斉メール

  • 朝日新聞編集局長室第一報翌日にだした社内一斉メールで以下の内容が流された。21日朝日新聞特別報道取材部とデジタル編集部の取材・制作チームによる「吉田調書」の特報に対して編集担当賞とデジタル担当賞が贈られることが決まりました。朝日新聞社内は称賛の声に包まれた。市川誠一報道部長は「木村社長が大喜びしているぞ。社長賞を出す。今年の新聞協会賞も間違いないと興奮している」と声を弾ませていた。p224

■朝日新聞独走・異論を封殺

  • 2014年5月は朝日新聞社内の権力移行が「木村独裁」が完成しつつある時期だった。第二報は続報をデスク達で議論し当番編集長の原真人さんは新聞の「アタマ」にするか「カタ」にするかで下した「カタ」にする結論を、渡辺編集局長が「いや、きょうはアタマにしてほしい。朝日新聞の決意を示す時だ」と決定を覆した。
  • 特別報道部や私の発言力も増して、それと引き換えに報道に異論を唱える声も影を潜め、不満や反発が水面下に蓄積した。それでも第一報に対し「待機命令を知らずに第二原発に向かった所員もいたと思う。早めに軌道修正した方がいい」と懸念を伝える記者はいた。マスコミ各社は調書が入手できず、朝日新聞の「独走」を静観していた。P231-232

■新聞協会賞に申請を目指す

  • 6月時点で吉田調書報道に向けられた批判に勢いはなかった。新聞協会賞に申請することを優先し、それに水をさす紙面展開を避けた。その間にネットメディアや週刊誌を中心に「命令違反と言えるのか」「誤報ではないか」と言う批判がじわじわ広がり始めた。朝日新聞はそれらの報道に抗議を繰り返し、7月3日「吉田調書」報道を新聞協会賞に申請した。p234

■「慰安婦問題を考える」

  • 8月5日特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載したことで猛烈なバッシングの嵐が吹き荒れた。戦時中慰安婦を強制連行したとする「吉田清治」の記事を虚偽と判断し過去の記事16本を取り消した。訂正までに20ー30年かかったことや謝罪の言葉がないことへの批判が殺到した。「吉田証言」の信憑性を疑う指摘は1990年代からなされた。しかし会社上層部はこの問題を自ら、蒸し返すことをずるずる先延ばしにしてきた。P237

■産経・他社の反撃

  • 8月18日「吉田調書」報道に産経新聞が他社に先駆け「吉田調書」を手に入れ報道を開始した。

8月25日の記者会見で菅義偉官房長官が吉田調書の公表を発表した。読売や毎日も朝日に批判的な立場で吉田調書の報道を始めた。P240

■池上彰原稿に木村社長激怒

  • 8月27日の会議で「吉田証言」「吉田調書」を巡る朝日バッシングに対して断固戦う方針を決定した。直後池上彰氏の8月29日掲載予定の「池上彰の新聞ななめ読み」に慰安婦問題を巡る「吉田証言」の取り消しは遅きに失したと批判する原稿に、ゲラを見た木村社長が激怒しコラム掲載を拒否した。朝日新聞は世間から猛烈な批判を浴び立ち往生した。経営陣は総崩れ状態になった。P242

■命令違反で撤退の記事取り消し

  • 9月11日夜木村社長は朝日新聞本社で緊急記者会見に臨んだ。「吉田調書を読み解く過程で評価を誤り「命令違反で撤退」という表現を使った結果、多くの東電社員にその場から逃げ出したかのような印象を与える、間違った記事と判断しました。「命令違反で撤退」の表現を取り消すと共に読者及び東電の皆様に深くお詫び申し上げます」と頭を下げた。その上で退任を示唆し、この機会に慰安婦報道についても訂正が遅きに失したことを謝罪した。P248

■バッシングの嵐と記者処分

  • 吉田調書を独自入手した木村・、宮崎記者は「捏造記者」のレッテルを貼られデスクを務めた私もバッシングを受けた。木村社長が正式に辞任する年末まで続いた。「公開処刑」のようであつた。実際に「慰安婦」「池上コラム」の失敗は「吉田調書」へのバッシングで希薄された。P256

■渡辺新社長就任

  • 懲戒処分は2014年12月5日付けだった。木村・宮崎記者は減給、私は記者職を解かれた。翌朝の紙面には「朝日新聞社は変わります。私が社員の先頭に立って必ず変えます」と大阪社会部渡辺新社長の言葉が載った。P262

■渡辺社長退任

  • 2009年まで800万部あった発行部数は渡辺社長が就任した時点で700万部。そのご「朝日離れ」は加速し3年間で100万部のペースで激減、在任6年で500万部を割り込んだ。2021年3月連結決算で442億の赤字に転落引責辞任に追い込まれた。P286

■自分は自立していないサラリーマン

  • 2021年5月31日退社。吉田調書で処分を受けた時、自分自身がサラリーマンであることを思い知ったサラリーマンとジャーナリストであることは相容れないかも知れない。吉田調書でデスクを解任された時、一人記者会見をして全てを暴露してやめようと思った。でも会社に依存している自分の非力さを痛感して踏み切れなかった。その後早期退職募集に応じてやめた。p296

 

★朝日の体質が見事に描かれている。自浄装置のない経営陣の独断を指摘している。朝日新聞政治部こそ朝日の体質そのものと言ってよい。この事はGHQの言論統制以後権力に歯向かうと言う美名に隠れ、日本という国家に対し足を引っ張り続けてきた。慰安婦問題の捏造、吉田調書の誤報、池上問題で木村社長は記事を取り消した。これ以外にも朝日新聞の虚偽は沢山ある。若宮主筆はもとより誤報と知りながら唯々諾々としらを切り続ける体質だ

★日本国民は慰安婦問題を通じて日本を貶める朝日の姿勢を苦々しく思っていた。公器と言われる新聞メディアが政府の足を引っ張ることに専念してきた。吉田調書で責任を問われた記者とデスク、その時々の朝日新聞の組織を描いているが、自分はサラリーマンであったと自戒して退社する。組織に安住する「社蓄」に過ぎないことを自覚する。

★朝日新聞は今でも権力に立ち向かうとポーズを取りながら、安倍元総理に対しても野党ともども問題を矮小化し批判だけしてきた。国のために役立と言う、気概は微塵も感じられない。帯びに書いているように歴代の編集部主筆も自分の個人的保身に汲々として韓国におもねている。恥を知れと言いたい。

★虚偽報道に対して、朝日新聞は謝罪せず、記事の取消のみを2014年8月に行った。

 

理念の時代に生きる179号・「安倍晋三 時代に挑む」

★先月7月6日理念実践会に第一次・第二次安倍政権で内閣広報官を務め、総理補佐官として首脳外交から様々な課題に向き合った長谷川栄一氏の「首相官邸の2800日」を取り上げた。そして今月安倍総理の最新著書「安倍晋三 時代に挑む」を指定し、参加者にアマゾンから送付した。

★二日後、安倍元総理が銃撃され死亡された。2022年7月8日奈良の選挙演説の際に。思いもよらない事実として私達の眼前に起きた。

★森信三先生は「我が身に降りかかることは全て絶対必然即絶対最善」と言われる。私達にとって安倍総理の突然の死は何を意味するか、掲題の著書を通じて安倍政権の取り組み解決した日本の課題を理念実践会の皆さんと振り返って見た。

 

序章「天は自ら助くる者を助く」ウクライナの教訓とは 国家安全保障局 北村 滋

ロシアが仕掛ける「ハイブリット戦」と「情報戦」の帰趨(きすう)

  • 北村 クリミア併合(2014年)に際して、ロシア軍は、火力を主体とする軍事作戦とサイバー攻撃など非軍事的な工作とを組み合わせた「ハイブリット戦」を展開しました。電子戦部隊を展開してウクライナ軍の無線通信を遮断し使用不能にした。
  • 北村 ロシアは事前のサイバー攻撃で、ウクライナ軍の指揮命令の方法などの情報を入手。偽の指令の下に集まったウクライナ兵は、ロシア軍から集中砲火を受けて壊滅に追い込まれた。約一万五千人からなるロシア軍が、約五万人のウクライナ軍を圧倒したのです。p16
  • 安倍 情報戦は「情報収集」と「情報発信」の両面からなります。北村さんは情報収集について指摘されましたが、情報発信についてもウクライナ優勢が続いている。ツイッターやユーチューブを通じて、リアルタイムで現地の映像が世界中に拡散される。SNSを駆使するゼレンスキー大統領の発信力と相まってロシアを圧倒しています。p18

「NATOに入れない」ならフィンランド化

  • 北村 安倍総理は、プーチン大統領と二十七回の会談を重ねられました。プーチン大統領は、どのような価値観の持ち主なのでしょうか。
  • 安倍 彼は「力の信奉者」です。二〇一三年のG8首脳サミットでは、シリア内戦がテーマになった。ロシア以外の七ヵ国はアサド政権を退陣に追い込むべきだと主張しましたが、プーチン大統領は「この地域は力が支配する世界だから、後継者を決めないと大変なことになる」と反論。p19
  • 安倍 プーチン大統領と対話するなかで、我々とは異なる価値観を持つ指導者だと感じましたが、今回のような無謀な戦いに突き進むとは思いもよりませんでした。ウクライナ侵攻における彼の戦略を読み解くのは難しいものの、「選択肢はすべてテーブルの上にある」という姿勢で交渉すべきだったのかもしれません。p19

今日のウクライナは明日の台湾

  • 北村 習主席は、台湾統一に並々ならぬ意欲を燃やしています。二〇二一年七月、中国共産党創設百年を祝う式典で、「祖国の完全統一を実現することは党の歴史的任務」と語り、「あらゆる『台湾独立』のたくらみを断固として粉砕し、国家主権と領土を守り抜くという中国人民の揺るぎない決意を甘く見てはいけない」と述べている。p21
  • 安倍 ところが、軍事力で圧倒するロシアがウクライナを攻めあぐねている。中国といえども、台湾を武力統一するのは容易でないと認識したはずです。p21

共通点(同盟国なし)と相違点(台湾は国連加盟国ではない)                   

  • 安倍 米国はこれまで、台湾政策で曖昧戦略をとってきました。中国が台湾に侵攻したとき、軍事介入するかどうかを明言していません。「米国が軍事介入するかもしれない」と思わせて中国を牽制する一方、台湾の独立派には「米国が軍事介入しないかもしれない」と思わせて暴走を防いできた。ところが現在、曖昧戦略は、中国に米国の意思を見誤らせる危険を孕(はら)んでいます。米国は、台湾防衛の意思を明確にすべきです。p24

中国が狙う世界秩序「変革」の危険性

  • 北村 一〇%近い内閣支持率を犠牲にして成立させた平和安全法制によって、集団的自衛権が一部容認されることになりました。他国と情報共有する上で欠かせない特定秘密保護法と合わせて、日本が「普通の国」に近づいた。p28
  • 北村 中国企業が世界のインフラ投資に参入して、経済成長に不可欠な資源を確保するとともに、世界中に軍事拠点をつくる。それが「一帯一路」です。カンボジアやミャンマーなどの東アジア、スリランカやパキスタンといった南アジアでは、中国が戦略拠点をすでに確保している。p28

 

第二章 台湾侵攻は「中国の自殺」と悟らせよう   桜井よしこ

「台湾有事は日本の有事」の真意とは

  • 安倍 台湾本島から与那国島は百十キロ、尖閣諸島は百七十キロしか離れていません。台湾へ

の武力侵攻は、同時に日本の領土を脅かす行為でもある。だからこそ、台湾有事は日本の有事、

そして日米同盟の有事でもあると述べました。p65

  • 安倍 台湾がTPPに参加すれば、日本の経済・安全保障における戦略空間はさらに拡大する。

TPPはルールにもとづく国際秩序を維持・強化していくための枠組みであり、台湾は参加資格を十

二分に備えています。p67

「価値観外交」は勝つ!

  • 安倍 第一次安倍政権では「価値観外交」という形で打ち出していました。当時から日米豪印の

四カ国が協力して地域の平和と安定を守るべきだと主張していたのです。p69

  • 安倍 中国による一方的な現状変更の試みが明らかになるなかで、各国の中国に対する見方が

変わってきました。そして、菅政権下では、史上初の四カ国首脳会談が実現。日米豪印からなるク

アッド」という略称も広く知られるようになった。p70

「国際ルール」を守らせよう。

  • 櫻井 クアッド以外にも、TPPイレブンや日欧EPA(経済連携協定)など世界政治の軸となる枠組

みは、およそすべて安倍総理が主導しました。注目すべきは欧州の動きです。これまで中国の軍

拡や人権問題にさほど関心を持っていなかった欧州の態度が、急速に変わりつつある。p71

  • 櫻井 中国は一路一帯やAIIB(アジアインフラ投資銀行)を利用して、米欧の分断を狙いました。

中国と敵対するトランプ政権とEU諸国にくさびを打とうとしたわけです。p71

  • 安倍 日米が共有する価値観を具体的なルールに落とし込み、積極的に提案することが重要で

す。自由主義陣営が主導するルールの枠内に入れてしまえば、中国といえども従わざるを得ませ

ん。中国はWTOに加盟して以降、急速な経済成長を遂げました。国際ルールを守ったほうが利

益になるということを、中国は理解しているはずです。p72

 

第4章 コロナ禍だからこそ改憲議論を進めよう   弘兼憲史

「清廉潔白なれど無能な政治家」とは誰?

  • 安倍 政権時代、二十代と三十代の自民党支持は岩盤のように固かった。全体の支持率が落ちても、若年層の支持率はさほど変わりませんでした。アベノミクスで雇用が回復して経済的恩恵を受けたこともあるでしょうが、テレビを見ずにネットで広く世界を見ていることも大きいと思います。P113

法学部の学生時代に気づいた「九条」の矛盾

  • 弘兼 私は1966年に早稲田大学に入学しました。そこで教わった憲法の“矛盾”が原点です。九条には「戦力を保持しない」とかいてあるにもかかわらず、日本には戦車や戦闘機を持った「自衛隊」という組織が存在する。P114
  • 弘兼 全共闘世代なので、教授を含めて9割が左翼思想に染まっていた印象です。特に法学部は共産党シンパの教授がズラリと並び、授業内容も偏っていました。とはいえ、左翼学生のうち学生運動に参加していたのは1割程度。信念をもって活動していたのは10分の1ほどです。P115

「平和安保制」の整備が日米同盟強化につながった

  • 安倍 父の秘書官だった頃、私は岡崎久彦さん(外務省情報調査局長、駐タイ大使などを歴任)から「集団的自衛権の行使で解釈変更に踏み切らない限り、日米同盟は危うくなる」と聞き、その通りだと考えていました。P117
  • 安倍 トランプ大統領から「日本が北朝鮮から爆撃されたら、米軍は日本のために戦う。でも、米軍が攻撃されても日本は助けてくれない」と言われた。即座に「だからこそ内閣支持率を十数%落としてまで平和安全法制をつくった」と反論しました。トランプ大統領は「素晴らしい」と。もし平和安全法制がなかったら米国内で日米同盟を見直そうという議論が巻き起こっていたかもしれません。P117
  • 安倍 今となっては、平和安全法制を破棄すべきだという声はほとんど耳にしません。平時であっても自衛隊が米軍の戦艦や航空機を防護できるようになり、日米共同演習の回数は格段に増加。結果として、同盟の絆がより一層強くなったことは明らかです。P118

「第一列島線」を守り抜く

  • 安倍 異常なスピードで拡張する中国に対し、安倍政権は尖閣を守り抜く確固たる決意を示しま

した。 防衛最前線は欧州で、それを支えていたのは北太平洋条約機構(NATO)でした。現在のフロントラインはインド太平洋、沖縄からフィリピンを結ぶ「第一列島線」。それを守り抜くのが日米同盟の使命です。P122

  • 安倍 オバマ政権は尖閣に日米安保五条が適用されると明言し、それはトランプ政権、バイデン政権にも継承されています。しかし、自国の領土を自らの手で守るというのが大前提です。P123

台湾有事のシナリオ

  • 安倍 台湾は特殊な歴史的背景と地理的条件のもとに置かれた日本の友人であり、自由・民主主義・人権という普遍的価値観を重んじる同志でもある。台湾が変質するようなことがあれば、我が国の安全保障にとって重台な懸念材料になります。P123
  • 安倍 ニクソン訪中以来、米国は台湾政策で「戦略的曖昧」を貫いてきました。「米国が介入する可能性」をほのめかすことで中国を牽制し、「米国が介入しない可能性」があることで台湾は慎重に行動する。ところが最近、米国の中国専門家から「戦略的曖昧」の危険性が指摘されるようになりました。米国が明確に介入の意志を示さなければ、台湾に侵略するのではないかと危惧している。P124
  • 安倍 日本も、新しい戦争の形というものを考える必要があります。防衛の最前線がサイバーや宇宙、電磁波の世界になった現代において、専守防衛かという線引きは難しい。政府のサイバーセキュリティ戦略本部では、中国やロシアなどの関与が疑われるサイバー攻撃を念頭に、自衛隊のサイバー関連部隊を強化する方針が示されています。P125

コロナ禍の今だからこそ改憲議論を進めるべき

  • 安倍 私はかねて、憲法改正の必要性を訴えてきました。その理由は三つあります。まず、憲法の成立過程に問題があるということ。GHQ占領下でつくられたことは事実です。二つ目は、成立から七十年以上が経過し、時代にそぐわない部分があること。三つ目は、国民投票を実施し、自らの手で憲法を変えることが新しい時代を切り拓く精神につながるということ。P128

 

第五章 「危機の時代」にこそ読まれるべき名著  百田尚樹

命の大切を伝えたい

  • 安倍 百田さんが書かれる小説のテーマには、「他者の為に自分の人生を捧げる」という事があるのではないでしょうか。
  • 百田 おっしゃる通りです。長い間、日本人はそういう生き方をしてきたと民族だと思っていますし、今もすべての日本人の心の底に眠っています。そういう生き方を思い出し、命の大切さを伝えたいと常に思っています。P136

「永遠の0」に学んだこと

  • 安倍 指揮官による判断と決断の誤りによって多くの人々が命を失うことになり、国家の命運を危ぶむ事にも繋がりかねない。私も国の判断を下す立場に立っており、「永遠の0」を読むと改めて指揮官の重要性を感じます。

「右傾化小説」という批判

  • 百田 「永遠の0」と「海賊と呼ばれた男」は右傾化小説と朝日新聞に書かれました。それに早速、韓国が飛びついて「日本、安倍政権で文化も右傾化」と嬉々として書いています。戦後、焼け野原になった日本を懸命に立て直した経営者の物語がなぜ「右傾化小説」と呼ばれなければならないのか。まあ、朝日新聞は「竹島は韓国に譲れ」と言っていた主筆の若宮啓文が退職した途端に韓国の大学教授になれる会社ですからね。P143

他人のために生きた世代

  • 百田 大正生まれの人たちは「他人のために生きた世代」だという事です。地獄の戦場を生き抜いて、何もない祖国を立て直す為に懸命に働き、経済成長を成し遂げたのも大正世代なのです。昭和三十九年には新幹線を開通させ、東京オリンピックも成功させた。彼らがいたから私たちの世代が成り立っていると思います。P146

資料を読んでいて体が震えるような衝撃を覚えた

  • 百田 敗戦のわずか二日後に社員たちに「我が社には最大の資産である人が残っとるじゃないか」「愚痴をやめよ」「ただちに建設にかかれ」と号令するのです。出光佐三さんのこのくだりを見つけた時、衝撃を覚えました。

出光佐三は、戦後忘れ去られた経営者だった

  • 安倍 出光さんのやられた経営は日本的経営の典型であり、グローバルにも成功を収めている。このエッセンスをどうにか現在にもうまく活かすことができないかなと思います。

 

■各国首脳「追悼の言葉」

バイデン大統領「民主主義という仕事に身を投じた」、トランプ前大統領「彼のような人は二度と現れない」、ペンス前副大統領、オバマ元大統領「安倍元総理の優しさ」、ジョンソン前首相「未曾有の時代に発揮したリーダーシップ」、ショルツドイツ首相「ドイツは日本の傍に」、メルケル前首相「一緒に仕事をするのが楽しみでした」、マクロン大統領「世界の秩序のために取り組んできた首相」、蔡英文「台湾と日本に多くの花を」、ゼレンスキー大統領「残酷で恐ろしいニュース」、習近平「中日関係を構築してきた」、トルドー首相「献身的で先見性のあるリーダー」、ボルソナー大統領「三日間の藻に服す」、モディ首相「親愛なる友人、安倍さん」、モリソン前首相「歴史の架け橋となる能力があった」、インドネシア大統領「常に忘れることはない」、ライエン欧州委員長「多国間世界秩序の擁護者」他。

 

★朝日新聞は7月15日の紙面で「学者数人に国葬への賛否を述べさせ、元首相の政治姿勢、

政策には「支持できないと言う批判が根強くある」「外交的成果は思ったほどなく、仕事ぶりに不

満がある」「国論を分裂させる国葬をわざわざやる必要はない」と述べている。

 

国葬儀を積極的な外交の場に  日本財団笹川洋平氏 安倍レガシーを弔問外交に